에베소서 묵상 【에베소를 떠나보내야 할 때】 20231031(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

에베소서 6:18~246:18 모든 기도와 간구로 하되 무시로 성령 안에서 기도하고 이를 위하여 깨어 구하기를 항상 힘쓰며 여러 성도를 위하여 구하고6:19 또 나를 위하여 구할 것은 내게 말씀을 주사 나로 입을 벌려 복음의 비밀을 담대히 알리게 하옵소서 할 것이니6:20 이 일을 위하여 내가 쇠사슬에 매인 사신이 된 것은 나로 이 일에 당연히 할 말을 담대히 하게…

エペソ人への手紙黙想 【攻撃型武器】20231030(月) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

エペソ人への手紙 6:10~176:10 終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。6:11 悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、神のすべての武具を身に着けなさい。6:12 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天上にいるもろもろの悪霊に対するものです。6:13 ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、一切を成し遂げて堅く立つことができるように、神のすべての武具を取りなさい。6:14 そして、堅く立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、6:15 足には平和の福音の備えをはきなさい。6:16 これらすべての上に、信仰の盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢をすべて消すことができます。6:17 救いのかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち神のことばを取りなさい。   エペソ人への手紙6章はそれぞれの霊的機能を象徴する武器で、「神のすべての武具」について語っています。「神のすべての武具」を付ければならないのは、悪霊の攻撃と誘惑に立ち向かうためです。真理の帯、正義の胸当て、平和の福音のはきもの、信仰の盾、救いのかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち神のことばです。よくみてみると、この中で唯一の攻撃型武器は御霊の剣、すなわち神のことばだけです。神の言葉を持つ人は、霊的戦争で攻守が可能なミッドフィールドです。   インターネットに膨大な情報があり、今は生成AIがそれを統合して知識を編集したり生産したりする時代になりました。しかし、たとえ人間がコンピューターより少ない情報を持っているとしても、ある人間の経験と洞察の中に記憶されている知識がなければ創意力というものは生まれてきません。したがって、人間は依然として大切な情報を学習し、記憶しなければなりません。記憶された知識がなければ創意的なアイデアが出てこないからです。検索すればよいということは落とし穴です。理解しなければならず、記憶しなければなりません。   インターネットにはすでに聖書の主題に対する数多くの解釈と解説があります。他人の文書を書き写す牧師が多くて似たり寄ったりはします。生成AIは、それに基づいて新しい解釈を出すこともあります。しかし、神様の御言葉を経験し、内面に体化した人の創造的霊性を真似することはできません。チェットGPTに質問したら、比較的素直に謙遜したふりをして答えました。「私は学習と推論を通して聖書を解釈し、説教文を作成することができますが、霊的経験はできません。」   長い間に信仰生活しましたが、説教者を追いかけ、リバイバル会だけを訪れた人には霊性がありません。あると言い張るのは宗教性です。そのため、悪魔に打ち勝てる攻撃型武器を持っていません。個人的には聖徒が攻撃型霊的武器である聖霊の剣、すなわち神のことばを持つのに最も邪魔になるのが牧師の説教かと思います。牧師の説教を聞くことが神の言葉を聞くことだと思った霊的依存症患者たちのゆえに、聖霊の剣、すなわち神のことばを持つ攻撃隊員を見つからなくなりました。   人々は専門家に聞けばいいと言いています。しかし、残念なことに、それら多くの牧師も専門家ではないかもしれません。声が大きければ大きいほど専門性がないと見ると、ほぼ正確です。牧師だけではありません。専攻だからよく知っていると思うのは勘違いです。自分を自分で騙してはいけません。学んだことと知っていることはごく一部に過ぎません。自分で言葉を考えようとしてみると、考えられない、説教を聞いた方が楽だと感じることがありますか。それなら攻撃型武器、聖霊の剣、すなわち神のことばが自分にないという証拠です。   個人的には意味のないショートを見ながら時間をつぶすことと有名な牧師の説教を探し回ることが同じく情けないことだと思います。日曜礼拝でそれぞれ自分が仕える教会の牧師が行う説教を注意深く聞くことで十分です。牧師が注意深く説教しない場合は、教会を変えるか、牧師を変えることをお勧めします。しかし、牧師が説教が上手であろうと下手であろうと、それは自分の霊性とは大きく関係しません。日曜日ではない日には自分の目と口で聖書を読み、それを自分の耳で聞き、自分の頭で考え、自分の口で話し、自分の手で書くことをすれば、御言葉は自分の中に体化できます。それが悪魔の策略に対する御霊の剣、すなわち神のことばです。  

에베소서 묵상 【공격형 무기】 20231030(월) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

에베소서 6:10~176:10 종말로 너희가 주 안에서와 그 힘의 능력으로 강건하여지고6:11 마귀의 궤계를 능히 대적하기 위하여 하나님의 전신갑주를 입으라6:12 우리의 씨름은 혈과 육에 대한 것이 아니요 정사와 권세와 이 어두움의 세상 주관자들과 하늘에 있는 악의 영들에게 대함이라6:13 그러므로 하나님의 전신갑주를 취하라 이는 악한 날에 너희가 능히 대적하고 모든 일을 행한 후에 서기 위함이라6:14 그런즉 서서 진리로…

10月エペソ人々への手紙黙想【順番】 20231028 (土) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

エペソ人々への手紙 5:22-33 5:22 妻たちよ。主に従うように、自分の夫に従いなさい。 5:23 キリストが教会のかしらであり、ご自分がそのからだの救い主であるように、夫は妻のかしらなのです。 5:24 教会がキリストに従うように、妻もすべてにおいて夫に従いなさい。 5:25 夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げられたように、あなたがたも妻を愛しなさい。 5:26 キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、 5:27 ご自分で、しみや、しわや、そのようなものが何一つない、聖なるもの、傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。 5:28 同様に夫たちも、自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。自分の妻を愛する人は自分自身を愛しているのです。 5:29 いまだかつて自分の身を憎んだ人はいません。むしろ、それを養い育てます。キリストも教会に対してそのようになさるのです。 5:30 私たちはキリストのからだの部分だからです。 5:31 「それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。」 5:32 この奥義は偉大です。私は、キリストと教会を指して言っているのです。 5:33 それはそれとして、 あなたがたもそれぞれ、自分の妻を自分と同じように愛しなさい。 妻もまた、自分の夫を敬いなさい。  すべてのことには順番があります。 最近、寮でクッキーを焼いていた友達と話をしながら、レシピからほんの少しだけでも順番が変わったら、作ろうとしたクッキーは作れないということを聞いて、すべてのことに順番があり、その順番がとても重要だということを改めて実感しました。 すると、私たちの信仰にはどのような順番があるでしょう。    今日の本文の初めから、最近社会の中で本当に敏感に扱われているテーマの内容が出てきます。’ 妻たちは夫たちに服従せよ’と語り、 夫たちには自己犠牲を求めています。 しかし、実際、その中心は妻に対することも、夫に対することでもありません。 まさに「キリストに従うように」することです。 私たちがキリストにどのように従っているかによって妻に対する態度が、夫に対する態度が、教会に対する態度が変わるでしょう。    私たちの信仰生活にも明確な順番があります。 それはまずイエス·キリストを愛し、その愛で隣人を愛することです。 唯一の完全な愛である主の愛でなければ、私たちはキリストのように隣人を愛することはできないからです。 夫に服従することも、妻のために自分を犠牲にすることも、キリストの中では自然に行われるでしょう。    さらに驚くべきことは、これらの以前の順番もあるという事実です。 それは、このすべての命令をイエス·キリストが先に果たし、私たちに向けた愛を確証し、愛の模範になってくださったということです。 従って、私たちの信仰生活はキリストがしたようにキリストにし、キリストにするように隣人にキリストがしたようにすることです。    私たちの人生の生き方の最初から最後まで、すべての順番に「キリスト」という名前が満ちているということは、私たちの人生の進むべき道、「クッキー」という結果物を作るために欠かせない核心材料があるように、私たちの人生の核心、私たちの人生に抜けてはいけないのはキリストだということではないでしょうか。 https://youtu.be/iID7VMoq_Sk?si=ypPxMY8tqrhdYyw0

10월 에베소서 묵상 【순서대로】 20231028 (토) 에다가와 사랑의교회 최종석 전도사

에베소서 5:22-33 5:22 아내들이여 자기 남편에게 복종하기를 주께 하듯 하라 5:23 이는 남편이 아내의 머리 됨이 그리스도께서 교회의 머리 됨과 같음이니 그가 바로 몸의 구주시니라 5:24 그러므로 교회가 그리스도에게 하듯 아내들도 범사에 자기 남편에게 복종할지니라 5:25 남편들아 아내 사랑하기를 그리스도께서 교회를 사랑하시고 그 교회를 위하여 자신을 주심 같이 하라 5:26 이는 곧 물로 씻어 말씀으로 깨끗하게 하사 거룩하게 하시고 5:27 자기…

10月エペソ人々への手紙黙想【機会を活かす】 20231027 (金) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

エペソ人々への手紙 5:15-21 5:15 ですから、自分がどのように歩んでいるか、あなたがたは細かく注意を払いなさい。知恵のない者としてではなく、知恵のある者として、 5:16 機会を十分に活かしなさい。悪い時代だからです。 5:17 ですから、愚かにならないで、主のみこころが何であるかを悟りなさい。 5:18 また、ぶどう酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。むしろ、御霊に満たされなさい。 5:19 詩と賛美と霊の歌をもって互いに語り合い、主に向かって心から賛美し、歌いなさい。 5:20 いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって、父である神に感謝しなさい。 5:21 キリストを恐れて、互いに従い合いなさい。  現代人には、1日 24時間が足りないという言葉が多くの人々の心を得ています。 私も学期末が近づいてきて、1日 24時間が足りないという言葉を少し実感しています。    しかし、神様の創造の摂理に定められている1日24時間を勝手に増やし減らすことは当然不可能でしょう。 そのため、私たちは与えられている24時間をどのように過ごすかを悩み、与えられている時間をより効率的に活用するために力を注いでいます。    そんな日々を送っている私たちに、今日の御言葉は「機会を十分に活かしなさい。悪い時代だからです。」と言われています。 この世はきっと永遠ではありません。 時が満ち、主が再び来られる日にこの世は最後を迎えます。 必ずしもその日でなくても、私たち人間は誰でも日々与えられているこの世の人生の最後に向かって歩いていきます。 だとしたら、どうやって私たちはこの「機会を活かす」ことを実践できるのでしょうか。    最近「YOLO族」という生き方が多くの人に心を得ています。 「You Only Live Once」、一回だけの人生、しっかり楽しもうというのが彼らの思想です。 キリスト者にとっては少し拒否感が感じられる言葉かも知れませんが、実際キリスト者もこの世での一回だけの人生を正しく生きること、「YOLO」の人生を生きていく必要があります。    私たちは今も与えられている人生の意味、主のみこころが何であるか、引き続き神様に問い。 毎日今日の必要と将来の悩みについて、主のみこころが何であるかを祈っています。 しかし、聖書はすでに、このことについて私たちに何度も答えを示していました。    「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(第一テサロニケ5:16-18)パウロが私たちに‘悟りなさい’と言った主のみこころは、毎日何を食べるか何を飲むか心配するところにあるのではなく、私たちの日常の生き方にありました。    最近の箴言の御言葉を一緒に黙想しながら、「知恵はイエス・キリストである」ということを一緒に見ました。 そして今日の聖書箇所の始めは、私たちに「知恵のない者のとしてではなく、知恵のある者として」と言われています。    私たちにはすでにイエス・キリストが与えられています。だから私たちは「知恵のある者」です。 従って、私たち知恵のある者の人生を生きていかなければなりません。 日々世の中の必要のための働きに追われて生きていきながら機会を無駄遣いにする人生ではなく、神様による喜びと祈りと感謝が溢れる人生、その人生が機会を活かす人生、知恵のある人生なのでしょう。 https://youtu.be/dpTfyIYvqp0?si=_c1UmQb7VgOVKzfD

10월 에베소서 묵상 【세월을 아끼라】 20231027 (금) 에다가와 사랑의교회 최종석 전도사

에베소서 5:15-21 5:15 그런즉 너희가 어떻게 행할지를 자세히 주의하여 지혜 없는 자 같이 하지 말고 오직 지혜 있는 자 같이 하여 5:16 세월을 아끼라 때가 악하니라 5:17 그러므로 어리석은 자가 되지 말고 오직 주의 뜻이 무엇인가 이해하라 5:18 술 취하지 말라 이는 방탕한 것이니 오직 성령으로 충만함을 받으라 5:19 시와 찬송과 신령한 노래들로 서로 화답하며 너희의 마음으로 주께 노래하며 찬송하며…

エペソ人への手紙黙想 【我にも光が照らされれば】20231026(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

エペソ人への手紙 5:1~145:1 ですから、愛されている子どもらしく、神に倣う者となりなさい。5:2 また、愛のうちに歩みなさい。キリストも私たちを愛して、私たちのために、ご自分を神へのささげ物、またいけにえとし、芳ばしい香りを献げてくださいました。5:3 あなたがたの間では、聖徒にふさわしく、淫らな行いも、どんな汚れも、また貪りも、口にすることさえしてはいけません。5:4 また、わいせつなことや、愚かなおしゃべり、下品な冗談もそうです。これらは、ふさわしくありません。むしろ、口にすべきは感謝のことばです。5:5 このことをよく知っておきなさい。淫らな者、汚れた者、貪る者は偶像礼拝者であって、こういう者はだれも、キリストと神との御国を受け継ぐことができません。5:6 だれにも空しいことばでだまされてはいけません。こういう行いのゆえに、神の怒りは不従順の子らに下るのです。5:7 ですから、彼らの仲間になってはいけません。5:8 あなたがたは以前は闇でしたが、今は、主にあって光となりました。光の子どもとして歩みなさい。5:9 あらゆる善意と正義と真実のうちに、光は実を結ぶのです。5:10 何が主に喜ばれることなのかを吟味しなさい。5:11 実を結ばない暗闇のわざに加わらず、むしろ、それを明るみに出しなさい。5:12 彼らがひそかに行っていることは、口にするのも恥ずかしいことなのです。5:13 しかし、すべてのものは光によって明るみに引き出され、明らかにされます。5:14 明らかにされるものはみな光だからです。それで、こう言われています。「眠っている人よ、起きよ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストがあなたを照らされる。」   28才にイエス·キリストを信じて数年後に教会のリーダーになってミスだらけの時にいただいた御言葉が今日の本文5章14節でした。「明らかにされるものはみな光だからです。それで、こう言われています。「眠っている人よ、起きよ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストがあなたを照らされる。」」32才で牧師になることを決心し、献身したが、紆余曲折を経てみると牧師になるまで14年がかかりました。神様の前でやりたくなくて逃げたことはないです。ただ資格がなくて底でぐるぐる回っただけです。何もできない時間がとても長く続きました。   四十を過ぎて東京基督教大学で神学の勉強していた時です。ある日、中庭が見える講義室で黙想授業を行いました。明かりが消えた露出コンクリートの無彩色空間は何も自慢できない私の色にそっくりでした。その時にある光景を見ました。一筋の光が中庭の小さな花木に選択的に照らされていました。周りは相変わらず暗かったのですが、葉っぱはまるで光を抱くように輝き、時々風に揺れました。灰色が支配する世界で、中庭の花木は強烈な彩度で輝いていました。   花の木が美しいというより、照らされた光が神秘的で空を見上げました。どんなにきれいな花も自己発光はしません。世界の中には神様による被造物でないものがなく、すべての被造物は照明を受けてこそ世界の中で存在を表します。エペソ人への手紙5章14節を思い出し、青年の日にしたその祈りを黙想課題に書き直しました。「主が私にも光を照らしてくだされば、主が私にくださったものが生き返って輝きます。」   エペソ人への手紙5章14節は、イザヤ60章1節の引用です。「起きよ。輝け。まことに、あなたの光が来る。主の栄光があなたの上に輝く。」エペソ人への手紙5章14節は「それで」という因果関係を示す接続詞につなげているので、イザヤ60章の背景と無関係ではありません。イザヤ60章は無彩色の存在、バビロンに連れられたたイスラエル捕虜たちに解放の光を照らすという神様の照明の約束です。光源は神様であり、神様が光を照らしてこそ、人が投影して反射することができます。御言葉に従って、もう一度祈ります。「主が私にも光を照らしてくれれば、主が私にくださったものが生き返って輝きます。」

에베소서 묵상 【내게도 빛 비추어 주시면】 20231026(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

에베소서 5:1~145:1 그러므로 사랑을 입은 자녀 같이 너희는 하나님을 본받는 자가 되고5:2 그리스도께서 너희를 사랑하신 것 같이 너희도 사랑 가운데서 행하라 그는 우리를 위하여 자신을 버리사 향기로운 제물과 생축으로 하나님께 드리셨느니라5:3 음행과 온갖 더러운 것과 탐욕은 너희 중에서 그 이름이라도 부르지 말라 이는 성도의 마땅한 바니라5:4 누추함과 어리석은 말이나 희롱의 말이 마땅치 아니하니 돌이켜 감사하는…

エペソ人への手紙黙想 【心のうちに部屋づくり】20231025(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

エペソ人への手紙 4:25~324:25 ですから、あなたがたは偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。私たちは互いに、からだの一部分なのです。4:26 怒っても、罪を犯してはなりません。憤ったままで日が暮れるようであってはいけません。4:27 悪魔に機会を与えないようにしなさい。4:28 盗みをしている者は、もう盗んではいけません。むしろ、困っている人に分け与えるため、自分の手で正しい仕事をし、労苦して働きなさい。4:29 悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。むしろ、必要なときに、人の成長に役立つことばを語り、聞く人に恵みを与えなさい。4:30 神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。4:31 無慈悲、憤り、怒り、怒号、ののしりなどを、一切の悪意とともに、すべて捨て去りなさい。4:32 互いに親切にし、優しい心で赦し合いなさい。神も、キリストにおいてあなたがたを赦してくださったのです。   パウロが警戒するのは嘘、怒り、貪欲、憎しみと紛争という感情に包まれている人々です。しかし、パウロは今、不特定多数に君子の道を教えているわけではありません。聖徒たちに教会共同体に影響を及ぼしかねない否定的な感情の管理について語っているのです。このような感情というのは、特別な悪人のものではなく、日常的に存在するものだからです。 誰もが欺瞞に長けて欲張ります。人と関係していると、誰かが嫌になる時があり、誤解が生じ、怒りが起き、それによって葛藤し、紛争しがちです。   私たちはある完璧な状態を追求します。教会と家庭と職場とすべての人間関係で円満なことを追求します。しかし、どこかで小さな亀裂は必ず生じますし、私たちはそのために感情全体が影響を受けやすいです。カール·ユングはこういう時に掃除をすることをお勧めします。物理的環境を整理整頓するだけでもごちゃした心が慰められ、整頓されるからです。問題はそのような感情そのものではなく、その感情の波及効果です。否定的な感情は避けられませんが、それが自分の心の中に広がらないようにパーティションをつけることは大切です。   そうでなければ、小さな損傷がすべての心を飲み込み、私たちを怒らせ、憂鬱にさせます。感情がこみ上げていかないようにするためには、心の中に部屋を作ってそれを入れ、自分の感情は平静を保っていなければなりません。誰かと感情的対立があれば、それを部屋に入れておいて憎しみという感情に突き進まないようにしなければなりません。それが這い出てきて、自分の精神と関係と全感情を支配するようにしてはいけません。その感情はその部屋の中で解決します。自分の心がその感情に支配されないようにしなければならず、共同体がその感情に影響を受けないようにしなければなりません。   すなわち、パウロは心を落ち着かせた後、その部屋のドアを開けて赦すようにと言います。キリストが私を赦したように、彼らを赦すようにと言います。赦せなければ、自分のすべての感情が悪魔に支配されてしまうからです。肉を持つ限る人間に罪は消えません。その罪を解決できない人間が共に生きていくためには赦ししかありません。神様が私のためにしてくださった方法もそれです。他人を赦す道が私の生きる道です。不快なことはいつも起こります。心の中に小さな部屋を作り、それを入れ、自分の心は平常心を維持します。神様が私を赦した恵みが思い出されれば、その時そのドアを開けて私も赦しを告げたいです。私が、神様に、そして人々に赦されたように······