욥기 QT8 211009토【나 같으면】욥기 5장 1~16

욥기 5장 1~165:1 부르짖어 보아라 네게 응답할 자가 있겠느냐 거룩한 자 중에 네가 누구에게로 향하겠느냐5:2 분노가 미련한 자를 죽이고 시기가 어리석은 자를 멸하느니라5:3 내가 미련한 자의 뿌리 박는 것을 보고 그 집을 당장에 저주하였노라5:4 그 자식들은 평안한 데서 멀리 떠나고 성문에서 눌리나 구하는 자가 없으며5:5 그 추수한 것은 주린 자가 먹되 가시나무 가운데 있는 것도…

ヨブ記 QT7 211008金【サタンはどこにいますか】ヨブ記 4章 12~21

ヨブ記 4章 12~214:12 あることばが私に忍び寄り、そのささやきを私の耳がとらえた。4:13 夜の幻で思いが乱れ、深い眠りが人々を襲うとき、4:14 おののきと震えが私に降りかかり、私の骨々の多くがわなないた。4:15 ある霊が顔の上を通り過ぎ、私は身の毛がよだった。4:16 それは立ち止まったが、私はその顔だちを見分けられなかった。しかし、その姿は私の目の前にあった。静寂。そして私は次のような声を聞いた。4:17 「人は神の前に正しくあり得ようか。その造り主の前にきよくあり得ようか。4:18 見よ。神はご自分のしもべさえ信頼せず、御使いたちのうちにさえ、誤りを認められる。4:19 まして、ちりに土台を据えた泥の家に住む者はなおさらのこと。彼らはシミよりもたやすく押しつぶされ、4:20 朝から夕方まで打ち砕かれ、永久に滅ぼされて、だれも顧みない。4:21 彼らの天幕の綱は確かに取り去られる。彼らは知恵がないために死ぬ。」   神様の御言葉とサタンの欺く言葉が明確に区別できる水と油のようなものであれば解釈と識別力というのは必要ありません。しかし、サタンは私たちより神様と神様の御言葉よく知っています。サタンは疑いのない、巧妙な方法で神様の御言葉を歪曲します。   エリファズの訴えには雄弁力があります。誰も反論することができません。いつも聞いていた神様の御言葉という色がついています。ところが、このような言語に注意しなければなりません。実体のない、観念的に使う宗教的な言語、誰も反論することはできませんが、それが何なのかを定義することさえできず、空中に浮いているような言語、それの捨てて自分の日常の言語で信仰生活をしなければなりません。それこそ、自分が信じているものの実体が何であるかを知ることができます。   エリファズの言語は厳粛でした。「「人は神の前に正しくあり得ようか。その造り主の前にきよくあり得ようか。17…まして、ちりに土台を据えた泥の家に住む者はなおさらのこと。彼らはシミよりもたやすく押しつぶされ、朝から夕方まで打ち砕かれ、永久に滅ぼされて、だれも顧みない。19,20」   誰がこれに反論しますか?「伝道者の書」に書かれていたら疑いのない人間論です。誰が神様を否定し、その前で、人間の地位を高めることがありますか?エリファズは、この言葉でヨブを批判し、悔い改めを促すます。しかし、ヨブの苦難の核心は、ヨブが自分の罪を告げるまで、神様が拷問をかけているのではありません。   悔い改めることに問題はありません。しかし、ここでエリファズの言っている悔い改めはヨブをさらに苦しめていることです。ヨブが悔い改めて解決できる問題ではないからです。よいことを行ったから祝福を受け、罪を犯したから罰を受ける応報神学はヨブ記において背馳します。   ここで気になることがあります。ヨブ記の中で最も緊張の中で登場したサタンは、今どこにいるのでしょうか?ヨブを粉々にして今は舞台から姿を消えたのでしょうか?サタンはヨブを痛めることが目的ではありません。ヨブが神様を裏切ることを目的としています。だからサタンがまだ活動しなければありません。ところが、サタンは今どこいるのでしょうか?   サタンがエリファズの仮面をかぶってヨブに現れているのです。エリファズに現われた存在は、神様ではなく、愚かな人間を欺くサタンです。人間が神様の御言葉を伝えるといい時は、そこには必ず偽善が含まれています。エリファズのように確信に満ちて雄弁するとき、断罪の剣が隠れているときは間違いなくそうです。 私たちは、士師記を読んできました。恐ろしいのは、悪ではなく、各自がそれぞれ正しいと思っていたことです。殺し合ったのは、善と悪ではなく、それぞれ自分が正しいと持っていたことの衝突でした。神様の御言葉を伝えることに人間の無知と偽善が含まれています。それを認めなければならないし、自分の思い通りに人を動かすために、神様の名前を濫用することを恐れなければなりません。

욥기 QT7 211008금【사탄은 어디로 갔나요】욥기 4장 12~21

욥기 4장 12~214:12 무슨 말씀이 내게 가만히 임하고 그 가는 소리가 내 귀에 들렸었나니4:13 곧 사람이 깊이 잠들 때쯤 하여서니라 내가 그 밤의 이상으로 하여 생각이 번거로울 때에4:14 두려움과 떨림이 내게 이르러서 모든 골절이 흔들렸었느니라4:15 그 때에 영이 내 앞으로 지나매 내 몸에 털이 주뼛하였었느니라4:16 그 영이 서는데 그 형상을 분변치는 못하여도 오직 한 형상이…

ヨブ記 QT6 211007木【エリファズの訓戒】ヨブ記 4章 1~11

ヨブ記 4章 1~114:1 すると、テマン人エリファズが話し始めた。4:2 もし、人があなたにことばを投げかけたら、あなたはそれに耐えられるか。しかし、だれが語らないでいられるだろう。4:3 見よ。あなたは多くの人を訓戒し、弱った手を力づけてきた。4:4 あなたのことばは、つまずいた者を起こし、くずおれる膝をしっかりさせてきた。4:5 しかし今、これがあなたに及ぶと、あなたはそれに耐えられない。これがあなたに至ると、あなたはおじ惑う。4:6 あなたの敬虔さは、あなたの確信ではないか。あなたの誠実さは、あなたの望みではないか。4:7 さあ、思い出せ。だれか、潔白なのに滅びた者があるか。どこに、真っ直ぐなのに絶たれた者があるか。4:8 私の見てきたところでは、不法を耕して害悪を蒔く者が、自らそれらを刈り取るのだ。4:9 彼らは神の息吹によって滅び、御怒りの息によって消え失せる。4:10 獅子のうなり声、たける獅子の声がする。しかし、若獅子の牙は砕かれる。4:11 雄獅子は獲物がなくて滅び、雌獅子の子らは散っていく。   ヨブは神様に認められるほどの正しい人でしたが、自分を正しい人と思ってしまう間違いを犯していました。それにヨブの友人であるテマン人エリファズは、ヨブが受けている苦難を根拠にしてヨブが正しくなかったことを告発しています。ヨブに罪がなかったならば、神様がこのような呪いをかけたはずがないということです。ヨブ自身が以前に苦しんでいる人に忍耐を教えたのであれば、今自分が苦しみの中にいる時に忍耐しなければならないということです。   言っている意味は分かります。ところが、理解は不十分です。これが自分の中に閉じ込められた人の論理です。もちろん自分自身を省察し、悔い改めることは大切です。それは一理があります。しかし、一理というのは、一つの理という意味です。多くの理があり、その中の一つです。原因を究明することは大切ですが、泣いている人を攻めることが厳しいです。   他人に悔い改めを促すのは簡単ですが、人の痛みを共感する愛はとても難しいことです。さらに、ヨブの苦難は、ヨブの罪に対しる罰ではありません。エリファズは批判という物差しを持って状況を分析していますが、共感という物差しは持っていません。自分が持っている数式に世界のすべての現象を入れて正解を出すことはできません。   パウロはローマ人への手紙で「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。12:15」と言いました。一理によってといただす言葉より大切なのは打ち砕かれた心を共感する力です。友人が行為について追及しているので、ヨブは行為に対して潔白を言うしかありません。エリファズに悪意はないと思いますが、ヨブはそれによって痛みが重なります。教える言葉より理解して共感する言葉をさらに学びたいと思います。  

욥기 QT6 211007목【엘리바스의 훈계】욥기 4장 1~11

욥기 4장 1~114:1 데만 사람 엘리바스가 대답하여 가로되4:2 누가 네게 말하면 네가 염증이 나겠느냐 날지라도 누가 참고 말 하지 아니하겠느냐4:3 전에 네가 여러 사람을 교훈하였고 손이 늘어진 자면 강하게 하였고4:4 넘어져 가는 자를 말로 붙들어 주었고 무릎이 약한 자를 강하게 하였거늘4:5 이제 이 일이 네게 임하매 네가 답답하여 하고 이 일이 네게 당하매 네가 놀라는구나4:6…

ヨブ記 QT5 211006水【休む間もない苦しみ】ヨブ記 3章 11~26

ヨブ記 3章 11~263:11 なぜ私は、胎内で死ななかったのか。胎を出たとき、息絶えなかったのか。3:12 なにゆえ、両膝が私を受けとめたのか。乳房があって、私がそれを吸ったのか。3:13 今ごろ私は安らかに横になり、眠って安らいでいただろうに。3:14 自分たちのためにあの廃墟を築いた王たち、地の指導者たちと一緒に。3:15 黄金を持ち、自分の家を銀で満たした首長たちと一緒に。3:16 なぜ私は、ひそかに堕ろされた死産の子、光を見なかった嬰児のようにならなかったのか。3:17 かしこでは、悪しき者は荒れ狂うのをやめ、かしこでは、力の萎えた者は憩い、3:18 捕らわれ人たちもみな、ともに安らかで、激しく追い立てる者の声も聞こえない。3:19 かしこでは、下の者も上の者も同じで、奴隷も主人から解き放たれている。3:20 なぜ、苦悩する者に光が、心の痛んだ者にいのちが与えられるのか。3:21 彼らは死を待つが、死はやって来ない。隠された宝にまさって死を探し求めても。3:22 彼らは墓を見出したときに、歓声をあげて喜び楽しむ。3:23 自分の道が隠されている人、神が囲いに閉じ込めた人になぜ光が与えられるのか。3:24 まことに、食物の代わりに嘆きが私に来て、私のうめきは水のようにあふれ出る。3:25 私がおびえていたもの、それが私を襲い、私が恐れていたもの、それが降りかかったからだ。3:26 安らぎもなく、休みもなく、憩いもなく、心は乱れている。   神様が許された苦難は、ヨブだけを試すための特別な出来事ではないと思います。神様はヨブという人物に苦難を与えたのではなく、すべての人生に虚無と苦労の時間を過ごさせました。肉体を持っている人生ならば誰でもヨブと同じような悩みと質問を持たなければなりません。それがなければ、人間は真の安息を手に入れることができないからです。ヨブが自分の命と存在を否定しながら、人生の懐疑を歌っているのは、その苦痛から離れ、真の安息に入りたいからです。安息を求めない人は、神様を見つけることはできず、苦しみの人生の旅路で人生が何かと悩まない人は神様に出会うことができません。   皆が安息を求めますが、体を休ませることが安息であると誤解します。求めるべき安息はそのようなものではありません。病院の患者は口を揃って「お家に帰りたい」と言います。弱った肉体の切実な願いの言葉です。病院にいる​​人間は皆不安です。だから、自分が住んでいた所、家族と一緒に食べていたところに帰りたいのです。安息を記憶しているからです。「安らぎもなく、休みもなく、憩いもなく、心は乱れている。26」そういう意味で、人は皆ヨブのうめき声を持たなければなりません。   ヨブ記の多くは詩の形になっています。人間に対する質問を持っているもの、すなわち文学と哲学、芸術、そして神学までも、その原初的テーマは、「人生は何か」という質問です。ところが、最近では、このようなものを勉強すると、就職できないそうです。人生を悩むと人生は剥奪されます。ただお金を悩むことが大切になりました。今すぐ現金化できる技術と投資だけが社会的に認められます。だから人間群像はますます安息が何なのか知らず、安息を失っていきます。安息の必要性さえ知りません。聖書には、地獄の描写がほとんどありません。もしかして、それは現実をよく臨んでみればそこから地獄を見えてくるからではないでしょうか?   ヘブル人への手紙には神様の御言葉に従わなければ安息に入ることができないと語っています。ヘブル人への手紙の著者は、出エジプトしてから、カナンに入らず、荒野で死んでしまったイスラエルの民を安息に入らなかった事例として紹介しています。確かに悔しいケースです。厳しい苦労をしましたが、安息に入らずに死にました。ヨブが求める安息、否、神様がヨブに求めさせる安息というのは、苦難を受ける前の日常に復帰することではなく、人生と神様を再発見する上に与えられる真の安息です。  

욥기 QT5 211006수【쉴 틈 없는 고통】욥기 3장 11~26

욥기 3장 11~263:11 어찌하여 내가 태에서 죽어 나오지 아니하였었던가 어찌하여 내 어미가 낳을 때에 내가 숨지지 아니하였던가3:12 어찌하여 무릎이 나를 받았던가 어찌하여 유방이 나로 빨게 하였던가3:13 그렇지 아니하였던들 이제는 내가 평안히 누워서 자고 쉬었을 것이니3:14 자기를 위하여 거친 터를 수축한 세상 임금들과 의사들과 함께 있었을 것이요3:15 혹시 금을 가지며 은으로 집에 채운 목백들과 함께 있었을…

ヨブ記 QT4 211005火【耐えられない苦しみ】ヨブ記 3章 1~10

ヨブ記 3章 1~103:1 そのようなことがあった後、ヨブは口を開いて自分の生まれた日を呪った。3:2 ヨブは言った。3:3 私が生まれた日は滅び失せよ。「男の子が胎に宿った」と告げられたその夜も。3:4 その日は闇になれ。神も上からその日を顧みるな。光もその上を照らすな。3:5 闇と暗黒がその日を取り戻し、雲がその上にとどまれ。昼を薄暗くするものも、その日を脅かせ。3:6 その夜は、暗闇が奪い取るように。その日は、年の日々のうちで喜ばないように。月の日数のうちにも入れないように。3:7 見よ、その夜は不妊となるように。その夜には喜びの声も起こらないように。3:8 日を呪う者たちが、レビヤタンを巧みに呼び起こす者たちが、その日に呪いをかけるように。3:9 その夜明けの星は暗くなれ。光を待っても、それはなく、暁のまばたきを見ることがないように。3:10 その日が、私をはらんだ胎の戸を閉ざさず、私の目から労苦を隠してくれなかったからだ。   ヨブが唇で神様を恨む罪を犯さなかったと言いましたが、しばらくの沈黙の後、3章では、ヨブが自分の生まれた日を呪います。誕生日を呪いというのは、命の祝福を否定することです。ヨブは、今大きな苦痛に耐えられません。神様に対して直接に恨むことはしませんが、自分の生まれた日を呪うことによって勝ち抜けない混乱な現実の表わしています。   大きな喪失と苦痛を受けて混乱に巻き込まれないことはありません。信仰は、人間の心の中にあるのであって決して機械的なものではありません。信仰の理想を論じる時でさえ、人間というものを超えて言えるものはありません。信仰は強くても、それは弱い人間の中にあるだからです。悲しみを乗り越えると言っても泣ける時間が必要であり、傷が回復するといっても痛む時間は必要です。信仰はその後に結ぶ結晶であります。   個人的には、ヨブが機械的な模範解答を言わずに座り込んで泣いていることが、かえって励ましになります。ヨブが特別な所に立っているのではなく、私たちと同じ所に立って苦しんでいるのが慰めです。ヨブの動揺がなければ、ヨブ記は苦しむ人間のためのテキストにはなりません。ヨブ記の主題は、ヨブの苦難や、それに対処するヨブの信仰ではなく、それを通って現れる神様の恵みです。ヨブが完全でないことは、ヨブが恵みの中にいるという励ましです。   痛みという現実は、信仰という理想と比較して非難されるものではありません。弱い肉体との相関関係の中で理解し、待たなければありません。責めることで信仰が立つことは見たことがないし、頑張れと言っても頑張る力はありません。泣かないてと言って悲しみが消えることではないからです。弱い肉体は苦痛に勝ち抜くための時間が必要であり、慰めが必要です。ヨブの絶望の言葉は、信仰に書き記すための序文と思われます。

욥기 QT4 211005화【이겨낼 수 없는 고통】욥기 3장 1~10

욥기 3장 1~103:1 그 후에 욥이 입을 열어 자기의 생일을 저주하니라3:2 욥이 말을 내어 가로되3:3 나의 난 날이 멸망하였었더라면, 남아를 배었다 하던 그 밤도 그러하였었더라면,3:4 그 날이 캄캄하였었더라면, 하나님이 위에서 돌아보지 마셨더라면, 빛도 그 날을 비취지 말았었더라면,3:5 유암과 사망의 그늘이 그 날을 자기 것이라 주장하였었더라면, 구름이 그 위에 덮였었더라면, 낮을 캄캄하게 하는 것이 그날을 두렵게…

ヨブ記 QT3 211004月【苦痛のスペクトラム】ヨブ記 2章 1~13

ヨブ記 2章 1~132:1 ある日、神の子らがやって来て、主の前に立った。サタンも彼らの中にやって来て、主の前に立った。2:2 主はサタンに言われた。「おまえはどこから来たのか。」サタンは主に答えた。「地を行き巡り、そこを歩き回って来ました。」2:3 主はサタンに言われた。「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように、誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっている者は、地上には一人もいない。彼はなお、自分の誠実さを堅く保っている。おまえは、わたしをそそのかして彼に敵対させ、理由もなく彼を吞み尽くそうとしたが。」2:4 サタンは主に答えた。「皮の代わりは、皮をもってします。自分のいのちの代わりには、人は財産すべてを与えるものです。2:5 しかし、手を伸ばして、彼の骨と肉を打ってみてください。彼はきっと、面と向かってあなたを呪うに違いありません。」2:6 主はサタンに言われた。「では、彼をおまえの手に任せる。ただ、彼のいのちには触れるな。」2:7 サタンは主の前から出て行き、ヨブを足の裏から頭の頂まで、悪性の腫物で打った。2:8 ヨブは土器のかけらを取り、それでからだを引っかいた。彼は灰の中に座っていた。2:9 すると、妻が彼に言った。「あなたは、これでもなお、自分の誠実さを堅く保とうとしているのですか。神を呪って死になさい。」2:10 しかし、彼は妻に言った。「あなたは、どこかの愚かな女が言うようなことを言っている。私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいも受けるべきではないか。」ヨブはこのすべてのことにおいても、唇によって罪に陥ることはなかった。2:11 さて、ヨブの三人の友が、ヨブに降りかかったこれらすべてのわざわいのことを聞き、それぞれ自分のところから訪ねて来た。すなわち、テマン人エリファズ、シュアハ人ビルダデ、ナアマ人ツォファルである。彼らはヨブに同情し、慰めようと、互いに打ち合わせて来た。2:12 彼らは遠くから目を上げて彼を見たが、それがヨブであることが見分けられなかった。彼らは声をあげて泣き、それぞれ自分の上着を引き裂き、ちりを天に向かって投げ、自分の頭の上にまき散らした。2:13 彼らは彼とともに七日七夜、地に座っていたが、だれも一言も彼に話しかけなかった。彼の痛みが非常に大きいのを見たからである。   ヨブは一瞬に財産と家族を失いました。しかしヨブは神様を恨まずに沈黙していました。サタンはさらにヨブの体を打つことを図ります。富と家族を失い、さらに健康まで損なわれるなら、望みを失ったヨブは間違いなく神様を呪って、信仰を捨てると思ったからです。サタンはヨブの健康を悪化させることに目的があるのではなく、ヨブの信仰を揺るがすことに目的があります。サタンは昔も今も人間の信仰をつまずかせることをあきらめていません。   ヨブの全身に悪性の腫物ができ、かゆみに耐えられなくなって土器のかけらで体に血が出るまで引っかいていました。神経にまで及ぶ痛みがヨブの全存在を苦しめました。ヨブの妻はヨブに、神を呪って死になさいと言います。彼女は希望を失い、絶望したからです。残ったのは恨みと怒りだけです。神様を呪うというのは、まず、神様の存在を認めなければならないのですから、神を呪って死になさいというのは、神様の存在理由と人生の目的が自分の幸福と必要の供給にとどまっていることを示します。崩れ落ちる心は理解しますが、神様への理解が愚かです。   生きることの目的は、幸せではなありません。もしそうであるならば不幸になった時に、神様も人生も価値のないものになってしまいます。生きることの第一の目的は、与えられた人生を最後まで生きることです。それが与えられた命のための最も丁寧な姿勢です。それができる人は、死をも丁寧に受け入れることができるようになります。ヨブは言いました。「あなたは、どこかの愚かな女が言うようなことを言っている。私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいも受けるべきではないか。」ヨブの神を認識するスペクトラムは、痛みと喪失までに拡張されています。   誰もが喜びと楽しみは望みますが、悲しみと苦しみを嬉しく思いません。しかし、人生の中にそれらは厳然と存在しています。良い天気と悪い天気はありません。晴れた日はもちろんいい天気ですが、だからといって曇りや雨の日が悪天候ではありません。それぞれの役割があります。喪失と孤独と悲しみと怒りという感情にも丁寧に接しなければなりません。口は心の窓です。ヨブはすべてが崩れ落ちている中、口で罪を犯さず、状況を受け入れています。ヨブは、状況に応じて、神様を変えず、神様を信じる信仰の中で、与えられた状況を受け入れています。