고린도전서 묵상28【민물장어의 꿈】220607(화) 에다가와 사랑의 교회

고린도전서 15:35~4915:35 누가 묻기를 죽은 자들이 어떻게 다시 살며 어떠한 몸으로 오느냐 하리니15:36 어리석은 자여 너의 뿌리는 씨가 죽지 않으면 살아나지 못하겠고15:37 또 너의 뿌리는 것은 장래 형체를 뿌리는 것이 아니요 다만 밀이나 다른 것의 알갱이 뿐이로되15:38 하나님이 그 뜻대로 저에게 형체를 주시되 각 종자에게 그 형체를 주시느니라15:39 육체는 다 같은 육체가 아니니 하나는 사람의…

Ⅰコリント 黙想27【日々死ぬ理由】220606(月) 枝川愛の教会

Ⅰコリント 15:20~3415:20 しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。15:21 死が一人の人を通して来たのですから、死者の復活も一人の人を通して来るのです。15:22 アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストにあってすべての人が生かされるのです。15:23 しかし、それぞれに順序があります。まず初穂であるキリスト、次にその来臨のときにキリストに属している人たちです。15:24 それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、王国を父である神に渡されます。15:25 すべての敵をその足の下に置くまで、キリストは王として治めることになっているからです。15:26 最後の敵として滅ぼされるのは、死です。15:27 「神は万物をその方の足の下に従わせた」のです。しかし、万物が従わせられたと言うとき、そこには万物をキリストに従わせた方が含まれていないことは明らかです。15:28 そして、万物が御子に従うとき、御子自身も、万物をご自分に従わせてくださった方に従われます。これは、神が、すべてにおいてすべてとなられるためです。15:29 そうでなかったら、死者のためにバプテスマを受ける人たちは、何をしようとしているのですか。死者が決してよみがえらないのなら、その人たちは、なぜ死者のためにバプテスマを受けるのですか。15:30 なぜ私たちも、絶えず危険にさらされているのでしょうか。15:31 兄弟たち。私たちの主キリスト・イエスにあって私が抱いている、あなたがたについての誇りにかけて言いますが、私は日々死んでいるのです。15:32 もし私が人間の考えからエペソで獣と戦ったのなら、何の得があったでしょう。もし死者がよみがえらないのなら、「食べたり飲んだりしようではないか。どうせ、明日は死ぬのだから」ということになります。15:33 惑わされてはいけません。「悪い交際は良い習慣を損なう」のです。15:34 目を覚まして正しい生活を送り、罪を犯さないようにしなさい。神について無知な人たちがいます。私はあなたがたを恥じ入らせるために言っているのです。   パウロが復活について話しているは、コリント教会が教会の柱のように握っていなければならない復活の理解と信仰が欠けていたからです。今まで指摘されてきたコリント教会の倫理的問題,聖徒の間の関係の問題などは,コリントの聖徒が復活について理解せず,信じないことから生じた結果です。つまり、信仰がないので、絶えず問題が発生します。教会と聖徒は、常に信仰の在るべきところに戻り、信じていることが何かについて真剣に点検しなければなりません。ということで、31節で「私は日々死んでいるのです」と言いました。毎日のように死ぬというのは、毎日のようにキリストの中で復活するということです。信じることがあるから死ぬことができます。30節に「絶えず危険にさらされている」の「絶えず」も英語では every hourと翻訳しました。毎時間に危険を対面できるということも、信じることがあるからです。だからパウロが危険の中でも献身できるのです。しかし、パウロにとって信仰の情熱を誇ることがないのは、自分の献身の動機、つまり、信仰というのは死からよみがえらせる復活を信じる信仰であるからです。   15章は、復活に関する重要な神学的な情報を提供していますが、実際にパウロは復活という科目を講義して終わらせるつもりではありません。復活の信仰のない聖徒たちの生き方を指摘するためでした。復活の信仰がないから、世に騙され、教会に問題を起こし続けるのです。それで、33節以下の叱責が続きます。「惑わされてはいけません。悪い交際は良い習慣を損なうのです。目を覚まして正しい生活を送り、罪を犯さないようにしなさい。神について無知な人たちがいます。私はあなたがたを恥じ入らせるために言っているのです。33,34」行為を正す問題ではなく、先に信じることを正すべきです。しかし、それは最終的に行為を正すことになると思います。価値が変われば、生き方は変わるからです。各自の生き方から「何を信じるのか」を現さなければなりません。 復活という信仰の根がないのに、信仰の実を結ぶことはできないでしょう。  

고린도전서 묵상27【날마다 죽을 수 있는 이유】220606(월) 에다가와 사랑의 교회

고린도전서 15:20~3415:20 그러나 이제 그리스도께서 죽은 자 가운데서 다시 살아 잠 자는 자들의 첫 열매가 되셨도다15:21 사망이 사람으로 말미암았으니 죽은 자의 부활도 사람으로 말미암는도다15:22 아담 안에서 모든 사람이 죽은 것 같이 그리스도 안에서 모든 사람이 삶을 얻으리라15:23 그러나 각각 자기 차례대로 되리니 먼저는 첫 열매인 그리스도요 다음에는 그리스도 강림하실 때에 그에게 붙은 자요15:24 그 후에는…

Ⅰコリント 黙想26【コリント教会を守る理由】220604(土) 枝川愛の教会

Ⅰコリント 15:1~1115:1 兄弟たち。私があなたがたに宣べ伝えた福音を、改めて知らせます。あなたがたはその福音を受け入れ、その福音によって立っているのです。15:2 私がどのようなことばで福音を伝えたか、あなたがたがしっかり覚えているなら、この福音によって救われます。そうでなければ、あなたがたが信じたことは無駄になってしまいます。15:3 私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、15:4 また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、15:5 また、ケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです。15:6 その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。その中にはすでに眠った人も何人かいますが、大多数は今なお生き残っています。15:7 その後、キリストはヤコブに現れ、それからすべての使徒たちに現れました。15:8 そして最後に、月足らずで生まれた者のような私にも現れてくださいました。15:9 私は使徒の中では最も小さい者であり、神の教会を迫害したのですから、使徒と呼ばれるに値しない者です。15:10 ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは無駄にはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。働いたのは私ではなく、私とともにあった神の恵みなのですが。15:11 とにかく、私にせよ、ほかの人たちにせよ、私たちはこのように宣べ伝えているのであり、あなたがたはこのように信じたのです。   いぜれもできなく、責めと勧告を繰り返したパウロは、ジレンマの状況から抜け出で再び本質を考えます。コリント教会の人々と戦っている根源的理由について考えるのです。教会が持たなければならないのは復活の福音です。たとえ他のものが足りなくても、復活の福音を信じる信仰が薄ければ、教会と呼ぶことはできません。それでパウロは15章に入り、コリント教会の聖徒たちに福音を言い出し、その中にある復活を語りました。それが当時の混乱していた状況から戻るべき原則であり、原理であり、本質であるからです。それは適度に秩序よくするような問題ではなく、確かにかつ原則的に前提しなければならない問題でした。   異言という祈りの主題と預言という解釈の主題をめぐって戦っていた人々は、復活については何と言ったのでしょうか。果たして復活の福音をきちんと信じてから戦っていたのでしょうか?目的意識を失うと、どうでもいいような現象に執着して戦います。パウロも戦っていますが、パウロは教会が存在しなければならない本質のために戦っています。自分も教会を迫害する邪魔者だったことを告白しています。だから、パウロがコリント人よりも道徳的に、地位的に優位だからという意味ではありません。教会を守っていかなければならない理由、福音について切に訴えているだけであると思います。  

고린도전서 묵상26【고린도교회를 지켜야 하는 이유】220604(토) 에다가와 사랑의 교회

고린도전서 15:1~1115:1 형제들아 내가 너희에게 전한 복음을 너희로 알게 하노니 이는 너희가 받은 것이요 또 그 가운데 선 것이라15:2 너희가 만일 나의 전한 그 말을 굳게 지키고 헛되이 믿지 아니하였으면 이로 말미암아 구원을 얻으리라15:3 내가 받은 것을 먼저 너희에게 전하였노니 이는 성경대로 그리스도께서 우리 죄를 위하여 죽으시고15:4 장사 지낸바 되었다가 성경대로 사흘만에 다시 살아나사15:5 게바에게…

Ⅰコリント 黙想25【適切に、秩序正しく】220602(木) 枝川愛の教会

Ⅰコリント 14:26~4014:26 それでは、兄弟たち、どうすればよいのでしょう。あなたがたが集まるときには、それぞれが賛美したり、教えたり、啓示を告げたり、異言を話したり、解き明かしたりすることができます。そのすべてのことを、成長に役立てるためにしなさい。14:27 だれかが異言で語るのであれば、二人か、多くても三人で順番に行い、一人が解き明かしをしなさい。14:28 解き明かす者がいなければ、教会では黙っていて、自分に対し、また神に対して語りなさい。14:29 預言する者たちも、二人か三人が語り、ほかの者たちはそれを吟味しなさい。14:30 席に着いている別の人に啓示が与えられたら、先に語っていた人は黙りなさい。14:31 だれでも学び、だれでも励ましが受けられるように、だれでも一人ずつ預言することができるのです。14:32 預言する者たちの霊は預言する者たちに従います。14:33 神は混乱の神ではなく、平和の神なのです。聖徒たちのすべての教会で行われているように、14:34 女の人は教会では黙っていなさい。彼女たちは語ることを許されていません。律法も言っているように、従いなさい。14:35 もし何かを知りたければ、家で自分の夫に尋ねなさい。教会で語ることは、女の人にとって恥ずかしいことなのです。14:36 神のことばは、あなたがたのところから出たのでしょうか。あるいは、あなたがたにだけ伝わったのでしょうか。14:37 だれかが自分を預言者、あるいは御霊の人と思っているなら、その人は、私があなたがたに書くことが主の命令であることを認めなさい。14:38 それを無視する人がいるなら、その人は無視されます。14:39 ですから、私の兄弟たち、預言することを熱心に求めなさい。また、異言で語ることを禁じてはいけません。14:40 ただ、すべてのことを適切に、秩序正しく行いなさい。   本文を読むと当時のコリント教会の状況を推測してみることができます。異言も預言も良いものであり、金持ちも賜物もすべて良いものですが、コリント教会はそれに秩序がなかったので、争いになって混乱していました。神様と聖徒のための奉仕の働きさえも、自分の欲と自尊心のことで戦い、祈ること、礼拝することにも戦いがありました。   それで、パウロは異言も認め、預言も認めますが、それに制限をかけ、また女性は教えることを禁じます。なぜでしょうか?異言と預言と女性に問題があるからではなく、受け入れる人々に問題があるです。異言と預言の問題で争いが起こり、女性が教えることをすることに反対があったからです。パウロの本年は何事においてもさらに積極的に勧めることでしたが、まだ、成熟していない教会にはやむを得ずに制限しなければなりませんでした。   それで、パウロはあれこれを禁じますが、再び、あれこれを勧め、慕い求めさせます。腐心しているのです。ということで最後の節では、適切に、秩序正しくするようにと言います。「ですから、私の兄弟たち、預言することを熱心に求めなさい。また、異言で語ることを禁じてはいけません。ただ、すべてのことを適切に、秩序正しく行いなさい。39、40」私たちはここで教会論と聖霊論と賜物論という神学を学びますが、実際にパウロは神学を教えているのではなく、人間を理解し、耐え忍んでいるのです。これでも戦い、あれでも戦う聖徒たちの中で、禁じたり、勧めたりしながら忍耐しています。  

고린도전서 묵상25【적당하게 질서대로】220603(금) 에다가와 사랑의 교회

고린도전서 14:26~4014:26 그런즉 형제들아 어찌할꼬 너희가 모일 때에 각각 찬송시도 있으며 가르치는 말씀도 있으며 계시도 있으며 방언도 있으며 통역함도 있나니 모든 것을 덕을 세우기 위하여 하라14:27 만일 누가 방언으로 말하거든 두 사람이나 다불과 세 사람이 차서를 따라 하고 한 사람이 통역할 것이요14:28 만일 통역하는 자가 없거든 교회에서는 잠잠하고 자기와 및 하나님께 말할 것이요14:29 예언하는 자는…

Ⅰコリント 黙想24【通じ合う霊性】220602(木) 枝川愛の教会

Ⅰコリント 14:13~2514:13 そういうわけで、異言で語る人は、それを解き明かすことができるように祈りなさい。14:14 もし私が異言で祈るなら、私の霊は祈りますが、私の知性は実を結びません。14:15 それでは、どうすればよいのでしょう。私は霊で祈り、知性でも祈りましょう。霊で賛美し、知性でも賛美しましょう。14:16 そうでないと、あなたが霊において賛美しても、初心者の席に着いている人は、あなたの感謝について、どうしてアーメンと言えるでしょう。あなたが言っていることが分からないのですから。14:17 あなたが感謝するのはけっこうですが、そのことでほかの人が育てられるわけではありません。14:18 私は、あなたがたのだれよりも多くの異言で語っていることを、神に感謝しています。14:19 しかし教会では、異言で一万のことばを語るよりむしろ、ほかの人たちにも教えるために、私の知性で五つのことばを語りたいと思います。14:20 兄弟たち、考え方において子どもになってはいけません。悪事においては幼子でありなさい。けれども、考え方においては大人になりなさい。14:21 律法にこう書かれています。「『わたしは、異国の舌で、異なる唇でこの民に語る。それでも彼らは、わたしの言うことを聞こうとはしない』と主は言われる。」14:22 それで異言は、信じている者たちのためではなく、信じていない者たちのためのしるしであり、預言は、信じていない者たちのためではなく、信じている者たちのためのしるしです。14:23 ですから、教会全体が一緒に集まって、皆が異言で語るなら、初心の人か信じていない人が入って来たとき、あなたがたは気が変になっていると言われることにならないでしょうか。14:24 しかし、皆が預言をするなら、信じていない人や初心の人が入って来たとき、その人は皆に誤りを指摘され、皆に問いただされ、14:25 心の秘密があらわにされます。こうして、「神が確かにあなたがたの中におられる」と言い、ひれ伏して神を拝むでしょう。   パウロは異言で祈る人でした。ですから、誰よりも異言の祈りの恵みをよく知り、感謝していました。ところが、異言は個人的な霊性のためであり,共同体の有益ではないといい、それも節制するようにと勧めます。むしろ教会には預言、すなわちみことばを悟り、教会の徳を高めるためにそれを共有することを勧めています。「しかし教会では、異言で一万のことばを語るよりむしろ、ほかの人たちにも教えるために、私の知性で五つのことばを語りたいと思います。19」   共同体の調和という観点から、賜物は開発されたり、節制されたりします。異言は良いものですが、パウロは良いことにおいても節制できるような成熟した知恵を求めるようにと求めます。「兄弟たち、考え方において子どもになってはいけません。悪事においては幼子でありなさい。けれども、考え方においては大人になりなさい。20」賢くなるということは、理解できないことばで言うのではなく、はっきりとした言葉を使い、それを伝え、共有することです。パウロにおいては理解できない言葉、解説されない言葉、通訳しない言葉もすべて失礼なことばになります。教会の中に互換できない、抽象の言語も返還しなければなりません。基準は、皆が理解できる言葉です。神様のみことばを皆が分かるように解きあかし、それぞれの時代のみことばに置き換えることです。教会の言語は世の言語と通じなければなりません。   もし、未信者が初めて異言を聞くとしたら、違和感を感じることになります。しかし預言、すなわちみみことばを解いて教えることには違和感がありません。みことばを解ければ、神様を伝えることができ、そのみことばは人の内面を表わします。「しかし、皆が預言をするなら、信じていない人や初心の人が入って来たとき、その人は皆に誤りを指摘され、皆に問いただされ、心の秘密があらわにされます。こうして、神が確かにあなたがたの中におられると言い、ひれ伏して神を拝むでしょう。24,25」みことば、人のことを現します。「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、心の思いやはかりごとを見分けることができます。へブル4:12」神様のみことばを受け、そのみことばを伝えると、それは誰かの救いになります。  

고린도전서 묵상24【소통되는 영성】220602(목) 에다가와 사랑의 교회

고린도전서 14:13~2514:13 그러므로 방언을 말하는 자는 통역하기를 기도할지니14:14 내가 만일 방언으로 기도하면 나의 영이 기도하거니와 나의 마음은 열매를 맺히지 못하리라14:15 그러면 어떻게 할꼬 내가 영으로 기도하고 또 마음으로 기도하며 내가 영으로 찬미하고 또 마음으로 찬미하리라14:16 그렇지 아니하면 네가 영으로 축복할 때에 무식한 처지에 있는 자가 네가 무슨 말을 하는지 알지 못하고 네 감사에 어찌 아멘…

Ⅰコリント 黙想23【異言と預言】220601(水) 枝川愛の教会

Ⅰコリント 14:1~1214:1 愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。14:2 異言で語る人は、人に向かって語るのではなく、神に向かって語ります。だれも理解できませんが、御霊によって奥義を語るのです。14:3 しかし預言する人は、人を育てることばや勧めや慰めを、人に向かって話します。14:4 異言で語る人は自らを成長させますが、預言する人は教会を成長させます。14:5 私は、あなたがたがみな異言で語ることを願いますが、それ以上に願うのは、あなたがたが預言することです。異言で語る人がその解き明かしをして教会の成長に役立つのでないかぎり、預言する人のほうがまさっています。14:6 ですから、兄弟たち。私があなたがたのところに行って異言で語るとしても、啓示か知識か預言か教えによって語るのでなければ、あなたがたに何の益になるでしょう。14:7 笛や竪琴など、いのちのない楽器でも、変化のある音を出さなければ、何を吹いているのか、何を弾いているのか、どうして分かるでしょうか。14:8 また、ラッパがはっきりしない音を出したら、だれが戦いの準備をするでしょう。14:9 同じようにあなたがたも、舌で明瞭なことばを語らなければ、話していることをどうして分かってもらえるでしょうか。空気に向かって話していることになります。14:10 世界には、おそらく非常に多くの種類のことばがあるでしょうが、意味のないことばは一つもありません。14:11 それで、もし私がそのことばの意味を知らなければ、私はそれを話す人にとって外国人であり、それを話す人も私には外国人となるでしょう。14:12 同じようにあなたがたも、御霊の賜物を熱心に求めているのですから、教会を成長させるために、それが豊かに与えられるように求めなさい。   パウロは異言で祈ることと預言することについて教訓が続けます。これも、教会が配慮せず、混乱していたからです。異言と預言は、今の私たちにとっても依然としてその定義と理解が不明な場合がありますが、少なくともⅠコリントの手紙の14章で語っている異言というものは、通なしには日常的に疎通できる言語ではないということは明らかです。しかし、パウロは異言を無視したり、廃止したりはしませんでした。むしろ異言は求めていました。   パウロは,異言と預言を結びつけて話していますが,異言より預言がより大切であるという風に語っています。預言には、2つがあります。予めの「予」を使って未来のことを知り、事前に語る「予言」があれば、預かるの「預」を使ってみことばを預かったという意味の「預言」があります。Ⅰコリントの手紙が言うものは「預言」です。日本語は預言者と翻訳し、韓国語はこの両方を含む「先知者」と翻訳しています。先に知って人という意味です。それは未来を知ることができる先見があれば、みことばを預かって理解し、洞察する人の意味もあると思います。   異言と預言、どちらも聖霊の恵みですし、パウロはもちろん異言で祈ることを認めていますが、みことばを読んで解釈することがより大切であるということです。異言に偏ると、何を信じるのか、どのように信じればいいのかという秩序が崩れ、抽象的に、神秘に陥る危険性があります。認識できないうちに行うことだからです。ですから、信仰には明らかに認識できる神様のみことばの解釈と学習が常に並行しなければならないということです。   パウロは異言を禁止しません。しかし、他人の祈りを邪魔しないようにお互いを配慮することを勧めています。また、みことばを通して神様に出会う原則を忘れず、無秩序に陥らないように勧めています。神様のみことばを引き受けてそれを解いていく日常を営む人、密かな祈りを通して神様に出会う人は、すべて12節が語る教会を成長させる人であり、そのような人は必ず知識の神様、神秘の神様に出会います。