골로새서 묵상 【실체와 그림자】 20231205(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

골로새서 2:16~232:16 그러므로 먹고 마시는 것과 절기나 월삭이나 안식일을 인하여 누구든지 너희를 폄론하지 못하게 하라2:17 이것들은 장래 일의 그림자이나 몸은 그리스도의 것이니라2:18 누구든지 일부러 겸손함과 천사 숭배함을 인하여 너희 상을 빼앗지 못하게 하라 저가 그 본 것을 의지하여 그 육체의 마음을 좇아 헛되이 과장하고2:19 머리를 붙들지 아니하는지라 온 몸이 머리로 말미암아 마디와 힘줄로 공급함을 얻고…

コロサイ人への手紙 黙想 【In Christ】20231204(月) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

コロサイ 2:1-152:1 私が、あなたがたやラオディキアの人たちのために、そのほか私と直接顔を合わせたことがない人たちのために、どんなに苦闘しているか、知ってほしいと思います。2:2 私が苦闘しているのは、この人たちが愛のうちに結び合わされて心に励ましを受け、さらに、理解することで豊かな全き確信に達し、神の奥義であるキリストを知るようになるためです。2:3 このキリストのうちに、知恵と知識の宝がすべて隠されています。2:4 私がこう言うのは、まことしやかな議論によって、だれもあなたがたを惑わすことのないようにするためです。2:5 私は肉体においては離れていても、霊においてはあなたがたとともにいて、あなたがたの秩序と、キリストに対する堅い信仰を見て喜んでいます。2:6 このように、あなたがたは主キリスト・イエスを受け入れたのですから、キリストにあって歩みなさい。2:7 キリストのうちに根ざし、建てられ、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかりに感謝しなさい。2:8 あの空しいだましごとの哲学によって、だれかの捕らわれの身にならないように、注意しなさい。それは人間の言い伝えによるもの、この世のもろもろの霊によるものであり、キリストによるものではありません。2:9 キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。2:10 あなたがたは、キリストにあって満たされているのです。キリストはすべての支配と権威のかしらです。2:11 キリストにあって、あなたがたは人の手によらない割礼を受けました。肉のからだを脱ぎ捨てて、キリストの割礼を受けたのです。2:12 バプテスマにおいて、あなたがたはキリストとともに葬られ、また、キリストとともによみがえらされたのです。キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じたからです。2:13 背きのうちにあり、また肉の割礼がなく、死んだ者であったあなたがたを、神はキリストとともに生かしてくださいました。私たちのすべての背きを赦し、2:14 私たちに不利な、様々な規定で私たちを責め立てている債務証書を無効にし、それを十字架に釘付けにして取り除いてくださいました。2:15 そして、様々な支配と権威の武装を解除し、それらをキリストの凱旋の行列に捕虜として加えて、さらしものにされました。   3節の「このキリストのうちに、知恵と知識の宝が…」、6節の「主キリスト・イエスを受け入れたのですから…」、7節の「キリストのうちに根ざし、建てられ…」 」,9節の「キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が…」、10節の「キリストにあって満たされているのです…」、11節の「キリストにあって、あなたがたは人の手によらない…」で、「うちに、あって(エンアウト、ἐν αὐτῷ)」は、「キリストの中で(エンキリスト、έν χριστου)」です。パウロの書簡では、「キリストのうちに」という「エンキリスト、έν χριστου)」という表現を繰り返します。それはパウロがキリストのうちに止まりたいという執念、または聖徒をキリストのうちに止める執念でした。その執念を考えると、マタイ福音のイエス様の御言葉が思い浮かびました。「バプテスマのヨハネの日から今に至るまで、天の御国は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています。 マタイ福音11:12」じっとしているのに 「In Christ」にはなることはありません。キリストのうちに入り込まなければなりません。その間に自分の居場所を確保しなければなりません。それが2節で述べた「キリストと連合(Union Christ)」です。   「キリストのうちに」といったキリストとの連合の内的証拠は知識と知恵と感情と理解の豊かさです。キリストのうちに止まりながら愚かで無感覚であることはできません。知性と感性と意志が豊かに満たされるのがキリストのうちにある証拠です。そしてキリストの中にあるものの外的証拠は「洗礼」です。信仰を共同体のうちで告白し、キリストのうちにいるというアイデンティティ、またはキリストのうちにいるという意志を宣言することです。洗礼を受ける時点で信仰が完全ではありません。信仰はキリストのうちで漸進的に成長することです。洗礼者はキリストのうちに止まると誓うことであり、教会はそれを信じ、期待し、助けることです。   今日の本文のコロサイ人への手紙の「キリストのうち」の英訳は「In him」または「In Christ」でした。キリストのうちにいるということです。ところがパウロはガラテヤの手紙3章27節で「あなたがたはみな、信仰により、キリスト・イエスにあって神の子どもです。キリストにつくバプテスマを受けたあなたがたはみな、キリストを着たのです。ガラテヤ3:26、27」と言いました。ここで「キリストにつく」にあたる英訳は「Into Christ」です。(for all of you who were baptized into Christ have clothed yourselves with Christ. 3:27 NIV 2011)キリストに向けてそのうちに入るのです。その方向性と運動性があるのが洗礼です。   私たちは「イエス様が自分のうちにおられる」と表現することができます。間違った表現ではありません。しかし、神様が自分のうちにいるという表現を自己合理化に使ってはいけません。「私のうちにイエス様がおられる」と言わずに「私はイエス様のうちにいる」と告白すべきではありませんか?自分の憐憫のうちにキリストを引きずらず、自分がキリストのうちに入らなければなりません。キリストの御言葉のうちに入り、キリストの福音のうちに入り、その義のうちに入って、自分を入れておかなければなりません。攻めて入らなければなりません。クリスマスに洗礼式がある予定です。キリストのうちに(In Christ)いる聖徒は、キリストのうちに入ろうとしている(Into Christ)兄弟、姉妹を応援しましょう。

골로새서 묵상 【In Christ】 20231204(월) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

골로새서 2:1-152:1 내가 너희와 라오디게아에 있는 자들과 무릇 내 육신의 얼굴을 보지 못한 자들을 위하여 어떻게 힘쓰는 것을 너희가 알기를 원하노니2:2 이는 저희로 마음에 위안을 받고 사랑 안에서 연합하여 원만한 이해의 모든 부요에 이르러 하나님의 비밀인 그리스도를 깨닫게 하려 함이라2:3 그 안에는 지혜와 지식의 모든 보화가 감취어 있느니라2:4 내가 이것을 말함은 아무도 공교한 말로 너희를…

コロサイ人への手紙 黙想 【キリストにあって】20231202(土) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

コロサイ人への手紙 1:9-20 1:9 こういうわけで、私たちもそのことを聞いた日から、絶えずあなたがたのために祈り求めています。どうか、あなたがたが、あらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころについての知識に満たされますように。 1:10 また、主にふさわしく歩み、あらゆる点で主に喜ばれ、あらゆる良いわざのうちに実を結び、神を知ることにおいて成長しますように。 1:11 神の栄光の支配により、あらゆる力をもって強くされ、どんなことにも忍耐し、寛容でいられますように。 1:12 また、光の中にある、聖徒の相続分にあずかる資格をあなたがたに与えてくださった御父に、喜びをもって感謝をささげることができますように。 1:13 御父は、私たちを暗闇の力から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。 1:14 この御子にあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。 1:15 御子は、見えない神のかたちであり、すべての造られたものより先に生まれた方です。 1:16 なぜなら、天と地にあるすべてのものは、見えるものも見えないものも、王座であれ主権であれ、支配であれ権威であれ、御子にあって造られたからです。万物は御子によって造られ、御子のために造られました。 1:17 御子は万物に先立って存在し、万物は御子にあって成り立っています。 1:18 また、御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、すべてのことにおいて第一の者となられました。 1:19 なぜなら神は、ご自分の満ち満ちたものをすべて御子のうちに宿らせ、 1:20 その十字架の血によって平和をもたらし、御子によって、御子のために万物を和解させること、すなわち、地にあるものも天にあるものも、御子によって和解させることを良しとしてくださったからです。  昨日の黙想で分かち合った始まりと終わりのように、すべての結果に至るまでにはそのことの始まった理由と過程があります。 人間という存在には「理由」が本当に重要なものだと思います。 周りの人々を見ながら、そして自分を見ながらその事実をもっと感じていきます。 今日の箇所は、私たちのすべての理由がイエス・キリストにあることを示しています。    私は中学生から高校生までの6年間、第2外国語の授業で日本語以外の言語を選んだことがありません。しかし、それらの授業が今の私の日本語能力にどのぐらい影響を及ぼしたかを振り返ってみると、私はのすぐ0%だと答えられます。 当時の私は日本語を勉強する気が全くありませんでした。 日本語の勉強という結果を出すための理由がなかったからです。 日本語を選択したのは、第2外国語の選択によってクラス分けが行われたからでした。    大人になってから日本語を勉強する理由ができました。 最初は音楽の留学、そして日本宣教という理由でした。 6年間中高校で日本語を学んだ私でしたが、日本語を始めるためにひらがなとカタカナを覚えるためにまた3ヶ月以上勉強しなければなりませんでした。 中高校の時は全然日本語の勉強をしなかったからです。 しかし、日本語を勉強しなければならない理由が明確になればなるほど、勉強にもますます速度がつきました。    多くの人が言語の勉強は才能の領域だと言います。 日本語がある程度早く成長していた私を見て、私も自分が言語に才能があると思いました。 それで英語の勉強を試してみましたが、2週間も経たないうちに諦めてしまいました。 全然頭に入ってこなかったからです。 私にはまだ英語を勉強しなければならない理由が明確ではなかったのです。    私たちの信仰生活においても理由は本当に重要です。 その理由が正しくなく、明確でなければ、他のカルト宗教のように奇跡のようなことを望む行為に過ぎないからです。 だからこそ、私たちは絶えず自分自身に問わなければなりません。    誰かに祈祷課題を聞いてみるとよくある課題である健康、学業や職場、たまには信仰のためのこと。 では、なぜ私たちは健康であることを祈るのでしょうか。 なぜ学業や職場生活がうまくいくことを祈るのでしょうか。…

골로새서 묵상 【그리스도로 말미암아】 20231202(토) 에다가와 사랑의교회 최종석 전도사

골로새서 1:9-20 1:9 이로써 우리도 듣던 날부터 너희를 위하여 기도하기를 그치지 아니하고 구하노니 너희로 하여금 모든 신령한 지혜와 총명에 하나님의 뜻을 아는 것으로 채우게 하시고 1:10 주께 합당하게 행하여 범사에 기쁘시게 하고 모든 선한 일에 열매를 맺게 하시며 하나님을 아는 것에 자라게 하시고 1:11 그의 영광의 힘을 따라 모든 능력으로 능하게 하시며 기쁨으로 모든 견딤과 오래 참음에 이르게…

コロサイ人への手紙 黙想 【最後から振り返る最初】20231201(金) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

コロサイ人への手紙 1:1-8 1:1 神のみこころによるキリスト・イエスの使徒パウロと、兄弟テモテから、 1:2 コロサイにいる聖徒たち、キリストにある忠実な兄弟たちへ。私たちの父なる神から、恵みと平安があなたがたにありますように。 1:3 私たちは、あなたがたのことを祈るときにいつも、私たちの主イエス・キリストの父なる神に感謝しています。 1:4 キリスト・イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対してあなたがたが抱いている愛について聞いたからです。 1:5 それらは、あなたがたのために天に蓄えられている望みに基づくもので、あなたがたはこの望みのことを、あなたがたに届いた福音の真理のことばによって聞きました。 1:6 この福音は、あなたがたが神の恵みを聞いて本当に理解したとき以来、世界中で起こっているように、あなたがたの間でも実を結び成長しています。 1:7 そういうものとして、あなたがたは私たちの同労のしもべ、愛するエパフラスから福音を学びました。彼は、あなたがたのためにキリストに忠実に仕える者であり、 1:8 御霊によるあなたがたの愛を、私たちに知らせてくれた人です。  一年の最後の月である12月に入りました。 今頃、一年の始まりを振り返るプログラムがあちこちで行われます。 このような一年の終わりにコロサイ人への手紙を黙想するのは本当に貴重な時間になると思います。    パウロの手紙にはそれぞれ強調される神学的なテーマがあります。 それは今日から始まるコロサイ人への手紙もです。コロサイ人への手紙は特にキリストに関すること、キリスト論と呼ばれるテーマを中心に扱っています。 使徒パウロはコロサイ人への手紙を通してキリストがどんなお方であり、そのお方が私たちのためにどんなことをなされたのか、私たちの信仰の最初となるイエス·キリストについて伝えているのです。    一年の最後の12月となり、一年の最初である1月を振り返ってみると、いつの間にか薄れた記憶も、鮮やかに残っている記憶もあるでしょう。 小さな事件や瞬間は忘れられ、大きくて重要だった事件は記憶に残るのが当然です。    私たちの信仰の旅を振り返ってみると、どんなことが鮮やかに残っているのでしょうか。 色々な誓いと成長のために努力した時間が思い浮ぶ中で、その始まりである純粋なキリストの福音はどれほど鮮やかに浮んでいるでしょうか。    主日に行われたダラント市場で、子供たち一人一人が福音を聞き、迎接の祈りをしました。 主日学校の説教の半分にも届かない短い時間の間に伝えた短い文章、その純粋な福音がその子供たちの一生にわたる信仰の旅の第一歩となるのです。    一年の最後の12月は、一年の始まりである1月なしには来ません。 ですから私たちは今頃その始まりを振り返るのです。同じく、私たちの信仰の旅は福音を説明するその短い文章を省略してからは始まりません。 ですからその始まりを振り返り、調べなければなりません。    この一年の最後からその最初を振り返ると同時に、今までの信仰の旅とその最初を振り返り、私たちの信仰の最初であるイエス·キリストの福音という基礎がさらに堅くなっていくこの時期を過ごしたいと思います。 https://youtu.be/oA7pzzRheFc?si=1614IKBuW0Kc_4E1

골로새서 묵상 【끝자락에서 돌아보는 시작】 20231201(금) 에다가와 사랑의교회 최종석 전도사

골로새서 1:1-8 1:1 하나님의 뜻으로 말미암아 그리스도 예수의 사도 된 바울과 형제 디모데는 1:2 골로새에 있는 성도들 곧 그리스도 안에서 신실한 형제들에게 편지하노니 우리 아버지 하나님으로부터 은혜와 평강이 너희에게 있을지어다 1:3 우리가 너희를 위하여 기도할 때마다 하나님 곧 우리 주 예수 그리스도의 아버지께 감사하노라 1:4 이는 그리스도 예수 안에 너희의 믿음과 모든 성도에 대한 사랑을 들었음이요  1:5 너희를 위하여 하늘에…

ゼパニヤ 黙想 【喜びをたえられず】202311230(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

ゼパニヤ 3:9~203:9 そのとき、わたしは諸国の民の唇を変えて清くする。彼らはみな主の御名を呼び求め、一つになって主に仕える。3:10 クシュの川の向こうから、わたしに願い事をする者、わたしに散らされた者たちがわたしへの贈り物を携えて来る。3:11 その日、あなたはわたしに背いて行ったすべての行いのことで、恥を見ることはない。そのとき、わたしがあなたのただ中から、おごり高ぶる者どもを取り除くからだ。あなたはわたしの聖なる山で、二度と高ぶることはない。3:12 わたしはあなたのただ中に、へりくだった、貧しい民を残す。彼らは主の名に身を避ける。3:13 イスラエルの残りの者は不正を行わず、偽りを言わない。その口の中に欺きの舌は見つからない。まことに彼らは草を食べて伏す。彼らを脅かす者はいない。」3:14 娘シオンよ、喜び歌え。イスラエルよ、喜び叫べ。娘エルサレムよ、心の底から喜び躍れ。3:15 主はあなたへのさばきを取り除き、あなたの敵を追い払われた。イスラエルの王、主は、あなたのただ中におられる。あなたはもう、わざわいを恐れることはない。3:16 その日、エルサレムは次のように言われる。「シオンよ、恐れるな。気力を失うな。3:17 あなたの神、主は、あなたのただ中にあって救いの勇士だ。主はあなたのことを大いに喜び、その愛によってあなたに安らぎを与え、高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる」と。3:18 「例祭から離れて悲しむ者たちをわたしは集める。彼らはあなたから離れていた。そしりがシオンへの重荷であった。3:19 見よ。わたしはそのとき、あなたを苦しめたすべての者を罰する。わたしは足を引きずる者を救い、散らされた者を集め、彼らの恥を全地で栄誉ある名に変える。3:20 そのとき、わたしはあなたがたを連れ帰る。そのとき、わたしはあなたがたを集める。まことに、あなたがたの目の前でわたしがあなたがたを元どおりにするとき、わたしは、地のあらゆる民の間であなたがたに栄誉ある名を与える。──主は言われる。」   第3章の最後はさばきの後に来るべき回復を預言です。「あなたを苦しめたすべての者を罰する。わたしは足を引きずる者を救い、散らされた者を集め、…19」。神様は敵を滅ぼし、ユダを回復させます。ところがユダのその敵とは、厳密にバビロニアという国ではありません。神様がバビロニアに負けたからユダが滅びたわけではありません。神様の必要に応じてバビロニアが用いられただけです。ユダの敵は彼らの高慢でした。高慢がなくなるまでユダの民は苦しみなければなりませんでしたが、神様もこれまで戦われました。神様の選ばれた民たちの高慢と戦ったのです。   やがてその苦痛が終わり、ユダの心が回復されるとき、神様は感激で喜ばれます。「あなたの神、主は、あなたのただ中にあって救いの勇士だ。主はあなたのことを大いに喜び、その愛によってあなたに安らぎを与え、高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる」と。17」この回復の状態は、神様を礼拝する一人の人間の純粋性が回復した状態です。今日の本文から回復された後のユダは「唇を変えて清く、主の御名を呼び求め、一つになって主に仕える 9、贈り物を携えて来る 10、高ぶることはない、11、喜び歌う、喜び叫ぶ 14、恐れることはない15」 ユダは苦しみを通り、新しい人になりました。誰においても苦しみは歓迎するできないものですが、痛みの涙は汚がれた人間を浄化します。   11月の終わりにゼパニヤを読んで考えました。いかなる場合でも、苦しみの時間がなければ何も作られないということに気がつきました。神様はユダの苦しみを免除することはありませんでした。痛みの時間が過ぎてから回復するからです。「Revival」という言葉は「回復」の意味です。人間は喪失と苦しみの時間を通りながら神様を発見し、また自分自身をも発見します。それで、謙遜な礼拝者として回復することができます。回復されるところは、人間のあるべきところです。神様の前で人間に戻ることがリバイバルです。神様はゼパニヤ3章の浄化された霊性を大いに喜ばれました。そして約束されました。 「地のあらゆる民の間であなたがたに栄誉ある名を与える 20」

스바냐 묵상 【기쁨을 이기지 못하여】 20231130(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

스바냐 3:9~203:9 그 때에 내가 열방의 입술을 깨끗케 하여 그들로 다 나 여호와의 이름을 부르며 일심으로 섬기게 하리니3:10 내게 구하는 백성들 곧 내가 흩은 자의 딸이 구스 하수 건너편에서부터 예물을 가지고 와서 내게 드릴지라3:11 그 날에 네가 내게 범죄한 모든 행위를 인하여 수치를 당하지 아니할 것은 그때에 내가 너의 중에서 교만하여 자랑하는 자를 제하여 너로…

ゼパニヤ 黙想 【創造的破壊】202311229(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師

ゼパニヤ 3:1~83:1 わざわいだ、反逆と汚れに満ちた暴虐の都。3:2 呼びかけを聞こうともせず、戒めを受け入れようともせず、主に拠り頼まず、神に近づこうともしない。3:3 その都の高官たちは都の中で吼えたける雄獅子。その都をさばく者たちは夕暮れの狼。朝まで骨をかじってはいない。3:4 預言者たちは、ふしだらで裏切る者。祭司たちは聖なるものを冒して、みおしえを冒瀆する。3:5 主は、そのただ中にあって正しく、決して不正を行われない。ご自分の公正を、朝ごとにくまなく照らす光とされる。しかし、不正を働く者は恥を知らない。3:6 「わたしは諸国の民を断ち切った。その四隅の塔は荒れ果てた。わたしは彼らの通りを廃墟とした。通り過ぎる者はだれもいない。彼らの町々は荒れすたれた。人は一人もおらず、住む者もいない。3:7 わたしは言った。『あなたはただ、わたしを恐れ、戒めを受け入れよ。そうすれば、わたしがこの都をどれほど罰しても、その住まいは断ち切られない。確かに彼らは、繰り返してあらゆる悪事を行ったが。』3:8 それゆえ、わたしを待て。──主のことば──わたしが証人として立つ日を待て。わたしは諸国の民を集め、もろもろの王国をかき集め、わたしの激しい憤りと燃える怒りをことごとく彼らに注いで、わたしのさばきを下すからだ。全地は、わたしのねたみの火で焼き尽くされる。   神様がユダに対して反逆と汚れに満ちた暴虐の都と怒ったのは、彼らが神様の御声を聞かず、聞き従わず、神様に近づかず、頼りもしなかったからです。政治家と宗教家については、雄獅子と狼に例えました。民を食う獣に比べたものです。しかし、確かなことは、彼らが意志をもって神様の御言葉を聞かなかったり、わざと悪事を犯すことではありません。彼らはそれを行うことができない不能な状態でした。ゼパニヤの時代に生きた人々も宗教から外れたことはありませんでした。彼らは神いつも様について熱心であると思っていました。悔い改めをしなかったのではなく、よく信じていると勘違いしていました。だから、悔い改められない不能な状態になったのです。神様はその上に人間と社会を回復するために彼らの環境を破壊し、苦痛を与える方法で彼らに対する愛を表します。   彼らが形式化された宗教の中で信念を持ちながら矛盾した生き方をしていたのは、根拠のない楽観論のためです。彼らは自分が信じる神様が自分を守り、社会的に、経済的に自分を向上させると考えていました。それを考えるたび、話すたび、聞くたびに信念はさらに強められ、宗教的には熱心の状態になったのです。アーメンという声が大きくなります。しかし、そのような楽観論には根拠がありません。存在もしない神を自分の中に作り出し、それを神様と呼びます。彼らは情熱的ですが、神様の御言葉について無知です。知るとしても部分的または断片的です。誤用し、盗用し、乱用します。根拠のない楽観論に陥った人々が失敗を経験する時は神様を恨みます。そして、双極性悲観論に陥ります。少し自信がつく時は神様を意識せずに生きますが、世にやられると落ち込んで敗北主義者になります。   旧約の預言者たちからの警告を読む時に私たちが得られる教訓というのは「ユダは偶像崇拝したからダメだ」とか「私は悔い改めてきちんと信じる」等ではありません。偶像は神堂にあるのではなく、自分の中にプライドと自信感と確信と安定の形であります。自分を壊すことなく上品な祈り方で悔い改めることはできません。政治の権力を持つ人は、力を奪われる前に自ら変わることはありません。宗教的腐敗も神様のためであると言います。自分が自分をだましておいたから、疑わず堅く信じることができます。滅びる前には変わりません。だから、滅びることが望みです。今まで守っていた環境が崩れる時、その時が神様が私の中で働く時です。破壊せずには創造はできません。悔い改める時、涙を流しますか?涙は自己憐憫かもしれません。自己否定を越え、自己破壊をしなければ、悔い改めには触れません。自分に対して怒らなければ悔い改めることはできません。