ヨブ記 QT11 211013水【再発見する人生観】ヨブ記 7章 1~10

ヨブ記 7章 1~107:1 地上の人間には苦役があるではないか。その日々は日雇い人の日々のようではないか。7:2 日陰をあえぎ求める奴隷のように、賃金を待ち焦がれる日雇い人のように、7:3 そのように、私には徒労の月日が割り当てられ、労苦の夜が定められている。7:4 私は 横になるときに言う。「いつ起き上がれるだろうか」と。夜は長く 、私は夜明けまで寝返りを打ち続ける。7:5 私の肉は、うじ虫と土くれをまとい、皮膚は固まっては、また崩れる。7:6 私の日々は機の杼よりも速く、望みのないままに終わる。7:7 心に留めてください。私のいのちが息にすぎないことを。私の目は、再び幸いを見ることはありません。7:8 私を見る人の目は、もう私を認めることはありません。あなたが私に目を留められても、私はもういません。7:9 雲は消え去ります。そのように、よみに下る者は上っては来ません。7:10 その人はもう自分の家には帰れず、彼の家も、もう彼のことが分かりません。   ヨブは、人生の日々が雇い人の日と同じだと言いました。雇い人は雇われた時間の中で仕事をします。雇い人の日は苦しいものであり、その先には休みという報酬を受けることになります。人生は、神様から与えられた時間の中で生きる存在であり、その苦労が終われば報いが与えられます。ヨブの現実は苦しいですが、生きることが信じることです。   ヨブが敬虔な人であっても富んである時、力あるときは、これを告白するのは出来なかったと思います。ヨブの人生は、底に陥ていますが、そのゆえに人生の原点に戻っているのです。忙しすぎだからといって、今が幸せだといって、人生が何なのか考えることよりは幸いです。根拠のない楽観主義は、神様も人生を捨て、肉を求めることに従って誤解してしまいます。信仰をその中に閉じ込めてしまうのです。しかし、根拠のない楽観論こそ、突然が降りかかる死の前では挫折せざる得ないです。   友人に話していたヨブは、7節からいきなり神様への祈りに変わります。「心に留めてください。私のいのちが息にすぎないことを。私の目は、再び幸いを見ることはありません。7」人間の命が息をつくようなのものであると告白します。この瞬間、議論は祈りに変わります。人生が何なのかを発見した人間は祈ります。ヨブは空しく飛んでいく人生を直視します。ヨブは、それにもかかわらず神様を求めているのではなく、それがゆえに神様を求めているのです。

욥기 QT11 211013수【재발견하는 인생관】욥기 7장 1~10

욥기 7장 1~107:01 세상에 있는 인생에게 전쟁이 있지 아니하냐 그 날이 품군의 날과 같지 아니하냐7:02 종은 저물기를 심히 기다리고 품군은 그 삯을 바라나니7:03 이와 같이 내가 여러 달째 곤고를 받으니 수고로운 밤이 내게 작정되었구나7:04 내가 누울 때면 말하기를 언제나 일어날꼬 언제나 밤이 갈꼬 하며 새벽까지 이리 뒤척 저리 뒤척 하는구나7:05 내 살에는 구더기와 흙 조각이…