욥기 QT55 211217금【고통은 악한가】욥기 36장 1~15

욥기 36장 1~1536:1 엘리후가 말을 이어 가로되36:2 나를 잠간 용납하라 내가 네게 보이리니 이는 내가 하나님을 위하여 오히려 할 말이 있음이라36:3 내가 먼 데서 지식을 취하고 나를 지으신 자에게 의를 돌려 보내리라36:4 진실로 내 말이 거짓이 아니라 지식이 구비한 자가 너와 함께 있느니라36:5 하나님은 전능하시나 아무도 멸시치 아니하시며 그 지능이 무궁하사36:6 악인을 살려 두지 않으시며…

ヨブ記 QT54 211216木【超越と内在】ヨブ記 35章 1~16

ヨブ記 35章 1~1635:1 エリフはさらに言った。35:2 あなたは、このことが正義によると見なしているのか。「私の義は神からだ」とでも言うのか。35:3 というのは、あなたがこう言っているからだ。「何があなたの役に立つのでしょうか。私が罪から離れると、どんな利益があるのでしょうか」と。35:4 私はあなたにことばを返そう。あなたとともにいる友人たちにも。35:5 天を仰ぎ見よ。あなたより、はるかに高い雲をよく見よ。35:6 あなたが罪を犯したとしても、あなたは神に対して何ができるのか。あなたの背きが多くあるとしても、神に対して何をなし得るのか。35:7 あなたが正しかったとしても、神に何を与えられるのか。神は、あなたの手から何を受けられるのか。35:8 あなたの悪は、ただあなたのような人間に、あなたの正しさは、人の子に関わるだけだ。35:9 人々は、激しい抑圧のために泣き叫び、偉大な者の腕のために、助けを叫び求める。35:10 しかし、だれも問わない。「私の造り主である神はどこにおられるのか。夜、ほめ歌を下さる方は。35:11 地の獣に教えるより、私たちに多くを教え、空の鳥より、私たちを賢くする方は」と。35:12 そこでは、彼らが泣き叫んでも神は答えない。悪人がおごり高ぶっているからだ。35:13 神は決して偽りの叫びを聞き入れず、全能者はこれに心を留めない。35:14 「神を見られない」とあなたが言うときには、なおさらだ。しかし訴えは神の前にある。あなたは神を待て。35:15 しかし今、神は怒って罰しないだろうか。ひどい罪を知らずにいるだろうか。35:16 ヨブは空しい口を開き、知識もなしに、自分の言い分を並べ立てている。   本文は、人間の行為としての善または悪が、神様とどんや関係があるのかを主題としています。ヨブは悪を避け、善を貫い続けたにもかかわらず苦しんだことに対して、嘆きの抗議をしたことがあります。その発言を問題としたエリフは、人間の善や悪の行為が超越的な神には何の影響も与えられないと言います。   教会学校で子供たちに質問すると、神様は全知全能であると答えます。それがすべての質問を上書きする模範解答だと思うからです。しかしヨブに対して、すべての人間は罪人であり神様は全知全能、という論理一辺に返答すれば、質問も消え、悩みも消え、信仰は剥製化されます。アウグスティヌスは、悪とは自然な尺度、形式、秩序の欠如以外は何もないと述べました。悪は善の欠如です。神様の超越を口実に人間の善を踊るとはいえないということです。   ヨブが人間の罪を認めないわけではありません。しかし、ヨブにも明らかに善があります。これを誇りにしてはいけません。神が超越的な方であることを抽象的または無責任に理解してはなりません。超越的な同時に制限的な人間の中に内在的な方がいるからです。だから私たちは人格的な関係が可能です。その中では倫理が必要ですが、神様はヨブの倫理に関して完全な者であると高く評価されたことがあります。   今までのエリフの発言は、3人の友達とそれほど変わりません。より感情的になり興奮しているように見て取れます。神の超越性だけを強調する場合、人間は基準を喪失し、耽溺主義に陥ります。未知の神様、遠くにある神様、私の善が神様に何も影響しないことになれば、信仰は器を失い、内容を込められなくなります。問題は、人間に対する主題で神の超越を語り、神に対する主題で善悪を語るからです。エリフはこれを混合させ、神様については不明なまま、疲れているヨブをもっと苦しめているだけなのです。

욥기 QT54 211216목【초월과 내재】욥기 35장 1~16

욥기 35장 1~1635:1 엘리후가 말을 이어 가로되35:2 네가 이것을 합리하게 여기느냐 네 생각에 네가 하나님보다 의롭다 하여35:3 이르기를 유익이 무엇인고 범죄한 것보다 내게 이익이 무엇인고 하는구나35:4 내가 너와 및 너와 함께 있는 네 동무들에게 대답하리라35:5 너는 하늘을 우러러 보라 네 위의 높은 궁창을 바라보라35:6 네가 범죄한들 하나님께 무슨 영향이 있겠으며 네 죄악이 관영한들 하나님께 무슨…

ヨブ記 QT53 211215水【エリフの自繩自縛】ヨブ記 34章 21~37

ヨブ記 34章 21~3734:21 神の御目が人の道の上にあり、その歩みのすべてを神が見ておられるからだ。34:22 不法を行う者どもが身を隠せる闇はなく、暗黒もない。34:23 神は人について、それ以上調べる必要はない。さばきのときに、神の前に出させてまでして。34:24 神は力ある者を、取り調べなしに打ち滅ぼし、彼らに代えてほかの者たちを立てられる。34:25 神は彼らのしわざを知っており、夜に彼らを打ち倒される。彼らは砕かれる。34:26 神は、人々の見ているところで、彼らをその邪悪さのゆえに打ちたたかれる。34:27 それは、彼らが神に背いて従わず、神のどの道にも心を留めなかったからだ。34:28 こうして、弱い者の叫びを神に届かせ、神は苦しむ者たちの叫びを聞き入れられる。34:29 神が黙っておられるなら、だれがとがめることができるだろうか。神が御顔を隠しておられるなら、だれが神を認めることができるだろうか。一つの国民においても、一人の人間においても同様だ。34:30 それは、神を敬わない人間が治めたり、民を罠にかけたりしないようにするためだ。34:31 神に向かってだれかが言ったか。「私は懲らしめを受けました。私はもう悪いことはいたしません。34:32 私が見ていないことを、あなたが私に教えてください。私が不正をしたのでしたら、もういたしません」と。34:33 あなたが反対するからといって、神はあなたの願うとおりに報復されるだろうか。私ではなく、あなたが選ぶがよい。あなたの知っていることを言うがよい。34:34 良識のある人々や、私に聞く、知恵のある人は私に言うだろう。34:35 「ヨブは知識もなしに語る。彼のことばは聡明さに欠けている」と。34:36 どうか、ヨブが最後まで試されるように。彼は不法者のように、ことばを返すからだ。34:37 彼は自分の罪にさらに背きを加え、私たちの間で手を打ち鳴らし、神に対してことば数を多くする。   中国の戦国時代、商鞅という人が極刑の車裂を作りました。陵遲處斬の陵遲刑です。ところが、商鞅は自分が作った極刑の車裂に自分が死ぬようになります。それを自繩自縛と言いました。自分が縛ったことに自分が縛られたのです。自分の言葉に自分が縛られることもあります。エリフは自分の言葉にすでに結ばれていますが、それに気づいていません。興奮すると矛盾を犯しやすいです。それに気づかずに声を上げています。   エリフは神様についての知識をよく編集しました。しかし、すぐに自分が神の座を占めています。神様が裁かれる方であるという知識を編集することはできますが、それを言う人に裁きの権利が与えられるわけではありません。神様の裁きを語りながら、自分は恐れを知らない人々がいます。裁きが何であるかを考えずに知識だけを編集したからです。自分が裁きを語ると、自分が裁き主になったような錯覚をするのです。知っていると思う人、信じると思う人、教える人が落ちやすい罠です。   悪とは、エリフが想像しているヨブの隠された罪ではなく、神様の座を占め、人間を裁いているエリフ自身です。自繩自縛です。エリフはヨブが無知で神様を知らずに悔い改めない邪悪な人間であって、気づくまでさらに苦労をしなければならないと言います。エリフが言った「自分の罪にさらに背きを加え、私たちの間で手を打ち鳴らし、神に対してことば数を多くする」ということが何についてのものか分かりません。物証なしで心証だけで罪を断定し、任意にヨブの懲戒と処罰の期間を延長しています。   孟子の言葉がより聖書的です。 無惻隱之心 非人也無羞惡之心 非人也無辭讓之心 非人也無是非之心 非人也惻隱之心 仁之端也羞惡之心 義之端也辭讓之心 禮之端也是非之心 智之端也 是に由りて之を観れば、惻隠の心無きは、人に非ざるなり。羞悪の心無きは、人に非ざるなり。辞譲の心無きは、人に非ざるなり。是非の心無きは、人に非ざるなり。惻隠の心は、仁の端なり。羞悪の心は、義の端なり。辞譲の心は、礼の端なり。是非の心は、智の端なり。 『公孫丑篇』 孟子

욥기 QT53 211215수【엘리후의 자승자박】욥기 34장 21~37

욥기 34장 21~3734:21 하나님은 사람의 길을 주목하시며 사람의 모든 걸음을 감찰하시나니34:22 악을 행한 자는 숨을 만한 흑암이나 어두운 그늘이 없느니라34:23 하나님은 사람을 심판하시기에 오래 생각하실 것이 없으시니34:24 세력 있는 자를 조사할 것 없이 꺾으시고 다른 사람을 세워 그를 대신하게 하시느니라34:25 이와 같이 그들의 행위를 아시고 그들을 밤 사이에 엎으신즉 멸망하나니34:26 그들을 악한 자로 여겨 사람의…

ヨブ記 QT52 211214火【エリフの飛躍】ヨブ記 34章 1~20

ヨブ記 34章 1~2034:1 エリフはさらに言った。34:2 知恵のある人々よ、私のことばを聞け。知識のある人々よ、私に耳を傾けよ。34:3 耳はことばを聞き分け、口は食物を味わうからだ。34:4 さあ、私たちのために正しいことを選び、私たちの間で、何が良いことかをよく知ろう。34:5 ヨブはこう言っているからだ。「私は正しい。神が私の正義を取り去ったのだ。34:6 私の正義に反して、私は偽りを言えるだろうか。背きがないのに、私の矢傷は治らない。」34:7 ヨブのような人がほかにいるだろうか。彼は嘲りを水のように飲み、34:8 不法を行う者どもとよく交わり、悪人たちとともに歩む。34:9 彼は言っている。「神に喜ばれようとしても、それは人の役に立たない。」34:10 だから、あなたがた良識のある人々よ、私に聞け。神が悪を行うなど、全能者が不正をするなど、絶対にあり得ない。34:11 神は、人の行いに応じて報いをし、それぞれをその道にしたがって取り扱われる。34:12 神は決して悪を行わない。全能者はさばきを曲げない。34:13 だれが、この地を神にゆだねたのか。だれが、全世界を神に任せたのか。34:14 もし、神がご自分だけに心を留め、その霊と息をご自分に集められたら、34:15 すべての肉なるものはともに息絶え、人は土のちりに帰る。34:16 悟ることができるなら、これを聞け。私の言うことに耳を傾けよ。34:17 いったい、公正を憎む者が、治めることができるだろうか。正しく力ある方を不義に定めることができるだろうか。34:18 人が王に向かって「よこしまな者」と言い、高貴な人に向かって「悪者」と言えるだろうか。34:19 この方は、首長たちをえこひいきせず、上流の人を貧しい民より重んじることはない。彼らはみな、神の御手のわざだからだ。34:20 彼らは瞬く間に、それも真夜中に死に、民は動揺のうちにいなくなる。強い者たちも人の手によらずに取り去られる。   エリフは、5,6節の「私は正しい。神が私の正義を取り去ったのだ。私の正義に反して、私は偽りを言えるだろうか。背きがないのに、私の矢傷は治らない」というヨブの言葉をあげて怒ります。エリフもヨブが邪悪であると考えているのは三人の友達と同じです。7節の「ブのような人がほかにいるだろうか」ということは、「ヨブよりも悪い人はいない」ということです。   ヨブが恨み混じったことを言ったのがその一次原因ではありますが、エリフの怒りは事実に基づいておらず、飛躍してヨブを罵倒しています。ヨブが罪を犯したと思い込んでいるエリフ自身の立場をより強くするために「ヨブより悪い人がいない」と言ったことであります。しかし、それは明らかに誤解で、飛躍です。「彼は嘲りを水のように飲み、不法を行う者どもとよく交わり、悪人たちとともに歩む 7,8」ヨブが悪人たちと共に悪を行い、いつものことで神様を憎んだということですが、これも事実無根です。   エリフは怒りの感情の中で想像し、それを前提として事実と関係のない飛躍をしています。ヨブが恨みある言葉をしたのは確かです。ということでヨブを不敬に評価することもありますが、ヨブは自分の人生という事実に基づいて自己感情に率直したと思います。少なくともヨブは自己欺瞞をしているわけではないからです。   何かのことで争いが始まると、きっかけになった出来事で終わらずにそれを感情的に一般化してしまうことがあります。「あなたはいつもこうだ、全部だめだ、一度もやったことがない」などの極端な一般化の誤謬で相手を感情的に刺激しますが、少し冷静する必要があります。   神様の正義を説明するために人間を引き下げる必要はありません。神様について、そして神様の正義と裁きについて語る人は多くいますが、彼が神様について実際に知っているか、それとも抽象的に知っているかは、彼の人に対する態度を通して分かります。神様の公義を語りながら人を無価値なものと考えるなら、神様の義は依然として誤解されているのです。

욥기 QT52 211214화【엘리후의 비약】욥기 34장 1~20

욥기 34장 1~2034:1 엘리후가 말을 이어 가로되34:2 지혜 있는 자들아 내 말을 들으며 지식 있는 자들아 내게 귀를 기울이라34:3 입이 식물의 맛을 변별함 같이 귀가 말을 분별하나니34:4 우리가 스스로 옳은 것은 택하고 무엇이 선한가 우리끼리 알아보자34:5 욥이 말하기를 내가 의로우나 하나님이 내 의를 제하셨고34:6 내가 정직하나 거짓말장이가 되었고 나는 허물이 없으나 내 상처가 낫지 못하게…

ヨブ記 QT51 211213月【神様を解釈する】ヨブ記 33章 14~33

ヨブ記 33章 14~3333:14 神はある方法で語り、また、ほかの方法で語られるが、人はそれに気づかない。33:15 夢の中で、夜の幻の中で、深い眠りが人々を襲うとき、また寝床の上でまどろむとき、33:16 そのとき、神はその人たちの耳を開き、彼らを懲らしめて、それを封印される。33:17 神は、人間がその悪いわざを取り除くようにし、人から高ぶりを離れさせ、33:18 人のたましいが滅びの穴に入らず、そのいのちが投げ槍で滅びないようにされる。33:19 神は、床の上で痛みをもって人を責め、いつまでも続く骨の病によってお叱りになる。33:20 彼のいのちは食物を嫌い、そのたましいはうまい物を嫌う。33:21 その肉は衰え果てて見えなくなり、見えなかった骨があらわになる。33:22 そのたましいは滅びの穴に、そのいのちは殺す者たちに近づく。33:23 もし彼のそばに、一人の御使いが、千人に一人の仲介者がいて、その方が彼に代わって彼が誠実であることを告げてくれるなら、33:24 神は彼をあわれんで仰せられる。「彼を救って、滅びの穴に下って行かないようにせよ。わたしは身代金を見出した」と。33:25 その肉は幼子のように新しくされて、彼は青年のころに戻る。33:26 彼は、神に祈ると受け入れられる。彼は歓喜の声をもって御顔を仰ぎ、神はその人の義に報いてくださる。33:27 彼は人々を見つめて言う。「私は罪ある者で、真っ直ぐなことを曲げてきた。しかし私は、当然の報いを受けなかった。33:28 神は、私が滅びの穴に下らないように、私のたましいを贖い出してくださった。私のいのちは光を見ることができる」と。33:29 見よ、このすべてのことを神は行われる。二度も三度も、人に対して。33:30 人のたましいを滅びの穴から引き戻し、いのちの光で照らされる。33:31 ヨブよ、耳を傾けて私に聞け。黙れ。この私が語る。33:32 もし、ことばがあるなら、私に返事をせよ。言え。あなたが正しければ、それを私は喜ぶから。33:33 もし、ことばがないなら、私に聞け。黙れ。私はあなたに知恵を教えよう。   ヨブの3人の友人は、苦難がヨブの罪による神様の懲罰であると解釈しましたが、エリフはヨブの3人の友人とは違う観点から解釈しています。ヨブも神様が自分の祈りに答えてくれないと言いましたが、エリフは神様が苦しみを通してすでに言われたと言います。そして苦しみは滅びるためではなく、救いと回復のためのものであると言います。これが論争で言えるもう一つの場合の数なのか、エリフが体験した苦痛の神学なのかは分かりません。   ただし、エリフの視点は、これまでの友達の退屈な言語に比べれば、新鮮で説得力があります。だからといって、ヨブの友人たちの解釈が全面的に間違っているとは言えません。罪に対する罰、間違った生き方に対する責任というのは、確かにあるからです。ある人は間違った生き方をして、エリフのいわゆる義の苦しみに甘え、自分の不義と罪を合理化する卑怯を犯すことがありますし、ある人は病気や苦痛が神様の呪いと思い、自責し、諦めることがあるかもしれません。   しかし、すべての状況がそれぞれ異なり、その状況の解釈なしに一概に一般化することはできません。懲罰なら悔い改めなければならず、練られることであれば忍耐べきです。そしてそれが簡単に分離できる状態ではなく混ざっているかもしれません。啓示は神様がなされ、解釈は人がします。みことばだけを解釈するのではなく、状況をも解釈しなければなりません。みことばだけ従うのではなく、状況にも従わなければなりません。解釈というのは、理論に従うのではなく、自分を無にして客観化するときに可能になります。   私たちは、誰かが自分に言い間違えたことについては深く考え、拡大解釈しますが、神様によって置かれた状況については、なかなか解釈しようとしません。しかし、何事にも解釈せずに知ることはできません。みことばが私の前にあり、アンテナを神様に向けていなければなりません。神様はあらゆることを通して私に語られ、私は絶えず神様のメッセージを解釈するのです。

욥기 QT51 211213월【하나님을 해석하기】욥기 33장 14~33

욥기 33장 14~3333:14 사람은 무관히 여겨도 하나님은 한번 말씀하시고 다시 말씀하시되33:15 사람이 침상에서 졸며 깊이 잠들 때에나 꿈에나 밤의 이상 중에33:16 사람의 귀를 여시고 인치듯 교훈하시나니33:17 이는 사람으로 그 꾀를 버리게 하려 하심이며 사람에게 교만을 막으려 하심이라33:18 그는 사람의 혼으로 구덩이에 빠지지 않게 하시며 그 생명으로 칼에 멸망치 않게 하시느니라33:19 혹시는 사람이 병상의 고통과 뼈가…

ヨブ記 QT50 211211土【生産的な対話のための原則】ヨブ記 32章 11~22

ヨブ記 32章 11~22 32:11 今まで私はあなたがたの言うことに期待し、あなたがたの意見に耳を傾けていた。あなたがたがことばを探している間、 32:12 私はあなたがたに細心の注意を払っていた。しかし、あなたがたのうちには、ヨブを叱責する者も、彼のことばに答える者もいなかった。 32:13 だが、おそらくあなたがたは言うだろう。「私たちは知恵を見出した。人ではなく、神が彼を吹き払ったのだ」と。 32:14 彼はまだ私に向かって、ことばを並べ立ててはいない。私はあなたがたのような言い方では彼に答えることはしない。 32:15 彼らは意気をそがれて、もう答えない。彼らの言うことばもなくなった。 32:16 彼らが話さず、じっと立って答えないからといって、私は待っていなければならないのか。 32:17 私は私で自分の言い分を返し、私も自分の意見を述べよう。 32:18 私にはことばがあふれていて、内なる霊が私を圧迫しているからだ。 32:19 今、私の腹は抜け口のないぶどう酒のよう。新しい皮袋のように、張り裂けようとしている。 32:20 私は話して、気分を晴らしたい。唇を開いて答えたい。 32:21 私はだれも、えこひいきしない。どんな人にも、へつらったりしない。 32:22 私はへつらうことを知らないし、そんなことをすれば、私を造った方は、すぐにでも私を取り去ってしまわれるだろう。 エリフは、ヨブとヨブの友人たちの両方を批判しながら、新しい仲裁的視点から語っていますが、彼の言葉は正解になり得ません。エリフにも自信に満ちた高ぶりが見えますし、彼はすでに興奮し感情的になっています。エリフの怒りは自分の正当性を弁護するための心理だろうと思いますが、討論や論争で怒ることは信頼を失う損害の結果を生みます。 意見が対立すると、人間の脳は攻撃されていると認識するといいます。だから、その攻撃を取り戻しながら相手を非難し、関係の葛藤を深めることが多くあります。意見の対立によって発生する葛藤はもちろん嬉しくもなく面倒なことですが、それが決して悪いことではありません。これを受け入れることが大切です。葛藤がないというのは、意見対立がないか、もしくは一方的であるということなので、瞬間的には集中力を持つことができても、長期的には組織や共同体の体質をむしろ弱めることになります。他の意見が自分を攻撃しているという知的の被害意識から解放されなければ、健康な議論に臨むことはできません。イギリスの組織文化コンサルタントであるイアン・レスリーの『他の意見(Conflicted)』で語る「生産的な対話のための原則」を紹介します。 1. 信頼を作ってください。意見対立の内容を扱う前に、まず信頼関係を築いてください。 2. 絆をつくってください。相手を操縦しようとしないでください。 3. 相手のメンツを立ててください。相手が気持ちよく感じられるように努力してください。 4. まず、自分の変なところを見てください。意見対立の裏には、お互いに見知らぬ文化の衝突があります。自分が正常だと思ってはいけません。 5. 好奇心を持ってください。判断が先にあると、学べません。勝てようとしないで興味を持ってください。相手にも興味深い存在になってください。 6. 間違いを機会にしてください。素早く心から謝罪するならば、間違いは肯定的なきっかけになります。謙虚な姿を見せれば、会話はスムーズになります。 7. 台本から抜け出てください。敵対的な議論は予測可能なパターンに閉じ込められます。新しさと変奏が必要です。意外な驚きを与えてください。 8.制約条件を共有してください。規則と範囲があるとき、むしろ自分の考えをよく表現することができます。ルールが自由を与えます。 9.目的なしで怒らないでください。確かな理論で武装しても感情に完璧に備えることはできません。最も大きい敵は自分です。 出典:イアン・レスリーの『他の意見(Conflicted)』に関するウェブサイト