출애굽기 QT29 210507금【주가 하나님 됨 알찌어다】출애굽기 14장 1~14

출애굽기 14장 1~1414:1 여호와께서 모세에게 일러 가라사대14:2 이스라엘 자손을 명하여 돌쳐서 바다와 믹돌 사이의 비하히롯 앞 곧 바알스본 맞은편 바닷가에 장막을 치게 하라14:3 바로가 이스라엘 자손에 대하여 말하기를 그들이 그 땅에서 아득하여 광야에 갇힌바 되었다 할지라14:4 내가 바로의 마음을 강퍅케 한즉 바로가 그들의 뒤를 따르리니 내가 그와 그 온 군대를 인하여 영광을 얻어 애굽 사람으로…

出エジプト記 QT28 20210506木【雲の柱、火の柱】出エジプト 13章 11~22

出エジプト記 13章 11~2213:11 主が、あなたとあなたの父祖たちに誓われたとおりに、あなたをカナン人の地に導き、そこをあなたに与えられるとき、13:12 最初に胎を開くものはみな、主のものとして献げなければならない。家畜から生まれ、あなたのものとなるすべての初子のうち、雄は主のものである。13:13 ただし、ろばの初子はみな、羊で贖わなければならない。もし贖わないなら、首を折らなければならない。また、あなたの子どもたちのうち、男子の初子はみな、贖わなければならない。13:14 後になって、あなたの息子があなたに『これは、どういうことですか』と尋ねるときは、こう言いなさい。『主が力強い御手によって、私たちを奴隷の家、エジプトから導き出された。13:15 ファラオが頑なになって、私たちを解放しなかったとき、主はエジプトの地の長子をみな、人の長子から家畜の初子に至るまで殺された。それゆえ私は、最初に胎を開く雄をみな、いけにえとして主に献げ、私の子どもたちの長子をみな贖うのだ。』13:16 このことは手の上のしるしとなり、あなたの額の上の記章となる。それは主が力強い御手によって、私たちをエジプトから導き出されたからである。」13:17 さて、ファラオがこの民を去らせたとき、神は彼らを、近道であっても、ペリシテ人の地への道には導かれなかった。神はこう考えられた。「民が戦いを見て心変わりし、エジプトに引き返すといけない。」13:18 それで神はこの民を、葦の海に向かう荒野の道に回らせた。イスラエルの子らは隊列を組んでエジプトの地から上った。13:19 モーセはヨセフの遺骸を携えていた。それはヨセフが、「神は必ずあなたがたを顧みてくださる。そのとき、あなたがたは私の遺骸をここから携え上らなければならない」と言って、イスラエルの子らに堅く誓わせていたからである。13:20 彼らはスコテを旅立ち、荒野の端にあるエタムで宿営した。13:21 主は、昼は、途上の彼らを導くため雲の柱の中に、また夜は、彼らを照らすため火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んで行くためであった。13:22 昼はこの雲の柱が、夜はこの火の柱が、民の前から離れることはなかった。   危機から救われたことを覚えて記念するのは、いかなるものも、神様の恵みより大きいものはないということを認めることです。本当に死ぬことから命が救われたことを経験した人であれば、何をささげても、その恵みに対する感謝を表しきれません。   神様の恵みの大きさを測ることはできませんが、最初のものを区別して、神様にささげることを通して、人が受けた恵みがどのようなものかは見計ることができます。イスラエルの民は、最善のもの、最高のものの意味で最初に与えられたものを神様にお返ししました。後日、子ごもたちにその理由について聞かれたら、その日の救いの感激を教育するようにと言われます。   神様は、ご自分が示してくださる奇跡と神秘によってではなく、自らの大切なものを神様の前に区別してささげる人の信仰を通して、現われてくださいます。私たちの隣人が信仰共同体に関心を持って出てくる理由、すなわち伝道できるかどうかは、聖徒の信仰の真実性です。信仰が信仰を生み、献身が献身を生み出すからです。私たちが生きていた信仰の時代が過ぎると、その後、間違いなくそれが結んだ実をもって私たちの信仰の真実性は明らかになるでしょう。   モアブ平地からヨルダン川を渡って西の方に入らず、地中海の海辺に沿って東の方に入ると、カナンへの近道になります。しかし、その場合ペリシテを通らなければなりません。イスラエルは恐がります。神様はイスラエルがペリシテを恐れてエジプトに帰るかもしれないということでその道をふさいで、紅海を渡る荒野に導かれました。   神様がその荒野で同行してくださったことを22節はこう言います。「昼はこの雲の柱が、夜はこの火の柱が、民の前から離れることはなかった。」雲の柱が真昼の荒野の暑さを防ぎ、火の柱が荒野の夜の寒さを防いでくれました。神様は、暑い時には涼しい影を、寒い時には暖かい暖炉を用意して荒野の道を同行してくださいました。暑さと寒さという苦労は恵みを経験するためのものでした。   まもまく母の日です。苦しみの中で産み、育てた恵み、世話の恵み、子どものために苦労したのは、雲の柱、火の柱となって子どもを守るためでした。まだ幼く、未熟な子どもを守る母の愛は、神様がこの地に植えられたものの中で最も神様の愛に似た愛です。5月に入りましたが、朝から雨が降ったせいで肌寒いです。母の懐に抱かれた暖かさと神様を頼る平安が私たちの中にあることを祈ります。

출애굽기 QT28 210506목【구름기둥과 불기둥으로】출애굽기 13장 11~22

출애굽기 13장 11~2213:11 여호와께서 너와 네 조상에게 맹세하신대로 너를 가나안 사람의 땅에 인도하시고 그 땅을 네게 주시거든13:12 너는 무릇 초태생과 네게 있는 생축의 초태생을 다 구별하여 여호와께 돌리라 수컷은 여호와의 것이니라13:13 나귀의 첫새끼는 다 어린 양으로 대속할 것이요 그렇게 아니하려면 그 목을 꺽을 것이며 너의 아들중 모든 장자 된 자는 다 대속할지니라13:14 장래에 네 아들이…

出エジプト記 QT27 20210505水【種なしパンの記憶】出エジプト 13章 1~10

出エジプト記 13章 1~1013:1 主はモーセに告げられた。13:2 「イスラエルの子らの間で最初に胎を開く長子はみな、人であれ家畜であれ、わたしのために聖別せよ。それは、わたしのものである。」13:3 モーセは民に言った。「奴隷の家、エジプトから出て来た、この日を覚えていなさい。力強い御手で、主があなたがたをそこから導き出されたからである。種入りのパンを食べてはならない。13:4 アビブの月のこの日、あなたがたは出発する。13:5 主は、カナン人、ヒッタイト人、アモリ人、ヒビ人、エブス人の地、主があなたに与えると父祖たちに誓った地、乳と蜜の流れる地にあなたを連れて行かれる。そのときあなたは、この月に、この儀式を執り行いなさい。13:6 七日間、あなたは種なしパンを食べる。七日目は主への祭りである。13:7 七日間、種なしパンを食べなさい。あなたのところに、種入りのパンがあってはならない。あなたの土地のどこにおいても、あなたのところにパン種があってはならない。13:8 その日、あなたは自分の息子に告げなさい。『このことは、私がエジプトから出て来たときに、主が私にしてくださったことによるのだ。』13:9 これをあなたの手の上のしるしとし、あなたの額の上の記念として、主のおしえがあなたの口にあるようにしなさい。力強い御手で、主があなたをエジプトから導き出されたからである。13:10 あなたは、この掟を毎年その定められた時に守らなければならない。   イスラエルの民は過越祭を守った後、酵母を入れないパンを持っていきました。ファラオの心が変わる前に急いで出なければならなかったからです。躊躇っていればエジプトから出ていくことができません。逃げなければならないし、逃げ出した地で食べなければならないので、生地を持って走りました。発酵されてない生地でパンを作ると、それはパンではなく、お菓子のようなものになります。民は荒野で七日間種なしパンを食べました。荒野の生活は不慣れで種なしパンも美味しくはなかったことでしょう。しかし、神様が種なしパンの祭りを守らせたのは、彼らが苦労を覚えるためではなく、恵みを覚えるためです。   出てみたら奇跡がありました。思い起こしてみると恵みでした。神様の恵みは覚えるときに再生します。恵みであることを知らなかったけれども、思い起こし、吟味することで、その恵みは今ここで、より大きなものになってきます。恵みを覚えるということは、その恵みを、現在に戻すということです。覚えるというのは、単に考えることではなく、今ここで再生するということです。以前の恵みを忘れてしまうと、今、ここでの新しい恵みはありません。カナンの快適な生活において柔らかいパンを食べる時、神様が荒野に導き出し、硬いパンを食べさせたときのことを思い起こさなければなりません。

출애굽기 QT27 210505수【무교병의 기억】출애굽기 13장 1~10

출애굽기 13장 1~1013:1 여호와께서 모세에게 일러 가라사대13:2 이스라엘 자손 중에 사람이나 짐승이나 무론하고 초태생은 다 거룩히 구별하여 내게 돌리라 이는 내 것이니라 하시니라13:3 모세가 백성에게 이르되 너희는 애굽에서 곧 종 되었던 집에서 나온 그 날을 기념하여 유교병을 먹지 말라 여호와께서 그 손의 권능으로 너희를 그곳에서 인도하여 내셨음이니라13:4 아빕월 이 날에 너희가 나왔으니13:5 여호와께서 너를 인도하여…

出エジプト記 QT26 20210504火【ともに行った多くの異国人】出エジプト 12章 37~51

出エジプト記 12章 37~5112:37 イスラエルの子らはラメセスからスコテに向かって旅立った。女、子どもを除いて、徒歩の壮年男子は約六十万人であった。12:38 さらに、入り混じって来た多くの異国人と、羊や牛などおびただしい数の家畜も、彼らとともに上った。12:39 彼らはエジプトから携えて来た生地を焼いて、種なしのパン菓子を作った。それにはパン種が入っていなかった。彼らはエジプトを追い出されてぐずぐずしてはいられず、また自分たちの食糧の準備もできなかったからである。12:40 イスラエルの子らがエジプトに滞在していた期間は、四百三十年であった。12:41 四百三十年が終わった、ちょうどその日に、主の全軍団がエジプトの地を出た。12:42 それは、彼らをエジプトの地から導き出すために、主が寝ずの番をされた夜であった。それでこの夜、イスラエルの子らはみな、代々にわたり、主のために寝ずの番をするのである。12:43 主はモーセとアロンに言われた。「過越に関する掟は次のとおりである。異国人はだれも、これにあずかってはならない。12:44 しかし、金で買われた奴隷はだれでも、あなたが割礼を施せば、これにあずかることができる。12:45 居留者と雇い人は、これにあずかってはならない。12:46 これは一つの家の中で食べなければならない。あなたは家の外にその肉の一切れでも持ち出してはならない。また、その骨を折ってはならない。12:47 イスラエルの全会衆はこれを行わなければならない。12:48 もし、あなたのところに寄留者が滞在していて、主に過越のいけにえを献げようとするなら、その人の家の男子はみな割礼を受けなければならない。そうすれば、その人は近づいてそれを献げることができる。彼はこの国に生まれた者と同じになる。しかし無割礼の者は、だれもそれを食べてはならない。12:49 このおしえは、この国に生まれた者にも、あなたがたの間に寄留している者にも同じである。」12:50 イスラエルの子らはみな、そのように行った。主がモーセとアロンに命じられたとおりに行った。12:51 まさにこの日に、主はイスラエルの子らを、軍団ごとにエジプトの地から導き出された。   イスラエルの民は、いよいよエジプトを旅立ちます。奴隷の生活から解放されましたが、変化には恐れも伴います。しかし自由を得る機会が与えられたときは、迷ってはなりません。変化を恐れ、束縛の習慣に囚われたままになってはいけません。その場から立ち上がり、速やかに離れなければなりません。変化を恐れると奴隷の生活を終えられないのです。   立ち上がって離れた人々の中には、イスラエルの民ではない少数の人々がいました。出エジプト記は、スコテに到着した出エジプトの共同体の中にイスラエルの血統ではなく、多くの異国人が入り混じっていたと伝えます。イスラエルの民に加えて、少数民族やエジプトで遊離したエジプト人たちもこの共同体の中に混合されていたわけです。   神の民が自由を得るときに、その自由の恵みは、当事者だけではありません。聖徒が神様に導かれ自由と尊厳を追い求めるとき、それは当然として隣の人や社会に拡大されていくものだからです。ですから、イスラエルの解放と自由はすなわち、隣人の自由と解放の機会を意味します。神様は一つの自由をはじめ、その自由を広げておられます。   束縛から解放され、救われた人々は、救いの共同体を閉鎖しようと思ってしまいます。しかし、神様はそれを許しません。他の人と入り混じって開放的かつ包容的な共同体を作って行かれます。変化を恐れてしまうと、自由を楽しむことができず、利己主義と集団利己主義という限界から逃れることもできません。   イスラエルの民ではなく人々は割礼を受けることにより、共同体に入ることができました。ですから、割礼は血統的選民たげに与えられた標識ではなく、信仰告白をするすべての人に与えられたものです。割礼という行為自体を信仰のしるしと思っていた形式の時代に、パウロは割礼は心に行いなさいと言いました。   共同体の一員になるというのは、信仰の告白によるものです。主人も客もいません。信仰の告白の中で、すべての人は神の子となります。もし信仰共同体が閉鎖的に流れるならば、それは神のことを私有化しようとする欲です。   奴隷になっていた人生から引きあげられ、自由を与えられたと信仰を告白する人々の集まりであれば、その教会は一つに統合することができます。教会が宣教をしてない、もしくは分裂しているなら、それは言語と文化と人種などが違うからではなく、共有すべき信仰告白がないからではないでしょうか。

출애굽기 QT26 210504화【함께 한 중다한 잡족】출애굽기 12장 37~51

출애굽기 12장 37~5112:37 이스라엘 자손이 라암셋에서 발행하여 숙곳에 이르니 유아 외에 보행하는 장정이 육십만 가량이요12:38 중다한 잡족과 양과 소와 심히 많은 생축이 그들과 함께하였으며12:39 그들이 가지고 나온 발교되지 못한 반죽으로 무교병을 구웠으니 이는 그들이 애굽에서 쫓겨 남으로 지체할 수 없었음이며 아무 양식도 준비하지 못하였음이었더라12:40 이스라엘 자손이 애굽에 거주한지 사백 삼십년이라12:41 사백 삼십년이 마치는 그 날에…

出エジプト記 QT25 20210503月【十の災いより恐ろしい心の災い】出エジプト 12章 29~36

出エジプト記 12章 29~3612:29 真夜中になったとき、主はエジプトの地のすべての長子を、王座に着いているファラオの長子から、地下牢にいる捕虜の長子に至るまで、また家畜の初子までもみな打たれた。12:30 その夜、ファラオは彼の全家臣、またエジプト人すべてとともに起き上がった。そして、エジプトには激しく泣き叫ぶ声が起こった。それは死者のいない家がなかったからである。12:31 彼はその夜、モーセとアロンを呼び寄せて言った。「おまえたちもイスラエル人も立って、私の民の中から出て行け。おまえたちが言うとおりに、行って主に仕えよ。12:32 おまえたちが言ったとおり、羊の群れも牛の群れも連れて出て行け。そして私のためにも祝福を祈れ。」12:33 エジプト人は民をせき立てて、その地から出て行くように迫った。人々が「われわれはみな死んでしまう」と言ったからである。12:34 それで民は、パン種を入れないままの生地を取り、こね鉢を衣服に包んで肩に担いだ。12:35 イスラエルの子らはモーセのことばどおりに行い、エジプトに銀の飾り、金の飾り、そして衣服を求めた。12:36 主はエジプトがこの民に好意を持つようにされたので、エジプト人は彼らの求めを聞き入れた。こうして彼らはエジプトからはぎ取った。   十回にわたる災いの末に長子が死んだエジプトは無条件に降伏します。エジプトは大破となりましたが神様の損はありません。これまで神様は神であることを示し、モーセには、誰も逆らうことができない力と権威が与えられたからです。ファラオの不従順という否定的な役割は、出エジプトのスタートとモーセのリーダーシップという肯定的な役割となりました。その意味でファラオはかわいそうな功労者です。   ミデヤンの荒野で神様に出会ったモーセは、誰も自分の話を聞かないと、自信がなくて断りましたが、最終的にモーセを通して神様の計画は現実化しました。恐れていたモーセは、ますます堂々となり、堂々だったファラオは折れて意気消沈しました。羊も牛も連れていくことができ、エジプトの価値あるものも持っていくことができました。   ファラオがこのような目にあわされたのは、自分が追い求めている自分の考えにのみ執着していたからです。奇跡が起きても、それを信じようとしませんでした。そういう意味でファラオには信仰があります。現実を否定し、自分が信じたがることを信じ込む固執の信仰です。エジプトとファラオは「今日の一針、明日の十針」をしました。国全体が満身創痍になったときようやく現実を知りました。   神様の御言葉があり、現実の中で奇跡が示されても、自分の感情や考えのゆえにそれに気づきません。奇跡というのは私たちの周りで常に起きますが、そこから神様を見上げる人は少ないのです。それを告白する人はもっと少ない。十の災いが与えるもう一つの教訓は、人間は神様の奇跡が起こっても、神様を信じないということです。   人々は奇跡を求めますが、奇跡はまるで原石のようなものです。奇跡を奇跡として気づき、掘り出してからはじめて奇跡になります。奇跡が起きても、それが何を意味するのかを解釈しようとしないから、奇跡は単なる偶然の出来事となり、現実に埋もれてしまうのです。人間に覚えられるのは、奇跡という当時の不思議な出来事ではなく、奇跡に気づき、その出所である神様を認め、告白することです。奇跡を経験しても、人々はそれを覚えません。ただ、その都度口で告白するその告白が心の中で信仰となって残ります。 https://www.youtube.com/watch?v=c2N2fMopYbM

출애굽기 QT25 210503월【열 재앙보다 무서운 마음의 재앙】출애굽기 12장 29~36

출애굽기 12장 29~3612:29 밤중에 여호와께서 애굽 땅에서 모든 처음 난 것 곧 위에 앉은 바로의 장자로부터 옥에 갇힌 사람의 장자까지와 생축의 처음 난것을 다 치시매12:30 그 밤에 바로와 그 모든 신하와 모든 애굽 사람이 일어나고 애굽에 큰 호곡이 있었으니 이는 그 나라에 사망치 아니한 집이 하나도 없었음이었더라12:31 밤에 바로가 모세와 아론을 불러서 이르되 너희와 이스라엘…

出エジプト記 QT24 20210501土【救いの方策、子羊】出エジプト 12章 1~13

出エジプト記 12章 1~1312:1 主はエジプトの地でモーセとアロンに言われた。12:2 「この月をあなたがたの月の始まりとし、これをあなたがたの年の最初の月とせよ。12:3 イスラエルの全会衆に次のように告げよ。この月の十日に、それぞれが一族ごとに羊を、すなわち家ごとに羊を用意しなさい。12:4 もしその家族が羊一匹の分より少ないのであれば、その人はすぐ隣の家の人と、人数に応じて取り分けなさい。一人ひとりが食べる分量に応じて、その羊を分けなければならない。12:5 あなたがたの羊は、傷のない一歳の雄でなければならない。それを子羊かやぎのうちから取らなければならない。12:6 あなたがたは、この月の十四日まで、それをよく見守る。そしてイスラエルの会衆の集会全体は夕暮れにそれを屠り、12:7 その血を取り、羊を食べる家々の二本の門柱と鴨居に塗らなければならない。12:8 そして、その夜、その肉を食べる。それを火で焼いて、種なしパンと苦菜を添えて食べなければならない。12:9 生のままで、または、水に入れて煮て食べてはならない。その頭も足も内臓も火で焼かなければならない。12:10 それを朝まで残してはならない。朝まで残ったものは燃やさなければならない。12:11 あなたがたは、次のようにしてそれを食べなければならない。腰の帯を固く締め、足に履き物をはき、手に杖を持って、急いで食べる。これは主への過越のいけにえである。12:12 その夜、わたしはエジプトの地を巡り、人から家畜に至るまで、エジプトの地のすべての長子を打ち、また、エジプトのすべての神々にさばきを下す。わたしは主である。12:13 その血は、あなたがたがいる家の上で、あなたがたのためにしるしとなる。わたしはその血を見て、あなたがたのところを過ぎ越す。わたしがエジプトの地を打つとき、滅ぼす者のわざわいは、あなたがたには起こらない。   エジプトの家の初子が死ぬとき、イスラエルの民には救いの方法が提示されました。どのような災いてあっても逃れる道はあります。問題は逃れる道がないことではなくて、救われる道を言っても信じないということです。生きられる道は今も提示されており、その判断はあの時も今も、神様の御言葉を信じる信仰によって分かれます。   死の災いから逃れるためには御言葉を聞いて子羊を用意し、その月の14日にそれを屠り、その血を取り、家の二本の門柱と鴨居に塗ることであります。神様がエジプトの初子を打つとき、子羊の血を塗った家は通り過ぎるという救いの方策です。これを記念する日を過越の祭りといいます。越えて通り過ぎったという意味です。 Passoverです。   イスラエルの民の家だといってこの災いが源泉的に免除されたわけではありません。条件があります。救いの御言葉を信じて子羊を用意し、屠り、その血を門柱と鴨に塗ることです。初子が死ななかったことより、羊が代わりに死んだということを覚えなけれありません。ここに贖いの原理があります。子羊の流した血を見たとき、災いはその家を過ぎ越していきます。   「…見よ、世の罪を取り除く神の子羊。ヨハネ1:29」バプテスマのヨハネは、イエス様を見たときに災いを代わりに負っていく過越の子羊であると予言しました。イエス様はイスラエル民が出エジプトしてから、千年が過ぎたある日に十字架にかかって死なれました。さらにそれから2千年が過ぎたある日に私たちは、その血を信じる信仰によって救われました。救いの方策は完成されており、子羊イエス・キリストの血を心の門柱に塗れば死の災いは過ぎ越していくのです。すでに打ち勝ち、成し遂げられました。ただそれを信じる信仰が必要であるだけです。滅びることを信じず、救われることを信じなければなりません。敵のいかなる攻撃にも、もはや倒れません。私たちは主の血潮の中にいます。