욥기 QT33 211109화【악인의 형통】욥기 21장 1~16

욥기 21장 1~1621:1 욥이 대답하여 가로되21:2 너희는 내 말을 자세히 들으라 이것이 너희의 위로가 될 것이니라21:3 나를 용납하여 말하게 하라 내가 말한 후에 또 조롱할지니라21:4 나의 원망이 사람을 향하여 하는 것이냐 내가 어찌 초급하지 아니하겠느냐21:5 너희는 나를 보아라 놀라라 손으로 입을 가리우라21:6 내가 추억하기만 하여도 답답하고 두려움이 내 몸을 잡는구나21:7 어찌하여 악인이 살고 수를 누리고…

ヨブ記 QT32 211108月【ツォファルの自己嫌悪】ヨブ記 20章 12~29

ヨブ記 20章 12~2920:12 たとえ悪が口に甘く、彼がそれを舌の裏に隠していても、20:13 あるいはそれを惜しんで捨てようとせず、口の奥にとどめていても、20:14 彼が食べた物は腹の中で変わり、彼の内側でコブラの毒となる。20:15 富を吞み込んでも、彼はまたそれを吐き出す。神がそれを彼の腹から出される。20:16 彼はコブラの毒を吸い、まむしの舌が彼を殺す。20:17 彼は豊かな水の流れを見ることがない。蜜と凝乳の流れる川を。20:18 労苦して得たものも、吞み込まずに返し、商いで得た富も楽しめない。20:19 彼が弱い者を踏みにじって見捨て、自分で建てたのではない家を奪い取ったからだ。20:20 彼の腹は満足することを知らないので、欲しがっている物を、何一つ逃さない。20:21 彼が食べるためのものは何も残っていない。それゆえ、彼の繁栄は長くは続かない。20:22 彼は、豊かさが満ちるときに苦境に立たされ、労苦する者の手がことごとく彼に押し寄せる。20:23 彼が腹を満たそうとすると、神は燃える怒りを彼に送り、憤りを彼の上に降らせる。20:24 彼が鉄の武器を逃れても、青銅の弓が彼を射抜く。20:25 矢が貫いて背中から出、きらめく矢じりが貫いて肝から出る。恐怖が彼の上に臨む。20:26 すべての闇が彼の宝として隠され、吹き起こしたのではない火が彼をなめ尽くし、彼の天幕に生き残っている者も痛手を被る。20:27 天は彼の咎をあらわにし、地は彼に逆らって立つ。20:28 彼の家の作物はさらわれ、御怒りの日に消え失せる。20:29 これが悪しき人間が神から受ける分、神によって定められた、彼の受け継ぐものである。   ツォファルは、悪は必然的に滅びると言います。しかしその真意は「悪」ではなく「ヨブ」が滅びるということ。ヨブが滅びを招き、その結果として神様の裁きを受けていると言うのです。ヨブの苦しみは、ヨブが口の奥に毒をとどめていたので、それが腹の中に入ったことであって、その毒とは間違いなくヨブの貪欲と搾取によって集めた財産であると断定します。だから神様はヨブのものをすべて吐き出させた、というのがツォファルの診断でした。ヨブの事件を自業自得という原理で解き、ツォファルのたとえ話や表現も文学的に優れていますが、あくまでも想像にすぎません。前提が間違っているので、派手な表現や説得力があっても、それはむしろより危険なことになります。   人には自分で認めたくない欠点というものがあるはずです。それが深刻になると、自分の欠点が誰かに投影され、鏡のように見えてしまうと、敏感にそれを嫌悪します。ほとんどの場合、親は自分の子どもから自分の欠点が見つかったとき、必要以上に怒ることがあります。自分の欠点が他人から発見されれば、自分と直接的な関係がないにもかかわらず、許さなくなりますが、これを心理学で言う「自己嫌悪」です。自己を嫌悪することは、他人の嫌悪として現れ、攻撃的な性向を示すということです。   ツォファルの説得力のある話しを聞いていると、ツォファルは悪人についてよく知っていると思いました。どうすればお金をうまく稼げるのか、どうすれば自分の口の中に毒を隠しておくことができるのかをよく知っている人だと思います。それで、自分が一方的に想像したヨブの悪であって、それを許さないのです。ツォファルがそのような人だからではないでしょうか?そんな自分を許さないので、そのように見えるヨブを許さないのです。そういえば、ツォファルの言葉には確かに嫌悪があります。ツォファルはヨブに投影された「自分」を嫌悪しているかもしれません。   自己嫌悪の人は、通常高い自己把握能力を持っています。自分の問題についてよく知っています。しかし、自己嫌悪は直接的な自学として現れず、それを否定するための防衛機制として他人を強く批判する攻撃性で現れます。説教しながら人に信仰がないということを叱責する私の姿や、多くの牧師たちのどなりつけの声がを聞こえるたびに、ツォファルの自己嫌悪の防衛機制が思い起こされます。

욥기 QT32 211108월【소발의 자기혐오】욥기 20장 12~29

욥기 20장 12~2920:12 그는 비록 악을 달게 여겨 혀 밑에 감추며20:13 아껴서 버리지 아니하고 입에 물고 있을지라도20:14 그 식물이 창자 속에서 변하며 뱃속에서 독사의 쓸개가 되느니라20:15 그가 재물을 삼켰을지라도 다시 토할 것은 하나님이 그 배에서 도로 나오게 하심이니20:16 그가 독사의 독을 빨며 뱀의 혀에 죽을 것이라20:17 그는 강 곧 꿀과 엉긴 젖이 흐르는 강을 보지…

ヨブ記 QT31 211106土【皮が剝ぎ取られた後に】ヨブ記 19章 21~29

ヨブ記 19章 21~2919:21 あなたがた、私の友よ。あわれんでくれ。私をあわれんでくれ。神の御手が私を打ったからだ。19:22 なぜ、神のように私を追いつめるのか。なぜ、私の肉で満足しないのか。19:23 ああ今、できることなら、私のことばが書かれ、書物に記されればよいのに。19:24 鉄の筆と鉛によって、いつまでも岩に刻みつけられればよいのに。19:25 私は知っている。私を贖う方は生きておられ、ついには、土のちりの上に立たれることを。19:26 私の皮がこのように剝ぎ取られた後に、私は私の肉から神を見る。19:27 この方を私は自分自身で見る。私自身の目がこの方を見る。ほかの者ではない。私の思いは胸の内で絶え入るばかりだ。19:28 あなたがたが、「彼をどのように追いつめようか。事の原因は彼にあるのだから」と言うなら、19:29 あなたがたは剣を恐れよ。憤りが剣による刑罰をもたらすからだ。こうして、あなたがたはさばきがあることを知るようになる。   友達に憐れみを訴えたヨブはここから神様に向かいます。神様を意識しているのは、友人たちではなく、ヨブです。友人の神様は自分の論理の中で作られた加工の存在、つまり死んだ神ですが、ヨブの神様は矛盾と苦しみの中で問われている存在、すなわち生きている神です。自分で答えを決めておくと神様は現れませんが、自分が質問を続けれるならば神様は答えてくださるのです。   ヨブは「私の皮がこのように剝ぎ取られた後に、私は私の肉から神を見る。この方を私は自分自身で見る。私自身の目がこの方を見る。ほかの者ではない。私の思いは胸の内で絶え入るばかりだ。」と言いました。真実が受け入れられず、屈折し、歪んでいる世界、罪に陥った存在が互いに告発し、断罪する世界の外、つまり、肉体の死を越えて向こう側におられる神様に戻り、すべてが明白に明らかになったところに立つ、ということです。   それは自暴自棄でも、自虐でもなく希望です。人生というものと人というものが、いかに弱いのかを悟っているがゆえに、与えられる希望です。その時は、今のような不完全さではありません。真実は真実であり、信じたのはその信仰に現れます。   その日にさばかれるのは友達です。「あなたがたは剣を恐れよ。憤りが剣による刑罰をもたらすからだ。こうして、あなたがたはさばきがあることを知るようになる。」恐れなければならないのは、幸福を失った悔しさではなく、神様のところに立って裁きを行った友人です。神様を信じるということは、自分の物差しで人を計るのではなく、神様の心で人を哀れむ心ではないでしょうか。

욥기 QT31 211106토【육체 밖에서 하나님을 보리라】욥기 19장 21~29

욥기 19장 21~2919:21 나의 친구야 너희는 나를 불쌍히 여기라 나를 불쌍히 여기라 하나님의 손이 나를 치셨구나19:22 너희가 어찌하여 하나님처럼 나를 핍박하느냐 내 살을 먹고도 부족하냐19:23 나의 말이 곧 기록되었으면, 책에 씌어졌으면, 19:24 철필과 연으로 영영히 돌에 새겨졌으면 좋겠노라19:25 내가 알기에는 나의 구속자가 살아 계시니 후일에 그가 땅 위에 서실 것이라19:26 나의 이 가죽, 이것이 썩은…

ヨブ記 QT30 211105金【ヨブの訴え】ヨブ記 19章 1~20

ヨブ記 19章 1~2019:1 ヨブは答えた。19:2 いつまで、あなたがたは私のたましいを悩ませ、ことばで私を砕くのか。19:3 もう十度もあなたがたは私を辱め、私をいじめて恥じることもない。19:4 私が本当に過ちに陥っていたとしても、私の過ちは私のうちにとどまるだけだ。19:5 もし、本当にあなたがたが私に向かって高ぶり、私が受けた恥辱のことで、私を責めるつもりなら、19:6 今知れ。神が私を不当に扱い、ご自分の網で私を取り囲まれたことを。19:7 見よ。私が「暴虐だ」と叫んでも、答えはなく、叫び求めても、さばきは行われない。19:8 神は私の道をふさいで通らせず、私の通り道に闇を置かれた。19:9 神は私から栄光をはぎ取り、頭から冠を取り去られた。19:10 神は四方から私を打ち倒し、私は消え去る。神は私の望みを木のように根こそぎにされる。19:11 神は私に向かって怒りを燃やし、私をご自分の敵のように見なされる。19:12 その軍勢は一つとなって進んで来て、私に向かって傾斜路を築き上げ、私の天幕の周りに陣を敷く。19:13 神は私の兄弟たちを私から遠ざけ、知人たちはすっかり私から離れて行った。19:14 親族は見放し、親しい友も私を忘れた。19:15 私の家に身を寄せる者や召使いの女たちも、私をよそ者のように見なし、私は彼らの目に他人となった。19:16 私がしもべを呼んでも、彼は返事もしない。私は自分の口で彼に懇願しなければならない。19:17 私の息は妻にいやがられ、身内の者たちに嫌われる。19:18 若輩までが私を蔑み、私が立ち上がると、私に言い逆らう。19:19 親しい仲間はみな私を忌み嫌い、私が愛した人たちも私に背を向けた。19:20 私は、骨が皮と肉にくっつき、かろうじて生き延びている。   本文はビルダデによる二回目の辛辣な発言に対するヨブの答えです。ヨブは、友人たちが証拠も提示せず、無作為に自分を罪に定めていると批判します。実に友達には確信できるような根拠がありません。彼らはヨブが犯罪したという仮説を立てただけです。そしてまだ何も検証された事実はありません。誤解というよりは無理やりです。   ヨブは、友人たちの断罪によって苦しまれるのが、耐え難い無慈悲なものだと訴えます。正しいか正しくないのかについての議論はもう意味がありません。家族や友人までヨブを慰めませんでした。ヨブが友達に願っているのは単なる同情です。助けてもらえるとも思っていません。正しい言葉で咎めるのではなく、自分を哀れに思ってもらいたいと願っているのです。   義を認めなくても、哀れに思ってくれるだけでヨブは生きることができる。教えようとする人々の言葉はもううんざりです。私たちの社会でも人を哀れに思う心がないので、無能な人、失敗した人は皆、断罪の対象になります。人々の頭の中には、世が強要した何らかのモデルがあり、それに到達していない人は、怠け者、無能な者と見なされ、非難されます。   子どもたちの引きこもり問題を記事で読んだのが昨日のように思えますが、しかしその当事者は既に中年を越しているのに、いまだに家から出ていません。ひきこもりが残虐な犯罪行為につながる場合が多くあります。今回の地下鉄ジョーカー事件も、就職ができなかった青年の孤立感から始まったひきこもりの結果です。ひきこもりが残虐犯罪につながるのは、自分を疎外させ、排除した社会に対する怒りを空気と考えが換気されない部屋の中で育まれてきたからです。   ひきこもりになる理由は、ヨブが処されている状況と似ています。いじめに遭った場合、訴えても解決されない場合、家族関係で劣等を理解してもらってない場合、過度の期待と干渉で自信を失った場合、社会に圧倒され、自責、自虐する場合、打ち勝てない現実から避けたい場合などです。人々の口には教える言葉であふれますが、傷ついた魂に教えることは何もありません。自殺する人々にたった一人でも会話できる対象がいれば自殺は防ぐことができます。   教えようとする人は多くいますが、その中で話しかける人がいなくて死んでいくのです。原因究明は重要です。なぜ失敗したのですか?なぜ痛いなのか?原因を探すことは大切ですが、自分がなぜここにいるのか、その原因も解明できない人間が、他人の苦痛の原因をすべて分かっているかのように解明することはできません。   朝晩と寒くなりました。私たちは建物の入り口で体温を測定される、いわば拒絶感を味わう時代に耐えてきました。測定した体温が正常であるなら、今度は寒さを感じる人の隣に寄り添う季節を送りたいと思います。  

욥기 QT30 211105금【욥의 호소】욥기 19장 1~20

욥기 19장 1~2019:1 욥이 대답하여 가로되19:2 너희가 내 마음을 번뇌케 하며 말로 꺾기를 어느 때까지 하겠느냐19:3 너희가 열 번이나 나를 꾸짖고 나를 학대하고도 부끄러워 아니하는구나19:4 내가 과연 허물이 있었다 할지라도 그 허물이 내게만 있는 것이니19:5 너희가 참으로 나를 향하여 자긍하며 내게 수치될 행위가 있다고 증명하려면 하려니와19:6 하나님이 나를 굴하게 하시고 자기 그물로 나를 에워싸신 줄은…

ヨブ記 QT29 211104木【ビルダデの死亡論】ヨブ記 18章 1~21

ヨブ記 18章 1~2118:1 シュアハ人ビルダデが答えた。18:2 いつになったら、あなたがたはその話にけりをつけるのか。まず理解せよ。それから語り合おうではないか。18:3 なぜ、私たちは獣のように見なされ、あなたがたには愚かに見えるのか。18:4 怒って自分自身を引き裂く者よ、あなたのために地が見捨てられるだろうか。岩がその場所から移されるだろうか。18:5 まことに、悪しき者の光は消え、その火の炎も輝くことはない。18:6 彼の天幕の内では光が暗くなり、彼を照らすともしびも消える。18:7 彼の力強い歩幅は狭められ、自らのはかりごとが彼を打ち倒す。18:8 彼は自分の足で網にかかり、その網目の上を歩き回る。18:9 罠は彼のかかとを捕らえ、仕掛け網は彼を捕まえる。18:10 地には彼を捕まえる縄が隠されている。捕らえるための罠が通り道に。18:11 突然の恐怖が彼を周りからおびえさせ、その足を追い立てる。18:12 彼の精力は飢えて衰え、わざわいが彼をつまずかせようとする。18:13 わざわいは彼の皮膚を食らおうとし、死の初子がからだを食らおうとする。18:14 彼は、拠り頼んでいる天幕から引き抜かれ、恐怖の王のもとへと引き立てられる。18:15 彼の天幕には、身内でない者が住み、硫黄がその住まいの上にまき散らされる。18:16 下では彼の根が枯れ、上では枝がしおれる。18:17 彼の記憶は地から消え失せ、地の面では無名となる。18:18 彼は光から闇に追いやられ、世から追い出される。18:19 彼の民の中には子孫も末裔もいなくなり、その住みかには一人の生存者もいなくなる。18:20 西に住む者は彼の日について驚き恐れ、東に住む者は恐怖に取りつかれる。18:21 まことに、これが不正を働く者の住まい、これが神を知らない者の住む場所である。   エリファズに続き、ビルダデの2番目の発言も以前より激しくなります。状況が悪化してビルダデの心が急かすからではなく、ヨブが自分たちの発言を受け入れられないことで怒っているからです。ヨブが没落したのは、ヨブの隠された罪のためであり、それにもかかわらずヨブがそれを認めていないので、ヨブは悪人であるということがビルダデの変わらない立場です。ビルダデはそのようなヨブを教えなければならないと思っているので刺激的な表現を使って攻めています。ヨブは悪人であり、悪人の死は「消えるともしび」であり、「網目の上を歩き回る」、「逃亡者が王のもとへと引き立てられる」、「木の根が枯れ、枝がしおれる」と比喩します。   死は罪から来ました。それを認めます。私たちはより完全な存在として創造されましたが、アダム以後、呪われた地に追い出され、堕落した状態で汗を流し、苦しみとともに生きています。人間の罪を考えるとき、完全無欠な存在が意志的に堕落し、罪を犯すのではなく、存在論的に人間はすでに堕落しているというのが聖書的な人間観です。ヨブの罪を取り調べる前に、ビルダデが自分の内面をみることができれば、人間というものがどれほど堕落した存在なのかは分かるはずです。   「罪の報酬は死」ということは、神様が人間に死という限界を設定したことであり、人間が罪を犯さないことを期待して犯罪する瞬間、神様が死という懲罰を加えることではありません。どんな邪悪な人にも他人の死の理由を呪いと言うことはできません。悪人の死についてさえ、人間のあるべき感情は哀悼でなければなりません。「神様を信じずに罪を犯して死んだ」ような言い方をしてはいけません。   罪の報酬は死であり、人間が肉体の死という限界の中で生きなければならないことは変わりませんが、その人生の中で神様の憐れみと恵みは依然として与えられます。地上での祝福と幸福は、存在が罪から解放されているからではなく、それにもかかわらず人生という時空間の中に神様の慰めと慈悲が与えられるからです。   時が来て弱くなり、死に直面しても、それを人間の犯罪に対する神様の懲罰であるとみなしてはいけません。もしそうてあっても、裁判の判決権は私にありません。私たちはみな被告人のところに立たなければならない同病相哀れむ存在だからです。裁判は私がしませんが、唯一の希望は、弁護のところに立ってくださる神様の憐れみの贈り物、イエス・キリストに頼ることです。  

욥기 QT29 211104목【빌닷의 사망론】욥기 18장 1~21

욥기 18장 1~2118:1 수아 사람 빌닷이 대답하여 가로되18:2 너희가 어느 때까지 말을 찾겠느냐 깨달으라 그 후에야 우리가 말하리라18:3 어찌하여 우리를 짐승으로 여기며 부정하게 보느냐18:4 너 분하여 스스로 찢는 자야 너를 위하여 땅이 버림을 당하겠느냐 바위가 그 자리에서 옮기겠느냐18:5 악인의 빛은 꺼지고 그 불꽃은 빛나지 않을 것이요18:6 그 장막 안의 빛은 어두워지고 그 위의 등불은 꺼질…

ヨブ記 QT28 211102火【慰められない孤独】ヨブ記 16章 18~17章 5

ヨブ記 16章 18~17章 516:18 地よ、私の血をおおうな。私の叫びに休み場がないようにせよ。16:19 今でも、天には私の証人がおられます。私の保証人が、高い所に。16:20 私の友は私を嘲る者たち。しかし、私の目は神に向かって涙を流します。16:21 その方が、人のために神にとりなしてくださいますように。人の子がその友のためにするように。16:22 数年もたてば、私は帰らぬ旅路につくのですから。17:1 私の霊は乱れ、私の日は尽き、私には墓場があるだけです。17:2 実に、嘲る者たちが私とともにいます。私の目は彼らの敵意の中で夜を過ごします。17:3 どうか、私を保証してくれる人をあなたのそばに置いてください。ほかにだれか誓ってくれる人がいるでしょうか。17:4 あなたはあの者たちの心を賢明さから引き離されました。ですから、あなたが彼らを高く上げられることはありません。17:5 分け前を得るために友の告げ口をする者。その子らの目は衰え果てる。   「地よ、私の血をおおうな。」この言葉は、身にしみるほどの悔しさをヨブが訴えていることを表しています。もちろんヨブは疲れ果ていて、彼の言葉にも信仰的な混乱があります。ヨブは神様に対して恨みませんでしたが、しかし迂回的に状況を恨みました。誰一人もヨブを慰める人がいなく、孤独はさらにヨブを苦しませています。独りという孤独は恐ろしい痛みです。人々は言います。頼るところがないので、神様に頼ればいいと。もちろんそうなのですが、これはもっともヨブの友達の口から出てくるような言葉です。孤独が人の不在のために起こるものであれば、人が満たさなければならない部分は依然として残っているはずです。   天国には信仰を必要としません。信仰は体を持って地上に生きる間に必要なものです。いかに大きい信仰を持っているとしても、人と人の関係抜きに考えることはできません。例えば孤独が神様に頼らせる機能があるとしても、その孤独に放置された人が良い役割を果たせる保証はどこにもありません。ヨブが言ったように、自分が直面する苦難よりも、友人たちの断罪の方が、よっぽど大きい災いになってヨブを押しつぶしています。ヨブの訴えは、友達の冷たい言葉による悲しみのゆえです。   ヨブと友達の会話を見ながら、なぜ消耗的な話を続けているのかとも思われます。ヨブは友達を帰らせて静かに断食の祈りでもすればいい思うのですが。しかし、ヨブは自分を指摘し責めるばかりの友人たちであっても、自分ね隣にいてほしかったのかもしれません。会話する人すらいない孤独は怖い苦しみです。苦しみの中で投げられた人間が神様を求めている話、それがヨブ記であるならば、苦しみの中で生きなければならない人間同士の関係については、さらに大きな重さを持って語っていると思います。   人生が崩れ、弱くなり、死に向かって行くのは、ヨブだけの特別な話ではありません。誰もが下り坂を歩きます。ところが、人々は簡単に言います。一生懸命生きていないからだと、老いてからだと、信​​仰が足りないからだと、罪を犯したからだと、、。東京には年に千人の高齢者が家で一人で孤独死します。話し相手一人もいない、孤独に生きて、飢えて死にます。   なぜ老いたのか、なぜ孤独だったのか、なぜ貧しかったのかを責め立てて何の益があるでしょうか?厳しい孤独の中で死んでいくヨブは私たちの周りにたくさんいます。ヨブに神様を望む信仰があるからといって、苦痛が消えたわけではなかったことと同じように、信仰があるからといって、人と人との関係の中で人に慰められる必要がなくなるわけではありません。私たちが出会う多くのヨブたちに対して、問い詰める代わりに、慰めることができればと願います。