시편 QT11 2106012토【터가 무너지면】시편 11편 1~7

시편 11편 1~711:1 내가 여호와께 피하였거늘 너희가 내 영혼더러 새 같이 네 산으로 도망하라 함은 어찜인고11:2 악인이 활을 당기고 살을 시위에 먹임이여 마음이 바른 자를 어두운 데서 쏘려 하는도다11:3 터가 무너지면 의인이 무엇을 할꼬11:4 여호와께서 그 성전에 계시니 여호와의 보좌는 하늘에 있음이여 그 눈이 인생을 통촉하시고 그 안목이 저희를 감찰하시도다11:5 여호와는 의인을 감찰하시고 악인과 강포함을…

詩篇 QT10 210611金【神様の不在について】詩篇 10篇 1~18

詩篇 10篇 1~1810:1 主よなぜあなたは遠く離れて立ち苦しみのときに身を隠されるのですか。10:2 悪しき者は高ぶって苦しむ人に追い迫ります。彼らが自分の企みに捕らえられますように。10:3 悪しき者は自分自身の欲望を誇り貪欲な者は主を呪い侮ります。10:4 悪しき者は高慢を顔に表し神を求めません。「神はいない。」これが彼の思いのすべてです。10:5 彼の道はいつも栄えあなたのさばきは高すぎて彼の目に入りません。敵という敵を彼は吹き飛ばしてしまいます。10:6 彼は心の中で言っています。「私は揺るがされることがなく代々にわたってわざわいにあわない。」10:7 彼の口は呪いと欺きと虐げに満ち舌の裏にあるのは害悪と不法です。10:8 彼は村外れの待ち伏せ場に座り隠れた所で咎なき者を殺します。彼の目は不幸な人をひそかに狙っています。10:9 茂みの中の獅子のように隠れ場で待ち伏せます。苦しむ人を捕らえようと待ち伏せ苦しむ人を網にかけて捕らえてしまいます。10:10 彼の強さに不幸な人は砕かれ崩れ倒れます。10:11 彼は心の中で言っています。「神は忘れているのだ。顔を隠して永久に見ることはないのだ。」10:12 主よ立ち上がってください。神よ御手を上げてください。どうか貧しい者を忘れないでください。10:13 何のために悪しき者は神を侮るのでしょうか。彼は心の中であなたが追及することはないと言っています。10:14 あなたは見ておられました。労苦と苦痛をじっと見つめておられました。それを御手の中に収めるために。不幸な人はあなたに身をゆだねます。みなしごはあなたがお助けになります。10:15 悪しき者と邪悪な者の腕を折りその悪を探し出して一つも残らないようにしてください。10:16 主は世々にわたって永遠の王。国々は主の地から滅び失せました。10:17 主よあなたは貧しい者たちの願いを聞いてくださいます。あなたは彼らの心を強くし耳を傾けてくださいます。10:18 みなしごと虐げられた者をかばってくださいます。地から生まれた人間がもはや彼らをおびえさせることがないように。   詩人は、悪がはびこる世界で神様の介入を望んでもいますが、まるで神様が遠くにいるようで、隠れておられるように感じます。だから悪人はさらに高ぶり、信仰を蔑み、嘲笑します。悪人は自分の生き方を通して神様がいないことを示そうとします。良心の呵責もなく悪を行い、神様の存在を否定します。信仰者はそのような世と一緒に生き、それを目撃するのです。信仰よりも、いま置かれている状況が先に私たちを支配するために、悪人が勢力を伸ばしている現実をみると、まるで神様がいないように思われます。そのような現実に立っている詩人は神様の不在に対して、神様の顕現を嘆願します。   しかし、詩人の嘆願には、世の富と力が優れたものという前提があります。自分に良いものはなく、悪人が良いものを持っているということです。しかし、神様のいないいかなるものも祝福にはなりません。悪人が栄えるように見えますが、彼らは幸せになりません。嘆息する詩人においても栄えている悪人においても神様の不在は苦しみです。憐れみが必要ではない人間はいません。神様を証明することは、現実に見える結果ではなく、状況に揺れず、神様を求めていく信仰です。信仰がなければ、神様を証明する唯一な方法はなくなります。   神はいないと思って欲と悪を行う人々の中にはもちろん神様はおられません。しかし、それらに屈服し、信仰を疑い、不安を抱いている信仰も神が不在するのは同じです。問題は、悪人ではなく、信仰です。詩人は悪人の成功と脅威に屈せず、最終的なさばき主である神様への信仰を確信しています。神様は力ないもの、みなしごと虐げられた者の側に立ちます。神様は人間がもっている能力のよって区分せず、弱い者に対する憐れみをもって現われます。   人間の目には変わらず不条理があり、納得できない矛盾が存在します。悪は成功し、信仰は苦しみます。そこで私たちは、なぜという質問をせざるえないのですが、なぜという質問の中には、人間が立てた前提があります。悪は死に信仰が勝たなければならないという私たちの前提です。しかし、信仰と義も力を持つと悪を行います。人間は神様の前に正解を決めつけることはできません。信仰は御言葉に従って、それを追い求めていくことです。神様に対し、世の中に対し、結論を出しません。変わらず未知の世の中、神様がいないと思われる世の中で揺れることなく、信仰を追い求めていく信仰の顕現を希望します。

시편 QT10 2106011금【하나님의 부재에 대하여】시편 10편 1~18

시편 10편 1~1810:1 여호와여 어찌하여 멀리 서시며 어찌하여 환난 때에 숨으시나이까10:2 악한 자가 교만하여 가련한 자를 심히 압박하오니 그들이 자기가 베푼 꾀에 빠지게 하소서10:3 악인은 그의 마음의 욕심을 자랑하며 탐욕을 부리는 자는 여호와를 배반하여 멸시하나이다10:4 악인은 그의 교만한 얼굴로 말하기를 여호와께서 이를 감찰하지 아니하신다 하며 그의 모든 사상에 하나님이 없다 하나이다10:5 그의 길은 언제든지 견고하고…

詩篇 QT9 210610木【貧しい人について】詩篇 9篇 11~20

詩篇 9篇 11~209:11 主にほめ歌を歌えシオンに住まうその方に。主のみわざを告げ知らせよ国々の民に。9:12 血に報いる方は彼らを心に留め貧しい者の叫びをお忘れにならない。9:13 主よ私をあわれんでください。私を憎む者から来る私の苦しみをご覧ください。死の門から私を引き上げてくださる方よ。9:14 私はあなたのすべての誉れを語り告げるため娘シオンの城門であなたの救いに歓声をあげます。9:15 国々は自分で作った穴に陥り自分で隠した網に足を取られる。9:16 主はご自身を知らしめさばきを行われた。悪しき者は自分の手で作った罠にかかった。ヒガヨンセラ9:17 悪しき者はよみに帰って行く。神を忘れるあらゆる国々も。9:18 貧しい者は決して忘れられることがなく苦しむ者の望みは永遠に失せることがない。9:19 主よ立ち上がり人間が勝ち誇らないようにしてください。国々が御前でさばかれるようにしてください。9:20 主よ彼らに恐れを起こさせ国々に思い知らせてください。自らが人間にすぎないことを。セラ   誠実かつ一生懸命に勉強し、働いた人に対して、それ相応の報いと補償が与えられるのは当然なことです。公平や平等という名目で、個人の努力と成果が蔑視され非難されてはなりません。しかし、自分の成果の達成を単に自分の努力であると考えるのも誤解です。富んだものは懸命に働いたと思いますが、一方では時代という恵みの上で与えられたものでもあります。誰も自分で時代を作った人はいません。かつては、夜明けに起き、夜明けまで仕事しても家族を養うことができないほど、絶対的な貧困の時代がありました。彼らは今よりもはるかにたくさん働きましたが、今よりはるかに貧しかったのです。それは今も同じです。地球上には12億の人口が毎日の食べ物がなく餓死寸前にあります。幼い子どもまでもが労働しますが、食べものは与えられません。いわゆる先進国、豊かな国もそれは変わりありません。食べものはありますが、問題なのは、それが常にどこかに片寄るということです。貧困は消えず場所を移動しても存在しています。   富が個人の努力であることを認めつつ、社会的な支えや時代の恩恵であることも認めざるを得ないのであれば、貧困の責任も個人の無能と怠惰にその完全な原因を置くことはできません。憐れみ深い神様は、すべての時代に、すべての人に必要な食べものを与えてくださいます。ただし、神様は、それを社会に与えられます。それを善用して多くの人に神様が愛が届かれることを望んでおられます。ですから神様は私たちに愛を求めておられます。愛がなければ分配はできません。愛がなければ、神様の恵みがこの地において不均衡を生み出すことになります。二極化してしまうと、階層移動の通路は狭くなり、社会的な機会は奪われます。経済的な貧困層は、そこから逃れられなく、経済的な既得層は貪欲の構造をより堅くします。これは神様への背任横領ではないでしょうか。貧しい者にパンを与えることも、仕事の機会を与えることも、高度の知的社会の中で勉強する機会を与えることも神様の恵みの届けです。勉強というのは、いつも順位を決めます。成績が食べることの権利を定めてはなりません。各自の才能と賜物が発揮されることができる機会が与えられることも届けるべき神様の恵みです。神様は、社会にそれを委任しており、私たちにはその責任があります。

시편 QT9 2106010목【가난한 사람에 대하여】시편 9편 11~20

시편 9편 11~209:11 너희는 시온에 거하신 여호와를 찬송하며 그 행사를 백성 중에 선포할지어다9:12 피 흘림을 심문하시는 이가 저희를 기억하심이여 가난한 자의 부르짖음을 잊지 아니하시도다9:13 여호와여 나를 긍휼히 여기소서 나를 사망의 문에서 일으키시는 주여 미워하는 자에게 받는 나의 곤고를 보소서9:14 그리하시면 내가 주의 찬송을 다 전할 것이요 딸 같은 시온의 문에서 주의 구원을 기뻐하리이다9:15 열방은 자기가…

詩篇 QT8 210609水【勝利の道】詩篇 9篇 1~10

詩篇 9篇 1~109:1 心を尽くして私は主に感謝をささげます。あなたの奇しいみわざのすべてを語り告げます。9:2 私はあなたを喜び誇ります。いと高き方よあなたの御名をほめ歌います。9:3 私の敵は退くとき御前でつまずきついえます。9:4 あなたが私の正しい訴えを聞かれるからです。義の審判者として王座に着いておられるからです。9:5 あなたは国々を叱り悪しき者を滅ぼし彼らの名をとこしえに消し去られました。9:6 敵は絶え果てました。──永遠の廃墟あなたが根こそぎにされた町々──彼らの記憶さえ消え失せました。9:7 しかし主はとこしえに御座に着きさばきのために王座を堅く立てられた。9:8 主は義によって世界をさばき公正をもってもろもろの国民をさばかれる。9:9 主は虐げられた者の砦苦しみのときの砦。9:10 御名を知る者はあなたに拠り頼みます。主よあなたを求める者をあなたはお見捨てになりませんでした。   9篇は、ダビデがアンモンとの戦争で勝ったときの恵みを賛美したものです。困難の時の祈りの言語は切実ですが、緊急事態が終わったら感謝の言語が乏しくなってしまうことを経験します。しかし、ダビデは勝ち負けは神様の御手にあることを信じ、それを覚えて記録しています。   本文で神様は弁護士でもあり、裁判長でもあります。弁護士や裁判官は、弁護と判決を任意で行いません。法と正義に基づいて弁護し判決します。ですから、ダビデが神様を呼ぶとき、自分の弁護士は、自分の義裁判長としたのは、ダビデが神様に基づいているということです。   私たちの祈りが真実なものであるならば、確かに祈りというのは自分の思いから離れ、神様の方に移り変わっていきます。神様を自分の方に引き込むのではなく、自分が神様の方に立ち返るのです。これが神様を信じることと、自分が信じたいことを信じることの違いです。   神様が私の味方になって自分が憎むものを滅ぼしていくのではなくて、神様の言葉に基づいて、神様の正義と法に立ち返るときにはじめて、神様は頼るべき弁護士とにり、義なる裁判官となられます。そのような人は、神様の道具となって打ち勝つことができます。

시편 QT8 210609수【이기는 길】시편 9편 1~10

시편 9편 1~109:1 내가 전심으로 여호와께 감사하오며 주의 모든 기사를 전하리이다9:2 내가 주를 기뻐하고 즐거워하며 지극히 높으신 주의 이름을 찬송하리니9:3 내 원수들이 물러갈 때에 주의 앞에서 넘어져 망함이니이다9:4 주께서 나의 의와 송사를 변호하셨으며 보좌에 앉으사 의롭게 심판하셨나이다9:5 열방을 책하시고 악인을 멸하시며 저희 이름을 영영히 도말하셨나이다9:6 원수가 끊어져 영영히 멸망하셨사오니 주께서 무너뜨린 성읍들을 기억할 수 없나이다9:7…

詩篇 QT7 210608火【神様を見つけるところ】詩篇 8篇 1~9

詩篇 8篇 1~98:1 主よ私たちの主よあなたの御名は全地にわたりなんと力に満ちていることでしょう。あなたのご威光は天でたたえられています。8:2 幼子たち乳飲み子たちの口を通してあなたは御力を打ち立てられました。あなたに敵対する者に応えるため復讐する敵を鎮めるために。8:3 あなたの指のわざであるあなたの天あなたが整えられた月や星を見るに8:4 人とは何ものなのでしょう。あなたが心に留められるとは。人の子とはいったい何ものなのでしょう。あなたが顧みてくださるとは。8:5 あなたは人を御使いよりわずかに欠けがあるものとしこれに栄光と誉れの冠をかぶらせてくださいました。8:6 あなたの御手のわざを人に治めさせ万物を彼の足の下に置かれました。8:7 羊も牛もすべてまた野の獣も8:8 空の鳥海の魚海路を通うものも。8:9 主よ私たちの主よあなたの御名は全地にわたりなんと力に満ちていることでしょう。   8篇は神論と人間論の理解において重要な詩篇です。本やインターネットなどで8篇について調べてみると、たくさんの資料が出てきます。関心を持って読んでいただければと思います。ですから、ここでは、その観点については省略しダビデの霊性と感性について考えてみたいと思います。余計に難しい神学的な言語は魅力ないですが、ダビデの詩の言語はうらやましいものだからです。   最近星空を見たのはいつでしょうか?地面を見つめ、ため息を吐きながら生き、空を見上げても、天が崩れるような心配の中で生きます。しかし、何も持っていませんが、原野に寝転んで夜空を眺めながら、神様の栄光を見つける人もいます。ダビデは日が沈んだ原野から広大な空を眺めました。詩人が、草と風一本の日常を読み取り、それに詩で書くように、信仰は、いつもと同じ日常の中から神様を見つけ、それを告白するものです。   「神様、助けてください」という祈りはできますが、日常から見ること、聞くこと、感じることで神様を発見することができなければ、神様は存在しても、自分の生活の中では、ただすれ違ってしまう存在となります。気付いてない、もしくは表現しないなら、それは埋もれたままで、表に現れません。それは悔しいことです。人間は信じていることを表現したく、洞窟に絵を描き始めました。宗教と芸術は生まれが同じです。考えずに、悩まずに、振り返って黙想せずに、神様を発見し、表現することはできません。すべての人は、知的、理性的、合理的である前に、みなの芸術的です。   証しというのは、神様がされた特殊な出来事ではなく、日常の中で神様を見つけ、それを表わす人のものです。誰かの言葉や文章をまるで電子レンジで温めて食べるようなインスタント霊性では、神様の深さに至ることができません。ユーチューブなどに神様がおられるのではなく、すでに自分の中に神様はおられます。それを引き出す人が証しを所有するものになります。   確信しますが、考える信仰、表わす信仰共同体の実現ができれば -その方法については、まだ知りませんが -神様への献身は絶たなくなるものだと思います。信仰の文章を書きましょう。それは文章を書くことを仕事にする人だけがするものではありません。自分の言語で表現しなければ、自分の信仰の根拠を見つかることもできないからです。8篇が言う神様の御手で造られたすべてのものの中で、神様は、信仰を告白するダビデの口をさらに愛しておられたのではないでしょうか。

시편 QT7 210608화【하나님을 발견하는 곳】시편 8편 1~9

시편 8편 1~98:1 여호와 우리 주여 주의 이름이 온 땅에 어찌 그리 아름다운지요 주의 영광을 하늘위에 두셨나이다8:2 주의 대적을 인하여 어린 아이와 젖먹이의 입으로 말미암아 권능을 세우심이여 이는 원수와 보수자로 잠잠케 하려 하심이니이다8:3 주의 손가락으로 만드신 주의 하늘과 주의 베풀어 두신 달과 별들을 내가 보오니8:4 사람이 무엇이관대 주께서 저를 권고하시나이까8:5 저를 천사보다 조금 못하게 하시고…

詩篇 QT6 210607月【自信の根拠】詩篇 7篇 1~17

詩篇 7篇 1~177:1 私の神主よ私はあなたに身を避けます。どうか追い迫るすべての者から私を救い助け出してください。7:2 彼らが獅子のように私のたましいを引き裂き助け出す者もなくさらって行かないように。7:3 私の神主よもしも私がこのことをしたのならもしも私の手に不正があるのなら7:4 もしも私が親しい友に悪い仕打ちをしたのならまた私に敵対する者からゆえなく奪ったのなら7:5 敵が私のたましいに追い迫り追いつき私のいのちを地に踏みにじるようにし私の栄光をちりの中に埋もれさせてください。セラ7:6 主よ御怒りをもって立ち上がり私の敵の激しい怒りに対してご自身を高くし私のために目を覚ましてください。あなたはさばきを定められました。7:7 国民の群れをあなたの周りに集めその上の高いみくらにお帰りください。7:8 主は諸国の民にさばきを行われます。私の義と私にある誠実にしたがって主よ私をさばいてください。7:9 どうか悪しき者の悪が後を絶ちあなたが正しい者を堅く立てられますように。正しい神は心の深みまで調べられます。7:10 私の盾は神にあり神は心の直ぐな人を救われます。7:11 神は正しい審判者日々憤る神。7:12 立ち返らない者には剣を研ぎ弓を張って狙いを定められます。7:13 その者に向かって死の武器を構えその矢を燃える火矢とされます。7:14 見よその者は不法を宿し害悪をはらみ偽りを産んでいます。7:15 彼は穴を掘ってそれを深くし自分が作った穴に落ち込みます。7:16 その害悪は自分の頭上に戻りその暴虐は自分の脳天に下ります。7:17 私は主をほめたたえます。その義にふさわしく。いと高き方主の御名をほめ歌います。   ダビデは神様に救いを訴えています。神様の救いでなければ、この危機から逃れる道はありません。それとともにダビデは自分が何か罪を犯したなら、救いを求めるのを止めると言います。神様の救いを訴えることができないほどの罪を、犯したことがないということを訴えているのです。ですから、神様に自分と敵の間に立って正義をもって判断してくださることを嘆願しています。   このダビデの自信の根拠は何でしょうか。ダビデが罪を犯した事実がないというわけではありません。カルヴァンが言った通り人間は堕落した存在であって、さらに全的に堕落した存在です。完全無欠な人というのはいません。罪は、犯した犯罪の出来事だけでなく、思いと心に絶えず存在するものです。しかし、本文の中でダビデは、罪について具体的に取り上げています。善意の人に対して裏切り、悪用し、又は不当に奪いとったことです。   私たちは、裁判所の判決で罪質が悪いという表現を聞きますが、それは法理に基づいたものではなく、普遍的な人間性による表現です。すべての人が罪を犯したとして、すべての罪が同じなのではありません。自ら「悪」を行って、自ら「弱」いと言うことは忌まわしいものです。悪さと弱さを悪意的に混ぜてはいけません。罪を犯したくて犯し、信仰の名によってそれを希釈してしまうのであれば、それは慈しみと赦しの恵みを悪用することです。   少し素直になれば、これを区別することは難しくありません。祈りに出てみればわかります。祈りのことばがが出なければ魂は詰まっているのです。口では祈りをしていますが、言葉が切れ切れで重なっているなら、それは自分で自分をだましているからです。神様への信仰よりも私の欲がより大きいときにある現象です。要するにどこに立っているのかということです。たとえ罪人であっても、私たちが神様の恵みをいただくことができるのは、恵みと救いを悪用せず、神様の側に立っているからです。 https://www.youtube.com/watch?v=D5m1UNsLQgo