創世記 黙想25【ラケルに会ったヤコブ】220928(水) 枝川愛の教会

創世記 29:1~1429:1 ヤコブは旅を続けて、東の人々の国へ行った。29:2 ふと彼が見ると、野に井戸があった。ちょうどその傍らに、三つの羊の群れが伏していた。その井戸から群れに水を飲ませることになっていたからである。その井戸の口の上にある石は大きかった。29:3 群れがみなそこに集められたら、その石を井戸の口から転がして、羊に水を飲ませ、その石を再び井戸の口の元の場所に戻すことになっていた。29:4 ヤコブがその人たちに「兄弟たちよ、あなたがたはどこの方ですか」と尋ねると、彼らは「私たちはハランの者です」と答えた。29:5 それでヤコブが「あなたがたはナホルの子ラバンをご存じですか」と尋ねると、彼らは「よく知っています」と答えた。29:6 ヤコブは彼らに尋ねた。「その人は元気ですか。」すると彼らは、「元気です。ほら、娘のラケルが羊を連れてやって来ます」と言った。29:7 ヤコブは言った。「ご覧なさい。日はまだ高いし、群れを集める時間でもありません。羊に水を飲ませて、草を食べさせに戻ってはどうですか。」29:8 すると彼らは言った。「そうはできません。群れがみな集められて、井戸の口から石を転がすまでは。それから、羊に水を飲ませるのです。」29:9 ヤコブがまだ彼らと話しているとき、ラケルが父の羊の群れを連れてやって来た。彼女は羊を飼っていたのである。29:10 ヤコブは、母の兄ラバンの娘ラケルと、母の兄ラバンの羊の群れを見ると、すぐ近寄って行って、井戸の口の上の石を転がし、母の兄ラバンの羊の群れに水を飲ませた。29:11 そしてヤコブはラケルに口づけし、声をあげて泣いた。29:12 ヤコブはラケルに、自分は彼女の父の甥であり、リベカの子であることを告げた。彼女は走って行って、父にそのことを告げた。29:13 ラバンは妹の子ヤコブのことを聞くとすぐ、彼を迎えに走って行って、彼を抱きしめて口づけした。そして彼を自分の家に連れて帰った。ヤコブはラバンに事の次第をすべて話した。29:14 ラバンは彼に「あなたは本当に私の骨肉だ」と言った。ヤコブは彼のところに一か月滞在した。   ヤコブがハランに着き、ラケルに会います。ラケルはヤコブの母方いとこです。かつてヤコブの母リベカはハランを離れ、イサクと結婚するためにカナンにきました。ヤコブはリベカがいる家を出で、リベカが家に出て歩いた道を戻り、リベカの故郷、ハランに着きました。ハランの人々に外叔のラバンを聞いて回り、そこでラバンの娘ラケルに会います。   ヤコブは無理して井戸の石を転がし、ラケルの羊の群れに水を飲ませ、ラケルの前で声を出して泣きました。荒野の苦労がは大変で、母に会いたかったからでしょうか。ラケルに会ったヤコブはその場で泣き出します。一人のときには泣かなかったと思います。ラケルの存在が慰めとなり、ヤコブは泣きました。イサクが悲しかった時に、リベカの存在が慰めになったように、ヤコブの前にはこれから生きる力になってくれるラケルが現れました。   ヤコブは確かに神様の祝福の約束の道を進んでいます。約束の結果がまだ終わってないので、約束に向かっていく道は、悲しくて寂しいです。生きる間、悲しくなり、寂しくなったら、まだ約束が残っていると励ましたいです。苦労しなくて生きるからといって、それが必ずしも祝福になることではないです。祝福と約束の人ヤコブの苦労はまだまだ続きます。外叔ラバンはヤコブを受け入れました。もう石の枕をすることも、露に濡れることもないからよかったです。ヤコブはおそらくラケルに用意してもらった布団をかぶり、幸せに眠ったと思います。

창세기 묵상25【라헬을 만난 야곱】220928(수) 에다가와 사랑의 교회

창세기 29:1~1429:1 야곱이 발행하여 동방 사람의 땅에 이르러29:2 본즉 들에 우물이 있고 그 곁에 양 세 떼가 누웠으니 이는 목자들이 그 우물에서 물을 양떼에게 먹임이라 큰 돌로 우물 아구를 덮었다가29:3 모든 떼가 모이면 그들이 우물 아구에서 돌을 옮기고 양에게 물을 먹이고는 여전히 우물 아구 그 자리에 돌을 덮더라29:4 야곱이 그들에게 이르되 나의 형제여 어디로서뇨 그들이…

創世記 黙想24【ベテルで出会ったヤコブの神様】220927(火) 枝川愛の教会

創世記 28:10~2228:10 ヤコブはベエル・シェバを出て、ハランへと向かった。28:11 彼はある場所にたどり着き、そこで一夜を明かすことにした。ちょうど日が沈んだからである。彼はその場所で石を取って枕にし、その場所で横になった。28:12 すると彼は夢を見た。見よ、一つのはしごが地に立てられていた。その上の端は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしていた。28:13 そして、見よ、主がその上に立って、こう言われた。「わたしは、あなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。わたしは、あなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫に与える。28:14 あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西へ、東へ、北へ、南へと広がり、地のすべての部族はあなたによって、またあなたの子孫によって祝福される。28:15 見よ。わたしはあなたとともにいて、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」28:16 ヤコブは眠りから覚めて、言った。「まことに主はこの場所におられる。それなのに、私はそれを知らなかった。」28:17 彼は恐れて言った。「この場所は、なんと恐れ多いところだろう。ここは神の家にほかならない。ここは天の門だ。」28:18 翌朝早く、ヤコブは自分が枕にした石を取り、それを立てて石の柱とし、柱の頭に油を注いだ。28:19 そしてその場所の名をベテルと呼んだ。その町の名は、もともとはルズであった。28:20 ヤコブは誓願を立てた。「神が私とともにおられて、私が行くこの旅路を守り、食べるパンと着る衣を下さり、28:21 無事に父の家に帰らせてくださるなら、主は私の神となり、28:22 石の柱として立てたこの石は神の家となります。私は、すべてあなたが私に下さる物の十分の一を必ずあなたに献げます。」   ヤコブは、家族と一緒に暮らしていたエル・シェバを離れ、ハランに逃げだします。エサウが殺そうとしたからです。ヤコブにはいきなりの不幸ですが,ヤコブが両親を離れたということは、ヤコブの話が始まるということです。ヤコブの話というのは、誰かの言う誰かの神の話ではなく、ヤコブ自身が出会った自分の神様のお話しのことです。今や初めてヤコブの信仰の物語が始まっているのです。   ハランに向かう路上で夜を迎え、ヤコブは露宿をします。真っ暗な闇に一人の露宿は恐ろしいことでしょう。もしかして恐怖や孤独ということより、悲しみの方が大きいかも知れません。生きる間、どこにも寄りかかるところがなく、寂しい時があります。慰めてくれる人がいないよ、涙も出ません。今、エサウはもう一度、結婚をし、新婚中です。祝福の祈りはヤコブが受けたのですが、どういうわけか、ヤコブの方が恐ろしく、寂しく、苦しいです。しかし、ヤコブはそこで神様に出会うのです。だから何ことにも変えられない祝福です。   ある先生のことの引用ですが、アダムが創造されて、初日に夜を迎えたときに、アダムがどれほど恐ろしかっただろうかということです。アダムは何も見えない暗闇の中、もしこのまま全てが終わるのかと思ったかもしれません。眠れない恐ろしい夜が明かし、夜明けに赤い太陽が浮かび上がる、再び世が明るくなってくる、その時にアダムの宗教が始まるということでした。確かにヤコブにとって、ベテルはそのような所です。漆黒のような闇の中で神様に出会い、ついにヤコブの宗教が始まっているのです。   ヤコブは石を枕にして眠りにつきました。眠りに落ちて夢を見ますが、神様がヤコブを安全に守るということを約束されたのです。目を覚ましたヤコブはその約束を信頼し、枕にしていた石を柱にし、その上に油を注ぎ出しました。礼拝です。ヤコブに一本の油というのは、母親から受けた財産のすべてです。石の枕は祭壇になり、その祭壇の上にすべての油を注ぎ、供え物にします。杯でささげ、残りを取るのではなく、まるでいけにえのように石の上に全てを注ぎ、残さずに神様にささげました。そして、神様が守られ、満たしてくださる約束を信じで、所得の10分の1をささげると誓います。   神様は私たちと約束されたことを必ず成します。問題は、約束を信じない、または疑うのではなく、そもそも神様と結びついた約束がないということです。それは深刻な問題です。どのような方法を使っても神様と会話する方法を見つけられなければなりません。そうしなければこれからも神様と約束を結ぶことはできないです。今よりもさらにみことばとお祈りを励まなければなりません。   ヤコブは神様のご臨在に恐れます。神様に出会った人は、当然に恐怖にとらわれます。震えるます。2001年の早春にコーヒーショップで一人で勉強していた私は、「四つの法則」という小冊子で神様の話を初めて聞きました。本当に初めてでした。それから私の体は非常に震えました。歯ががちがちと触れ合うまで震えました。   それを私に読んでくださった青年も今は牧師になっていますが、会う度にその日の話をします。彼は教会に戻り、みんなに言いました。まったく神様を信じそうではない人に勇気を出して神様のことを伝えたところ、ぶるぶる震え、イエス様を受け入れましたと証したということです。   20年前、その時代の私は、ベテルのヤコブのようなものでした。不安で怖くて孤独で、悲しい時でした。ヤコブの信仰は、祖父アブラハムの信仰ではなく、父イサクの信仰でもありません。ベテルで会った自分自身の神様です。私の神様がおられる人の信仰の土台は堅いです。険しい道を歩くても、その道のりで神様が現れることを祈ります。

창세기 묵상24【벧엘에서 만난 야곱의 하나님】220927(화) 에다가와 사랑의 교회

창세기 28:10~2228:10 야곱이 브엘세바에서 떠나 하란으로 향하여 가더니28:11 한곳에 이르러는 해가 진지라 거기서 유숙하려고 그곳의 한 돌을 취하여 베개하고 거기 누워 자더니28:12 꿈에 본즉 사닥다리가 땅 위에 섰는데 그 꼭대기가 하늘에 닿았고 또 본즉 하나님의 사자가 그 위에서 오르락 내리락하고28:13 또 본즉 여호와께서 그 위에 서서 가라사대 나는 여호와니 너의 조부 아브라함의 하나님이요 이삭의 하나님이라…

創世記 黙想23【ヤコブが受けた祝福】220926(月) 枝川愛の教会

創世記 28:1~928:1 イサクはヤコブを呼び寄せ、彼を祝福し、そして彼に命じた。「カナンの娘たちの中から妻を迎えてはならない。28:2 さあ立って、パダン・アラムの、おまえの母の父ベトエルの家に行き、そこで母の兄ラバンの娘たちの中から妻を迎えなさい。28:3 全能の神がおまえを祝福し、多くの子を与え、おまえを増やしてくださるように。そして、おまえが多くの民の群れとなるように。28:4 神はアブラハムの祝福をおまえに、すなわち、おまえと、おまえとともにいるおまえの子孫に与え、神がアブラハムに下さった地、おまえが今寄留しているこの地を継がせてくださるように。」28:5 こうしてイサクはヤコブを送り出した。彼はパダン・アラムの、ラバンのところに行った。ヤコブとエサウの母リベカの兄、アラム人ベトエルの子ラバンのところである。28:6 エサウは、イサクがヤコブを祝福したこと、またパダン・アラムから妻を迎えるために彼を送り出したことを知った。イサクが、ヤコブを祝福して送り出したときに、カナンの娘たちから妻を迎えてはならないと命じ、28:7 ヤコブが、父と母の言うことに聞き従って、パダン・アラムへ行ったことも。28:8 さらにエサウは、カナンの娘たちを、父イサクが気に入っていないことを知った。28:9 それでエサウはイシュマエルのところに行き、今いる妻たちのほかに、アブラハムの子イシュマエルの娘で、ネバヨテの妹マハラテを妻として迎えた。   イサクはだまされてヤコブに祝福しましたが,イサクはヤコブが祝福を受けるべき人であることに気づき,ヤコブを呼び寄せ、祈り,行くべき所とするべきことを知らせます。行かなければならなかったのはハランの叔父ラバンの家である、しなければならないことはそこで結婚することです。   祝福の祈りを受けましたが,それからヤコブに起こったことは,兄弟による殺害の脅威と遠い道を一人で逃げなければならないことでした。ヤコブの祝福というのは、親を離れ、一人で苦労の道を通り、自立し、結婚することです。道は遠く、結婚するまでは多くの犠牲を払わなければなりませんでした。それを通らなければ、3節4節のイサクの祝福の祈りの地を所有し、繁栄する祝福を受けることはできません。   エサウがヤコブを祝福する両親を見ていると、自分が異邦の女性と結婚したため、両親の信頼を受けられなかったことに気がづき、イスマエルの娘を連れてきて、もう一度結婚します。イスマエルは、アブラハムが捨てたイサクの腹違いの兄です。それもイサクとリベカを喜ばせる選択ではなかったと思います。   ヤコブとエサウを比較すると、快適な道を行くのはエサウであり,ヤコブは苦しみの道を行きます。エサウも後に地を所有し、繁栄するのは同じです。エサウが新しい妻を取って新婚を楽しんでいる間、ヤコブは険しい道を歩み、そこで自分の神様に出会います。私たちが知っていた祝福の定義は少し変わるべきかもしれません。

창세기 묵상23【야곱이 받은 축복】220926(월) 에다가와 사랑의 교회

창세기 28:1~928:1 이삭이 야곱을 불러 그에게 축복하고 또 부탁하여 가로되 너는 가나안 사람의 딸들 중에서 아내를 취하지 말고28:2 일어나 밧단아람으로 가서 너의 외조부 브두엘 집에 이르러 거기서 너의 외삼촌 라반의 딸 중에서 아내를 취하라28:3 전능하신 하나님이 네게 복을 주어 너로 생육하고 번성케하사 너로 여러 족속을 이루게 하시고28:4 아브라함에게 허락하신 복을 네게 주시되 너와 너와 함께…

創世記 黙想22【リベカを再評価する】220923(土) 枝川愛の教会

創世記 27:1~1427:1 イサクが年をとり、目がかすんでよく見えなくなったときのことである。彼は上の息子エサウを呼び寄せて、「わが子よ」と言った。すると彼は「はい、ここにおります」と答えた。27:2 イサクは言った。「見なさい。私は年老いて、いつ死ぬか分からない。27:3 さあ今、おまえの道具の矢筒と弓を取って野に出て行き、私のために獲物をしとめて来てくれないか。27:4 そして私のために私の好きなおいしい料理を作り、ここに持って来て、私に食べさせてくれ。私が死ぬ前に、私自ら、おまえを祝福できるように。」27:5 リベカは、イサクがその子エサウに話しているのを聞いていた。それで、エサウが獲物をしとめて父のところに持って来ようと野に出かけたとき、27:6 リベカは息子のヤコブに言った。「今私は、父上があなたの兄エサウにこう言っておられるのを聞きました。27:7 『獲物を捕って来て、私においしい料理を作ってくれ。食べて、死ぬ前に、主の前でおまえを祝福しよう。』27:8 さあ今、子よ、私があなたに命じることを、よく聞きなさい。27:9 さあ、群れのところに行って、そこから最上の子やぎを二匹取って私のところに来なさい。私はそれで、あなたの父上の好きな、おいしい料理を作りましょう。27:10 あなたが父上のところに持って行けば、食べて、死ぬ前にあなたを祝福してくださるでしょう。」27:11 ヤコブは母リベカに言った。「でも、兄さんのエサウは毛深い人なのに、私の肌は滑らかです。27:12 もしかすると父上は私にさわって、私にからかわれたと思うでしょう。私は祝福どころか、のろいをこの身に招くことになります。」27:13 母は彼に言った。「子よ、あなたへののろいは私の身にあるように。ただ私の言うことをよく聞いて、行って子やぎを取って来なさい。」27:14 それでヤコブは行って、取って母のところに持って来た。母は、父の好む、おいしい料理を作った。   イサクが祝福する対象は、二人の息子のうち一人だけです。イサクは長男のエサウを祝福しようとしますが、リベカは次男のヤコブが長子の祝福を受けるように策をめぐらしています。確かに「こまかし」ですが、リベカを非難するなら、イサクにも非難されるところがあります。それはエサウとヤコブも同じです。それぞれにとががあります。リベカがヤコブを愛したように、イサクもエサウをえこひいきしました。ヤコブは小策を弄する人でありますが、エサウは自分の勝手に生きる人でした。カナンの女と結婚してはいけないと言ったのですが、結婚し、さらにもう一度結婚した人です。   リベカはエサウの結婚問題でエサウが嫌になったのでしょうか?それも一つの原因かもしれません。しかし、もっと重要なことは、25章でリベカが神様の啓示を受けたことを覚えなければなりません。「すると主は彼女に言われた。「二つの国があなたの胎内にあり、二つの国民があなたから分かれ出る。一つの国民は、もう一つの国民より強く、兄が弟に仕える。25:23」まるでマリアが受けた神託のようです。人に説明したり説得できるものではありません。姑のサラは神様の神託を無視しましたが、リベカはそれを心に抱いていたのです。   リベカが非難されるのは、それを「だまし」という方法で成し遂げようとしたからだと思います。しかし、それが正しいかどうかを断言するのは難しいです。これによる結果は2つがありました。一つは神様のみことばが成し遂げられることであり、もう一つはリベカが孤独で不幸な余生を送るということです。ヤコブを逃げ出してから、夫イサクとの不和、そしてヤコブを殺そうとするエサウとの不和をリベカは一人でそっくりそのまま負わなければならなかったでしょう。そして愛する息子ヤコブを生きている間に二度と会うことができなくなります。戻ってこない息子に会いたかったでしょう。   13節を見れば、リベカは、恐れているヤコブに「すべての責任と呪いを自分で負うから、祝福の祈りを受けさない」に促します。自分が神様から受けた神託、つまり、ヤコブを約束の子として立てることに献身しているのです。リベカの人生をたどってみると、それはヤコブに対するえこひいきよりも、神様のみことばに対する信頼と献身です。神様はイサクに言われませんでした。リベカに啓示され、彼女の献身を通して成し遂げられたのです。   神様は人間の利己心と欲、そして怒りと弱さなどの不完全な人格が作っていく歴史の中で、神様のみことばと約束を実現しておられます。そういう意味で、リベカは神様の拘束のパズルの中でとても重要な一つになりました。完全な人もいなく、完全な信仰もないのですが、完全なる神様の約束のみ言葉が不完全な人々を通して成し遂げられていくことを創世記は絶えず私たちに語っています。  

창세기 묵상22【리브가를 재평가하다】220923(토) 에다가와 사랑의 교회

창세기 27:1~1427:1 이삭이 나이 많아 눈이 어두워 잘 보지 못하더니 맏아들 에서를 불러 가로되 내 아들아 하매 그가 가로되 내가 여기 있나이다 하니27:2 이삭이 가로되 내가 이제 늙어 어느날 죽을는지 알지 못하노니27:3 그런즉 네 기구 곧 전통과 활을 가지고 들에 가서 나를 위하여 사냥하여27:4 나의 즐기는 별미를 만들어 내게로 가져다가 먹게 하여 나로 죽기 전에…

創世記 黙想21【イサクの勝利】220922(木) 枝川愛の教会

創世記 26:23~3526:23 彼はそこからベエル・シェバに上った。26:24 主はその夜、彼に現れて言われた。「わたしは、あなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしがあなたとともにいるからだ。わたしはあなたを祝福し、あなたの子孫を増し加える。わたしのしもべアブラハムのゆえに。」26:25 イサクはそこに祭壇を築き、主の御名を呼び求めた。彼はそこに天幕を張り、イサクのしもべたちは、そこに井戸を掘った。26:26 さて、アビメレクがゲラルからイサクのところにやって来た。友人のアフザテと、その軍の長ピコルも一緒であった。26:27 イサクは彼らに言った。「なぜ、あなたがたは私のところに来たのですか。私を憎んで、自分たちのところから私を追い出したのに。」26:28 彼らは言った。「私たちは、主があなたとともにおられることを確かに見ました。ですから、こう言います。どうか私たちの間で、私たちとあなたとの間で、誓いを立ててください。あなたと盟約を結びたいのです。26:29 私たちがあなたに手出しをせず、ただ良いことだけをして、平和のうちにあなたを送り出したように、あなたも私たちに害を加えないという盟約です。あなたは今、主に祝福されています。」26:30 そこでイサクは彼らのために宴会を催し、食べたり飲んだりした。26:31 翌朝早く、両者は互いに誓いを交わした。イサクは彼らを送り出し、彼らは平和のうちに彼のところから去って行った。26:32 ちょうどその日、イサクのしもべたちが帰って来て、自分たちが掘り当てた井戸のことについて告げた。「私どもは水を見つけました。」26:33 そこでイサクは、その井戸をシブアと呼んだ。それゆえ、その町の名は、今日に至るまで、ベエル・シェバという。26:34 エサウは四十歳になって、ヒッタイト人ベエリの娘ユディトと、ヒッタイト人エロンの娘バセマテを妻に迎えた。26:35 彼女たちは、イサクとリベカにとって悩みの種となった。   イサクは、ペリシテ人に井戸を奪われ、逃げ回りますが、行く所々で地を掘ると水が湧き出る祝福が従われます。ということでイサクがレホボテにたどりづいたときには広い土地と井戸が与えられました。そこでイサクはベエル・シェバに上がります。ベエル・シェバはヘブライ語で「誓いの井戸」というを意味です。父アブラハムがアビメレクに井戸の所有権を認められ、お互いに誓った所です。アブラハムの子、イサクが苦労の末にベエル・シェバに到着し、そこで地と水が与えられたのは、神様の約束が成し遂げられていることです。   神様の約束はより具体的に実現します。イサクがベエル・シェバで一息をついていたときに、ペリシテ人がイサクを追いかけてきました。今回は、イサクの井戸を奪おうとしてきたのではなく、イサクに降伏するためです。ペリシテ人は確かにイサクを苦しめましたが、神様がイサクと共におられることを認めざるえませんでした。ペリシテ人はイサクを敵にしないことを誓い、和解を求めます。イサクはペリシテ人に怒っていたかも知れませんが、感情を和らげ、彼らのために宴会を開き、和解します。イサクの経済的な平和、関係の平和は、イサクが戦って勝ち取ったものではなく、戦わずに譲ることによって実現されました。イサクは、感情の対立と利益と損害の問題の前で、戦うことよりも譲りますが、神様はイサクの肩を持たれました。  

창세기 묵상21【이삭의 승리】220922(목) 에다가와 사랑의 교회

창세기 26:23~3526:23 이삭이 거기서부터 브엘세바로 올라갔더니26:24 그 밤에 여호와께서 그에게 나타나 가라사대 나는 네 아비 아브라함의 하나님이니 두려워 말라 내 종 아브라함을 위하여 내가 너와 함께 있어 네게 복을 주어 네 자손으로 번성케 하리라 하신지라26:25 이삭이 그곳에 단을 쌓아 여호와의 이름을 부르고 거기 장막을 쳤더니 그 종들이 거기서도 우물을 팠더라26:26 아비멜렉이 그 친구 아훗삿과 군대장관…