ルカの福音書 QT3 220111火【荒野で叫ぶ者の声】ルカ 3章 1~6

ルカ 3章 1~63:1 皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督であり、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟ピリポがイトラヤとトラコニテ地方の領主、リサニアがアビレネの領主、3:2 アンナスとカヤパが大祭司であったころ、神のことばが、荒野でザカリヤの子ヨハネに臨んだ。3:3 ヨハネはヨルダン川周辺のすべての地域に行って、罪の赦しに導く悔い改めのバプテスマを宣べ伝えた。3:4 これは、預言者イザヤのことばの書に書いてあるとおりである。「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意せよ。主の通られる道をまっすぐにせよ。3:5 すべての谷は埋められ、すべての山や丘は低くなる。曲がったところはまっすぐになり、険しい道は平らになる。3:6 こうして、すべての者が神の救いを見る。』」 イエス様の家族がベツレヘムに行き、イエス様がそこで生まれたのは、ユダヤを支配していたローマ皇帝アウグストゥスが戸籍登録を命じたからです。その時の皇帝がアウグストゥスで、ギリシャ語ではオクタビアヌスです。今日の本文で登場するローマの皇帝は、アウグストゥスの後に続いてティベリウスです。   ルカ 3章 1~63:1 皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督であり、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟ピリポがイトラヤとトラコニテ地方の領主、リサニアがアビレネの領主、3:2 アンナスとカヤパが大祭司であったころ、神のことばが、荒野でザカリヤの子ヨハネに臨んだ。3:3 ヨハネはヨルダン川周辺のすべての地域に行って、罪の赦しに導く悔い改めのバプテスマを宣べ伝えた。3:4 これは、預言者イザヤのことばの書に書いてあるとおりである。「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意せよ。主の通られる道をまっすぐにせよ。3:5 すべての谷は埋められ、すべての山や丘は低くなる。曲がったところはまっすぐになり、険しい道は平らになる。3:6 こうして、すべての者が神の救いを見る。』」   イエス様がベツレヘムでお生まれになったのは、ユダヤを支配していたローマ皇帝が戸籍登録を命じたことを受け、ヨセフが故郷ベツレヘムに帰ったからです。その時の皇帝がアウグストゥス、ギリシャ語ではオクタビアヌスです。今日の本文に登場するローマの皇帝は、このアウグストゥスの後に就いたティベリウスです。   アドベントの説教で新旧約中期の歴史について言及したことがありますが、マカビ以降ユダヤは内部政権争いで再び外勢をパレスチナに呼び込むことになり、当時盟主であるローマがユダヤを支配するようになりました。その過程で,エドムのヘロデがユダヤの支配権を受け,ユダヤはローマ皇帝とエドムのヘロデ王の二重支配体制の下に置かれます。   イエス様が生まれた当時、アウグストゥス、すなわちオクタビアヌスが皇帝であり、ユダヤを支配していた王は、エドムのヘロデ大王でしたが、今日の本文は時間が経過し、アウグストゥスの息子のティベリウスが皇帝になり、ヘロデ大王の息子たちが領土を分けて支配していた時です。   ローマはヘロデをユダヤの王に任命すると同時に、中央政府からも総督を派遣しました。その総督がポンティオ・ピラトです。総督とユダヤ王は上下関係に置かれず、互いに牽制しながら尊重する関係でした。イエス様の裁判の時、ヘロデはポンティオ・ピラト総督のもとに、一方のポンティオ・ピラトもヘロデ王のもとに、イエスの一連の事件を送検しようとしました。つまり一貫した体制が整っていなかったのです。   ローマ政府とヘロデ王は、ユダヤの宗教を部分的に認めていました。アンナスとカヤパが大祭司でしたが、大祭司はローマ総督が任命し、また解任することができました。アンナスとカヤバは支配権力に寄生していた宗教権力でした。彼らは丈人と婿関係で、丈人のアンナスと婿のガヤバが宗教権力を分けて握っていた時です。   ルカがこのような政治的、宗教的な時代の状況を紹介した後、バプテスマのヨハネを語るのは、すべてが不義に満ちた世界のただ中に来られるイエス・キリストを語るためです。そして、その道を備えるバプテスマのヨハネをイザヤの預言を通して語ります。   3:4 …「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意せよ。主の通られる道をまっすぐにせよ。3:5 すべての谷は埋められ、すべての山や丘は低くなる。曲がったところはまっすぐになり、険しい道は平らになる。3:6 こうして、すべての者が神の救いを見る。』」 あらゆる領域で暴力と抑圧があり、不正と不公平があったからです。世界の権力者たちは、まるでイエス様の衣を破って分けたローマ軍兵のように、か弱いユダを破って分けていました。   その時、ヨハネが登場します。ヨハネは、罪の赦しに導く悔い改めを叫びますが、それは高いところを削り、低いところを埋めるということでした。曲がったことをまっすぐにし、険しい道を平坦にするのです。   私たちがこの地で主を待ち望むというのは、不正に高められた山を切土(Cutting)し、それを低い所を埋める盛土(Banking)であります。それで地は平坦化します。それがイエス様が来る道を備えたヨハネの罪の赦しに導く悔い改めの宣べ伝えです。イエス様を待ち望む人は、自分の人生と生きているこの時代において、切土と盛土が何なのかを考えなければなりません。

누가복음 QT3 220111화【광야에 외치는 자의 소리】누가복음 3장 1~6

누가복음 3장 1~63:1 디베료 가이사가 위에 있은지 열 다섯 해 곧 본디오 빌라도가 유대의 총독으로, 헤롯이 갈릴리의 분봉왕으로, 그 동생 빌립이 이두래와 드라고닛 지방의 분봉왕으로, 루사니아가 아빌레네의 분봉왕으로,3:2 안나스와 가야바가 대제사장으로 있을 때에 하나님의 말씀이 빈 들에서 사가랴의 아들 요한에게 임한지라3:3 요한이 요단강 부근 각처에 와서 죄 사함을 얻게 하는 회개의 세례를 전파하니3:4 선지자 이사야의…