잠언 묵상 【지혜, 지식, 명철, 모략】 20231213(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

잠언 24:1~2224:1 너는 악인의 형통을 부러워하지 말며 그와 함께 있기도 원하지 말지어다24:2 그들의 마음은 강포를 품고 그 입술은 잔해를 말함이니라24:3 집은 지혜로 말미암아 건축되고 명철로 말미암아 견고히 되며24:4 또 방들은 지식으로 말미암아 각종 귀하고 아름다운 보배로 채우게 되느니라24:5 지혜 있는 자는 강하고 지식 있는 자는 힘을 더하나니24:6 너는 모략으로 싸우라 승리는 모사가 많음에 있느니라24:7 지혜는…

箴言 黙想 【正気で生きる】20231212(火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

箴言 23:17~3523:17 心のうちで罪人を羨んではならない。いつも、ただ主を恐れていよ。23:18 あなたには確かに将来がある。あなたの望みは断たれることはない。23:19 わが子よ。よく聞いて、知恵を得よ。あなたの心が道をまっすぐ進むようにせよ。23:20 大酒飲みや、肉を貪り食う者と交わるな。23:21 大酒飲みや、貪り食う者は貧しくなり、惰眠を貪る者はぼろをまとうようになるからだ。23:22 あなたを生んだ父の言うことを聞け。あなたの母が年老いても蔑んではならない。23:23 真理を買え。それを売ってはならない。知恵と訓戒と分別も。23:24 正しい人の父は心躍らせ、知恵のある子を生んだ人はその子を喜ぶ。23:25 あなたの父と母を喜ばせ、あなたを産んだ人を楽しませよ。23:26 わが子よ、あなたの心をわたしにゆだねよ。あなたの目が、わたしの道を喜ぶようにせよ。23:27 遊女は深い穴、見知らぬ女は狭い井戸だから。23:28 その女は強盗のように待ち伏せ、人々の間に裏切り者を増やす。23:29 嘆く者はだれか。悲嘆の中にある者はだれか。争いを好む者はだれか。不平を言う者はだれか。理由もなく傷ついている者はだれか。血走った目をしている者はだれか。23:30 ぶどう酒をいつまでも飲み続ける者、混ぜ合わせた酒の味見をしに行く者だ。23:31 ぶどう酒が赤いとき、杯の中で輝くとき、滑らかにこぼれるとき、それを見てはならない。23:32 後になると、これが蛇のようにかみつき、まむしのように刺す。23:33 あなたの目は異様な物を見、あなたの心はねじれごとを語り、23:34 海の真ん中で寝ている人のように、帆柱のてっぺんで寝ている人のようになる。23:35 「私は打たれたが、痛くなかった。殴られたが、知らなかった。いつ、私は目を覚ますだろうか。もっと飲みたいものだ。」   箴言31章では「強い酒は滅びようとしている者に、ぶどう酒は心の痛んでいる者に与えなさい。6」と言います。心が苦しい人は、現実の苦痛を鈍らせるためにお酒を飲むこともあります。しかし、日常が酒に支配されると、人は正気では生きられなくなります。体も心も考えも元の機能を失ってしまいます。パウロの第一テモテの手紙3章では「大酒飲みでなく 8」が教会に仕える働き人の条件の一つです。節制できず依存してしまう酒はまた次の問題を呼びます。箴言の著者はそれが27節以下で「淫乱と性的離脱」であると告発します。酒に酔って生きること、淫乱に縛られて生きることは正気で生きることではありません。酒と淫らに中毒されている人は、自分の責任を放棄して生きている人に違いありません。正気をもって責任ある人生を生きていないため、快楽と現実逃避に依存しているのです。本文の編集が面白いのは、正気で生きなければならないもう一つの価値、親を認め、敬わなければならないことの間に淫らに対する警戒があるということです。というのは、20節から酒に酔ってはいけないと言っていましたが、25節からは親の敬うことについて、また27節からは遊女に気をつけるという話が、30節からはまた酒のことが出てきます。人間らしく生きること、正気に生きることは、責任があることです。それで今朝タイトルを「禁酒、禁欲、親孝行」ではなく「正気」とつけました。   アルコールと淫らで前頭葉が壊れた人は、知的、霊的な活動ができなくなります。ただし、壊れた前頭葉は中毒を断ち切り、社会的、生産的な活動を再会するえば回復できます。ちなみにスマートフォンやゲーム中毒の場合、3ヶ月止まることで壊れた前頭葉が回復するそうです。前頭葉は人間の最も高尚な精神活動を担当するところです。大切な意思決定を行うところであるため、前頭葉が壊れると節制できず、衝動調節障害が悪循環します。前頭葉を回復するための効果的な方法は、見るより、話す、読むより書くことです。積極的に知的、創意的な活動をするということです。心が壊れた人が日記を書けば心が回復することもその理由です。私はうつになりそうな気がする時、むやみに何かを書きます。それは胃もたれした心を吐き出すようなことです。そうすると、すぐに呼吸が戻ってきます。御言葉を黙想し、黙想日記を書くのが嫌なのは、忙しいからではなく、すでに日常中毒になってしまっているからです。中毒に勝つ方法は、上位に中毒する方法しかありません。肉体の中毒から抜け出し、神の御言葉に中毒になれば克服できます。家庭を守り、自分の心と思いを守り、正気にもって生きていること、それが霊的に生きていることです。

잠언 묵상 【제정신으로 살기】 20231212(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

잠언 23:17~3523:17 네 마음으로 죄인의 형통을 부러워하지 말고 항상 여호와를 경외하라23:18 정녕히 네 장래가 있겠고 네 소망이 끊어지지 아니하리라23:19 내 아들아 너는 듣고 지혜를 얻어 네 마음을 정로로 인도할지니라23:20 술을 즐겨하는 자와 고기를 탐하는 자로 더불어 사귀지 말라23:21 술 취하고 탐식하는 자는 가난하여질 것이요 잠자기를 즐겨하는자는 해어진 옷을 입을 것임이니라23:22 너 낳은 아비에게 청종하고 네…

箴言 黙想 【もう少し高い社会性】20231211(月) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

箴言 23:1~1623:1 あなたが支配者と食事の席に着くときは、前にある物によく注意するがよい。23:2 あなたが食欲の盛んな人であるなら、自分の喉に短刀を当てよ。23:3 そのごちそうを欲しがってはならない。それは偽りの食物である。23:4 富を得ようと苦労してはならない。自分の分別によって、これをやめよ。23:5 あなたがこれに目を留めると、それはもうないではないか。富は必ず翼をつけて、鷲のように天へ飛んで行く。23:6 物惜しみする人のパンを食べるな。彼のごちそうを欲しがるな。23:7 彼は、心のうちでは勘定ずくだから。あなたに「食え、飲め」と言っても、その心はあなたとともにない。23:8 あなたは、食べた食物を吐き出し、ほめことばを無駄にすることになる。23:9 愚かな者に話しかけるな。彼はあなたの思慮深いことばを蔑むからだ。23:10 昔からの地境を移してはならない。みなしごの畑に入り込んではならない。23:11 彼らの贖い主は力強く、彼らの訴えを取り上げて、あなたと争うからだ。23:12 あなたは訓戒に心を用い、知識のことばに耳を傾けよ。23:13 子どもを懲らしめることを差し控えてはならない。むちで打っても、死ぬことはない。23:14 あなたがむちでその子を打つなら、その子のいのちをよみから救い出すことができる。23:15 わが子よ。もし、あなたの心に知恵があれば、私の心も喜び、23:16 あなたの唇が公正を語るなら、私の心は喜びに躍る。   1~8節は経済的誘惑に対する処世です。チャンスだと思いますが、落とし穴かもしれません。世は人に代価なしにチャンスを与えません。貪欲と本能という愚かさで対応すれば、世の中の罠に陥ります。誘惑に屈して失敗すると、世に嘲笑されます。誘惑が機会を装って近づく時、欲を捨てて対応すれば見分けがつきます。お腹がすいても卑屈しない、お腹がいっぱいでも高ぶらない、毅然とした姿勢があれば、チャンスと誘惑を区別することができるでしょう。御言葉は私たちにもう少し高い社会性を求めています。   9節では、愚かな人には教えないと言いました。差別、無視のように聞こえるかもしれませんが、イエス様はこの問題について、豚に真珠を与えないと言われました。真珠や真珠を与える人の情けなさが主題ではありません。真珠の価値を知らない豚が主題です。豚が真珠を踏みにじっているのに真珠を投げ続けることは聞き取れない豚と肩を並べる愚かさです。人が人に教えられるようなことは非常に少ないです。詰まった耳は外からは開けられません。うちから開けなければなりません。聞こうとしなければ聞こえません。より高い社会性を必要とするのです。   第10節と第11節は、貧しい人の権利を侵すことに対する警告です。昔からの地境を移してはならないということは、境界標識の杭を抜いて他のところに差し込んではいけないということです。みなしごの畑に入り込んではならない、権力と資本の強奪と横暴は常にありますが、御言葉は彼らを常に敵対します。神様が彼らの敵になって戦うと言われます。これも共に生きるべき社会において、より高い社会性を求めているのです。   12節から16節は鞭を打てという表現を使って子どもを訓戒し懲戒しろと言います。ここで体罰賛否のことは言い出す必要はありません。親が体罰しなくても、一人の人間は人生を通して鞭を打たれるような懲戒を受けることがなります。自分の本性を抑え、社会の一員として生きる練習と教育を受けなければ、苦しいことは決まっています。神様は肉体ではないので、手に鞭を持って私たちを打つことはありませんが、振り返ってみると、神様から鞭を打たれたことに気づくことがあります。御言葉はより高い社会性を求めています。いや、それは失敗せずに成功し、やりがいをもってむなしくしないための神様の配慮です。

잠언 묵상 【좀 더 높은 사회성】 20231211(월) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

잠언 23:1~1623:1 네가 관원과 함께 앉아 음식을 먹게 되거든 삼가 네 앞에 있는 자가 누구인지 생각하며23:2 네가 만일 탐식자여든 네 목에 칼을 둘 것이니라23:3 그 진찬을 탐하지 말라 그것은 간사하게 베푼 식물이니라23:4 부자 되기에 애쓰지 말고 네 사사로운 지혜를 버릴지어다23:5 네가 어찌 허무한 것에 주목하겠느냐 정녕히 재물은 날개를 내어 하늘에 나는 독수리처럼 날아가리라23:6 악한 눈이…

コロサイ人への手紙 黙想 【お祈りで始める】20231209(土) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

コロサイ人への手紙 4:1-9 4:1 主人たちよ。あなたがたは、自分たちも天に主人を持つ者だと知っているのですから、奴隷に対して正義と公平を示しなさい。 4:2 たゆみなく祈りなさい。感謝をもって祈りつつ、目を覚ましていなさい。 4:3 同時に、私たちのためにも祈ってください。神がみことばのために門を開いてくださって、私たちがキリストの奥義を語れるように祈ってください。この奥義のために、私は牢につながれています。 4:4 また、私がこの奥義を、語るべき語り方で明らかに示すことができるように、祈ってください。 4:5 外部の人たちに対しては、機会を十分に活かし、知恵をもって行動しなさい。 4:6 あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味の効いたものであるようにしなさい。そうすれば、一人ひとりにどのように答えたらよいかが分かります。 4:7 私の様子はすべて、愛する兄弟、忠実な奉仕者、主にある同労のしもべであるティキコが、あなたがたに知らせます。 4:8 ティキコをあなたがたのもとに遣わすのは、ほかでもなく、あなたがたが私たちの様子を知って、心に励ましを受けるためです。 4:9 また彼は、あなたがたの仲間の一人で、忠実な、愛する兄弟オネシモと一緒に行きます。この二人がこちらの様子をすべて知らせます。  コロサイ人への手紙の最後の章に入り、パウロはコロサイの聖徒たちに忠告します。 その忠告の最初の内容は「お祈り」でした。    教会は当時のパウロのように、様々な責務を果たしています。 伝道と救済、教え、慰めなど世の中に向かって、そしてお互いに向かって愛をもって献身することです。 そして今日使徒パウロはそのすべてのことに先立ち、「たゆみなく祈りなさい。感謝をもって祈りつつ、目を覚ましていなさい。」と忠告します。    私たちはお祈りお通して私たちの弱さに気づき、神様に頼ることができます。 お祈りから始めないことは、私たちの力でやっていこうとするようなものです。    使徒パウロは自分の弱さを、そしてすべての教会と聖徒の弱さを確かに知っていました。 だからこそ、自分たちの力ではなく、神様から与えられる力ですべてのことをしていけるように、すべてのことをお祈りから始めることを忠告したのです。    お祈りは私たちを謙遜の道に導いてくれます。 そして神様は私たちのその謙遜を通して私たちに働いてくださいます。 日々私たちの力ではできないということを認めながら、折りにかなった助けを受けられる恵みの御座の前に近づいていくお祈りを通して神様と共に生きていく私たちになっていきたいと思います。 https://youtu.be/RCudJn-zWJs?si=ENWvXE_JW6Rcq1df

골로새서 묵상 【기도로 시작하기】 20231209(토) 에다가와 사랑의교회 최종석 전도사

골로새서 4:1-9 4:1 상전들아 의와 공평을 종들에게 베풀지니 너희에게도 하늘에 상전이 계심을 알지어다 4:2 기도를 계속하고 기도에 감사함으로 깨어 있으라 4:3 또한 우리를 위하여 기도하되 하나님이 전도할 문을 우리에게 열어 주사 그리스도의 비밀을 말하게 하시기를 구하라 내가 이 일 때문에 매임을 당하였노라 4:4 그리하면 내가 마땅히 할 말로써 이 비밀을 나타내리라 4:5 외인에게 대해서는 지혜로 행하여 세월을 아끼라 4:6 너희 말을…

コロサイ人への手紙 黙想 【主に対して】20231208(金) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

コロサイ人への手紙 3:18-25 3:18 妻たちよ。主にある者にふさわしく、夫に従いなさい。 3:19 夫たちよ、妻を愛しなさい。妻に対して辛く当たってはいけません。 3:20 子どもたちよ、すべてのことについて両親に従いなさい。それは主に喜ばれることなのです。 3:21 父たちよ、子どもたちを苛立たせてはいけません。その子たちが意欲を失わないようにするためです。 3:22 奴隷たちよ、すべてのことについて地上の主人に従いなさい。人のご機嫌取りのような、うわべだけの仕え方ではなく、主を恐れつつ、真心から従いなさい。 3:23 何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい。 3:24 あなたがたは、主から報いとして御国を受け継ぐことを知っています。あなたがたは主キリストに仕えているのです。 3:25 不正を行う者は、自分が行った不正を報いとして受け取ることになります。不公平な扱いはありません。  客をもてなすことは、単にその客をもてなすことにとどまるのではなく、その客を遣わした人をもてなすことと同じだと思われています。 現代でも各国の外交官をもてなす態度がその国に対する態度だとみなされています。    私たちはキリストに仕える人であることをパウロは明確にすると同時に、何をするにもすべての人に主に対してするようにと言っています。 その理由は、昨日の本文の言葉のようにキリストがすべてであり、すべての中におられるからです。    私たち一人一人は、私たちがキリストから遣わされた人であることを覚え、私たちのために十字架につけられたキリストを覚え、私たちに任せされた使命があること、その任せされた使命に献身しなければなりません。 しかし、それと同時に、私がキリストから遣わされた人であると同じく、私の隣の人もキリストから遣わされた人であることを覚えなければなりません。    与えられた家庭、日々の生活のところ、すべての瞬間の中にキリストはおられます。 そのため、私たちはすべてのことにキリストにするように、さらに進んで、ようにする間接的な献身ではなく、すべてのことがキリストに向かう直接的な献身になることを覚えなければなりません。    私たち一人一人はキリストから遣わされた者で、十字架で対価を払って救い出された尊い存在です。 だからこそ、私たちの主である神様を愛し、私を愛するべきです。 同時に、私のように神様に愛されている尊い存在である隣人を愛するべきです。 だからこそ聖書は、隣人を自分のように愛しなさいと命じているのです。 私の誇りがキリスト以外には一つもないと告白したように、私たちの隣人もその価値が人にあるのではなく、すべての中におられるキリストにあるからです。    時にはどうしても愛せないような時もありますが、心を尽くして主に対してするようにし、人にするようにしないこと、その人を見るのではなく、その人の中におられるキリストを見て愛することが私たちが互いに愛することができる理由となるでしょう。 https://youtu.be/AIvLEBfQ8J8?si=RYMobJrGMW19UQ96

골로새서 묵상 【주께 하듯】 20231208(금) 에다가와 사랑의교회 최종석 전도사

골로새서 3:18-25 3:18 아내들아 남편에게 복종하라 이는 주 안에서 마땅하니라 3:19 남편들아 아내를 사랑하며 괴롭게 하지 말라   3:20 자녀들아 모든 일에 부모에게 순종하라 이는 주 안에서 기쁘게 하는 것이니라 3:21 아비들아 너희 자녀를 노엽게 하지 말지니 낙심할까 함이라 3:22 종들아 모든 일에 육신의 상전들에게 순종하되 사람을 기쁘게 하는 자와 같이 눈가림만 하지 말고 오직 주를 두려워하여…

コロサイ人への手紙 黙想 【聖者か、聖徒か】20231207(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

コロサイ 3:12~173:12 ですから、あなたがたは神に選ばれた者、聖なる者、愛されている者として、深い慈愛の心、親切、謙遜、柔和、寛容を着なさい。3:13 互いに忍耐し合い、だれかがほかの人に不満を抱いたとしても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。3:14 そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全です。3:15 キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのために、あなたがたも召されて一つのからだとなったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。3:16 キリストのことばが、あなたがたのうちに豊かに住むようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、忠告し合い、詩と賛美と霊の歌により、感謝をもって心から神に向かって歌いなさい。3:17 ことばであれ行いであれ、何かをするときには、主イエスによって父なる神に感謝し、すべてを主イエスの名において行いなさい。   コロサイ人への手紙の前半部の教理的な内容はキリストがすべて、宇宙万物のかしらなるキリスト、すなわちキリスト論です。キリストを証していた手紙はキリストによって生まれ変わった聖徒の身分について話し、3章の後半の今日の本文では教会を構成する聖徒の倫理的な生き方について話しています。キリスト論から教会論が出なければならなかったのは、キリストに出会った人々は教会が建てられなければならなかったからです。パウロは続いて聖徒の倫理的生活について話しましたが、キーワードは、深い慈愛の心、親切、謙遜、柔和、寛容、忍耐、赦し合い、愛です。これは前の内容とつながりはないでしょうか。その人格の程度、倫理と道徳というものは、キリスト論から続く教会論とは別のものでしょうか?   今日の本文には、慈愛と親切のような肯定的なおすすめですが、ある書簡では否定的な弊害と罪を厳格に禁止する倫理もあります。パウロが言うすべての倫理は一貫して「教会のための倫理」です。人間が宗教的遂行を通じて到達しなければならない聖化の状態を求めているのではなく、教会の中での葛藤と問題を解決するための関係上の配慮と注意を呼びかけているのです。深い慈愛の心、親切、謙遜、柔和、寛容、忍耐、赦し合い、愛を言い換えると、教会の中で気に入らない人がいても哀れみ、自分自身を振り返ってへりくだる、戦わずに、穏やかに話し、嫌ても我慢し、受け入れ、赦し合い、やがて愛することができるようにすることです。   ところが、時間が経って本来の意味を誤解した時代は、それを守ることが救いの条件であるかと思い、律法主義の罠に陥りました。それで守れない自分、意志が働かない自分を悲観して自責しました。しかし、その本来の目的は欲望と罪から完全に抜け出した聖者になることではなかったのです。不完全な人間が構成する教会を秩序あるものにするための訴えていたのです。パウロの口調はこんなものです。「教会の中で憎み合い、戦い合い、悪口を言い合えばキリストの名はどうなりますか?信じると言いながら教会の外でそんな悪いことをしたら教会の顔はどうなりますか?   私が普段追い求める教会論は今日の本文16節です。「キリストのことばが、あなたがたのうちに豊かに住むようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、忠告し合い、詩と賛美と霊の歌により、感謝をもって心から神に向かって歌いなさい。16」言葉が牧師にあるのではなく、聖徒の中に豊かにあると言いました。そんな人たちが集まって知恵の言葉で教え合います。相互効果です。教えながら学び、学びながら教えます。詩と賛美と霊の歌は詩篇と賛美歌を歌おうではなく、自分の告白の詩を書き、歌を歌うということです。コロサイ教会がパウロの言葉を聞いて実践していたら、御言葉と教育と賛美が聖徒によって主体的な教会になったと思います。