출애굽기 QT59 2106025금【물두멍에 손을 씻고】출애굽기 30장 17~38

출애굽기30장 17~3830:17 여호와께서 모세에게 일러 가라사대30:18 너는 물두멍을 놋으로 만들고 그 받침도 놋으로 만들어 씻게 하되 그것을 회막과 단 사이에 두고 그 속에 물을 담으라30:19 아론과 그 아들들이 그 두멍에서 수족을 씻되30:20 그들이 회막에 들어갈 때에 물로 씻어 죽기를 면할 것이요 단에 가까이 가서 그 직분을 행하여 화제를 여호와 앞에 사를 때에도 그리할지니라30:21 이와 같이…

出エジプト記 QT58 210624木【たましいの償い金】出エジプト記 30章1~16

出エジプト記 30章1~1630:1 また、香をたくための祭壇を作れ。 それをアカシヤ材で作る。30:2 長さ一キュビト、幅一キュビトの正方形で、その高さは二キュビトとする。祭壇から角が出ているようにする。30:3 祭壇の上面と、側面すべて、および角には純金をかぶせ、その周りには金の飾り縁を作る。30:4 また、その祭壇のために二つの金の環を作る。その飾り縁の下の両側に、相対するように作る。これは祭壇を担ぐ棒を通すところとする。30:5 その棒はアカシヤ材で作り、それに金をかぶせる。30:6 それを、あかしの箱をさえぎる垂れ幕の手前、わたしがあなたと会う、あかしの箱の上の『宥めの蓋』の手前に置く。30:7 アロンはその上で香りの高い香をたく。朝ごとにともしびを整え、煙を立ち上らせる。30:8 アロンは夕暮れにともしびをともすときにも、 煙を立ち上らせる。 これは、 あなたがたの代々にわたる、 主の前の常供の香のささげ物である。30:9 あなたがたはその上で、異なった香や全焼のささげ物や穀物のささげ物を献げてはならない。 また、 その上に、注ぎのぶどう酒を注いではならない。30:10 アロンは年に一度、その角の上で宥めを行う。その祭壇のために、罪のきよめのささげ物の、宥めのための血によって、彼は代々にわたり、年に一度、宥めを行う。これは主にとって最も聖なるものである。」30:11 主はモーセに告げられた。30:12 「あなたがイスラエルの子らの登録のためにその頭数を調べるとき、各人はその登録にあたり、自分のたましいの償い金を主に納めなければならない。これは、彼らの登録にあたり、彼らにわざわいが起こらないようにするためである。30:13 登録される者がそれぞれ納めるのは、これである。 聖所のシェケルで半シェケル。一シェケルは二十ゲラで、半シェケルが主への奉納物である。30:14 二十歳またそれ以上の者で、登録される者はみな、主にこの奉納物を納める。30:15 あなたがたのたましいのために宥めを行おうと、主に奉納物を納めるときには、 富む人も半シェケルより多く払ってはならず、 貧しい人もそれより少なく払ってはならない。30:16 イスラエルの子らから償いのための銀を受け取ったなら、それを会見の天幕の用に充てる。 こうしてそれは、イスラエルの子らにとって、 あなたがたのたましいに宥めがなされたことに対する、主の前での記念となる。 」   聖所に入る成人であれば誰でも半シェケルの「たましいの償い金」をささげました。半シェケルという金額は、固有のものであって貧しい人も富む人も同じです。イスラエルには礼拝の際に財政状況に応じてそのささげものが変わる配慮があったことを読みました。しかし、「たましいの償い金」にはそれの適用はありません。配慮がなくなったわけではなく、むしろ絶対的な権利を保障されたのです。半シェケルは高い金額でもありませんでした。誰でも同じに金額を出すということは、誰にでも同じ権利が与えられるということです。上下がありません。神様の前に立つ人には差別はありません。   「たましいの償い金」はイエス・キリストです。信じる人にイエス様の贖いの恵みは、誰にでも同じです。より高価でもなく、より安いものでもありません。聖所の「たましいの償い金」は、イエス様の時代に神殿税になりました。イエス様も半シェケルの神殿税を納めました。ペテロを通して魚の中から一シェケルを取り出し、二人分の神殿税を納めました。それが宗教権力によって不正に使わされなければ礼拝が営まれるところに用いられます。小さい半シェケルによって贖罪の恵みは、すべての人にそして継続的につながっていきます。

출애굽기 QT58 2106024목【생명의 속전】출애굽기 30장 1~16

출애굽기 30장 1~1630:1 너는 분향할 단을 만들지니 곧 조각목으로 만들되30:2 장이 일 규빗, 광이 일 규빗으로 네모 반듯하게 하고 고는 이 규 빗으로 하며 그 뿔을 그것과 연하게 하고30:3 단 상면과 전후 좌우면과 뿔을 정금으로 싸고 주위에 금테를 두를지며30:4 금테 아래 양편에 금고리 둘을 만들되 곧 그 양편에 만들지니 이는 단을 메는 채를 꿸 곳이며30:5…

出エジプト記 QT57 210623水【わたしが彼らのただ中に住むために】出エジプト記 29章38~46

出エジプト記 29章38~4629:38 祭壇の上に献げるべき物は次のとおりである。毎日絶やすことなく、一歳の雄の子羊二匹。29:39 朝、一匹の雄の子羊を献げ、 夕暮れに、もう一匹の雄の子羊を献げる。29:40 一匹の雄の子羊には、 上質のオリーブ油四分の一ヒンを混ぜた最良の小麦粉十分の一エパと、 また注ぎのささげ物としてぶどう酒四分の一ヒンが添えられる。29:41 もう一匹の雄の子羊は夕暮れに献げなければならない。これには、朝の穀物のささげ物や注ぎのささげ物を同じく添えて、献げなければならない。それは芳ばしい香りのためであり、主への食物のささげ物である。29:42 これは、主の前、会見の天幕の入り口での、あなたがたの代々にわたる常供の全焼のささげ物である。その場所でわたしはあなたがたに会い、その場所であなたと語る。29:43 その場所でわたしはイスラエルの子らと会う。そこは、わたしの栄光によって聖なるものとされる。29:44 わたしは会見の天幕と祭壇を聖別する。またアロンとその子らを聖別して、彼らを祭司としてわたしに仕えさせる。29:45 わたしはイスラエルの子らのただ中に住み、彼らの神となる。29:46 彼らは、わたしが彼らの神、主であり、彼らのただ中に住むために、彼らをエジプトの地から導き出したことを知るようになる。わたしは彼らの神、主である。   出エジプトして荒野に出たイスラエルの民は、500年前のエジプトに入って行ったヤコブの子孫です。彼らだけ荒野に出たことがありません。ヤコブも荒野にいきました。神様の人なら誰でも荒野に行かなければなりません。アブラハムもイサクもヤコブも、モーセもみな荒野の先輩たちです。しかし、先輩の荒野から学べることは、それほど多くありません。自分自身の荒野で自分の神様に出会わなければなりません。そういった信仰の主体性は、他のものと置き換えることができないものです。私の中に私の神様がおられるのかを点検しなければなりません。   乾いた風が吹いて来る荒野に入ると神様との対話が始まります。それが信仰の実際です。荒野をヘブライ語でミッドバル(מדבר)といいます。ミッドバルは荒野という意味の名詞ですが、このミッドバルは語るという意味の動詞であるダバル(דבר)からきたものです。荒野と言葉は何の関連があるのでしょうか?荒野で言葉を聞こえたからです。耳ともっているということで聞こえることではありません。人間が低くなると神様の言葉が聞こえます。   ヤコブは幼いの頃、自分の荒野であるベテルで石の枕をして夜を過ごしました。ヤコブはその父イサクの神ではなく、祖父アブラハムの神ではなく、自分の神に出会って会話を始めます。何も頼ることがない時、私の神と話しが始まるということです。神様に出会うことに専門家はありません。人から離れて荒野に一人で立ったとき、神様との対話が始まります。   「ヤコブは誓願を立てた。「神が私とともにおられて、私が行くこの旅路を守り、食べるパンと着る衣を下さり、無事に父の家に帰らせてくださるなら、主は私の神となり、石の柱として立てたこの石は神の家となります。私は、すべてあなたが私に下さる物の十分の一を必ずあなたに献げます。創8:20-22」この言葉は、ヤコブがラバンの家を離れ、エサウと和解し、故郷に帰っていくことで、成就されました。   より大きな意味では、500年後にイスラエルが出エジプトしてカナンに入るとこで民族的次元で成就されます。そして、究極的には神様と救いと信仰の契約を結んだすべての人々によって、霊的な次元で達成されます。私の救いの理由は、神が私とともにおられるためです。ヤコブはそれ誓願し、神様はヤコブはそれをお互いに約束し、神様はそれを守られ、成し遂げられました。   今日の本文は「わたしはイスラエルの子らのただ中に住み、彼らの神となる。彼らは、わたしが彼らの神、主であり、彼らのただ中に住むために、彼らをエジプトの地から導き出したことを知るようになる。わたしは彼らの神、主である。29:45,46」としました。信仰の生活は、神様が私の中におられるようにすることです。それが目標です。神様によって救われたのは、神様が私の中におられ、私が神様の中のおり、神様の民になるためです。

출애굽기 QT57 2106023수【내가 그들 중에 거하려고】출애굽기 29장 38~46

출애굽기 29장 38~4629:38 네가 단 위에 드릴 것은 이러하니라 매일 일년 된 어린 양 두 마리니29:39 한 어린 양은 아침에 드리고 한 어린 양은 저녁 때에 드릴지며29:40 한 어린 양에 고운 밀가루 에바 십분 일과 찧은 기름 힌의 사분 일을 더하고 또 전제로 포도주 힌의 사분 일을 더할지며29:41 한 어린 양은 저녁 때에 드리되 아침과…

出エジプト記 QT56 210622火【祭祀の委任式に現われるキリスト】出エジプト記 29章10~37

出エジプト記 29章10~3729:10 あなたは雄牛を会見の天幕の前に近づかせ、アロンとその子らはその雄牛の頭に手を置く。29:11 あなたは会見の天幕の入り口で、主の前で、その雄牛を屠り、29:12 その雄牛の血を取り、あなたの指でこれを祭壇の四隅の角に塗る。その血はみな祭壇の土台に注ぐ。29:13 その内臓をおおうすべての脂肪、肝臓の小葉、二つの腎臓とその上の脂肪を取り出し、これらを祭壇の上で焼いて煙にする。29:14 その雄牛の肉と皮と汚物は宿営の外で火で焼く。 これは罪のきよめのささげ物である。29:15 また、一匹の雄羊を取り、アロンとその子らはその雄羊の頭に手を置く。29:16 その雄羊を屠り、その血を取り、これを祭壇の側面に振りかける。29:17 また、その雄羊を各部に切り分け、その内臓とその足を洗い、これらをほかの部位や頭と一緒にし、29:18 その雄羊を全部、祭壇の上で焼いて煙にする。これは主への全焼のささげ物で、主への芳ばしい香り、食物のささげ物である。29:19 もう一匹の雄羊を取り、アロンとその子らはその雄羊の頭に手を置く。29:20 その雄羊を屠り、その血を取って、アロンの右の耳たぶと、その子らの右の耳たぶ、また彼らの右手の親指と右足の親指に塗り、その血を祭壇の側面に振りかける。29:21 祭壇の上の血と、注ぎの油を取って、それをアロンとその装束、彼とともにいるその子らとその装束にかける。こうして、彼とその装束、彼とともにいるその子らとその装束は聖なるものとなる。29:22 次に、その雄羊の脂肪、あぶら尾、内臓をおおう脂肪、肝臓の小葉、二つの腎臓とその上の脂肪、また右のももを取る。これは任職の雄羊である。29:23 また、主の前にある種なしパンのかごから、円形パン一つと、油を混ぜた輪形パン一つと、薄焼きパン一つを取る。29:24 そして、そのすべてをアロンの手のひらとその子らの手のひらに載せ、奉献物として主の前で揺り動かす。29:25 それらを彼らの手から取り、全焼のささげ物とともに、主の前の芳ばしい香りとして祭壇の上で焼いて煙にする。これは主への食物のささげ物である。29:26 アロンの任職のための雄羊の胸肉を取り、これを奉献物として主に向かって揺り動かす。これは、あなたの受ける分となる。29:27 アロンとその子らの任職のための雄羊の、奉献物として揺り動かされた胸肉と、奉納物として献げられたもも肉とを聖別する。29:28 それは、 アロンとその子らがイスラエルの子らから受け取る永遠の割り当てとなる。それは奉納物である。それはイスラエルの子らからの交わりのいけにえの奉納物、主への奉納物であるから。29:29 アロンの聖なる装束は彼の跡を継ぐ子らのものとなり、彼らはこれを着けて油注がれ、これを着けて祭司職に任命される。29:30 彼の子らのうちで、彼に代わって聖所で務めを行うために会見の天幕に入る祭司は、 七日間、これを着る。29:31 あなたは任職のための雄羊を取り、聖なる所でその肉を煮なければならない。29:32 アロンとその子らは会見の天幕の入り口で、その雄羊の肉と、かごの中のパンを食べる。29:33 彼らは、自分たちを任職し聖別するため、宥めに用いられたものを食べる。一般の者は食べてはならない。これらは聖なるものである。29:34 もし任職のための肉またはパンが朝まで残ったなら、その残りは火で燃やす。食べてはならない。これは聖なるものである。29:35 わたしがあなたに命じたすべてにしたがって、このようにアロンとその子らに行え。七日間、 任職式を行わなければならない。29:36 毎日、宥めのために、 罪のきよめのささげ物として雄牛一頭を献げる。あなたはその上で宥めを行い、その祭壇から罪を除く。聖別するためにそれに油注ぎをする。29:37 七日間、祭壇のために宥めを行い、それを聖別する。祭壇は最も聖なるものとなる。 祭壇に触れるものはすべて、聖なるものとなる。   祭司を委任するために若い雄牛一頭と傷のない雄羊二匹、油を混ぜた種なしパンを小麦粉で作り、かごに入れて準備しなければなりませんでした。その上に油を塗ります。ささげられるささげものに傷があってはならない、穀物も良いもので細かく砕いたものでなければありません。それは祭司のためではなく、神様にささげるものだからです。   準備が終わったら、祭司は洗って服を着ます。委任式という儀式で人ができることは、体を洗うことと服を着ることです。中身は変えられません。中身は、血を流すささげものです。そうでなければ、祭司は委任を受ける前にいのちを落とします。委任は祭司の努力や意志によってできることではありません。委任を受ける祭司はささげものになる獣に按手します。牛と羊に按手することで自分の罪を転嫁します。牛や羊が代わりに死に、祭司の罪が贖われなければなりません。   その方法しかありません。罪の代価は必ず伴います。按手をしたささげものを取り、血を祭壇に振りかけ、油で祭壇の上で焼きます。この旧約時代の祭司の委任式にイエス・キリストが現われます。それは服を着ている祭司ではなく、血を流し、罪を負って死んだささげものです。祭司はイエス・キリストの流した血によって、礼拝を執り行う職に委任されるのです。これを一週間行うことによって、恐れとともにその意味を心に刻みます。   祭司は不完全な人であり、獣の血を流す犠牲も完全なものはありません。獣の血は、キリストが来られることを予示する一時的手段に過ぎません。教会のすべての職がイエス・キリストの流された血の犠牲の意味に立ち返るとき、教会は神様のものとして回復されて、民の礼拝は、人ではなくイエス・キリストの血によって、神様の前に進むことができます。ファンタキリスト!(πανταΧριστοζ;キリストがすべて)どんなものでもキリストを通してであれば神様に届きます。

출애굽기 QT56 2106022화【제사장의 위임식에 나타난 그리스도】출애굽기29장 10~37

출애굽기29장 1~929:10 너는 수송아지를 회막 앞으로 끌어 오고 아론과 그 아들들은 그 송아지 머리에 안수할지며29:11 너는 회막문 여호와 앞에서 그 송아지를 잡고29:12 그 피를 네 손가락으로 단 뿔들에 바르고 그 피 전부를 단 밑에 쏟을지며29:13 내장에 덮인 모든 기름과 간 위에 있는 꺼풀과 두 콩팥과 그 위의 기름을 취하여 단 위에 불사르고29:14 그 수소의 고기와…

出エジプト記 QT55 210621月【祭祀の委任】出エジプト記 29章 1~9

出エジプト記 29章 1~929:1 彼らを聖別し祭司としてわたしに仕えさせるために、彼らになすべきことは次のことである。若い雄牛一頭、傷のない雄羊二匹を取れ。29:2 また、種なしパン、油を混ぜた種なしの輪形パン、油を塗った種なしの薄焼きパンを取れ。これらは最良の小麦粉で作る。29:3 これらを一つのかごに入れ、そのかごと一緒に、先の一頭の雄牛と二匹の雄羊を連れて来る。29:4 アロンとその子らを会見の天幕の入り口に近づかせ、水で彼らを洗う。29:5 装束を取り、長服と、エポデの下に着る青服と、エポデと胸当てをアロンに着せ、エポデのあや織りの帯を締める。29:6 彼の頭にかぶり物をかぶらせ、そのかぶり物の上に聖なる記章を付ける。29:7 注ぎの油を取って彼の頭に注ぎ、彼に油注ぎをする。29:8 それから彼の子らを連れて来て、彼らに長服を着せる。29:9 アロンとその子らに飾り帯を締め、ターバンを巻く。永遠の掟によって、祭司の職は彼らのものとなる。あなたはアロンとその子らを祭司職に任命せよ。ださるからからです。神様の力は、今担っているそれを通して現われなければなりません。   祭司の委任式に関する規定です。アロンとその子たちを水で洗い、祭司の服を着せ、ささげものをささげ、彼らをきよめられました。神様による祭司の選抜において、誰が祭司になれるのかという基準についてはわかりません。順序と言うなら、きよい人を呼び出して、祭司とされたのではなく、まず、神様が召され、その後、それをきよめ、祭司の職を委任されます。これが召しに対する正しい理解です。   イスラエルの民が敬虔だから救われたのではなく、神様が救ってくださって過越祭を経験し、紅海を渡ったのです。契約と律法は、その後に与えられました。人の敬虔と熱心がある以前に必ず神様の恵みがあります。神様の恵みが先です。道徳的な意味で十分な資格の持った人が祭司試験に経て祭司になるのではなく、召された人をきよめその職を委ねます   ささげものといて雄牛と羊二匹が必要です。祭司もささげものに頼って自分の罪を断罪し、それにより、義と認めなければ祭祀の職務を遂行することができるからです。職務が異なるだけ、祭司であれ民であれ罪深い人間の属性が変わりません。祭司も変わらず罪犯すべき弱い存在です。   しかし、彼らは、その職務の重さのために、より慎重でなければなりません。祭祀は自分が着ている服を毎日確認します。そしてそれに相応しいものになっていきます。神様が祭司に、より高い基準を要められるのは、祭司のためのものではなく、民のためです。神様はご自身の民のために祭司に礼拝の職を委任されたからです。使命のあるものはある日突然立てられるものではなく、召されてから作られていくものです。それが召しに応えて生きることではないでしょうか。

출애굽기 QT55 2106021월【제사장 위임】출애굽기29장 1~9

출애굽기29장 1~929:1 너는 그들에게 나를 섬길 제사장 직분을 위임하여 그들로 거룩하게 할 일이 이러하니 곧 젊은 수소 하나와 흠 없는 수양 둘을 취하고29:2 무교병과 기름 섞인 무교 과자와 기름 바른 무교 전병을 모두 고운 밀가루로 만들고29:3 그것들을 한 광주리에 담고 그것을 광주리에 담은채 그 송아지와 두 양과 함께 가져 오고29:4 너는 아론과 그 아들들을 회막…

出エジプト記 QT54 210618金【祭祀の服】出エジプト記 28章 1~14

出エジプト記 28章 1~1428:1 あなたは、イスラエルの子らの中から、あなたの兄弟アロンと、彼とともにいる彼の息子たちのナダブとアビフ、エルアザルとイタマルをあなたの近くに来させ、祭司としてわたしに仕えさせよ。28:2 また、あなたの兄弟アロンのために、栄光と美を表す聖なる装束を作れ。28:3 あなたは、わたしが知恵の霊を満たした、心に知恵ある者たちに告げて、彼らにアロンの装束を作らせなさい。 彼を聖別し、祭司としてわたしに仕えさせるためである。28:4 彼らが作る装束は次のとおりである。胸当て、エポデ、青服、市松模様の長服、かぶり物、飾り帯。彼らは、あなたの兄弟アロンとその子らが、祭司としてわたしに仕えるために、 聖なる装束を作る。28:5 彼らは、金色、青、紫、緋色の撚り糸、それに亜麻布を受け取る。28:6 彼らに、金色、青、紫、緋色の撚り糸、それに撚り糸で織った亜麻布を用いて、意匠を凝らしてエポデを作らせる。28:7 二つの肩当てが、それぞれエポデの両端に付けられ、エポデは一つに結ばれる。28:8 エポデの上に来るあや織りの帯はエポデと同じ作りで、金色、青、紫、緋色の撚り糸、それに撚り糸で織った亜麻布を用い、エポデの一部となるようにする。28:9 二つの縞めのうを取り、その上にイスラエルの息子たちの名を刻む。28:10 六つの名を一つの石に、残りの六つの名をもう一つの石に、生まれた順に刻む。28:11 印章を彫る宝石細工を施して、イスラエルの息子たちの名をその二つの石に彫り、それぞれを金縁の細工の中にはめ込む。28:12 その二つの石をエポデの肩当てに付け、イスラエルの息子たちが覚えられるための石とする。アロンは主の前で、彼らの名が覚えられるように両肩に載せる。28:13 あなたは金縁の細工を作り、28:14 また二本の純金の鎖を作り、これを編んでひもとし、このひもの鎖を先の細工に取り付ける。   泥酔してよろよろ歩く軍人に制服を着せると、まっすぐ歩くという話があります。軍人であることは変わりありませんが、制服があるかどうかによってその軍人の態度と姿勢が変わります。資格と能力がある人に、それにふさわしい職を与えるという意味では、役割を担える能力の検証が不可欠ですが、ほとんどの場合、現実的に服を着た後からその服にふさわしい人になっていく過程を踏みます。   ある日突然人は親になります。親と子どもが一緒に生活しながら、親は少しずつ親になっていきます。誰も聖書を教えることも、人を導くこともできませんが、それをしているうちに気づき、悟り、一緒に成長していきます。神学校を卒業して牧師按手を受けたからといってら特別な能力があるわけではありません。教会が定めた過程を踏んだだけです。多くの人が専門分野を学びますが、それで専門的な知識や資格を備えるのではなく、その分野で奉仕する準備をしたことに過ぎません。高慢になれない理由です。服を着てから、その服に合う中身をを作って行きます。   今日の本文は、祭司の服装に関する規定について語っています。職務の任命について聖書から発見される原則は、「自願」ではなく「選抜」です。神様が選択し、召し、任命し、遣わされます。神様の国の人事は、神様の固有の権限です。人の従順というのは、召しを聞かなければできないことです。人が神様に多くのことをするのではなく、神様の召しを聞いてから、それに従うことです。神様の方からの選出だからです。   神様はモーセに、アロンとその子らに祭司職をすると命じられました。なぜアロンなのかはわかりません。しかし、神様が召され、遣わされるときには、賜物も一緒に与えて遣わされます。賜物があるから従うのではなく、聞き従っていくうちに賜物が与えられます。知恵が与えられ、力が与えられ、必要な財政が与えられ、同労者が与えられ、時が与えられます。ですから無能の人を用いて、神様の御業を成し遂げられます。   すべての職は、神様の御旨にそって立てられます。人の能力によって選抜されたものではなく、服を着せてから能力が与えられるのです。どのような役割でも、それは、神様から与えられたものであり、それは、自分が持っている技術や能力ではなく、「 私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです。4:27」のピリピ人への手紙のパウロの告白のようなものです。   このようなパウロの告白は、書簡全体に一貫しています。Ⅰコリントでは、「同じ一つの御霊がこれらすべてのことをなさるのであり、御霊は、みこころのままに、一人ひとりそれぞれに賜物を分け与えてくださるのです。12:11」エペソでは、「私は、神の力の働きによって私に与えられた神の恵みの賜物により、この福音に仕える者になりました。3:7」テモテは「私は、私を強くしてくださる、私たちの主キリスト・イエスに感謝しています。キリストは私を忠実な者と認めて、この務めに任命してくださったからです。1:12」   ですから、任せられた者に求められのは忠誠です。神様は小さなことに忠実な者に大きなことを任せられると言われました。多分忠実な人は多くのことをするようになります。しかし、それが恐くないのは、それを担える力を与えてくださるからからです。神様の力は、今担っていることを通して現われなければなりません。