ハバクク QT3 211130火【私の足を雌鹿のようにし】ハバクク 3章 1~19
ハバクク 3章 1~193:1 預言者ハバククの祈り。シグヨノテの調べにのせて。3:2 主よ、私はあなたのうわさを聞きました。主よ、あなたのみわざを恐れています。この数年のうちに、それを繰り返してください。この数年のうちに、それを示してください。激しい怒りのうちにも、あわれみを忘れないでください。3:3 神はテマンから、聖なる方はパランの山から来られる。セラその威光は天をおおい、その賛美は地に満ちている。3:4 その輝きは光のよう。ひらめきが御手から上り、そこに御力が隠されている。3:5 疫病はその前を行き、熱病がうしろに従う。3:6 神が立ってご覧になると、地は揺るぎ、国々は震え上がる。とこしえの山は打ち砕かれ、永遠の丘は低くされる。しかし、その道筋は永遠だ。3:7 私が見ると、クシャンの天幕は不法の下にあり、ミディアンの地の幕屋はわなないていた。3:8 主よ、川に対して怒りを燃やされるのですか。川に対してあなたの怒りを、海に対して激しい憤りを。確かに、あなたは馬に、あなたの救いの戦車に乗っておられます。3:9 あなたの弓は覆いを取り払われ、ことばの杖による誓いが果たされます。セラあなたは地を裂き、いくつもの川とされます。3:10 山々はあなたを見て震え、あふれる水が押し寄せます。深い淵は声を出して、その手を高く上げます。3:11 太陽と月は、その住む所にとどまり、あなたの矢の光によって進みます。あなたのきらめく槍のひらめきによって。3:12 あなたは、激しい憤りをもって地を行き巡り、怒りをもって国々を踏みつけられます。3:13 あなたは御民を救うために、油注がれた者を救うために出て来られます。あなたは悪しき者の頭を打ち砕いて首までにし、彼の家の基をあらわにされます。セラ3:14 あなたは杖で戦士たちの頭を突き刺されます。彼らは、苦しむ者をひそかに食い尽くすように、ほしいままに私を追い散らそうと荒れ狂います。3:15 あなたは馬で海を、大水の泡立ちを踏みつけられます。3:16 その音を聞いたとき、私のはらわたはわななき、唇は震えました。腐れは私の骨の内に入り、足もとはぐらつきました。攻めて来る民に臨む苦しみの日を、私は静かに待ちます。3:17 いちじくの木は花を咲かせず、ぶどうの木には実りがなく、オリーブの木も実がなく、畑は食物を生み出さない。羊は囲いから絶え、牛は牛舎にいなくなる。3:18 しかし、私は主にあって喜び躍り、わが救いの神にあって楽しもう。3:19 私の主、神は、私の力。私の足を雌鹿のようにし、私に高い所を歩ませる。指揮者のために。弦楽器に合わせて。 ハバククの3章17、18節は「いちじく、ぶどう、オリーブの木も実、畑は食物、囲いの羊と牛」などの素材を語っているので、「一生懸命にしましたが、満足できなかった」ほどの結果のように思われがちですが、実はそれより深刻なものであって国家と民族が滅亡に追い込まれるような危機状況について語っているものです。 2節でハバククが驚いた理由は、ユダヤの滅亡の前兆を見たからであり、ハバククはその状況で神様に「それを繰り返してください」と祈ります。ハバククは神様の裁きから逃れられないことを知り、「激しい怒りのうちにも、あわれみを忘れないでください」と祈りますが、神様の怒りと憐れみの間に挟まれている「それを繰り返してください」という言葉を意味は何でしょうか? 「繰り返し」は、ヘブライ語で「ハヤ(חַיָּֽה)」で、「生きる(live)」という意味です。アダムの妻イブをエバと言うのもハヤの「生きる」から来たものです。すべての「生きる者の母」という意味です。ですから「繰り返し」は、ハバククの文脈の中で「生き残る、生かす」という意味です。 「数年のうち」というのは、数年間ではなく、ハバククが生きる時代です。その時代を成している世代に与えられた時間です。もちろん読者にとっては、私たちの時代、私たちが一緒に生きるこの世代です。ハバククのもはや退くところのない最後のところでお祈りしています。 崖の上に立ったハバククは、19節の最後の節で「神は、私の力」と言い、「私の足を雌鹿のようにし、私に高い所を歩ませる」と言いました。鹿は崖を飛び歩きます。神様が、み怒りの中でも憐れみを忘れず、鹿が絶望的な現実の崖でも跳び回り続けるなら、たとえ懲戒されても、ユダヤはきっと救われて生きられるものになります。