욥기 QT57 211221화【하나님의 질문】욥기 38장 1~21

욥기 38장 1~2138:1 때에 여호와께서 폭풍 가운데로서 욥에게 말씀하여 가라사대38:2 무지한 말로 이치를 어둡게 하는 자가 누구냐38:3 너는 대장부처럼 허리를 묶고 내가 네게 묻는 것을 대답할지니라38:4 내가 땅의 기초를 놓을 때에 네가 어디 있었느냐 네가 깨달아 알았거든 말할지니라38:5 누가 그 도량을 정하였었는지 누가 그 준승을 그 위에 띄웠었는지 네가 아느냐38:6 그 주초는 무엇 위에 세웠으며…

ヨブ記 QT56 211220月【変える力】ヨブ記 37章 14~24

ヨブ記 37章 14~2437:14 ヨブよ、これに耳を傾けよ。神の奇しいみわざを、立ち止まって考えよ。37:15 あなたは知っているか。神がどのようにこれらに命じ、その雲に稲妻をひらめかせられるのかを。37:16 あなたは知っているか。濃い雲のつり合いを、知識の完全な方の不思議なみわざを。37:17 また、南風で地が黙するときに、あなたの衣がいかに熱くなるかを。37:18 あなたは大空を神とともに張り広げられるのか。鋳た鏡のように硬いものを。37:19 神に何と言うべきかを私たちに教えよ。闇があるので、ことばを並べることができない。37:20 私が語りたいと、神に伝えられるだろうか。人がことばを発すれば、その人は必ず滅ぼされる。37:21 今、光は見ることができない。それは雨雲の中に輝いている。しかし、風が吹いて雲を払いのけると、37:22 北から黄金の輝きが現れ、神の周りには恐るべき威厳がある。37:23 私たちが見出すことのできない全能者は、力にすぐれた方。さばきと正義に富み、苦しめることをなさらない。37:24 だから、人々は神を恐れなければならない。神は心に知恵ある者を顧みられないだろうか。   物理的な力を加えて変化を試みてみることがありますが、実際に変化するのは外部の物理的な圧力ではなく、内部で起こる化学的な作用です。風が旅人の外套を脱がせようと強い風を吹きましたが、その物理的な作用は旅人の外套を脱がせず、旅人が外套を脱がせたのは、太陽が照らす熱い日差しの下で汗をかく化学的反応をしたからです。物理的な力は外観を変えますが、化学的な作用は原子と分子を変え、性質に変えることができます。そして予期しなかった第三の変化を次々ともたらします。   物理的な力で人の心を変えることはできません。変化を求めるのが、持続可能で不可逆的なものであれば、物理的な圧力ではなく、化学的な変化を追い求めるべきです。心の変化は化学的な変化です。変化を引き起こすのは、外的圧力ではなく、内的ニーズということです。エリフが並べている神様の力は物理的なことです。雲を作り、稲妻をひらめかせ、風を吹き、光を照らすとのことです。それが知らない人っていません。人を変えることは、おおげさの命題ではなく、日常の小さなきっかけです。ヨブの神学がより完全なものになるためには、ヨブは慰められなければなりません。神様のみことばの慰めが内面を変える年末であることを願います。

욥기 QT56 211220월【변화하는 힘】욥기 37장 14~24

욥기 37장 14~2437:14 욥이여 이것을 듣고 가만히 서서 하나님의 기묘하신 일을 궁구하라37:15 하나님이 어떻게 이런 것들에게 명령하셔서 그 구름의 번개 빛으로 번쩍 번쩍하게 하시는지 네가 아느냐37:16 구름의 평평하게 뜬 것과 지혜가 온전하신 자의 기묘한 일을 네 가 아느냐37:17 남풍으로 하여 땅이 고요할 때에 네 의복이 따뜻한 까닭을 네가 아느냐37:18 네가 능히 그와 함께 하여 부은…

ヨブ記 QT55 211217金【苦痛は悪なのか】ヨブ記 36章 1~15

ヨブ記 36章 1~1536:1 エリフはさらに続けて言った。36:2 しばらく待て。あなたに示そう。まだ神のために言い分があるからだ。36:3 私は遠くから私の意見を持って来て、私の造り主に義を返そう。36:4 まことに、私の言い分は偽りではない。知識の完全な方が、あなたのそばにおられるのだ。36:5 見よ。神は強いが、だれをも蔑まれない。その理解の力は強い。36:6 神は悪しき者を生かしてはおかず、苦しむ者には権利を与えられる。36:7 神は正しい者から目を離さず、彼らを王座にある王たちとともに、永遠に座に着かせる。こうして彼らは高くなる。36:8 もし、彼らが鎖で縛られ、苦しみの縄に捕らえられたら、36:9 神は彼らの行いを彼らに告げられる。彼らの背きを。彼らがおごり高ぶったからである。36:10 神は彼らの耳を開いて戒め、不法から立ち返るように命じる。36:11 もし彼らが聞き入れて神に仕えるなら、彼らは自分の日々を幸せのうちに、自分の年々を楽しみのうちに全うする。36:12 しかし、もし聞き入れなければ、彼らは槍によって滅び、知識のないまま息絶える。36:13 心で神を敬わない者は怒りを蓄え、神が彼らを縛るときでも、助けを叫び求めない。36:14 彼らは若くして死に、そのいのちは腐れている。36:15 神は苦しむ人をその苦しみの中で助け出し、抑圧の中で彼らの耳を開かれる。   悪は、神様によって滅び、神様がやがて善を高めるということを信じることに疑いはありません。神様は善であり、神様が世界を創造され、命と秩序を作られ、神様が世界を統べ治めておられるからです。正義をもって裁きを下します。それは悪を行う人に警告されるべき事実です。   しかし、それがこの地に完全になるのがいつであるかはわかりません。明らかに善が勝って悪が滅びることはありますが、神様が裁きを保留しておられる今日の現実においては、必ずしもそのようになることではないからです。マイケル・サンデルは、『定義とは何か』で、「それぞれ個人の価値観というものが正義に関連しているので、それを離して言うことができない」と言いました。というのは、主観的な信念が正義になり、自分の正義の中で他人を断罪することもあります。しかし、それは正義ではなく、歪んだ自己信念かもしれません。   ある人は、善を行いますが、不幸になり、ある人は、悪を行いますが、幸せそうです。苦しんでいる人にその理由が罪であると定めるなら、成功している人の理由は、善としなければならないのですが、実際にはそうではありません。わたしたちは,その理由を知らずに善と悪,信仰と不信仰,幸福と不幸,成功と失敗が混ざった世界でよく混乱を覚えます。   不義であっても幸せにあると信じる人はそれに従い、善のために犠牲しても幸せになれないと思う人はそれをあきらめます。しかし、まだ過程であって結果ではありません。エリフを肯定的に評価するなら、断罪という結果ではなく、訓練という過程として語っているということです。   エリフは、苦難という実際の過程が与える肯定的な意味についてこれまでとは違った視点を言いました。今日の本文の最後に、「神は苦しむ人をその苦しみの中で助け出し、抑圧の中で彼らの耳を開かれる。」と言いました。エリフのヨブに対する判断力は不足していましたが,苦難という主題に対する洞察は,三人の友人とは明らかに区別されることです。   苦しまれたくないし、幸せに生きたいと思います。その祈りはまだ進行型ですが、振り返ってみると、今ここに信仰に付いているのは、苦しみと失敗から学んだ神様がおられるからです。私たちの肉体は弱く、心が汚れているだけ、苦痛は悪くありません。

욥기 QT55 211217금【고통은 악한가】욥기 36장 1~15

욥기 36장 1~1536:1 엘리후가 말을 이어 가로되36:2 나를 잠간 용납하라 내가 네게 보이리니 이는 내가 하나님을 위하여 오히려 할 말이 있음이라36:3 내가 먼 데서 지식을 취하고 나를 지으신 자에게 의를 돌려 보내리라36:4 진실로 내 말이 거짓이 아니라 지식이 구비한 자가 너와 함께 있느니라36:5 하나님은 전능하시나 아무도 멸시치 아니하시며 그 지능이 무궁하사36:6 악인을 살려 두지 않으시며…

ヨブ記 QT54 211216木【超越と内在】ヨブ記 35章 1~16

ヨブ記 35章 1~1635:1 エリフはさらに言った。35:2 あなたは、このことが正義によると見なしているのか。「私の義は神からだ」とでも言うのか。35:3 というのは、あなたがこう言っているからだ。「何があなたの役に立つのでしょうか。私が罪から離れると、どんな利益があるのでしょうか」と。35:4 私はあなたにことばを返そう。あなたとともにいる友人たちにも。35:5 天を仰ぎ見よ。あなたより、はるかに高い雲をよく見よ。35:6 あなたが罪を犯したとしても、あなたは神に対して何ができるのか。あなたの背きが多くあるとしても、神に対して何をなし得るのか。35:7 あなたが正しかったとしても、神に何を与えられるのか。神は、あなたの手から何を受けられるのか。35:8 あなたの悪は、ただあなたのような人間に、あなたの正しさは、人の子に関わるだけだ。35:9 人々は、激しい抑圧のために泣き叫び、偉大な者の腕のために、助けを叫び求める。35:10 しかし、だれも問わない。「私の造り主である神はどこにおられるのか。夜、ほめ歌を下さる方は。35:11 地の獣に教えるより、私たちに多くを教え、空の鳥より、私たちを賢くする方は」と。35:12 そこでは、彼らが泣き叫んでも神は答えない。悪人がおごり高ぶっているからだ。35:13 神は決して偽りの叫びを聞き入れず、全能者はこれに心を留めない。35:14 「神を見られない」とあなたが言うときには、なおさらだ。しかし訴えは神の前にある。あなたは神を待て。35:15 しかし今、神は怒って罰しないだろうか。ひどい罪を知らずにいるだろうか。35:16 ヨブは空しい口を開き、知識もなしに、自分の言い分を並べ立てている。   本文は、人間の行為としての善または悪が、神様とどんや関係があるのかを主題としています。ヨブは悪を避け、善を貫い続けたにもかかわらず苦しんだことに対して、嘆きの抗議をしたことがあります。その発言を問題としたエリフは、人間の善や悪の行為が超越的な神には何の影響も与えられないと言います。   教会学校で子供たちに質問すると、神様は全知全能であると答えます。それがすべての質問を上書きする模範解答だと思うからです。しかしヨブに対して、すべての人間は罪人であり神様は全知全能、という論理一辺に返答すれば、質問も消え、悩みも消え、信仰は剥製化されます。アウグスティヌスは、悪とは自然な尺度、形式、秩序の欠如以外は何もないと述べました。悪は善の欠如です。神様の超越を口実に人間の善を踊るとはいえないということです。   ヨブが人間の罪を認めないわけではありません。しかし、ヨブにも明らかに善があります。これを誇りにしてはいけません。神が超越的な方であることを抽象的または無責任に理解してはなりません。超越的な同時に制限的な人間の中に内在的な方がいるからです。だから私たちは人格的な関係が可能です。その中では倫理が必要ですが、神様はヨブの倫理に関して完全な者であると高く評価されたことがあります。   今までのエリフの発言は、3人の友達とそれほど変わりません。より感情的になり興奮しているように見て取れます。神の超越性だけを強調する場合、人間は基準を喪失し、耽溺主義に陥ります。未知の神様、遠くにある神様、私の善が神様に何も影響しないことになれば、信仰は器を失い、内容を込められなくなります。問題は、人間に対する主題で神の超越を語り、神に対する主題で善悪を語るからです。エリフはこれを混合させ、神様については不明なまま、疲れているヨブをもっと苦しめているだけなのです。

욥기 QT54 211216목【초월과 내재】욥기 35장 1~16

욥기 35장 1~1635:1 엘리후가 말을 이어 가로되35:2 네가 이것을 합리하게 여기느냐 네 생각에 네가 하나님보다 의롭다 하여35:3 이르기를 유익이 무엇인고 범죄한 것보다 내게 이익이 무엇인고 하는구나35:4 내가 너와 및 너와 함께 있는 네 동무들에게 대답하리라35:5 너는 하늘을 우러러 보라 네 위의 높은 궁창을 바라보라35:6 네가 범죄한들 하나님께 무슨 영향이 있겠으며 네 죄악이 관영한들 하나님께 무슨…

ヨブ記 QT53 211215水【エリフの自繩自縛】ヨブ記 34章 21~37

ヨブ記 34章 21~3734:21 神の御目が人の道の上にあり、その歩みのすべてを神が見ておられるからだ。34:22 不法を行う者どもが身を隠せる闇はなく、暗黒もない。34:23 神は人について、それ以上調べる必要はない。さばきのときに、神の前に出させてまでして。34:24 神は力ある者を、取り調べなしに打ち滅ぼし、彼らに代えてほかの者たちを立てられる。34:25 神は彼らのしわざを知っており、夜に彼らを打ち倒される。彼らは砕かれる。34:26 神は、人々の見ているところで、彼らをその邪悪さのゆえに打ちたたかれる。34:27 それは、彼らが神に背いて従わず、神のどの道にも心を留めなかったからだ。34:28 こうして、弱い者の叫びを神に届かせ、神は苦しむ者たちの叫びを聞き入れられる。34:29 神が黙っておられるなら、だれがとがめることができるだろうか。神が御顔を隠しておられるなら、だれが神を認めることができるだろうか。一つの国民においても、一人の人間においても同様だ。34:30 それは、神を敬わない人間が治めたり、民を罠にかけたりしないようにするためだ。34:31 神に向かってだれかが言ったか。「私は懲らしめを受けました。私はもう悪いことはいたしません。34:32 私が見ていないことを、あなたが私に教えてください。私が不正をしたのでしたら、もういたしません」と。34:33 あなたが反対するからといって、神はあなたの願うとおりに報復されるだろうか。私ではなく、あなたが選ぶがよい。あなたの知っていることを言うがよい。34:34 良識のある人々や、私に聞く、知恵のある人は私に言うだろう。34:35 「ヨブは知識もなしに語る。彼のことばは聡明さに欠けている」と。34:36 どうか、ヨブが最後まで試されるように。彼は不法者のように、ことばを返すからだ。34:37 彼は自分の罪にさらに背きを加え、私たちの間で手を打ち鳴らし、神に対してことば数を多くする。   中国の戦国時代、商鞅という人が極刑の車裂を作りました。陵遲處斬の陵遲刑です。ところが、商鞅は自分が作った極刑の車裂に自分が死ぬようになります。それを自繩自縛と言いました。自分が縛ったことに自分が縛られたのです。自分の言葉に自分が縛られることもあります。エリフは自分の言葉にすでに結ばれていますが、それに気づいていません。興奮すると矛盾を犯しやすいです。それに気づかずに声を上げています。   エリフは神様についての知識をよく編集しました。しかし、すぐに自分が神の座を占めています。神様が裁かれる方であるという知識を編集することはできますが、それを言う人に裁きの権利が与えられるわけではありません。神様の裁きを語りながら、自分は恐れを知らない人々がいます。裁きが何であるかを考えずに知識だけを編集したからです。自分が裁きを語ると、自分が裁き主になったような錯覚をするのです。知っていると思う人、信じると思う人、教える人が落ちやすい罠です。   悪とは、エリフが想像しているヨブの隠された罪ではなく、神様の座を占め、人間を裁いているエリフ自身です。自繩自縛です。エリフはヨブが無知で神様を知らずに悔い改めない邪悪な人間であって、気づくまでさらに苦労をしなければならないと言います。エリフが言った「自分の罪にさらに背きを加え、私たちの間で手を打ち鳴らし、神に対してことば数を多くする」ということが何についてのものか分かりません。物証なしで心証だけで罪を断定し、任意にヨブの懲戒と処罰の期間を延長しています。   孟子の言葉がより聖書的です。 無惻隱之心 非人也無羞惡之心 非人也無辭讓之心 非人也無是非之心 非人也惻隱之心 仁之端也羞惡之心 義之端也辭讓之心 禮之端也是非之心 智之端也 是に由りて之を観れば、惻隠の心無きは、人に非ざるなり。羞悪の心無きは、人に非ざるなり。辞譲の心無きは、人に非ざるなり。是非の心無きは、人に非ざるなり。惻隠の心は、仁の端なり。羞悪の心は、義の端なり。辞譲の心は、礼の端なり。是非の心は、智の端なり。 『公孫丑篇』 孟子

욥기 QT53 211215수【엘리후의 자승자박】욥기 34장 21~37

욥기 34장 21~3734:21 하나님은 사람의 길을 주목하시며 사람의 모든 걸음을 감찰하시나니34:22 악을 행한 자는 숨을 만한 흑암이나 어두운 그늘이 없느니라34:23 하나님은 사람을 심판하시기에 오래 생각하실 것이 없으시니34:24 세력 있는 자를 조사할 것 없이 꺾으시고 다른 사람을 세워 그를 대신하게 하시느니라34:25 이와 같이 그들의 행위를 아시고 그들을 밤 사이에 엎으신즉 멸망하나니34:26 그들을 악한 자로 여겨 사람의…

ヨブ記 QT52 211214火【エリフの飛躍】ヨブ記 34章 1~20

ヨブ記 34章 1~2034:1 エリフはさらに言った。34:2 知恵のある人々よ、私のことばを聞け。知識のある人々よ、私に耳を傾けよ。34:3 耳はことばを聞き分け、口は食物を味わうからだ。34:4 さあ、私たちのために正しいことを選び、私たちの間で、何が良いことかをよく知ろう。34:5 ヨブはこう言っているからだ。「私は正しい。神が私の正義を取り去ったのだ。34:6 私の正義に反して、私は偽りを言えるだろうか。背きがないのに、私の矢傷は治らない。」34:7 ヨブのような人がほかにいるだろうか。彼は嘲りを水のように飲み、34:8 不法を行う者どもとよく交わり、悪人たちとともに歩む。34:9 彼は言っている。「神に喜ばれようとしても、それは人の役に立たない。」34:10 だから、あなたがた良識のある人々よ、私に聞け。神が悪を行うなど、全能者が不正をするなど、絶対にあり得ない。34:11 神は、人の行いに応じて報いをし、それぞれをその道にしたがって取り扱われる。34:12 神は決して悪を行わない。全能者はさばきを曲げない。34:13 だれが、この地を神にゆだねたのか。だれが、全世界を神に任せたのか。34:14 もし、神がご自分だけに心を留め、その霊と息をご自分に集められたら、34:15 すべての肉なるものはともに息絶え、人は土のちりに帰る。34:16 悟ることができるなら、これを聞け。私の言うことに耳を傾けよ。34:17 いったい、公正を憎む者が、治めることができるだろうか。正しく力ある方を不義に定めることができるだろうか。34:18 人が王に向かって「よこしまな者」と言い、高貴な人に向かって「悪者」と言えるだろうか。34:19 この方は、首長たちをえこひいきせず、上流の人を貧しい民より重んじることはない。彼らはみな、神の御手のわざだからだ。34:20 彼らは瞬く間に、それも真夜中に死に、民は動揺のうちにいなくなる。強い者たちも人の手によらずに取り去られる。   エリフは、5,6節の「私は正しい。神が私の正義を取り去ったのだ。私の正義に反して、私は偽りを言えるだろうか。背きがないのに、私の矢傷は治らない」というヨブの言葉をあげて怒ります。エリフもヨブが邪悪であると考えているのは三人の友達と同じです。7節の「ブのような人がほかにいるだろうか」ということは、「ヨブよりも悪い人はいない」ということです。   ヨブが恨み混じったことを言ったのがその一次原因ではありますが、エリフの怒りは事実に基づいておらず、飛躍してヨブを罵倒しています。ヨブが罪を犯したと思い込んでいるエリフ自身の立場をより強くするために「ヨブより悪い人がいない」と言ったことであります。しかし、それは明らかに誤解で、飛躍です。「彼は嘲りを水のように飲み、不法を行う者どもとよく交わり、悪人たちとともに歩む 7,8」ヨブが悪人たちと共に悪を行い、いつものことで神様を憎んだということですが、これも事実無根です。   エリフは怒りの感情の中で想像し、それを前提として事実と関係のない飛躍をしています。ヨブが恨みある言葉をしたのは確かです。ということでヨブを不敬に評価することもありますが、ヨブは自分の人生という事実に基づいて自己感情に率直したと思います。少なくともヨブは自己欺瞞をしているわけではないからです。   何かのことで争いが始まると、きっかけになった出来事で終わらずにそれを感情的に一般化してしまうことがあります。「あなたはいつもこうだ、全部だめだ、一度もやったことがない」などの極端な一般化の誤謬で相手を感情的に刺激しますが、少し冷静する必要があります。   神様の正義を説明するために人間を引き下げる必要はありません。神様について、そして神様の正義と裁きについて語る人は多くいますが、彼が神様について実際に知っているか、それとも抽象的に知っているかは、彼の人に対する態度を通して分かります。神様の公義を語りながら人を無価値なものと考えるなら、神様の義は依然として誤解されているのです。