詩篇 黙想41【弱い時が強い時】221205(月) 枝川愛の教会

詩篇 39:1~1339:1 私は言った。私は自分の道に気をつけよう。私が舌で罪を犯さないように。口に口輪をはめておこう。悪しき者が私の前にいる間は。39:2 私はひたすら黙っていた。良いことにさえ沈黙した。そのため私の痛みは激しくなった。39:3 心は私のうちで熱くなりうめきとともに火が燃え上がった。そこで私は自分の舌で言った。39:4 主よお知らせください。私の終わり私の齢がどれだけなのか。私がいかにはかないかを知ることができるように。39:5 ご覧ください。あなたは私の日数を手幅ほどにされました。あなたの御前では私の一生はないも同然です。人はみなしっかり立ってはいても実に空しいかぎりです。セラ39:6 まことに人は幻のように歩き回りまことに空しく立ち騒ぎます。人は蓄えるがだれのものになるのか知りません。39:7 主よ今私は何を待ち望みましょう。私の望みそれはあなたです。39:8 私のすべての背きから私を助け出してください。私を愚か者のそしりの的としないでください。39:9 私は黙し口を開きません。あなたがそうなさったからです。39:10 どうかあなたのむちを取り去ってください。あなたの手に打たれて私は衰え果てました。39:11 あなたは不義を責めて人を懲らしめシミが食うように人の欲するものをなくされます。実に人はみな空しいものです。セラ39:12 主よ私の祈りを聞いてください。助けを求める叫びに耳を傾けてください。私の涙に黙っていないでください。私はあなたとともにいる旅人すべての先祖のように寄留の者なのです。39:13 私を見つめないでください。私が朗らかになれるようにしてください。私が去っていなくなる前に。   ダビデは自分の人生を神様のと比較します。比較できるものではありませんが、一度比較してみるのは必要かもしれません。それによって人生というものがいかに短く、虚しいことかを知ります。そして一方に神様はいかに大きい方なのかを考えるようになります。人生が日の下で枯れていく草のような存在であることに気づいたこそ神様を認めることができます。だからこそ神様に救いを嘆願することができます。「主よお知らせください。私の終わり私の齢がどれだけなのか。私がいかにはかないかを知ることができるように。4」人生の弱さを知ることは弱さではなく強さです。   詩篇39篇はモルトマン(Jürgen Moltmann)を思い出させます。モルトマンというドイツの神学者は、第二次世界大戦にドイツ軍として参戦しました。神様を信じなかった彼は戦争で隣の同僚が死ぬことを経験し、ショックを受けます。その瞬間、切実な神学的な質問をすることになります。「神はどこにいるだろうか?そして、彼は死んだのになぜ私は死ななかったのか?」まるでルター(Martin Luther)が隣の友人が雷に打たれて死に、自分は生き残った時の告白のようです。イギリス軍は捕虜となったモルトマンに聖書を渡しました。モルトマンはダビデが神様に嘆願している今日の本文の詩篇39篇を読み、自分が神様に嘆願したその質問を思い起こします。後にモルトマンは神学に入門し、絶望の中から希望を唱えた「希望の神学者」と呼ばれる神学者になります。死の実際、そして捕虜の恐怖が人間を人間らしくし、神を神として認めさせました。絶望を絶望として受け入れなければ、希望を希望として信じ、受け入れることはできません。「主よ今私は何を待ち望みましょう。私の望みそれはあなたです。7」

시편 묵상41【약할 때가 강할 때】221205(월) 에다가와 사랑의 교회

시편 39:1~1339:1 내가 말하기를 나의 행위를 조심하여 내 혀로 범죄치 아니하리니 악인이 내 앞에 있을 때에 내가 내 입에 자갈을 먹이리라 하였도다39:2 내가 잠잠하여 선한 말도 발하지 아니하니 나의 근심이 더 심하도다39:3 내 마음이 내 속에서 뜨거워서 묵상할 때에 화가 발하니 나의 혀로 말하기를39:4 여호와여 나의 종말과 연한의 어떠함을 알게 하사 나로 나의 연약함을 알게…

詩篇 黙想40【心に神のみおしえ】221202(金) 枝川愛の教会

詩篇 37:27~4037:27 悪を離れて善を行え。いつまでも地に住め。37:28 まことに主は義を愛し主にある敬虔な人をお見捨てにならない。彼らは永遠に保たれるが悪しき者どもの子孫は断ち切られる。37:29 正しい人は地を受け継ぎいつまでもそこに住む。37:30 正しい人の口は知恵を語りその舌は義を告げる。37:31 その心には彼の神のみおしえがあり彼の歩みはよろけることがない。37:32 悪しき者は正しい人を待ち伏せ彼を殺そうとする。37:33 主は悪しき者の手の中に彼を捨て置かずさばきのときにも彼を不義に定めない。37:34 主を待ち望め。主の道を守れ。主はあなたを高く上げ地を受け継がせてくださる。あなたは悪しき者どもが断ち切られるのを見る。37:35 私は悪しき者の横暴を見た。彼は野生の木のようにはびこっていた。37:36 だが彼は過ぎ去った。見よ彼はもういない。私は捜したが見つからなかった。37:37 全き人に目を留め直ぐな人を見よ。平和の人には未来がある。37:38 しかし背く者はことごとく滅ぼされ悪しき者どもの未来は断ち切られる。37:39 正しい人の救いは主から来る。苦難のときの彼らの砦から。37:40 主は彼らを助け解き放たれる。悪しき者どもから解き放ち彼らを救われる。彼らが主に身を避けているからだ。   ダビデは強い口調で悪から離れ、善を行うようにと言います。37篇が言う善と悪は明確に対照しています。問題は自分自身にとって善と悪の理解が非常に主観的かつ抽象的だという点にあります。善と悪とは何かという大切な理解を自己合理化の中に混ぜてはいけません。自分が善であって他人が悪であるという論理では魂が混乱するだけです。第三者の視線、否、神様の観点から私はどこに属するのかを冷静に判断しなければなりません。この能力がなければ、神様の中にいるのではなく、自分の中に神様に似たものを作ることになります。そのような場合、宗教は社会と対話できず、かえって刀になり、暴力になります。対話が通じない、利己的で、無礼で、暴力的な宗教…堕落した宗教が自ら善であると考える限り、その宗教の唯一の望みはダビデが怒って訴えるように、ただ滅びることしかありません。   37篇が言う善と悪の区別は、律法や規則を遵守する意味の区分ではありません。もちろん守るべきことを守るということは重要です。しかし、それを守るからといって、ここでいう善と完全に一致するわけではありません。法律的な善のことではなく、宗教的な善のことでもありません。ダビデが言わんと善を言い換えると「心の善」です。宗教に所属しているからといって善ではなく、悪いことをしてないからといって、それが善であるわけでもありません。善、その神様の価値は、37篇のキーワードだけ列挙することで分かると思います。「誠実、喜び、忍耐、期待、柔和、和平、知恵、義、平安…」です。31節では「その心には彼の神のみおしえがあり」と言いました。「神様は善いことを行われる方」ではなく「神様は善」です。神様は善そのものです。私の複雑な心を整理して、その中に神様の心がいつもあることを願います。

시편 묵상40【마음에 있는 하나님의 법】221203(토) 에다가와 사랑의 교회

시편 시편 37:27~4037:27 악에서 떠나 선을 행하라 그리하면 영영히 거하리니37:28 여호와께서 공의를 사랑하시고 그 성도를 버리지 아니하심이로다 저희는 영영히 보호를 받으나 악인의 자손은 끊어지리로다37:29 의인이 땅을 차지함이여 거기 영영히 거하리로다37:30 의인의 입은 지혜를 말하고 그 혀는 공의를 이르며37:31 그 마음에는 하나님의 법이 있으니 그 걸음에 실족함이 없으리로다37:32 악인이 의인을 엿보아 살해할 기회를 찾으나37:33 여호와는 저를…

詩篇 黙想39【子孫の祝福】221202(金) 枝川愛の教会

詩篇 37:12~2637:12 悪しき者は正しい人に敵対して事を謀り彼に向かって歯をむき出す。37:13 主は悪しき者を笑われる。彼の日が来るのをご覧になるから。37:14 悪しき者は剣を抜き弓を引いた。苦しむ人貧しい人を打ち倒し行いの正しい人を切り殺すために。37:15 彼らの剣は自分の胸を貫き彼らの弓はへし折られる。37:16 一人の正しい人が持つわずかなものは多くの悪しき者が持つ富にまさる。37:17 悪しき者の腕はへし折られるが主は正しい人を支えられるからだ。37:18 主は全き人の日々を知っておられ彼らのゆずりは永久に続く。37:19 彼らはわざわいのときにも恥を見ず飢饉のときにも満ち足りる。37:20 しかし悪しき者は滅びる。主の敵は牧場の青草のようだ。彼らは消え失せる。煙となって消え失せる。37:21 悪しき者は借りるが返さない。正しい人は情け深く人に施す。37:22 主に祝福された人は地を受け継ぎ主にのろわれた者は断ち切られる。37:23 主によって人の歩みは確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。37:24 その人は転んでも倒れ伏すことはない。主がその人の腕を支えておられるからだ。37:25 若かったころも年老いた今も私は見たことがない。正しい人が見捨てられることを。その子孫が食べ物を乞うことを。37:26 その人はいつも情け深く人に貸す。その子孫は祝福を得る。   ダビデがアブサロムから逃れた時、多くの人々はダビデを裏切りましたが、バルジライという老人はダビデを助け、もてなしてくれました。ダビデのところに来てダビデ一行のために奉仕しました。後にダビデが王権を回復したときに、ダビデは彼を報いたかったのですが、彼は断り、代わりに自分の息子の道を開きます。それでダビデに続き、ソロモンまでバルジライ家に対して代々に恩返しすることになります。「若かったころも年老いた今も私は見たことがない。正しい人が見捨てられることを。その子孫が食べ物を乞うことを。25」これはバルジライを思い出したことでしょう。信頼と義をもってまいた種は、いつがは必ず報いの実が結ばれます。   ダビデは自分が受けた恵みをよく覚えていました。恩知らず人ではありません。ところが、本文でダビデは、逆に「悪しき者は借りるが返さない。」と言い、恵みを覚えない人を批判します。これもダビデの記憶から出たことでしょう。シムイという人はダビデがアブサロムから逃げる時、ダビデを嘲け、呪いました。ダビデがやがて権力を回復しますが、彼を殺さずに赦しました。彼は恵まれたわけであります。しかし、彼は逃げた自分の種しもべを赦さずに捕まえに出かけて死にます。シムイは恩を受けましたが、恩を覚えていない人でした。さらに多くの恵みを求める前に、今まで受けた祝福を数えます。受けた恵みを覚えて生きたいと思います。

시편 묵상39【의인의 자손】221202(금) 에다가와 사랑의 교회

시편 37:12~2637:12 악인이 의인 치기를 꾀하고 향하여 그 이를 가는도다37:13 주께서 저를 웃으시리니 그 날의 이름을 보심이로다37:14 악인이 칼을 빼고 활을 당기어 가난하고 궁핍한 자를 엎드러뜨리며 행위가 정직한 자를 죽이고자 하나37:15 그 칼은 자기의 마음을 찌르고 그 활은 부러지리로다37:16 의인의 적은 소유가 많은 악인의 풍부함보다 승하도다37:17 악인의 팔은 부러지나 의인은 여호와께서 붙드시는도다37:19 저희는 환난 때에…

詩篇 黙想37【地を受け継ぐ人】221201(木) 枝川愛の教会

詩篇 37:1~1137:1 悪を行う者に腹を立てるな。不正を行う者にねたみを起こすな。37:2 彼らは草のようにたちまちしおれ青草のように枯れるのだから。37:3 主に信頼し善を行え。地に住み誠実を養え。37:4 主を自らの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。37:5 あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。37:6 主はあなたの義を光のようにあなたの正しさを真昼のように輝かされる。37:7 主の前に静まり耐え忍んで主を待て。その道が栄えている者や悪意を遂げようとする者に腹を立てるな。37:8 怒ることをやめ憤りを捨てよ。腹を立てるな。それはただ悪への道だ。37:9 悪を行う者は断ち切られ主を待ち望む者彼らが地を受け継ぐからだ。37:10 もうしばらくで悪しき者はいなくなる。その居所を調べてもそこにはいない。37:11 しかし柔和な人は地を受け継ぎ豊かな繁栄を自らの喜びとする。   37編が指している「悪を行う者」、「不正を行う者」という人々の具体的な罪目は出てきません。しかし、私たちは彼らが誰なのかはわかります。ここには彼らに負けず、勝つようにと応援している生き方の人がいます。だから悪人とはそれと反対の人です。神様を頼り、善を行い、土地を耕し、その誠実のゆえに食物と得る人、現実的に労働した分の補償がないかもしれない人です。それでも我慢して待ち、不平を言わない柔和な人です。目立つのは、2回に渡って彼らが「地を受け継ぐ」と言われるのです。確かにイ、エス様はマタイ福音書5章の山上の説教、「八つの幸い」においてこれを引用され、「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。」と言われました。   誠実で善い人は地を耕し、その実を食べます。確かにそのような人が地を最もよく使う人です。神様はそのような人に地を与えると言われました。誠実に働く人が土地資本に負けず、堂々と生きる世界を願います。著者は止まるべきところに立ち、守るべき価値を守って自分のところを離れずに待つようにと勧めています。地を所有する人はそれを奪われ、地に飲み込まれてしまいますが、誠実で善い人、柔和な人は地を受け継ぎ、豊かな繁栄を自らの喜びます。この地において聖徒らしく、人間らしく誠実に歩みましょう。すべての土地は神のものです。  

시편 묵상37【땅을 차지할 사람들】221201(목) 에다가와 사랑의 교회

시편 37:1~1137:1 행악자를 인하여 불평하여 하지 말며 불의를 행하는 자를 투기하지 말지어다37:2 저희는 풀과 같이 속히 베임을 볼 것이며 푸른 채소 같이 쇠잔할 것임이로다37:3 여호와를 의뢰하여 선을 행하라 땅에 거하여 그의 성실로 식물을 삼을지어다37:4 또 여호와를 기뻐하라 저가 네 마음의 소원을 이루어 주시리로다37:5 너의 길을 여호와께 맡기라 저를 의지하면 저가 이루시고37:6 네 의를 빛같이 나타내시며…

詩篇 黙想36【譲れないこと】221128(月) 枝川愛の教会

詩篇 35:19~2835:19 偽り者の私の敵を私のことで喜ばせないでください。ゆえもなく私を憎む人々が目くばせし合わないようにしてください。35:20 彼らは平和を語らず地の平穏な人々に欺きを企むからです。35:21 彼らは私に向かって大きく口を開け「あははこの目で見たぞ」と言います。35:22 主よあなたはご覧になりました。黙っていないでください。わが主よ私から遠く離れないでください。35:23 奮い立ってください。目を覚ましてください。私のさばきのために。わが神わが主よ私の訴えのために。35:24 あなたの義にしたがって私のためにさばきを行ってください。主よわが神よ彼らを私のことで喜ばせないでください。35:25 彼らに心のうちで言わせないでください。「あははわれわれの望みどおりだ」と。どうか言わせないでください。「われわれは彼を吞み込んだ」と。35:26 私のわざわいを楽しむ者たちがみな恥を見辱めを受けますように。私に向かって高ぶる者が恥と恥辱を身にまといますように。35:27 私の義を喜びとする者たちが喜びの声をあげ楽しむようにしてください。彼らがいつもこう言うようにしてください。「主は大いなるかな。ご自分のしもべの平和を喜ばれる方は」と。35:28 私の舌は告げ知らせます。あなたの義を。日夜あなたの誉れを。   罪は神様を離れたことそのものであり、またはそれが作り出す結果です。神様を離れた人は基準を失ったので、結局自分自身を基準にします。毎回の強調ですが、自分に仕えるのが偶像崇拝です。神様に仕えない人は誰でも偶像に仕えることになります。   自分の中で神様が薄れれば、偶像が大きくなり、偶像が大きくなると、自分の中に神様が見えません。なので自己中心はすなわち罪です。御言葉がすなわち神様であると言われましたが、それは御言葉の前で自分自身が客観化するからです。 御言葉が基準であるなら、その御言葉の前で自分を空にし、御言葉に照らされます。   自我中心主義(Egocentrism)は、自分と他者を区別することができません。自分の視点以外に、異なる視点を認めたり、理解したりする能力がないのです。自分自身が物事の中心であると思うため、その目ですべてを解釈します。しかし、本人は自分のことに気づくことがありません。   エゴイスト (egoism) と自我中心主義 (Egocentrism) は少し違います。利益を見ると目の下に人が見えない人を利己主義者と言いますが、自己中心主義者は利益と損害と関係なく、いつも私が正当です。残念ながら他人に不快感と不便を与えますが、 結局に困るのは自分自身です。   真理を聞いてもそれぞれ思いが違います。神様の御言葉の前に立たず、自分の中に閉じ込めた神を作り、それを信じます。真理を編集します。自我中心主義者の中に真理が入っても、自我はその真理を支配しようとします。結局、神様も信仰も歪まれます。   ダビデの嘆願の条件は真実であり、公議です。ダビデが嘆願しているのは、彼らの傲慢と錯覚が成功してはならないからです。ダビデ自分が勝ち、彼らが負けてほしいという要求ということより、変質し、歪曲した信念と確信が成功してはならないということを嘆願しています。   クリスマスが近づくと、いつも「クリスマス・キャロル」を思い出します。スクルージじいさんの話です。スクルージはエゴイストであり、自己中心主義者でした。そんな彼が劇的に変化する決定的な契機は、自分が自分から離れ、分を客観的に見つめた後です。   自分の中に入った神様はよく歪みます。信じますが、御言葉の前に立つことはしない人のことです。ダビデは誤解され、歪曲された自己中心的信仰、そしてその中で祝福と恵みを求める利己的信仰の時代を痛烈に批判しているようです。

시편 묵상36【양보할 수 없는 것】221129(화) 에다가와 사랑의 교회

시편 35:19~2835:19 무리하게 나의 원수된 자로 나를 인하여 기뻐하지 못하게 하시며 무고히 나를 미워하는 자로 눈짓하지 못하게 하소서35:20 대저 저희는 화평을 말하지 아니하고 평안히 땅에 거하는 자를 거짓말로 모해하며35:21 또 저희가 나를 향하여 입을 크게 벌리고 하하 우리가 목도하였다 하나이다35:22 여호와여 주께서 이를 보셨사오니 잠잠하지 마옵소서 주여 나를 멀리하지 마옵소서35:23 나의 하나님 나의 주여 떨치고…