Ⅰサムエル 黙想2【ハンナの歌】230124(火) 枝川愛の教会

Ⅰサムエル 2:1~112:1 ハンナは祈った。「私の心は主にあって大いに喜び、私の角は主によって高く上がります。私の口は敵に向かって大きく開きます。私があなたの救いを喜ぶからです。2:2 主のように聖なる方はいません。まことに、あなたのほかにはだれもいないのです。私たちの神のような岩はありません。2:3 おごり高ぶって、多くのことを語ってはなりません。横柄なことばを口にしてはなりません。まことに主は、すべてを知る神。そのみわざは測り知れません。2:4 勇士が弓を砕かれ、弱い者が力を帯びます。2:5 満ち足りていた者がパンのために雇われ、飢えていた者に、飢えることがなくなります。不妊の女が七人の子を産み、子だくさんの女が、打ちしおれてしまいます。2:6 主は殺し、また生かします。よみに下し、また引き上げます。2:7 主は貧しくし、また富ませ、低くし、また高くします。2:8 主は、弱い者をちりから起こし、貧しい者をあくたから引き上げ、高貴な者とともに座らせ、彼らに栄光の座を継がせます。まことに、地の柱は主のもの。その上に主は世界を据えられました。2:9 主は敬虔な者たちの足を守られます。しかし、悪者どもは、闇の中に滅び失せます。人は、自分の能力によっては勝てないからです。2:10 主は、はむかう者を打ち砕き、その者に天から雷鳴を響かせられます。主は地の果ての果てまでさばかれます。主が、ご自分の王に力を与え、主に油注がれた者の角を高く上げてくださいますように。」2:11 エルカナはラマにある自分の家に帰った。幼子は、祭司エリのもとで主に仕えていた。   ハンナが自分の誓願に従ってサムエルを神様に捧げたときの歌です。ハンナの信仰は、子どもを欲しがる祈福信仰ではありません。もちろん「祈福」という言葉の定義がまず必要です。根本的に信仰はすべて祈福、祝福を願います。救いの祝福を求め、この世においても必要を求めるということに誰でも逃れることはできません。しかし、懸念される祈福信仰というのは神様を通して受け取る何かが、神様の愛という人格を転覆させることです。神秘主義や祈福信仰はすべて神様の超越性を追い求めますが、人格性は見落としやすいです。ハンナは子どもを求めましたが、子どもがすべてではありませんでした。神様との人格的な約束を覚えています。ハンナは子どもをくださった神様のことを忘れなかったし、子どもを持ったからといって神様を捨てることをしなかったし、約束した神様を騙すことはしなかったです。何よりも自分自身をごまかしてないです。   世界には否定できない厳然たる秩序があります。人が死ぬこと、生まれること、興じること、滅びることを防ぐことはできません。歴史は川のように流れ、それに例外はありません。人間が高ぶれない理由、神様の絶対的な啓示は、世の中のすべては滅び、衰るということです。富と名誉も変わり、若い人は老い、老いた人は死に、また人は生まれてきます。ハンナは子どもに執着せず、子どもを抱き、このように告白しました。「主は殺し、また生かします。よみに下し、また引き上げます。主は貧しくし、また富ませ、低くし、また高くします。6,7」すべてが神様の中にあるので、神様を騙したり、自分を騙したりすることはできません。   ウィンストン·チャーチルの愛する本として知られたエドワード·ギボンの『ローマ帝国衰亡史(The History of the Decline and Fall of the Roman Empire)』はチャーチルが覚えるほど読んだ本です。 その力がチャーチルの文章力につながり、政治家だったチャーチルはノーベル文学賞を受賞しました。「ローマ帝国衰亡史」はローマの繁栄とことではなく、衰亡のことを考えました。生きる日があれば死ぬ日があり、興じる日があれば衰える日もあります。本の一部分です。「ローマの衰退は帝国の巨大さがもたらして避けられない当然なことだった。繁栄が衰退の原理である。 征服地域が拡がり、破滅の原因も増えた。 それが偶然なのか必然なのか人為的に立てた柱が崩れることに連れ、この巨大な建築物は自体の重さのために崩れた。」言い換えれば、成功の中にすでに衰退が入っているということです。幸せの中に不幸が入っており、生の中に死が入っています。しかし、衰亡を読んだチャーチルは危機に陥ったイギリスを救いだしました。ハンナの祈りを持って育ったサムエルは、滅びつつある時代を閉じ、新しい時代を開く人になりました。

사무엘상 묵상2【한나의 노래】230124(화) 에다가와 사랑의 교회

사무엘상 2:1~112:1 한나가 기도하여 가로되 내 마음이 여호와를 인하여 즐거워 하며 내 뿔이 여호와를 인하여 높아졌으며 내 입이 내 원수들을 향하여 크게 열렸으니 이는 내가 주의 구원을 인하여 기뻐함이니이다2:2 여호와와 같이 거룩하신 이가 없으시니 이는 주 밖에 다른 이가 없고 우리 하나님 같은 반석도 없으심이니이다2:3 심히 교만한 말을 다시 하지 말 것이며 오만한 말을 너희…

Ⅰサムエル 黙想1【祈りを覚えているハンナ】230123(月) 枝川愛の教会

Ⅰサムエル 1:19~281:19 彼らは翌朝早く起きて、主の前で礼拝をし、ラマにある自分たちの家に帰って来た。エルカナは妻ハンナを知った。主は彼女を心に留められた。1:20 年が改まって、ハンナは身ごもって男の子を産んだ。そして「私がこの子を主にお願いしたのだから」と言って、その名をサムエルと呼んだ。1:21 夫のエルカナは、年ごとのいけにえを主に献げ、自分の誓願を果たすために、家族そろって上って行こうとした。1:22 しかしハンナは、夫に「この子が乳離れして、私がこの子を連れて行き、この子が主の御顔を拝して、いつまでもそこにとどまるようになるまでは」と言って、上って行かなかった。1:23 夫のエルカナは彼女に言った。「あなたが良いと思うようにしなさい。この子が乳離れするまでとどまりなさい。ただ、主がそのおことばを実現してくださるように。」こうしてハンナはとどまって、その子が乳離れするまで乳を飲ませた。1:24 その子が乳離れしたとき、彼女は子牛三頭、小麦粉一エパ、ぶどう酒の皮袋一つを携えてその子を伴って上り、シロにある主の家に連れて行った。その子はまだ幼かった。1:25 彼らは子牛を屠り、その子をエリのところに連れて行った。1:26 ハンナは言った。「ああ、祭司様。あなたは生きておられます。祭司様。私はかつて、ここであなたのそばに立って、主に祈った女です。1:27 この子のことを、私は祈ったのです。主は私がお願いしたとおり、私の願いをかなえてくださいました。1:28 それで私もまた、この子を主におゆだねいたします。この子は一生涯、主にゆだねられたものです。」こうして彼らはそこで主を礼拝した。   Ⅰサムエルはハンナの話から始まります。ハンナは不妊に苦しみ、神様に祈ります。息子が産まれるなら、神殿に仕える神様のしもべとして捧げるという誓願でした。その祈りは叶えられ、ハンナは息子のサムエルを産みます。そしてハンナはその祈りを覚えていました。サムエルが乳離れしたとき、神殿のエリに連れて行き、サムエルを神様にささげます。ということでサムエルは幼い頃から神殿で暮らし、祭司のエリのもとで祭司長の授業を受けることになります。   不妊だったハンナが子を妊娠し、出産することができたのは、創造主であり、命の主である神様がハンナの祈りに答えてくださった恵みのゆえです。誰でも急いでいるときは何かの祈りをします。しかし、その祈りが答えた後、人の心は変わります。多くの人は自分の祈りを覚えていません。約束ではなかったという言い訳、約束を守れない理由、自分が約束を守れなくても神様は自分を愛するという幼稚な無理強いだけが残ります。もちろん神様は愛するでしょう。でも、約束を守らなかった人がそれを正当化するために言えることばではありません。   ハンナは息子を産みましたが、乳離れする頃に赤ちゃんを手放さなければなりませんでした。生後1年くらいで乳離れます。母親と赤ちゃんに母乳を飲ませながら1年を過ごすと、赤ちゃんはさらに大切なものになります。私の娘は1歳をはるかに過ぎてまで乳を飲みました。そでから見ると、娘だけが求めることではなく、母親が止められなかったです。二人の命がへその緒でつながっていて、生まれてからは乳を飲ませながらつながっていることを確認し、安心するのです。   乳離れということも一つの喪失だと思いますが、ハンナは乳離れと同時に子と別れる決断をしなければなりませんでした。子どもをくだされば、子どもを神様に捧げるといった祈りを覚えているからです。これがハンナの偉大さです。祈ると神様がくださるということにポイントがあるのではなく、ハンナは祈りを覚え、約束通りに実行したことにポイントがあります。商売をする人は信用が命です。社会は約束を守らない人を相手にしません。神様にした約束、守らなければならないのではないですか。じっくりと思い出します。

사무엘상 묵상1【기도를 기억하는 한나】230123(월) 에다가와 사랑의 교회

사무엘상 1:19~281:19 그들이 아침에 일찌기 일어나 여호와 앞에 경배하고 돌아가서 라마의 자기 집에 이르니라 엘가나가 그 아내 한나와 동침하매 여호와께서 그를 생각하신지라1:20 한나가 잉태하고 때가 이르매 아들을 낳아 사무엘이라 이름하였으니 이는 내가 여호와께 그를 구하였다 함이더라1:21 그 사람 엘가나와 그 온 집이 여호와께 매년제와 그 서원제를 드리러 올라갈 때에1:22 오직 한나는 올라가지 아니하고 그 남편에게…

ピリピ人への手紙 黙想9【パウロの最後の祝祷】230120(金) 枝川愛の教会

ピリピ 4:14~234:14 それにしても、あなたがたは、よく私と苦難を分け合ってくれました。4:15 ピリピの人たち。あなたがたも知っているとおり、福音を伝え始めたころ、私がマケドニアを出たときに、物をやり取りして私の働きに関わってくれた教会はあなたがただけで、ほかにはありませんでした。4:16 テサロニケにいたときでさえ、あなたがたは私の必要のために、一度ならず二度までも物を送ってくれました。4:17 私は贈り物を求めているのではありません。私が求めているのは、あなたがたの霊的な口座に加えられていく実なのです。4:18 私はすべての物を受けて、満ちあふれています。エパフロディトからあなたがたの贈り物を受け取って、満ち足りています。それは芳ばしい香りであって、神が喜んで受けてくださるささげ物です。4:19 また、私の神は、キリスト・イエスの栄光のうちにあるご自分の豊かさにしたがって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。4:20 私たちの父である神に、栄光が世々限りなくありますように。アーメン。4:21 キリスト・イエスにある聖徒の一人ひとりに、よろしく伝えてください。私と一緒にいる兄弟たちが、あなたがたによろしくと言っています。4:22 すべての聖徒たち、特にカエサルの家に属する人たちが、よろしくと言っています。4:23 主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊とともにありますように。   今朝を持ってピリピへの手紙は終わります。パウロが56年と57年にピリピを訪問してからピリピへの手紙はその後パウロがローマの監獄に監禁された時、61年から62年の間に書き送られた手紙です。パウロがローマの投獄されると、ピリピ教会はエパフロディトという人をローマに送ってパウロの必要を満たしました。ところが、エパフロディトが重い病気になって危険でしたが、幸いに治ってピリピに帰れるようになりますが、「ピリピ人への手紙」はその時エパフロディトがピリピに持って行った手紙です。   ピリピ教会は、パウロがマケドニア、つまりヨーロッパ大陸に入って初めて開拓した教会で、ピリピの開拓後、テサロニゲを経由し、ギリシャ半島まで伝道した時、できたばかりのピリピ教会はパウロの財政的後援者になっていました。そういう意味で、ピリピ教会は一つの開拓地ではなく、アンディオクとヨーロッパをつなぐ重要な宣教的拠点の役割をしたのです。パウロにとって、ピリピ教会への感謝と愛情は特別なものだったと思います。   しかし、ピリピ教会の人々はこれ以上にパウロに会うことはできず、パウロの手紙を受け取ることもできませんでした。数年後、パウロは斬首刑で死ぬことになるからです。ネロ皇帝のキリスト教迫害の暗雲が始めた時でした。一時的に釈放されますが、パウロは最後の瞬間までヨーロッパの端、スペインまで行って伝道しようと思っていました。というわけで、今日の本文のお別れが、パウロが送るピリピ教会への最後のメッセージです。   イエス様と同じように、パウロも成功ではなく死刑で終わりました。しかし、それが失敗ではなく成功です。イエス様が成就し、パウロが伝え、私たちが伝えている救いの福音は肉体の成功のためのものではありません。命をかけて信じるのではなく、もともと福音は肉体の生命を超えた永生に関するものだからです。そのなかでも、ピリピに感謝の気持ちを持っているパウロは、ピリピ教会の聖徒たちに神様が報いてくださり、豊かになることを祝福しながら祈ります。宣教のために仕えるところが神様によって豊かに報われることをパウロに従って祝願します。   パウロに会えないピリピの聖徒たちは、その日にエパフロディトが持ってきたこの手紙を受け取って喜びと悲しみを持って読んだと思います。その重さが私たちに伝わっていただきたいと願います。パウロの最後の挨拶が余韻を残してピリピへの手紙は終わります。「主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊とともにありますように。23」これ以上に良い祝福はありません。パウロが肉体の命と変えたそのキリストの恵みが私たちの心と霊の中にあることを願います。

빌립보서 묵상9【바울의 마지막 축도】230120(금) 에다가와 사랑의 교회

빌립보서 4:14~234:14 그러나 너희가 내 괴로움에 함께 참예하였으니 잘하였도다4:15 빌립보 사람들아 너희도 알거니와 복음의 시초에 내가 마게도냐를 떠날 때에 주고 받는 내 일에 참예한 교회가 너희 외에 아무도 없었느니라4:16 데살로니가에 있을 때에도 너희가 한번 두번 나의 쓸것을 보내었도다4:17 내가 선물을 구함이 아니요 오직 너희에게 유익하도록 과실이 번성하기를 구함이라4:18 내게는 모든 것이 있고 또 풍부한지라 에바브로디도…

ピリピ人への手紙 黙想8【パウロのマスターキー】230119(木) 枝川愛の教会

ピリピ 4:8~134:8 最後に、兄弟たち。すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて評判の良いことに、また、何か徳とされることや称賛に値することがあれば、そのようなことに心を留めなさい。4:9 あなたがたが私から学んだこと、受けたこと、聞いたこと、見たことを行いなさい。そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます。4:10 私を案じてくれるあなたがたの心が、今ついによみがえってきたことを、私は主にあって大いに喜んでいます。あなたがたは案じてくれていたのですが、それを示す機会がなかったのです。4:11 乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満足することを学びました。4:12 私は、貧しくあることも知っており、富むことも知っています。満ち足りることにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。4:13 私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです。   知能指数のIQ、感情指数のEQ、その以外にもAQなどの指数もあります。場合によっては適応指数(Adaptability Quotient)といい、あるいは逆境指数(Adversity Quotient)と言います。「適応指数」とは変わる状況に適応し、対処できる力で、「逆境指数」とは文字通り逆境にも屈せずに最後まで挑戦して目標を達成する力です。融通性と臨機応変、根気と根性の能力です。標準化され、マニュアル化されていく時代に信頼できる能力です。 そのような人が組織の中にいるなら幸いです。   勉強ができるIQと、関係ができるEQも大切ですが、急変する時代に対応する力、失敗しても再び起きあがるAQはさらに大切になってきます。投資銀行であるゴールドマンサックスが投資するスタートアップ会社を選ぶ際、最も重要視するのがAQ指数だそうです。歯がなければ歯茎で噛む、転んでもまた起きあがる力です。状況の変化と挑戦を読み取り、それと立ち向かう勇気とついに状況を乗り越え、勝ち抜く力が必要です。   使徒パウロは、個人的にも時代的にも手に負えない程の変化と挑戦に直面していました。しかし、パウロはそれに応戦しまうs。それによって新しいキリスト教の時代を切り開きました。お金がなくて宣教ができないことはなく、お金がなくて神様の働きができないことは決してありません。ある人はお金がないからできないと言いますが、神様は挑戦する人がいないからお金を支給されないのです。お金は神様の決裁が終わったら一番最後に来ます。   パウロは高い地位と富を持ったことがあり、貧しい伝道者の生活をしたこともあります。パウロは状況に応じて適応し、モードを切り替え、対処できるAQが優れていました。「乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満足することを学びました。私は、貧しくあることも知っており、富むことも知っています。満ち足りることにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。11,12」パウロはそれを「秘訣の心得」と言いました。マスターキーです。お金はあってもなくても、状況がよくても悪くても、適応能力というマスターキーがあれば、やがて状況を変えていく力を発揮します。   パウロは「秘訣の心得」を公開しました。「私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです。4:13」けちすぎる金持ちも、無駄遣いする貧乏もみな愚かです。富んでいるときは施し、貧しい時は帯を締めます。この御言葉は文脈に沿って読みたいと思います。パウロは自分がどんな状況に置かれても神様の働きを完遂するという責任感と自信感のことを言っているのです。パウロの言葉の順番を変えてみます。「私がすべての状況の中ですべてに挑戦をする時、神様が私にすべてができる能力を与えてくださいます。」

빌립보서 묵상8【바울의 마스터키】230119(목) 에다가와 사랑의 교회

빌립보서 4:8~134:8 종말로 형제들아 무엇에든지 참되며 무엇에든지 경건하며 무엇에든지 옳으며 무엇에든지 정결하며 무엇에든지 사랑할만하며 무엇에든지 칭찬할만하며 무슨 덕이 있든지 무슨 기림이 있든지 이것들을 생각하라4:9 너희는 내게 배우고 받고 듣고 본 바를 행하라 그리하면 평강의 하나님이 너희와 함께 계시리라4:10 내가 주 안에서 크게 기뻐함은 너희가 나를 생각하던 것이 이제 다시 싹이 남이니 너희가 또한 이를 위하여…

ピリピ人への手紙 黙想7【求めるべきこと】230118(水) 枝川愛の教会

ピリピ 4:1~74:1 ですから、私の愛し慕う兄弟たち、私の喜び、冠よ。このように主にあって堅く立ってください。愛する者たち。4:2 ユウオディアに勧め、シンティケに勧めます。あなたがたは、主にあって同じ思いになってください。4:3 そうです、真の協力者よ、あなたにもお願いします。彼女たちを助けてあげてください。この人たちは、いのちの書に名が記されているクレメンスやそのほかの私の同労者たちとともに、福音のために私と一緒に戦ったのです。4:4 いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。4:5 あなたがたの寛容な心が、すべての人に知られるようにしなさい。主は近いのです。4:6 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。4:7 そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。   パウロはピリピ教会の聖徒たちに向かって「私の愛し慕う兄弟たち、私の喜び、冠よ」と言いながら「このように主にあって堅く立ってください」とお勧めします。「このように」ということは、昨日の本文のことです。それは「自分の欲望のために生きることではなく、神の国の市民権者の自負心を持って福音のために生きること」です。   それを言うパウロに気になる人がいたようです。「ユウオディアに勧め、シンティケに勧めます。あなたがたは、主にあって同じ思いになってください。2」ユウオディアとシンティケはパウロに協力し、ピリピ教会を建てあげた功労者たちですが、彼女たちは葛藤を起こし、対立していました。   功労が多いだけに愛着も多かったはずです。従って葛藤と対立も多くなります。教会が自分のものになれば、他人のすることは何でも気に入らないわけです。教会の中に混乱が生じ、争いに広がります。争っている教会に和解ができないのは、自分の思いが神様の御旨だと信じるからです。だから争いが使命になって恥知らずに戦い合います。   ソロモンの知恵を思い起こしました。互いに自分の赤ちゃんだと言い張っていた二人の女性に、ソロモン王が赤ちゃんを二つに分け与えるように命令すると、実の母が赤ちゃんを愛しているので母親であるという主張をあきらめます。そこで愛の真偽が明らかになりました。平和は正義よりも寛容に近いです。「あなたがたの寛容な心が、すべての人に知られるようにしなさい。主は近いのです。5」   「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。6」の文章で、その結果は「心と思いの平安」であるから求めるべきものが何なのかは明らかです。心配せずに求めるべきもののは「心と思いの平安 7」です。   さかのぼるとそのためには「寛容の心5」が必要で、さらに遡ると「いつも喜ぶ信仰4」が必要です。罪深い人間が罪を持っている人間を愛することがいかに大変なことかはよく知っています。愛することでなくても。長い間を憎むことを止められるなら、それが愛に近いものです。心と思いの平安を守れるようにお祈ります。

빌립보서 묵상7【구해야 할 것】230118(수) 에다가와 사랑의 교회

빌립보서 4:1~74:1 그러므로 나의 사랑하고 사모하는 형제들, 나의 기쁨이요 면류관인 사랑하는 자들아 이와 같이 주 안에 서라4:2 내가 유오디아를 권하고 순두게를 권하노니 주 안에서 같은 마음을 품으라4:3 또 참으로 나와 멍에를 같이한 자 네게 구하노니 복음에 나와 함께 힘쓰던 저 부녀들을 돕고 또한 글레멘드와 그 위에 나의 동역자들을 도우라 그 이름들이 생명책에 있느니라4:4 주 안에서…