詩篇 黙想34【賛美の理由】221125(金) 枝川愛の教会

詩篇 33:1~2233:1 正しい者たち主を喜び歌え。賛美は直ぐな人たちにふさわしい。33:2 竪琴に合わせて主に感謝せよ。十弦の琴に合わせてほめ歌を歌え。33:3 新しい歌を主に歌え。喜びの叫びとともに巧みに弦をかき鳴らせ。33:4 まことに主のことばは真っ直ぐでそのみわざはことごとく真実である。33:5 主は正義と公正を愛される。主の恵みで地は満ちている。33:6 主のことばによって天は造られた。天の万象もすべて御口の息吹によって。33:7 主は海の水をせき止めて集め湧き出る水を倉に納められる。33:8 全地よ主を恐れよ。すべて世界に住む者よ主の御前におののけ。33:9 主が仰せられるとそのようになり主が命じられるとそれは立つ。33:10 主は国々のはかりごとを破りもろもろの民の計画をくじかれる。33:11 主のはかられることはとこしえに立ちみこころの計画は代々に続く。33:12 幸いなことよ主を自らの神とする国は。神がご自分のゆずりとして選ばれた民は。33:13 主は天から目を注ぎ人の子らをすべてご覧になる。33:14 御座が据えられた所から地に住むすべての者に目を留められる。33:15 主は一人ひとりの心を形造りわざのすべてを読み取る方。33:16 王は軍勢の大きさでは救われない。勇者は力の大きさでは救い出されない。33:17 軍馬も勝利の頼みにはならず軍勢の大きさも救いにはならない。33:18 見よ主の目は主を恐れる者に注がれる。主の恵みを待ち望む者に。33:19 彼らのたましいを死から救い出し飢饉のときにも彼らを生かし続けるために。33:20 私たちのたましいは主を待ち望む。主は私たちの助け私たちの盾。33:21 まことに私たちの心は主を喜び私たちは聖なる御名に拠り頼む。33:22 主よあなたの恵みが私たちの上にありますように。私たちがあなたを待ち望むときに。   詩篇33編は神様を賛美しなければならない理由について歌っています。詩人は神様を賛美せざるえない信仰を告白しているのです。その告白には内面的な悟りの過程があると思います。賛美をささげるのは、人間には持っていないものを持っておられる神様に対する尊敬と愛の表しです。   賛美の理由、その一つ目は神様は正しく、真実で、慈しみ深いからであります。二つ目は神様が万物をお造りになった創造の能力を持っておられる方だからです。三つ目は神様の摂理の中で歴史を統べ治め、救いを成し遂げる方だからです。   詩人がこれらの神様の属性を告白して賛美しているのは、自分にはそのようなものがないということを知っているからです。自分には愛も慈悲もなく、自分は創造主ではなく、被造物であり、一寸先も見通せなく、自分で自分を救うことができません。それを知っています。神様への賛美は、この知識に基づいています。造られた私が神様の愛によって救われたことに気づいたので、神様を賛美せざるを得ません。

시편 묵상34【찬양의 이유】221125(금) 에다가와 사랑의 교회

시편 33:1~2233:1 너희 의인들아 여호와를 즐거워하라 찬송은 정직한 자의 마땅히 할바로다33:2 수금으로 여호와께 감사하고 열 줄 비파로 찬송할지어다33:3 새 노래로 그를 노래하며 즐거운 소리로 공교히 연주할찌어다33:4 여호와의 말씀은 정직하며 그 행사는 다 진실하시도다33:5 저는 정의와 공의를 사랑하심이여 세상에 여호와의 인자하심이 충만하도다33:6 여호와의 말씀으로 하늘이 지음이 되었으며 그 만상이 그 입기운으로 이루었도다33:7 저가 바닷물을 모아 무더기…

詩篇 黙想33【幸いなことよ】221124(木) 枝川愛の教会

詩篇 32:1~1132:1 幸いなことよその背きを赦され罪をおおわれた人は。32:2 幸いなことよ主が咎をお認めにならずその霊に欺きがない人は。32:3 私が黙っていたとき私の骨は疲れきり私は一日中うめきました。32:4 昼も夜も御手が私の上に重くのしかかり骨の髄さえ夏の日照りで乾ききったからです。セラ32:5 私は自分の罪をあなたに知らせ自分の咎を隠しませんでした。私は言いました。「私の背きを主に告白しよう」と。するとあなたは私の罪のとがめを赦してくださいました。セラ32:6 それゆえ敬虔な人はみな祈ります。あなたに向かってあなたがおられるうちに。大水は濁流となっても彼のところに届きません。32:7 あなたは私の隠れ場。あなたは苦しみから私を守り救いの歓声で私を囲んでくださいます。セラ32:8 私はあなたが行く道であなたを教えあなたを諭そう。あなたに目を留め助言を与えよう。32:9 あなたがたは分別のない馬やらばのようであってはならない。くつわや手綱そうした馬具で強いるのでなければそれらはあなたの近くには来ない。32:10 悪しき者は心の痛みが多い。しかし主に信頼する者は恵みがその人を囲んでいる。32:11 正しい者たち主を喜び楽しめ。すべて心の直ぐな人たちよ喜びの声をあげよ。   ダビデが部下の妻と不倫を犯し、それを隠すために忠誠な部下を殺します。今日の詩篇はそれを背景にしています。しかし、時間がかなり経った後に書いたものです。ダビデは確かに酷い罪を犯しましたが、当時ダビデ本人じは力に酔っていたせいか、それに対する自覚がありませんでした。欲にとらわれて、わざと知らんぷりをしたのかもしれません。預言者ナダンがそれを責めた時、王ダビデでは否定することもあり、力で押しつぶすこともできたでしょう。しかし、ダビデは自分と自分の罪を認め、ひざまずきました。ダビデがよくやったのは罪を犯したことではなく、それを悔い改めたことです。   今日の詩篇にはダビデの邪悪な罪とそれに伴うダビデの人生の苦痛が出てきます。しかし、その中でも「幸い」という言葉があります。この幸いは罪を犯していない人のことではなく、自分の罪を知っている人のことであり、それを認め、ひざまずくことができる人のことです。だから幸いのない人は自分の罪を知らず、告白もせず、悔い改めることをしない人です。福音が神様の赦しであるということを覚えれば、悔い改めは罪人の方からできる最善のことです。

시편 묵상33【복이 있도다】221124(목) 에다가와 사랑의 교회

시편 32:1~1132:1 허물의 사함을 얻고 그 죄의 가리움을 받은 자는 복이 있도다32:2 마음에 간사가 없고 여호와께 정죄를 당치 않은 자는 복이 있도다32:3 내가 토설치 아니할 때에 종일 신음하므로 내 뼈가 쇠하였도다32:4 주의 손이 주야로 나를 누르시오니 내 진액이 화하여 여름 가물에 마름 같이 되었나이다(셀라)32:5 내가 이르기를 내 허물을 여호와께 자복하리라 하고 주께 내 죄를 아뢰고…

創世記 黙想63【垣を越える枝】221121(月) 枝川愛の教会

創世記 49:22~3349:22 ヨセフは実を結ぶ若枝、泉のほとりの、実を結ぶ若枝。その枝は垣を越える。49:23 弓を射る者は激しく彼を攻め、彼を射て苦しめた。49:24 しかし、彼の弓はいつも固く張られ、彼の腕はすばやい。ヤコブの力強き方の手から、そこから、イスラエルの岩である牧者が出る。49:25 おまえを助ける、おまえの父の神によって、おまえを祝福する全能者によって、上よりの天の祝福、下に横たわる大水の祝福、乳房と胎の祝福があるように。49:26 おまえの父の祝福は、私の親たちの祝福にまさり、永遠の丘の極みにまで及ぶ。これらがヨセフの頭の上に、兄弟たちの中から選り抜かれた者の頭の頂にあるように。49:27 ベニヤミンは、かみ裂く狼。朝には獲物を食らい、夕には略奪したものを分ける。」49:28 これらはすべてイスラエルの部族で、十二であった。これは、彼らの父が彼らに語ったことである。彼らを祝福したとき、それぞれにふさわしい祝福を与えたのであった。49:29 また、ヤコブは彼らに命じた。「私は、私の民に加えられようとしている。私をヒッタイト人エフロンの畑地にある洞穴に、先祖たちとともに葬ってくれ。49:30 その洞穴は、カナンの地のマムレに面したマクペラの畑地にあり、アブラハムがヒッタイト人エフロンから、私有の墓地とするために、畑地とともに買い取った洞穴だ。49:31 そこにはアブラハムと妻サラが葬られ、そこにイサクと妻リベカも葬られ、そこに私はレアを葬った。49:32 その畑地とその中にある洞穴は、ヒッタイト人たちから買ったものだ。」49:33 ヤコブは息子たちに命じ終えると、足を床の中に入れ、息絶えて、自分の民に加えられた。   ヤコブがヨセフを祝福する時、「ヨセフは実を結ぶ若枝、その枝は垣を越える」と言いました。垣を越える枝です。ヨセフが受けた祝福は宣教において最高の祝福であると思います。確かにヨセフは自分の境遇を越えました。カナンの境地を越え、絶望と忍耐の境地を越えました。まるで手を伸ばすように枝を伸ばし、自分のところを超え、他のところまで伸ばし、実を結び、その実をもってその地に仕えた人です。   枝川愛の教会には三面に海があります。その海はまるで狭い川のように流れる運河です。「川」を越える「枝」が「枝川」です。枝川は、福音を持って私たちの地境を越え、仕える祝福の管になるでしょう。ヤコブはヨセフとベニャミンを祝福して死にます。世は変わり、世代も交代します。彼らに与えられた課題も使命もそれぞれ違います。しかし、変わらない神様の救いの憐れみは続けられます。次の世代も神様の救いの働きのために地境を越えていきます。  

창세기 묵상63【담장 너머로 뻗은 나무】221121(월) 에다가와 사랑의 교회

창세기 49:22~3349:22 요셉은 무성한 가지 곧 샘 곁의 무성한 가지라 그 가지가 담을 넘었도다49:23 활쏘는 자가 그를 학대하며 그를 쏘며 그를 군박하였으나49:24 요셉의 활이 도리어 견강하며 그의 팔이 힘이 있으니 야곱의 전능자의 손을 힘입음이라 그로부터 이스라엘의 반석인 목자가 나도다49:25 네 아비의 하나님께로 말미암나니 그가 너를 도우실 것이요 전능자로 말미암나니 그가 네게 복을 주실 것이라 위로…

創世記 黙想63【エフライムの理由】221118(金) 枝川愛の教会

創世記 48:12~2248:12 ヨセフはヤコブの膝から彼らを引き寄せて、顔を地に付けて伏し拝んだ。48:13 それからヨセフは二人を、右手でエフライムをイスラエルの左手側に、左手でマナセをイスラエルの右手側に引き寄せた。そして二人を彼に近寄らせた。48:14 ところがイスラエルは、右手を伸ばして弟であるエフライムの頭に置き、左手をマナセの頭に置いた。マナセが長子なのに、彼は手を交差させたのである。48:15 彼はヨセフを祝福して言った。「私の先祖アブラハムとイサクが、その御前に歩んだ神よ。今日のこの日まで、ずっと私の羊飼いであられた神よ。48:16 すべてのわざわいから私を贖われた御使いが、この子どもたちを祝福してくださいますように。私の名が先祖アブラハムとイサクの名とともに、彼らのうちに受け継がれますように。また、彼らが地のただ中で豊かに増えますように。」48:17 ヨセフは、父が右手をエフライムの頭に置いたのを見て、それは間違っていると思い、父の手を取って、それをエフライムの頭からマナセの頭へ移そうとした。48:18 ヨセフは父に言った。「父上、そうではありません。こちらが長子なのですから、右の手を、こちらの頭に置いてください。」48:19 しかし、父は拒んで言った。「分かっている。わが子よ。私には分かっている。彼もまた、一つの民となり、また大いなる者となるであろう。しかし、弟は彼よりも大きくなり、その子孫は国々に満ちるほどになるであろう。」48:20 彼はその日、彼らを祝福して言った。「おまえたちによって、イスラエルは祝福のことばを述べる。『神がおまえをエフライムやマナセのようになさるように』と。」こうして彼はエフライムをマナセの先にした。48:21 イスラエルはヨセフに言った。「私は間もなく死ぬだろう。しかし、神はおまえたちとともにおられ、おまえたちを先祖の地に帰してくださる。48:22 私は、兄弟たちではなくおまえに、私が剣と弓でアモリ人の手から取った、あのシェケムを与えよう。」   ヨセフの代わりに、エフライムとマナセが12部族の一族を占める祝福を受けました。考えてみれば、エフライムとマナセの母系はエジプトの祭司です。人種的にも霊的にもイスラエルを形成するのに純血とは言えません。ヤコブは自分の息子たちよりも養子にしたヨセフの息子をさらに祝福します。だからイスラエルが始めた時から「私たちだけ」という概念はなかったのです。   ヤコブが右手を次男のエフライムの頭に乗せて祝福し、長男のマナセの頭には左手を乗せて祝福すると、ヨセフが右手を長男の頭の上に乗せてほしいと求めますが、ヤコブは変えません。 エフライムにもっと大きい祝福をします。実際、イスラエルの歴史において、エフライムは非常に強力な部族になります。   ヨセフの息子たちが、ヨセフ部族の子孫ではなく、イスラエルの父親になることは保守的な純血主義を拒否したことであり、マナセよりエフライムの方がより多くの祝福を受けたことは伝統的序列までも拒絶されたものです。マタイの福音書にあるイエス様の系図を見れば、血統的純血ではなく、序列でもなく、道徳的な優位でもないことが分かります。   聖書は常に長者のことを言いますが、実際には長者ではない人を通して約束は続けられます。 アダムの長男はカアンですが、セツにつながり、イサクの長男はイスマエルでしたが、約束はイサクに続き、イサクの長男はエサウですが、代わりにヤコブ、ヤコブの長男のルウベンの代わりにヨセフです。そしてマナセの代わりにエフライムです。   神様は主権を持って人を立て、歴史を築いていかれます。その理由や根拠、合理性が見つかりません。無理に教訓的な意味を求めない方がいいです。神様がどのような理由で誰かを呼んで何かに使うのかが分かりません。それを一般化することができません。人事については、神様の固有権限です。理由もなく、資格もなく救いの恵みに呼ばれた聖徒のあるべき姿勢です。 「なぜあの人なのか」とは言えませんが、「私にも」と望むことはできます。純血でも、道徳でもなく、序列でもないのでから、私にも望む資格があります。

창세기 묵상63【에브라임의 이유】221118(금) 에다가와 사랑의 교회

창세기 48:12~2248:12 요셉이 아비 무릎 사이에서 두 아들을 물리고 땅에 엎드려 절하고48:13 우수로는 에브라임을 이스라엘의 좌수를 향하게 하고 좌수로는 므낫세를 이스라엘의 우수를 향하게 하고 이끌어 그에게 가까이 나아가매48:14 이스라엘이 우수를 펴서 차자 에브라임의 머리에 얹고 좌수를 펴서 므낫세의 머리에 얹으니 므낫세는 장자라도 팔을 어긋맞겨 얹었더라48:15 그가 요셉을 위하여 축복하여 가로되 내 조부 아브라함과 아버지 이삭의…

創世記 黙想62【ヨセフ族がない理由】221117(木) 枝川愛の教会

創世記 48:1~1148:1 これらのことの後、ヨセフに「お父上が、御病気です」と告げる者があったので、彼は二人の息子、マナセとエフライムを連れて行った。48:2 ヤコブに「息子さんのヨセフが、今お見えになりました」との知らせがあった。それで、イスラエルは力を振り絞って床の上に座った。48:3 ヤコブはヨセフに言った。「全能の神はカナンの地ルズで私に現れ、私を祝福して、48:4 仰せられた。『見よ、わたしはあなたに多くの子を与える。あなたを増やし、あなたを多くの民の群れとし、この地をあなたの後の子孫に永遠の所有地として与える。』48:5 私がエジプトのおまえのところにやって来る前に、エジプトの地でおまえに生まれた、おまえの二人の子は、今、私の子とする。エフライムとマナセは、ルベンやシメオンと同じように私の子となる。48:6 しかし、二人の後でおまえに生まれる子どもたちは、おまえのものになる。しかし、彼らがゆずりとして受け継ぐ地では、彼らは兄たちの名を名乗らなければならない。48:7 私のことを言えば、パダンから帰って来たとき、その途上のカナンの地で、悲しいことにラケルが死んだ。エフラテに着くにはまだかなりの道のりがあるところでだった。私は、エフラテ、すなわちベツレヘムへの道にあるその場所に、彼女を葬った。」48:8 イスラエルはヨセフの息子たちに気づいて言った。「この者たちはだれか。」48:9 ヨセフは父に答えた。「神がここで私に授けてくださった息子たちです。」すると、父は「私のところに連れて来なさい。彼らを祝福しよう」と言った。48:10 イスラエルは老齢のために目がかすんでいて、見ることができなかった。それで、ヨセフが彼らを父のところに近寄らせると、父は彼らに口づけして抱き寄せた。48:11 イスラエルはヨセフに言った。「おまえの顔が見られるとは思わなかったのに、今こうして神は、おまえの子孫も私に見させてくださった。」   臨終を向かえるヤコブが力を尽くして立ち上がり、ヨセフに言った言葉はルズ、すなわちベテルの神様との約束です。それが遺産だからです。ベテルの約束はヤコブの人生で終わりません。人生が終わっても神様の約束は終わらず続きます。ヤコブは神様の約束の中でヨセフを祝福しますが、ヨセフの二人の息子、エフライムとマナセを自分の息子にすると言います。孫を養子にするのです。   イスラエルの12部族はヤコブの息子12人の息子ではなく、ヨセフの名前が抜けてヨセフの2人の息子が含まれます。ということで13人になりますが、後日にレビは各部族の祭祀になって入るため、ヨセフ族とレビ族は共同体として存在しません。ヨセフが除外されたのではなく、ヨセフの2人の息子がそれぞれ一派の父親になるので、結局ヨセフは2倍の長者の祝福を受けました。   それは神様とヤコブの約束に基づいたものです。ヤコブは死を迎える瞬間にも約束の確信を持ち、次の準備をしています。死の瞬間までも揺り動かない神様との約束があることを願います。ヤコブは二度とヨセフに会えないと思っていましたが、孫たちまで会い、彼らを祝福できる恵みを与って感謝します。  

창세기 묵상62【요셉지파가 없는 이유】221117(목) 에다가와 사랑의 교회

창세기 48:1~1148:1 이 일 후에 혹이 요셉에게 고하기를 네 부친이 병들었다 하므로 그가 곧 두아들 므낫세와 에브라임과 함께 이르니48:2 혹이 야곱에게 고하되 네 아들 요셉이 네게 왔다 하매 이스라엘이 힘을 내어 침상에 앉아48:3 요셉에게 이르되 이전에 가나안 땅 루스에서 전능한 하나님이 내게 나타나 복을 허락하여48:4 내게 이르시되 내가 너로 생육하게 하며 번성하게 하여 네게서 많은…