잠언 묵상 【통치자】 20231230(토) 에다가와 사랑의교회 최종석 전도사

잠언 31:1-9 31:1 르무엘 왕이 말씀한 바 곧 그의 어머니가 그를 훈계한 잠언이라 31:2 내 아들아 내가 무엇을 말하랴 내 태에서 난 아들아 내가 무엇을 말하랴 서원대로 얻은 아들아 내가 무엇을 말하랴 31:3 네 힘을 여자들에게 쓰지 말며 왕들을 멸망시키는 일을 행하지 말지어다 31:4 르무엘아 포도주를 마시는 것이 왕들에게 마땅하지 아니하고 왕들에게 마땅하지 아니하며 독주를 찾는 것이 주권자들에게 마땅하지…

箴言 黙想 【秩序と謙遜】20231229(金) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

箴言 30:15-33 30:15 蛭には二人の娘がいて、「くれ、くれ」と言う。飽くことを知らないものが三つある。いや、四つあって、「もう十分だ」と言わない。 30:16 よみ、不妊の胎、水に飽くことを知らない地、「もう十分だ」と言わない火。 30:17 自分の父を嘲り、母への従順を蔑む目は、谷の烏にえぐり取られ、鷲の子に食われる。 30:18 私にとって不思議なことが三つある。いや、四つあって、私はそれを知らない。 30:19 天にある鷲の道、岩の上にある蛇の道、海の真ん中にある船の道、おとめへの男の道。 30:20 姦淫する女の道もそのとおり。彼女は食べて口をぬぐい、「私は不法を行わなかった」と言う。 30:21 地は三つのことによって震える。いや、四つのことに耐えられない。 30:22 奴隷が王となり、愚か者がパンに満ち足り、 30:23 嫌われた女が夫を得、女奴隷が女主人の代わりとなることだ。 30:24 この地上には小さいものが四つある。それは知恵者中の知恵者だ。 30:25 蟻は力のないものたちだが、夏のうちに食糧を確保する。 30:26 岩だぬきは強くないものたちだが、その巣を岩間に設ける。 30:27 いなごには王はいないが、みな隊を組んで出陣する。 30:28 ヤモリは手で捕まえられるが、王の宮殿にいる。 30:29 歩きぶりの堂々としたものが三つある。いや、堂々と歩くものが四つある。 30:30 獣の中で最も強く、何からも逃げない雄獅子、 30:31 誇らしげに歩くおんどりと雄やぎ、軍隊を引き連れた王。 30:32 もし、あなたが高ぶって、愚かなことをしたり、企んだりしたら、手を口に当てよ。 30:33 乳をかき回すと凝乳ができる。鼻をねじると血が出る。怒りをかき回すと争いが起こる。  箴言が教えている知恵は、神の創造の秩序に従うこと、神が定めたことはその通りに行われるということを知ることから始まります。    箴言の表現は現実的でありながらも、それをそのまま私たちに適用するには少し難解な部分が多くあります。 今日の箇所の表現もそうでしょう。しかし、知恵であるイエス·キリストの教えと共に箴言を読むと、難解な表現であった箴言の教えをどのように私たちに適用すべきかその方向性を分かることができます。    今日の箇所は大きく神の秩序に従わない者の比喩(30:15-23)と神の秩序に従う者の比喩(30:24-33)に分けられています。 そして、それは結局聖書が語っている悪人と義人に対する表現になります。 今日は義人に関する表現について取り上げてみたいと思います。    著者は義認を表現するため、小さくて弱い存在と大きくて強い存在を比喩で取り上げています。 相反する二つの性質の中で、私たちは神の秩序に従う者たちがどんな姿を持っていて、持つことになるのかを同時に見ることができます。    義人は謙遜な存在です。 自ら弱さを認める時、神様はご自分の秩序に従って彼らを最後まで守ってくださいます。 また義人は威風堂々な大きくて強い存在であります。…

잠언 묵상 【질서와 겸손】 20231229(금) 에다가와 사랑의교회 최종석 전도사

잠언 30:15-33 30:15 거머리에게는 두 딸이 있어 다오 다오 하느니라 족한 줄을 알지 못하여 족하다 하지 아니하는 것 서넛이 있나니 30:16 곧 스올과 아이 배지 못하는 태와 물로 채울 수 없는 땅과 족하다 하지 아니하는 불이니라  30:17 아비를 조롱하며 어미 순종하기를 싫어하는 자의 눈은 골짜기의 까마귀에게 쪼이고 독수리 새끼에게 먹히리라 30:18 내가 심히 기이히 여기고도 깨닫지 못하는 것 서넛이…

箴言 黙想 【二つの願い】20231228(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

箴言 30:1~14 30:1 マサの人ヤケの子アグルのことば。イティエルに告げ、イティエルとウカルに告げたことば。30:2 まことに、私は粗野で、人ではない。私には人間としての分別がない。30:3 私はまだ知恵も学ばず、聖なる方の知識も持っていない。30:4 だれが天に上り、また降りて来たのか。だれが風を両手のひらに集めたのか。だれが水を衣のうちに包んだのか。だれが地のすべての限界を堅く定めたのか。その名は何か、その子の名は何か。あなたは確かに知っている。30:5 神のことばは、すべて精錬されている。神は、ご自分に身を避ける者の盾。30:6 神のことばに付け足しをしてはならない。神があなたを責めて、あなたが偽り者とされないために。30:7 二つのことをあなたにお願いします。私が死なないうちに、それをかなえてください。30:8 むなしいことと偽りのことばを、私から遠ざけてください。貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で、私を養ってください。30:9 私が満腹してあなたを否み、「主とはだれだ」と言わないように。また、私が貧しくなって盗みをし、私の神の御名を汚すことのないように。30:10 しもべのことを、その主人に中傷してはならない。そうでないと、彼はあなたをののしり、あなたは罰を受けることになる。30:11 自分の父をののしり、自分の母をたたえない世代。30:12 自分をきよいと見るが、汚物を洗い落とさない世代。30:13 なんとも、その目が高ぶり、まぶたが上がっている世代。30:14 歯が剣のようで、牙が刀のような世代。彼らは、地の苦しむ者を、人々の中の貧しい者を食い尽くす。   生活の必要または財物の満足というのは主観的で相対的なもので、満足できるところというものがありません。もっといいものを買わなければならず、もっとおいしいものを食べなければならないので、限定はありません。「よみと滅びの地は飽くことがなく、人の目も飽くことがない。27:20」収入より支出を先に増やし、より多くの支出に備えて蓄積しなければならないため、常に不足しています。   「吾唯足知」という言葉があります。満足を知るという意味です。面白いことに、4文字にすべて口という文字が入っています。食事を解決したなら、もう満足しなさいということと解釈してもいいでしょうか。「吾唯知錢」は、ただお金しか知らないという意味です。誰もお金だけ知っているとは言いません。不安だからであり、備えるためのものであるだけです。それが欲です。しかし、「知足常楽」という言葉もあります。 満足すれば、幸せになるということです。   箴言の著者アグルは自分を紹介しながら、いわゆる学問のない無知な自分と言いますが、専門と専攻を誇る時代には見当たらないマクロ的な知恵を持っている人です。地だけ見て生きれば、地に専門になれるかは分かりませんが、天があることを知らなければ愚かです。天から地を見下ろしてこそ、地の秘密が解けるでしょう。   アグルは神様に二つを求めました。偽りと虚無に執着しないこと、もう一つは富んでない、貧しくもなく経済力です。富むことを求めまなければ、貧しいことも求めません。目的が経済ではないからです。 神様の前に立つ姿勢を整えるためです。裕福だと高慢になりやすく、貧しいと卑劣になりやすいからです。新年には不安と欲に埋もれず、新しい考え、新しいことを生み出したいと思います。

잠언 묵상 【두 가지 소원】 20231228(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

잠언 30:1~14 30:1 이 말씀은 야게의 아들 아굴의 잠언이니 그가 이디엘과 우갈에게 이른 것이니라30:2 나는 다른 사람에게 비하면 짐승이라 내게는 사람의 총명이 있지아니하니라30:3 나는 지혜를 배우지 못하였고 또 거룩하신 자를 아는 지식이 없거니와30:4 하늘에 올라갔다가 내려온 자가 누구인지, 바람을 그 장중에 모은자가 누구인지, 물을 옷에 싼자가 누구인지, 땅의 모든 끝을 정한 자가 누구인지, 그이름이 무엇인지,…

箴言 黙想 【教えない親】20231227(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師

箴言 29:15~27 29:15 むちと叱責は知恵を与える。放っておかれた子は母に恥を見させる。29:16 悪しき者が増えると、背きも増す。しかし、正しい人は彼らの滅びを見る。29:17 あなたの子を戒めよ。そうすれば、彼はあなたを安らかにし、あなたの心に喜びを与える。29:18 幻がなければ、民は好き勝手にふるまう。しかし、みおしえを守る者は幸いである。29:19 しもべは、ことばだけで戒めることはできない。それが分かっても、反応しない。29:20 軽率に話をする人を見たか。彼よりも愚かな者のほうが、まだ望みがある。29:21 自分のしもべを幼い時から甘やかすと、ついには手に負えない者になる。29:22 怒る者は争いを引き起こす。憤る者には多くの背きがある。29:23 人の高ぶりはその人を低くし、へりくだった人は誉れをつかむ。29:24 盗人にくみする者は自分自身を憎む者。その人はのろいを聞いても何も言わない。29:25 人を恐れると罠にかかる。しかし、主に信頼する者は高い所にかくまわれる。29:26 支配者の顔色をうかがう者は多い。しかし、人をさばくのは主である。29:27 不正を行う者は正しい人に忌み嫌われ、行いの真っ直ぐな人は悪しき者に忌み嫌われる。   子どものしつけはデリケートなテーマになりました。体罰だけでなく、しつけ自体をしないという親が増える傾向です。子どもを厳しく懲らしめなさいと言う箴言は時代錯誤的な教えなのでしょうか。「むちと叱責は知恵を与える。放っておかれた子は母に恥を見させる 15」、「あなたの子を戒めよ。そうすれば、彼はあなたを安らかにし、あなたの心に喜びを与える17」、「むちを控える者は自分の子を憎む者。子を愛する者は努めてこれを懲らしめる13:24」、「子どもを懲らしめることを差し控えてはならない。むちで打っても、死ぬことはない23:13」箴言は厳しくむちで打っても正しく教えなさいと言います。その正しさとは宗教的な教えではなく、社会的に人間として生きる道理です。箴言の時代でも、子どもを虐待してもいいと言っているわけではないでしょう。時代が変わったので訓育の方法も変わったと思いますが、人間の本性通りに放っておかないで自己制御ができるように教えなければならないということは変わっていません。   小学校4年生の時、親友が転校しました。両親が離婚したからです。転校した友が私に学校の書類関係を頼みました。私は担任先生にそれを伝えなければなりませんでした。 しかし、友達と遊びに夢中になっていた私は、その約束を忘れ、守りませんでした。転校した友はそのことで困りました。父がその事実を知り、私は家に帰ったときにはムチを打たれ、一日中罰を受けました。今はそれも問題になる時代になりましたが、困っている友の頼みを知らないふりをして遊び回る息子を厳しく叱った親の懲戒を暴力や虐待とは考えていません。子どもに何が正しいのか、何が神様を信じて生きるのか、何が隣人と共に生きることか、何が人間らしいか、何が聖徒らしいかを教えなければなりません。親は訓戒で、懲戒で、また行動で、生き方で教えることができます。罪を犯す本性を持った人間は、教育を受けてこそともに生きることができます。それを通して利己的な人間は少しですが、善を求める人に変わります。「若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない。22:6」

잠언 묵상 【가르치지 않는 부모】 20231227(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

잠언 29:15~27 29:15 채찍과 꾸지람이 지혜를 주거늘 임의로 하게 버려두면 그 자식은 어미를 욕되게 하느니라29:16 악인이 많아지면 죄도 많아지나니 의인은 그들의 망함을 보리라29:17 네 자식을 징계하라 그리하면 그가 너를 평안하게 하겠고 또 네 마음에 기쁨을 주리라29:18 묵시가 없으면 백성이 방자히 행하거니와 율법을 지키는 자는 복이 있느니라29:19 종은 말로만 하면 고치지 아니하나니 이는 그가 알고도 청종치…

箴言 黙想 【普遍の教会】20231226(火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

箴言 29:1~1429:1 叱責されても、なお、うなじを固くする者は、突然打ち砕かれて、癒やされることがない。29:2 正しい人が増えると、民は喜び、悪しき者が治めると、民はうめく。29:3 知恵を愛する人は、その父を喜ばせ、遊女と交わる者は、財産を滅ぼす。29:4 正義によって王は国を建てる。重税を取る者は国を壊す。29:5 隣人にへつらう者は、自分の足もとに網を張る。29:6 悪人は背きを犯して自分に罠をかける。正しい人は声をあげて喜び歌う。29:7 正しい人は弱い者のためのさばきを知っている。悪しき者はそのような知識をわきまえない。29:8 嘲る者たちは町を騒がし、知恵のある人たちは怒りを鎮める。29:9 知恵のある人が愚か者を訴えて争うと、愚か者は怒ってあざ笑い、安まることがない。29:10 血に飢えた者たちは誠実な人を憎み、心の直ぐな人のいのちを狙う。29:11 愚かな者は感情のすべてをぶちまけ、知恵のある人はそれを内に収める。29:12 支配者が偽りのことばに聞き入るなら、従者たちもみな悪しき者になる。29:13 貧しい者と抑圧する者は出会う。主は、この両者の目に光を与えられる。29:14 真実をもって弱い者をさばく王、その王座はとこしえまでも堅く立つ。   箴言では貧しい者、弱い者たちのことは繰り返されます。だからといって、強い者または富んでいるが必ずしも暴圧を振る舞う不義の勢力であるわけではありません。同様に、貧しい者と弱い者といって必ずしも正義のところに立っているわけでもありません。神様か与えた富と力があれば、怠惰と無責任による貧困に対しては厳しく批判することもあります。ただし、余剰を持った人が欠乏を持った人に対する態度を通して善と悪、義と不義がより分けられます。それを蓄積して人を支配する道具にすることは、間違いなく神様が憎む悪です。   どのような神学でも弱者を考えます。しかし、神学は弱者だけのためではありません。教会は弱者を抱き、受け入れるべきですが、弱者だけのための教会ではありません。教会はあらゆる人に差別、逆差別なしに救いの機会と礼拝を提供しなければならない普遍的なものです。弱者のための神学があれば、それが弱者だけのための神学ではないということを証明しなければならず、弱者のための神学に敏感に反応する神学があれば、弱者のための構造的な変化のために実践しなければなりません。神様は民衆とともにおられますが、民衆そのものではなく、年末年始のイベントの慈善行為が隣人愛の全てではないからです。   私たちの教会はユニバーサル·チャーチ(Universal Church)を明言しています。ユニバーサル(Universal)とは普遍的という意味ですが、一般的という意味より宇宙的という意味です。枝川愛の教会が追い求めているユニバーサル·チャーチは言語と人種、性別と年齢、そして社会的かつ経済的な状態などで人を区分しないという意味で普遍的教会です。たとえ私たちの実力がまだそうではなくても諦めずに追求しなければならない価値です。人間の高ぶりと貪りを除けば、教会は普遍という式を成り立たせると思います。

잠언 묵상 【보편적 교회】 20231226(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

잠언 29:1~1429:1 자주 책망을 받으면서도 목이 곧은 사람은 갑자기 패망을 당하고 피하지 못하리라29:2 의인이 많아지면 백성이 즐거워하고 악인이 권세를 잡으면 백성이 탄식하느니라29:3 지혜를 사모하는 자는 아비를 즐겁게 하여도 창기를 사귀는 자는 재물을 없이하느니라29:4 왕은 공의로 나라를 견고케 하나 뇌물을 억지로 내게 하는 자는 나라를 멸망시키느니라29:5 이웃에게 아첨하는 것은 그의 발 앞에 그물을 치는 것이니라29:6 악인의…

箴言 黙想 【エルサレムの贖い】20231225(月) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

ルカの福音書 2:25~382:25 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルが慰められるのを待ち望んでいた。また、聖霊が彼の上におられた。2:26 そして、主のキリストを見るまでは決して死を見ることはないと、聖霊によって告げられていた。2:27 シメオンが御霊に導かれて宮に入ると、律法の慣習を守るために、両親が幼子イエスを連れて入って来た。2:28 シメオンは幼子を腕に抱き、神をほめたたえて言った。2:29 「主よ。今こそあなたは、おことばどおり、しもべを安らかに去らせてくださいます。2:30 私の目があなたの御救いを見たからです。2:31 あなたが万民の前に備えられた救いを。2:32 異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの栄光を。」2:33 父と母は、幼子について語られる様々なことに驚いた。2:34 シメオンは両親を祝福し、母マリアに言った。「ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人が倒れたり立ち上がったりするために定められ、また、人々の反対にあうしるしとして定められています。2:35 あなた自身の心さえも、剣が刺し貫くことになります。それは多くの人の心のうちの思いが、あらわになるためです。」2:36 また、アシェル族のペヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。この人は非常に年をとっていた。処女の時代の後、七年間夫とともに暮らしたが、2:37 やもめとなり、八十四歳になっていた。彼女は宮を離れず、断食と祈りをもって、夜も昼も神に仕えていた。2:38 ちょうどそのとき彼女も近寄って来て、神に感謝をささげ、エルサレムの贖いを待ち望んでいたすべての人に、この幼子のことを語った。   この時代のキリスト教信仰で「救い」という言葉は剥製化されてしまったと思います。活力と自信に満ちた様子で救われたことを語りますが、救われたという言葉の意味から考えると、それは不可能なことです。救いの前提は、例外なく逃げる余地のない滅亡でなければならないです。滅亡から救われた人の感情がそんなものではならないからです。救いという言葉はキリスト教信仰で最も重要な言葉ですが、常套的に使われてきたため、言葉がすり減って意味が色あせてしまいました。教会の中で救われたとか救われてないなどの言葉使いが外から見ると生命力のなく剥製された獣の怪奇な瞳のように見えます。剥製が生きていれば、そんな目つきで私を見ることはないと思います。   救いというのは、もらってもいいし、もらわなくてもいいのではなく、救われるかどうか分からないですが、それでもそれを待ちわびていなければならないものです。自分が選択できることでもありません。待つには待つしかないし、待つのに疲れたからとあきらめることもできないものです。そうでなければ、それは救いという言葉の代わりに別の言葉を探さなければならないでしょう。役に立つとか、幸運くらいの言葉になるでしょう。救いを語る際にはプライドや自信感のような感情があるわけでもありません。絶体絶命の状態です。体と命が絶える状態です。救いの直前の状態というのは、外部からの救いなしでは耐えられない危機と絶望の状態です。   救いは救われる力を持った方から救いするという意志を持って救いの活動を実行してこそ可能になります。感謝以外にはいかなる条件もあり得ません。おそらく一人の人間が救われる時間は教会に通い始めた時ではなく、その後しばらく時間が経ったある時点だと思います。福音を頭で知りましたが、心で悟る時点です。神様の救いの恵みを悟ったということは人間の絶望を悟ったということです。その絶望は行動の間違いや悪行のようなものではありません。自分の存在は完全に堕落し、希望がないことを告白する時です。   シメオンとアンナは長い間、自ら救えないイスラエルの苦痛を共にしてきた人々です。イスラエルの政治と宗教はローマから独立したがっていましたが、シメオンとアンナが待ち望んでいたイスラエルの回復とは政治的、宗教的なものではありませんでした。それなら、彼らがイエス·キリストに気づいたはずがありません。イエス·キリストはユダヤ大祭司という宗教によって告発され、ローマという政治によって殺害されましたから。   彼らは絶望を知っていました。政治的に、経済的に自立したり独立したりすることでは解決できない存在的な絶望を知っていたのです。努力することではできない、救い主が来なければならないということを知っていました。贖いでなければできないということを知っていました。30節でシメオンが言った「御救いを見たから」と、38節でアンナが言った「エルサレムの贖い」ということは罪から救われることについて語っています。キリストが贖ったこそ、私は救われました。クリスマスに必ず一つ、ただ一つを覚えなければならないとしたら、キリストが私のために贖ったという事実です。どこにも行き場のない絶望的な私はそれを信じます。それが私の救いの唯一根拠です。