Ⅱペテロ QT5 20201231木 【終末の日に】Ⅱペテロ 3章 10~18

Ⅱペテロ 3章 10~183:10 しかし、主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は大きな響きを立てて消え去り、天の万象は焼けて崩れ去り、地と地にある働きはなくなってしまいます。3:11 このように、これらすべてのものが崩れ去るのだとすれば、あなたがたは、どれほど聖なる敬虔な生き方をしなければならないことでしょう。3:12 そのようにして、神の日が来るのを待ち望み、到来を早めなければなりません。その日の到来によって、天は燃え崩れ、天の万象は焼け溶けてしまいます。3:13 しかし私たちは、神の約束にしたがって、義の宿る新しい天と新しい地を待ち望んでいます。3:14 ですから、愛する者たち。これらのことを待ち望んでいるのなら、しみも傷もない者として平安のうちに神に見出していただけるように努力しなさい。3:15 また、私たちの主の忍耐は救いであると考えなさい。愛する、私たちの兄弟パウロも、自分に与えられた知恵にしたがって、あなたがたに書き送ったとおりです。3:16 その手紙でパウロは、ほかのすべての手紙でもしているように、このことについて語っています。その中には理解しにくいところがあります。無知な、心の定まらない人たちは、聖書の他の箇所と同様、それらを曲解して、自分自身に滅びを招きます。3:17 ですから、愛する者たち。あなたがたは前もって分かっているのですから、不道徳な者たちの惑わしに誘い込まれて、自分自身の堅実さを失わないよう、よく気をつけなさい。3:18 私たちの主であり、救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。イエス・キリストに栄光が、今も永遠の日に至るまでもありますように。   一年の終わりの日にペテロの最後の部分を介して世界の終わりを読みます。末尾にペテロがパウロを言及したのは、福音の理解において急進的に律法が与える規範さえも廃棄しようとする人たちを警戒したからです。パウロがキリストの救いの恵みを強調しながら、ユダヤの伝統的な律法の価値を相対化したのは確かです。しかし、それは救いの方法を証するためであって、律法の規範を廃棄しようとしたのではありません。ペテロもパウロに反対するのではなく、パウロに従う人たちの中でまだ未熟で急進的な人々を気にしているのです。   神様の恵みが人間を放蕩にし、非常識な堕落に追い込むことはありません。偽預言者たちがどのような超越と祝福を語っても人間性に反対するのは偽りです。イエス様の再臨という超越は、超越をきちんと理解していない人々によって不誠実な生活の態度に歪んだり、そのような信仰に対して懐疑的になったりします。再臨信仰の間違いが原因となった社会的事件は、再臨信仰そのものではなく、それを信じていた人々の生活の態度が問題でした。手紙の冒頭で、ペテロが言ったこの問題と戦うための力、すなわち、信仰、徳、知識、節制、忍耐、信心、兄弟愛、愛を加えなさいといったことを覚えなければなりません。

베드로후서 QT5 20201231목【종말의 날에】베드로후서 3장 10~18

베드로후서 3장 10~183:10 그러나 주의 날이 도적같이 오리니 그 날에는 하늘이 큰 소리로 떠나가고 체질이 뜨거운 불에 풀어지고 땅과 그 중에 있는 모든 일이 드러나리로다3:11 이 모든 것이 이렇게 풀어지리니 너희가 어떠한 사람이 되어야 마땅하뇨 거룩한 행실과 경건함으로3:12 하나님의 날이 임하기를 바라보고 간절히 사모하라 그 날에 하늘이 불에 타서 풀어지고 체질이 뜨거운 불에 녹아지려니와3:13 우리는…

Ⅱペテロ QT4 20201229水 【与えられた時間の中で】Ⅱペテロ 3章 1~9

Ⅱペテロ 3章 1~93:1 愛する者たち、私はすでに二通目となる手紙を、あなたがたに書いています。これらの手紙により、私はあなたがたの記憶を呼び覚まして、純真な心を奮い立たせたいのです。3:2 それは、聖なる預言者たちにより前もって語られたみことばと、あなたがたの使徒たちにより伝えられた、主であり救い主である方の命令を思い出させるためです。3:3 まず第一に、心得ておきなさい。終わりの時に、嘲る者たちが現れて嘲り、自分たちの欲望に従いながら、3:4 こう言います。「彼の来臨の約束はどこにあるのか。父たちが眠りについた後も、すべてが創造のはじめからのままではないか。」3:5 こう主張する彼らは、次のことを見落としています。天は大昔からあり、地は神のことばによって、水から出て、水を通して成ったのであり、3:6 そのみことばのゆえに、当時の世界は水におおわれて滅びました。3:7 しかし、今ある天と地は、同じみことばによって、火で焼かれるために取っておかれ、不敬虔な者たちのさばきと滅びの日まで保たれているのです。3:8 しかし、愛する人たち、あなたがたはこの一つのことを見落としてはいけません。主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。3:9 主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。   クリスマスが過ぎて年末を迎えました。イエス様を信じることの確かな証拠は、クリスマスを楽しむことより、再び来られることを心に信じることです。再び来られるということに対して、私たちは習慣のように、「いつ」と問います。初代教会は迫害と苦難の中で、今すぐにでも来られるイエス様を待ちましたが、イエス様は来られませんでした。   私たちは、「いつ」を問う前に、まず「時間の正体」を問わなければなりません。神様が世界を造られたとき、時間という秩序を造られました。神様の創造は、時間の中で行われたのではなく、時間とともに創造されたのです。だから時間も創造主の被造物であり、創造主の意志により消滅できるものです。   人生は無常だという言葉は、すなわち時間が無常たということです。厳密に言えば、現在という時間はありません。現在と認識して、それを言ってたら、すでに過去になってしまいます。時間の根拠が「ない」(無常である)からである。だから時間の中に生きている人間は、常に不安と虚しさに苦しまなければならない存在です。   アウグスティヌスは、『神の国』で時間と永遠の悩みました。歴史とは、時間の上にあるものであり、それは神様から始まって審判と終末で終わるものです。しかし、神の国は、不変で永遠なものであるから、歴史的時間、すなわち世俗にとらわれないものと言います。時間の中に生きている人に、これだけが唯一の希望です。   ところで、人間は永遠ということを知覚することができません。時間の概念ではないからです。永遠は無時間性です。毎日のように生まれる赤ちゃんは時間の中に入り、死ぬ人は時間の外に出ていきます。いつ来られるかと尋ねるのは、我々が時間の中にとどまっているからでありますが、神様は時間を支配しても、その中に属される方ではありません。私たちが「たとえ」時間の中に生きていても、イエス様が再び来られる時に時間は消えるでしょう。   ペテロはその時間の中で堕落の生活を送っている人たちに言います。「愛する人たち、あなたがたはこの一つのことを見落としてはいけません。主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。」   神様が未だに時間を維持しておられるのは、永遠に連れて行くべき救いの魂のためです。しかし、時間は永遠ではありません。2020年の残り時間もあまりありません。時間がある間に、悔い改めに至らなければなりません。  

베드로후서 QT4 20201230수【주어진 시간 안에】베드로후서 3장 1~9

베드로후서 3장 1~9 1 사랑하는 자들아 내가 이제 이 둘째 편지를 너희에게 쓰노니 이 둘로 너희 진실한 마음을 일깨워 생각하게 하여2 곧 거룩한 선지자의 예언한 말씀과 주 되신 구주께서 너희의 사도들로 말미암아 명하신 것을 기억하게 하려 하노라3 먼저 이것을 알찌니 말세에 기롱하는 자들이 와서 자기의 정욕을 좇아 행하며 기롱하여4 가로되 주의 강림하신다는 약속이 어디 있느뇨…

Ⅱペテロ QT3 20201229火 【自由になるためには】Ⅱペテロ 2章 12~22

Ⅱペテロ 2章 12~2212 ところがこの者どもは、捕えられ殺されるために自然に生まれついた、理性のない動物と同じで、自分が知りもしないことをそしるのです。それで動物が滅ぼされるように、彼らも滅ぼされてしまうのです。13 彼らは不義の報いとして損害を受けるのです。彼らは昼のうちから飲み騒ぐことを楽しみと考えています。彼らは、しみや傷のようなもので、あなたがたといっしょに宴席に連なるときに自分たちのだましごとを楽しんでいるのです。14 その目は淫行に満ちており、罪に関しては飽くことを知らず、心の定まらない者たちを誘惑し、その心は欲に目がありません。彼らはのろいの子です。15 彼らは正しい道を捨ててさまよっています。不義の報酬を愛したベオルの子バラムの道に従ったのです。16 しかし、バラムは自分の罪をとがめられました。ものを言うことのないろばが、人間の声でものを言い、この預言者の気違いざたをはばんだのです。17 この人たちは、水のない泉、突風に吹き払われる霧です。彼らに用意されているものは、まっ暗なやみです。18 彼らは、むなしい大言壮語を吐いており、誤った生き方をしていて、ようやくそれをのがれようとしている人々を肉欲と好色によって誘惑し、19 その人たちに自由を約束しながら、自分自身が滅びの奴隷なのです。人はだれかに征服されれば、その征服者の奴隷となったのです。20 主であり救い主であるイエス・キリストを知ることによって世の汚れからのがれ、その後再びそれに巻き込まれて征服されるなら、そのような人たちの終わりの状態は、初めの状態よりももっと悪いものとなります。21 義の道を知っていながら、自分に伝えられたその聖なる命令にそむくよりは、それを知らなかったほうが、彼らにとってよかったのです。22 彼らに起こったことは、「犬は自分の吐いた物に戻る。」とか、「豚は身を洗って、またどろの中にころがる。」とかいう、ことわざどおりです。   ペテロは偽教師を「理性のない動物」と批判し、またベオルの子バラムにたとえました。バラムは神によって始めましたが、偽預言者で終えた人です。霊によって始め、肉によって終えた人です。13節以下で見ると、彼らは昼夜を問わず貪欲と淫乱を行ったようです。そのような人に騙された人に対しペテロは「犬は自分の吐いた物に戻る、豚は身を洗って、またどろの中にころがる」と批判します。ペテロの口調には、かなりの怒りと断固さがあります。   本能は生活を営む上で必要な基本的ニーズを知らせるアラームのようなものです。その設定は、設計し造られた神様がしたものです。同時に、神様はその本能を制御することができる理性と呼ばれる機能をも与えてくださいました。ということで獣は本能的な自己欲求に基づいて生きますが、人間は理性に基づいて、自分自身を制御することができる力を持っています。神様が息を吹き込む、霊的な存在として造られた人間のみが、この機能をもっています。本能は良いものに違いありませんが、理性を忘れ、本能によって生きれば、決して良い人生にはなりません。   このように人間は動物とは異なり、自己統制力を持っているので自由という権利を享受することができます。暴力性によって自由が抑圧され、権利が剥奪されると人間性は後退します。一方、自由が与えられても自己制御ができなければまた人間性は後退してしまいます。現代が近代的な秩序を解体していく中で、これまで抑えられてきた人権を回復する機能をしていますが、一方絶対性と権威を否定することによって自己制御を欠いた感覚的な本能を自由だと考えてしまう傾向が強いのも確かです。   私たちが生きている現代という時代は、考えを放棄した時代と言っても過言ではありません。近代に入って資本と産業が起こり、個人や市民の地位が向上しました。長い間、宗教に縛られていた世界は新しい期待感、理性と科学が人間を啓発させ、解放させると思いました。神の代わりに幸せをもたらすと信じていた人々は、知識と文明の発達が二度に渡った世界大戦で全世界を虐殺することを目撃しました。   それにもかかわらず、人々は神様に戻りませんでした。現代が選んだ生き方は、今日一日を懸命にそして楽しく生きる、ということです。いつの時代よりも人々は学校に長く通いますが、愚かさは昔余よりも深刻です。始まりや終わり、目的や理由を聞くことは許されません。考えてはいけません。すでに世界を支配した資本は、それを考える時間すら与えません。ありのまま、感情に充実し、今を楽しめと言います。   多様性を認める発言だけが現代的なもののような錯覚をしますが、多様性と均一性の反対語ではなく、絶対性に属している言葉です。神様の中で多様にあることはできます。しかし、神様なしに自らが多様になることはできません。神様がくださった自由を抑圧し、剥奪するものに対しては尊厳な自由を守るために抵抗しなければなりませんが、神様が造られた秩序には、それを認め、保つことによって自由は守られます。

베드로후서 QT3 20201229화【자유를 누리기 위해서】베드로후서 2장 12~22

12 그러나 이 사람들은 본래 잡혀 죽기 위하여 난 이성 없는 짐승 같아서 그 알지 못한 것을 훼방하고 저희 멸망 가운데서 멸망을 당하며13 불의의 값으로 불의를 당하며 낮에 연락을 기쁘게 여기는 자들이니 점과 흠이라 너희와 함께 연회할 때에 저희 간사한 가운데 연락하며14 음심이 가득한 눈을 가지고 범죄하기를 쉬지 아니하고 굳세지 못한 영혼들을 유혹하며 탐욕에 연단된…

Ⅱペテロ QT2 20201228月 【信仰の動機】Ⅱペテロ 2章 1~11

Ⅱペテロ 2章 1~11 1 しかし、イスラエルの中には、にせ預言者も出ました。同じように、あなたがたの中にも、にせ教師が現われるようになります。彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込み、自分たちを買い取ってくださった主を否定するようなことさえして、自分たちの身にすみやかな滅びを招いています。 2 そして、多くの者が彼らの好色にならい、そのために真理の道がそしりを受けるのです。 3 また彼らは、貪欲なので、作り事のことばをもってあなたがたを食い物にします。彼らに対するさばきは、昔から怠りなく行なわれており、彼らが滅ぼされないままでいることはありません。 4 神は、罪を犯した御使いたちを、容赦せず、地獄に引き渡し、さばきの時まで暗やみの穴の中に閉じ込めてしまわれました。 5 また、昔の世界を赦さず、義を宣べ伝えたノアたち八人の者を保護し、不敬虔な世界に洪水を起こされました。 6 また、ソドムとゴモラの町を破滅に定めて灰にし、以後の不敬虔な者へのみせしめとされました。 7 また、無節操な者たちの好色なふるまいによって悩まされていた義人ロトを救い出されました。 8 というのは、この義人は、彼らの間に住んでいましたが、不法な行ないを見聞きして、日々その正しい心を痛めていたからです。 9 これらのことでわかるように、主は、敬虔な者たちを誘惑から救い出し、不義な者どもを、さばきの日まで、懲罰のもとに置くことを心得ておられるのです。 10 汚れた情欲を燃やし、肉に従って歩み、権威を侮る者たちに対しては、特にそうなのです。彼らは、大胆不敵な、尊大な者たちで、栄誉ある人たちをそしって、恐れるところがありません。 11 それに比べると、御使いたちは、勢いにも力にもまさっているにもかかわらず、主の御前に彼らをそしって訴えることはしません。 ペテロが神のご性質にあずかるようにと勧めたのは、教会が偽りの教えをわきまえてそれと戦うためには、優れたキリスト教の教養を持たなければならいたからです。その教養の中で偽預言者と偽教師を分別することができるからです。誰が何を信じるのかを確認するためには、成文化した教義を分析することではなく、どのよう生きるのかを見ればわかります。神様のご性質にあずかる八つのお勧めの最後の八番目は愛です。教えようとする教義がどのように違うのかの問題に先立って偽預言者と偽教師の動機というのがそもそも貪欲であるということです。 ペテロは偽教師の動機が現した結果を並べました。好色と貪欲と無節操と汚れた情欲です。このような言葉からペテロの怒りが感じられます。彼らの解釈の間違いではありません。彼らが宗教的リーダーシップを持った動機というのは貪欲であったので、それは当然、結果として現われたのです。赦したり善処するような性質の罪ではないのです。 宗教的領域の中で起こる性的犯罪と離脱は過ちではありません。行動の過ちではなく、動機と目的が不純が行動にあらわれたのです。もし過ちで言えるものがあっても社会の法律と教会法に基づいて責任を追わなければなりません。ところが、誤ったといいながら教える立場から退かないなら、それは過ちではないことを自ら強調することになります。 彼らには恐れることはありませんでした。なぜなら再臨も終末も信じていなかったからです。エピクロス派の快楽主義の影響を受けた人たちであってすべての物事は、原子の組み合わせで構成され、最終的にはすべてが解体されるという科学的な還元主義者でした。とはいえ無神論ではありません。だから宗教の中に入ってきていますが、神が存在しても神は人間の中には介入しないと思っていました。裁きも信じません。したがって恐れと罪悪感をなくして快楽の生活を送ればよいです。 罪責感に苦しんでいる人を欺くのです。おしゃべりの上手な人、論理的に言う人、説得力のある人は多くいますが、それが必ずしも真実を言うことではありません。論理はどこでもありますが、聖徒は霊を見分けなければなりません。何を信じるのかどれほど大切ですか?終わりがないことに意味を見つけることはできません。死と裁きと終末は呪いではありません。死がなければ生きる意味を見つかることはできず、裁きと終末がなければ、人らしく生きることさえできません。終わりは必ずありますが、聖徒に恐れはありません。

베드로후서 QT2 20201228월【믿음의 동기】베드로후서 2장 1~11

베드로후서 2장 1~111 그러나 민간에 또한 거짓 선지자들이 일어났었나니 이와 같이 너희 중에도 거짓 선생들이 있으리라 저희는 멸망케 할 이단을 가만히 끌어들여 자기들을 사신 주를 부인하고 임박한 멸망을 스스로 취하는 자들이라2 여럿이 저희 호색하는 것을 좇으리니 이로 인하여 진리의 도가 훼방을 받을 것이요3 저희가 탐심을 인하여 지은 말을 가지고 너희로 이를 삼으니 저희 심판은 옛적부터…

한국어 예배 (2020-12-27)

마태복음 13:44-5044 천국은 마치 밭에 감추인 보화와 같으니 사람이 이를 발견한 후 숨겨두고 기뻐하여 돌아가서 자기의 소유를 다 팔아 그 밭을 샀느니라45 또 천국은 마치 좋은 진주를 구하는 장사와 같으니46 극히 값진 진주 하나를 만나매 가서 자기의 소유를 다 팔아 그 진주를 샀느니라47 또 천국은 마치 바다에 치고 각종 물고기를 모는 그물과 같으니48 그물에 가득하매…

日本語礼拝 (2020-12-27)

マタイの福音書 13:44-5044 天の御国は畑に隠された宝のようなものです。その宝を見つけた人は、それをそのまま隠しておきます。そして喜びのあまり、行って、持っている物すべてを売り払い、その畑を買います。45 天の御国はまた、良い真珠を探している商人のようなものです。46 高価な真珠を一つ見つけた商人は、行って、持っていた物すべてを売り払い、それを買います。47 また、天の御国は、海に投げ入れてあらゆる種類の魚を集める網のようなものです。48 網がいっぱいになると、人々はそれを岸に引き上げ、座って、良いものは入れ物に入れ、悪いものは外に投げ捨てます。49 この世の終わりにもそのようになります。御使いたちが来て、正しい者たちの中から悪い者どもをより分け、50 火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。