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出エジプト記 28章 1~14
28:1 あなたは、イスラエルの子らの中から、あなたの兄弟アロンと、彼とともにいる彼の息子たちのナダブとアビフ、エルアザルとイタマルをあなたの近くに来させ、祭司としてわたしに仕えさせよ。
28:2 また、あなたの兄弟アロンのために、栄光と美を表す聖なる装束を作れ。
28:3 あなたは、わたしが知恵の霊を満たした、心に知恵ある者たちに告げて、彼らにアロンの装束を作らせなさい。 彼を聖別し、祭司としてわたしに仕えさせるためである。
28:4 彼らが作る装束は次のとおりである。胸当て、エポデ、青服、市松模様の長服、かぶり物、飾り帯。彼らは、あなたの兄弟アロンとその子らが、祭司としてわたしに仕えるために、 聖なる装束を作る。
28:5 彼らは、金色、青、紫、緋色の撚り糸、それに亜麻布を受け取る。
28:6 彼らに、金色、青、紫、緋色の撚り糸、それに撚り糸で織った亜麻布を用いて、意匠を凝らしてエポデを作らせる。
28:7 二つの肩当てが、それぞれエポデの両端に付けられ、エポデは一つに結ばれる。
28:8 エポデの上に来るあや織りの帯はエポデと同じ作りで、金色、青、紫、緋色の撚り糸、それに撚り糸で織った亜麻布を用い、エポデの一部となるようにする。
28:9 二つの縞めのうを取り、その上にイスラエルの息子たちの名を刻む。
28:10 六つの名を一つの石に、残りの六つの名をもう一つの石に、生まれた順に刻む。
28:11 印章を彫る宝石細工を施して、イスラエルの息子たちの名をその二つの石に彫り、それぞれを金縁の細工の中にはめ込む。
28:12 その二つの石をエポデの肩当てに付け、イスラエルの息子たちが覚えられるための石とする。アロンは主の前で、彼らの名が覚えられるように両肩に載せる。
28:13 あなたは金縁の細工を作り、
28:14 また二本の純金の鎖を作り、これを編んでひもとし、このひもの鎖を先の細工に取り付ける。

 

泥酔してよろよろ歩く軍人に制服を着せると、まっすぐ歩くという話があります。軍人であることは変わりありませんが、制服があるかどうかによってその軍人の態度と姿勢が変わります。資格と能力がある人に、それにふさわしい職を与えるという意味では、役割を担える能力の検証が不可欠ですが、ほとんどの場合、現実的に服を着た後からその服にふさわしい人になっていく過程を踏みます。

 

ある日突然人は親になります。親と子どもが一緒に生活しながら、親は少しずつ親になっていきます。誰も聖書を教えることも、人を導くこともできませんが、それをしているうちに気づき、悟り、一緒に成長していきます。神学校を卒業して牧師按手を受けたからといってら特別な能力があるわけではありません。教会が定めた過程を踏んだだけです。多くの人が専門分野を学びますが、それで専門的な知識や資格を備えるのではなく、その分野で奉仕する準備をしたことに過ぎません。高慢になれない理由です。服を着てから、その服に合う中身をを作って行きます。

 

今日の本文は、祭司の服装に関する規定について語っています。職務の任命について聖書から発見される原則は、「自願」ではなく「選抜」です。神様が選択し、召し、任命し、遣わされます。神様の国の人事は、神様の固有の権限です。人の従順というのは、召しを聞かなければできないことです。人が神様に多くのことをするのではなく、神様の召しを聞いてから、それに従うことです。神様の方からの選出だからです。

 

神様はモーセに、アロンとその子らに祭司職をすると命じられました。なぜアロンなのかはわかりません。しかし、神様が召され、遣わされるときには、賜物も一緒に与えて遣わされます。賜物があるから従うのではなく、聞き従っていくうちに賜物が与えられます。知恵が与えられ、力が与えられ、必要な財政が与えられ、同労者が与えられ、時が与えられます。ですから無能の人を用いて、神様の御業を成し遂げられます。

 

すべての職は、神様の御旨にそって立てられます。人の能力によって選抜されたものではなく、服を着せてから能力が与えられるのです。どのような役割でも、それは、神様から与えられたものであり、それは、自分が持っている技術や能力ではなく、「 私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです。4:27」のピリピ人への手紙のパウロの告白のようなものです。

 

このようなパウロの告白は、書簡全体に一貫しています。Ⅰコリントでは、「同じ一つの御霊がこれらすべてのことをなさるのであり、御霊は、みこころのままに、一人ひとりそれぞれに賜物を分け与えてくださるのです。12:11」エペソでは、「私は、神の力の働きによって私に与えられた神の恵みの賜物により、この福音に仕える者になりました。3:7」テモテは「私は、私を強くしてくださる、私たちの主キリスト・イエスに感謝しています。キリストは私を忠実な者と認めて、この務めに任命してくださったからです。1:12」

 

ですから、任せられた者に求められのは忠誠です。神様は小さなことに忠実な者に大きなことを任せられると言われました。多分忠実な人は多くのことをするようになります。しかし、それが恐くないのは、それを担える力を与えてくださるからからです。神様の力は、今担っていることを通して現われなければなりません。