출애굽기 QT2 210406화【죽이는 왕, 살리는 하나님】출애굽기 1장 15~22

출애굽기 1장 15~221:15 애굽왕이 히브리 산파 십브라라 하는 자와 부아라 하는 자에게 일러1:16 가로되 너희는 히브리 여인을 위하여 조산할 때에 살펴서 남자여든 죽이고 여자여든 그는 살게 두라1:17 그러나 산파들이 하나님을 두려워하여 애굽왕의 명을 어기고 남자를 살린지라1:18 애굽왕이 산파를 불러서 그들에게 이르되 너희가 어찌 이같이 하여 남자를 살렸느냐1:19 산파가 바로에게 대답하되 히브리 여인은 애굽 여인과 같지…

出エジプト記 QT1 20210405月【約束された通りに】出エジプト 1章 1~14

出エジプト記 1章 1~141:1 さて、ヤコブとともに、それぞれ自分の家族を連れてエジプトに来た、イスラエルの息子たちの名は次のとおりである。1:2 ルベン、シメオン、レビ、ユダ。1:3 イッサカル、ゼブルン、ベニヤミン。1:4 ダンとナフタリ。ガドとアシェル。1:5 ヤコブの腰から生まれ出た者の総数は七十名であった。ヨセフはすでにエジプトにいた。1:6 それから、ヨセフもその兄弟たちも、またその時代の人々もみな死んだ。1:7 イスラエルの子らは多くの子を生んで、群れ広がり、増えて非常に強くなった。こうしてその地は彼らで満ちた。1:8 やがて、ヨセフのことを知らない新しい王がエジプトに起こった。1:9 彼は民に言った。「見よ。イスラエルの民はわれわれよりも多く、また強い。1:10 さあ、彼らを賢く取り扱おう。彼らが多くなり、いざ戦いというときに敵側についてわれわれと戦い、この地から出て行くことがないように。」1:11 そこで、彼らを重い労役で苦しめようと、彼らの上に役務の監督を任命した。また、ファラオのために倉庫の町ピトムとラメセスを建てた。1:12 しかし、苦しめれば苦しめるほど、この民はますます増え広がったので、人々はイスラエルの子らに恐怖を抱くようになった。1:13 それでエジプト人は、イスラエルの子らに過酷な労働を課し、1:14 漆喰やれんが作りの激しい労働や、畑のあらゆる労働など、彼らに課す過酷なすべての労働で、彼らの生活を苦しいものにした。   出エジプト記のヘブライ語の原文には、その始めに「そして」という接続詞があります。創世記は、ヨセフの死で終わり、出エジプト記は続きです。出エジプト記の始めにヤコブと12人の息子の名前が出てきますが、彼らもすでに死んだという時間の経過を知らせています。イスラエルは飢饉を逃れてエジプトに移住していたわけであり、それはヨセフがエジプトの総理であったから出来たことであって、イスラエルはヨセフの死後エジプトでの政治的地位を失ってしまいました。時間は流れてヨセフを知らない新しい王が登場し、イスラエルは奴隷に転落しました。ヤコブとその家族がエジプトに移住したのがB.C.1876年のこと。イスラエルが出エジプトしたのはB.C.1446年だったので430年間、他国で奴隷として生きていました。   奴隷として住んでいましたが、彼らは繁栄しました。それは大きな民族を成すと約束された神様の御言葉の実現です。敵対的な環境と迫害の中でも、神様の約束は妨げられません。イスラエルの繁栄によって、エジプトは抑圧政策をとり、重い労役を課せられます。古代において大規模な都市建設をするというのは、下層民の犠牲と死が伴います。パラオは大規模な土木工事を起こしてイスラエルの子孫を虐待し、イスラエルの人口を減らすことを試みました。しかし、イスラエルはさらに繁栄していきます。約束通りに繁栄した民は約束の地に戻らなければなりません。それは出エジプト記です。出エジプト記は、抑圧の歴史の中であっても神様の救いと回復の約束がどのように成し遂げられるのかを語っています。

출애굽기 QT1 210405월【약속하신 대로】출애굽기 1장 1~14

출애굽기 1장 1~141:1 야곱과 함께 각기 권속을 데리고 애굽에 이른 이스라엘 아들들의 이름은 이러하니1:2 르우벤과 시므온과 레위와 유다와1:3 잇사갈과 스불론과 베냐민과1:4 단과 납달리와 갓과 아셀이요1:5 이미 애굽에 있는 요셉까지 야곱의 혈속이 모두 칠십인이었더라1:6 요셉과 그의 모든 형제와 그 시대 사람은 다 죽었고1:7 이스라엘 자손은 생육이 중다하고 번식하고 창성하고 심히 강대하여 온 땅에 가득하게 되었더라1:8 요셉을…

マタイによる福音書 QT71 20210403土【イエス様のお葬式】マタイ 27章 57~66

マタイ 27章 57~6627:57 夕方になり、アリマタヤ出身で金持ちの、ヨセフという名の人が来た。彼自身もイエスの弟子になっていた。27:58 この人がピラトのところに行って、イエスのからだの下げ渡しを願い出た。そこでピラトは渡すように命じた。27:59 ヨセフはからだを受け取ると、きれいな亜麻布に包み、27:60 岩を掘って造った自分の新しい墓に納めた。そして墓の入り口に大きな石を転がしておいて、立ち去った。27:61 マグダラのマリアともう一人のマリアはそこにいて、墓の方を向いて座っていた。27:62 明くる日、すなわち、備え日の翌日、祭司長たちとパリサイ人たちはピラトのところに集まって、27:63 こう言った。「閣下。人を惑わすあの男がまだ生きていたとき、『わたしは三日後によみがえる』と言っていたのを、私たちは思い出しました。27:64 ですから、三日目まで墓の番をするように命じてください。そうでないと弟子たちが来て、彼を盗み出し、『死人の中からよみがえった』と民に言うかもしれません。そうなると、この惑わしのほうが、前の惑わしよりもひどいものになります。」27:65 ピラトは彼らに言った。「番兵を出してやろう。行って、できるだけしっかりと番をするがよい。」27:66 そこで彼らは行って番兵たちとともに石に封印をし、墓の番をした。   イエス様が神の子であると言われたのは、ユダヤ人の指導者たちには神への冒涜になり、ユダヤの王と言われたことは、ユダヤを支配しているローマの政府に反逆となり、結局十字架で処刑されました。とういうことでなくなった後、誰も葬儀のことで出る人はいませんでした。   その時、アリマタヤの金持ちヨセフという人が現れ、ピラトに訪ね、堂々とイエス様の死体を求めました。マルコによれば、彼はサンヘドリンの議員であり、ヨハネによれば、彼はイエス様の弟子でしたが、ユダヤ人を恐れて、隠れていたと言います。   弟子たちは、イエス様が生きていたときにはすべてを捨てて従いましたが、イエス様がなくなる時は、すべて逃げ出しました。しかし、この人は表にはあらわれなかったですが、イエス様がなくなってから、良心と勇気を発揮します。イエス様はすでになくなりました。彼はただ道理を守らなければならないと考えたのです。   ピラトに、イエス様の死体を受け取って、自分のために準備した墓に安置して葬りました。逃げた弟子や家族ができることではありません。彼がユダヤの議員であるため、できることでした。十字架の現場にヨハネがいましたが、彼ができることは何一つありませんでした。   捨てて従った弟子たちもいれば、制度圏の中に残って従う弟子もいます。夜にイエス様に訪ねてきたもう一人の有力者のニコデモも加わって一緒にイエス様のお葬儀の準備をしました。彼らは葬儀しましたが、復活の用意がなされました。イエス様の弟子というのは宗教のエリアのみではありません。どこで属していてもイエス様の弟子で生きするのは同じです。

마태복음 QT71 210403토【예수님의 장례】마태 27장 57~66

마태 27장 57~66 27:57 저물었을 때에 아리마대 부자 요셉이라 하는 사람이 왔으니 그도 예수의 제자라27:58 빌라도에게 가서 예수의 시체를 달라 하니 이에 빌라도가 내어주라 분부하거늘27:59 요셉이 시체를 가져다가 정한 세마포로 싸서27:60 바위 속에 판 자기 새무덤에 넣어두고 큰 돌을 굴려 무덤 문에 놓고 가니27:61 거기 막달라 마리아와 다른 마리아가 무덤을 향하여 앉았더라27:62 그 이튿날은 예비일…

マタイによる福音書 QT70 20210402金【本当に神の子であった】マタイ 27章 45~56

マタイ 27章 45~5627:45 さて、十二時から午後三時まで闇が全地をおおった。27:46 三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。27:47 そこに立っていた人たちの何人かが、これを聞いて言った。「この人はエリヤを呼んでいる。」27:48 そのうちの一人がすぐに駆け寄り、海綿を取ってそれに酸いぶどう酒を含ませ、葦の棒に付けてイエスに飲ませようとした。27:49 ほかの者たちは「待て。エリヤが救いに来るか見てみよう」と言った。27:50 しかし、イエスは再び大声で叫んで霊を渡された。27:51 すると見よ、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。地が揺れ動き、岩が裂け、27:52 墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる人々のからだが生き返った。27:53 彼らはイエスの復活の後で、墓から出て来て聖なる都に入り、多くの人に現れた。27:54 百人隊長や一緒にイエスを見張っていた者たちは、地震やいろいろな出来事を見て、非常に恐れて言った。「この方は本当に神の子であった。」27:55 55また、そこには大勢の女たちがいて、遠くから見ていた。ガリラヤからイエスについて来て仕えていた人たちである。27:56 その中にはマグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア、ゼベダイの子たちの母がいた。   イエス様が十字架につけられた時間は、午前9時で、午後1時からは、全地に闇が臨み、午後3時まで続きました。イエス様はエリ、エリ、ラマサバクタニと言われた後、息を引き取られました。罪がないのになくなったのではありません。罪を担って死なれました。午後に襲われた全地の暗闇がを通じて、イエス様が十字架の上で背負った人間の罪の重さがどのようなものだったのか思わされます。   神殿の幕が上から下に真っ二つに裂かれたのは不要な仕切りが取り除かれたということです。隔ての壁を打ち壊されました至聖所に入ることができるようになりました。以前は、祭司のみでしたが、今はすべてに人に開かれています。すなわちすべての人が祭司となって至聖所に入り、神様を礼拝することができるようになったということです。   原理は同じです。礼拝しようと思ったら血を流し、贖わなければなりません。礼拝するためには贖いのいけにえが必要です。犠牲をささげず礼拝することはできません。血を流すことがなければ、罪の赦しはないからです。犠牲の資格と条件を備えたのは、汚れも、傷もなく、その口には欺きもなかったイエス・キリストしかおられません。イエス・キリストが世の罪を取り除く神の子羊だからです。礼拝する者は、イエスの血を携えなければなりません。   ということで、イエス・キリストを信じることを確証しなければ、礼拝は不可能です。イエス・キリストを信じる信仰の確証というのは告白です。十字架の現場で死刑を執行していた軍人たち、つまりイエス様を殺した人々は、彼が神の子であることを最初に告白しました。   逆説的ですが、イエス様を十字架につけ、殺したことを認めている人がイエス・キリストを神の子であると認めています。十字架の釘は、ローマの兵士がつけたのではなく、私の罪がたたきこんだのです。その事実を知り、認める人は、イエス様が神の子であることを告白することができます。それで今や礼拝する準備ができました。    

마태복음 QT70 210402금【진실로 하나님의 아들이었도다】마태 27장 45~56

마태 27장 45~56 27:45 제 육시로부터 온 땅에 어두움이 임하여 제 구시까지 계속하더니27:46 제 구시 즈음에 예수께서 크게 소리질러 가라사대 엘리 엘리 라마 사박다니 하시니 이는 곧 나의 하나님, 나의 하나님, 어찌하여 나를 버리셨나이까 하는 뜻이라27:47 거기 섰던 자 중 어떤이들이 듣고 가로되 이 사람이 엘리야를 부른다 하고27:48 그 중에 한 사람이 곧 달려가서 해융을…

マタイによる福音書 QT69 20210401木【十字架につけられたイエス】マタイ 27章 27~44

マタイ 27章 27~4427:27 それから、総督の兵士たちはイエスを総督官邸の中に連れて行き、イエスの周りに全部隊を集めた。27:28 そしてイエスが着ていた物を脱がせて、緋色のマントを着せた。27:29 それから彼らは茨で冠を編んでイエスの頭に置き、右手に葦の棒を持たせた。そしてイエスの前にひざまずき、「ユダヤ人の王様、万歳」と言って、からかった。27:30 またイエスに唾をかけ、葦の棒を取り上げて頭をたたいた。27:31 こうしてイエスをからかってから、マントを脱がせて元の衣を着せ、十字架につけるために連れ出した。27:32 兵士たちが出て行くと、シモンという名のクレネ人に出会った。彼らはこの人に、イエスの十字架を無理やり背負わせた。27:33 ゴルゴタと呼ばれている場所、すなわち「どくろの場所」に来ると、27:34 彼らはイエスに、苦みを混ぜたぶどう酒を飲ませようとした。イエスはそれをなめただけで、飲もうとはされなかった。27:35 彼らはイエスを十字架につけてから、くじを引いてその衣を分けた。27:36 それから腰を下ろし、そこでイエスを見張っていた。27:37 彼らは、「これはユダヤ人の王イエスである」と書かれた罪状書きをイエスの頭の上に掲げた。27:38 そのとき、イエスと一緒に二人の強盗が、一人は右に、一人は左に、十字架につけられていた。27:39 通りすがりの人たちは、頭を振りながらイエスをののしった。27:40 「神殿を壊して三日で建てる人よ、もしおまえが神の子なら自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」27:41 同じように祭司長たちも、律法学者たち、長老たちと一緒にイエスを嘲って言った。27:42 「他人は救ったが、自分は救えない。彼はイスラエルの王だ。今、十字架から降りてもらおう。そうすれば信じよう。27:43 彼は神に拠り頼んでいる。神のお気に入りなら、今、救い出してもらえ。『わたしは神の子だ』と言っているのだから。」27:44 イエスと一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスをののしった。   ピラトは群衆の要求に応じて、バラバを釈放し、イエス様をむち打ちにした後、十字架の処刑に渡しました。人間的に思えば、悔しいことですが、これで神様の御業は決定的に成し遂げられていきます。   イエス様は十字架につけられてから絶えず十字架から降りてきなさいという声を聞かれました。十字架に付けられているイエス様を嘲ったのは、サタンの悪賢い誘惑です。しかし、イエス様が十字架から降りたなら、それこそ王であり、キリストであるご自身を自ら放棄することになります。   映画『パッション オブ クライスト』でイエス様が十字架で息を止めたとき、サタンが深いところに落ち、悲鳴を上げる場面があります。イエス様が十字架で死ぬということは、人間の罪の鎖で縛ろうとするサタンの完全な敗北を意味するからです。十字架は神様の勝利であると同時にサタンの敗北です。   しかし、サタンはまだ働いています。イエス様を十字架の下に引き下ろすことには失敗しましたが、その十字架を信じることを恥じと思わせ、その十字架を負って従うことを面倒なことと思わせ、使命による苦難を恐がらせて、人々をだまします。イエスの十字架という勝利がありますが、目を覆い、それを見ないようにさせます。イエスの十字架という勝利がありますが、その十字架に伴う信仰はまだ戦争中なのです。

마태복음 QT69 210401목【십자가에 달리신 예수】마태 27장 27~44

마태 27장 27~44 27:27 이에 총독의 군병들이 예수를 데리고 관정 안으로 들어가서 온 군대를 그에게로 모으고27:28 그의 옷을 벗기고 홍포를 입히며27:29 가시 면류관을 엮어 그 머리에 씌우고 갈대를 그 오른손에 들리 고 그 앞에서 무릎을 꿇고 희롱하여 가로되 유대인의 왕이여 평안할지어다 하며27:30 그에게 침 뱉고 갈대를 빼앗아 그의 머리를 치더라27:31 희롱을 다한 후 홍포를 벗기고…

マタイによる福音書 QT68 20210331水【ピラトの裁判】マタイ 27章 11~26

マタイ 27章 11~2627:11 さて、イエスは総督の前に立たれた。総督はイエスに尋ねた。「あなたはユダヤ人の王なのか。」イエスは言われた。「あなたがそう言っています。」27:12 しかし、祭司長たちや長老たちが訴えている間は、何もお答えにならなかった。27:13 そのとき、ピラトはイエスに言った。「あんなにも、あなたに不利な証言をしているのが聞こえないのか。」27:14 それでもイエスは、どのような訴えに対しても一言もお答えにならなかった。それには総督も非常に驚いた。27:15 ところで、総督は祭りのたびに、群衆のため彼らが望む囚人を一人釈放することにしていた。27:16 そのころ、バラバ・イエスという、名の知れた囚人が捕らえられていた。27:17 それで、人々が集まったとき、ピラトは言った。「おまえたちはだれを釈放してほしいのか。バラバ・イエスか、それともキリストと呼ばれているイエスか。」27:18 ピラトは、彼らがねたみからイエスを引き渡したことを知っていたのである。27:19 ピラトが裁判の席に着いているときに、彼の妻が彼のもとに人を遣わして言った。「あの正しい人と関わらないでください。あの人のことで、私は今日、夢でたいへん苦しい目にあいましたから。」27:20 しかし祭司長たちと長老たちは、バラバの釈放を要求してイエスは殺すよう、群衆を説得した。27:21 総督は彼らに言った。「おまえたちは二人のうちどちらを釈放してほしいのか。」彼らは言った。「バラバだ。」27:22 ピラトは彼らに言った。「では、キリストと呼ばれているイエスを私はどのようにしようか。」彼らはみな言った。「十字架につけろ。」27:23 ピラトは言った。「あの人がどんな悪いことをしたのか。」しかし、彼らはますます激しく叫び続けた。「十字架につけろ。」27:24 ピラトは、語ることが何の役にも立たず、かえって暴動になりそうなのを見て、水を取り、群衆の目の前で手を洗って言った。「この人の血について私には責任がない。おまえたちで始末するがよい。」27:25 すると、民はみな答えた。「その人の血は私たちや私たちの子どもらの上に。」27:26 そこでピラトは彼らのためにバラバを釈放し、イエスはむちで打ってから、十字架につけるために引き渡した。   ピラトはイエス様に罪がないことを知っていたのでイエスを過越の祭りに特別赦免しようと考えました。ピラトはユダヤの宗教指導者たちがイエス様を告訴したのが、妬みと嫉妬のためであることを知っていましたが、扇動された世論の圧力のゆえに、十字架の処刑という政治的な選択をしました。選択は自分がしましたが、責任は自分にないと宣言しました。彼の言葉通り、彼は裁判官として無責任な宣言をしたわけであります。   イエス様は終始一貫、無罪のための何の弁護もせずに沈黙しました。まるで有罪判決を受けなければならな人のように、怒りと殺意に抵抗しませんでした。イエス様は、自分の無罪を証明しようとされたのではなく、神の子を殺そうとしている多くの罪人の罪を担う使命を証明されました。イエス様を殺そうとする人々の狂気が大きければ大きいほど、イエス様はさらに沈黙ました。   あなたユダヤ人の王なのかというピラトの質問にイエス様は、「あなたがそう言っています」と答えたものが全部です。偽りとむりやりの告訴に対しては沈黙ましたが、王的身分については、群衆の怒りに油を注ぐ結果であることが確かでありながら、答えたのです。それは、大祭司の家での尋問でも同じでした。あきらめられないこと、退くことができないこと、言わざるを得ないことは、イエス様が神の子であり、治める王であり、救うキリストであるという真実です。   人々の声の中でイエス様を弁護する声はありませんでした。イエス様に罪はありませんという真実の声は聞こえません。叫んいる群衆から、イエス様よりも大きい沈黙を出会います。真実を言わずに良心を隠します。世は変わってないでしょう。良心を騙し、真実を言わず、自分のために声を出します。ピラトの法廷のような世の中で、教会は沈黙してはなりません。イエス様が神の子であり、われら治める王であり、罪びと救うキリストである真実を言わなければなりません。