출애굽기 QT79 210719월【안식을 소망하며】출애굽기 40장 34~38

출애굽기 40장 34~3840:34 그 후에 구름이 회막에 덮이고 여호와의 영광이 성막에 충만하매40:35 모세가 회막에 들어갈 수 없었으니 이는 구름이 회막 위에 덮이고 여호와의 영광이 성막에 충만함이었으며40:36 구름이 성막 위에서 떠오를 때에는 이스라엘 자손이 그 모든 행하는 길에 앞으로 발행하였고40:37 구름이 떠오르지 않을 때에는 떠오르는 날까지 발행하지 아니하였으며40:38 낮에는 여호와의 구름이 성막 위에 있고 밤에는 불이…

出エジプト記 QT78 210717土【出エジプトを終える=礼拝を始める】出エジプト記 40章 1~16

出エジプト記 40章 1~1639:32 こうして、会見の天幕である幕屋のすべての奉仕が終わった。イスラエルの子らは、すべて主がモーセに命じられたとおりに行い、そのようにした。39:33 彼らは幕屋をモーセのところに運んで来た。天幕とそのすべての備品、留め金、板、横木、柱、台座、39:34 赤くなめした雄羊の皮の覆い、 じゅごんの皮の覆い、 仕切りの垂れ幕、39:35 あかしの箱と、その棒、「宥めの蓋」、39:36 机と、そのすべての備品、臨在のパン、39:37 きよい燭台と、そのともしび皿、すなわち一列に並べるともしび皿、そのすべての道具、ともしび用の油、39:38 金の祭壇、注ぎの油、香り高い香、そして天幕の入り口の垂れ幕、39:39 青銅の祭壇と、それに付属する青銅の格子、その棒、そのすべての用具、洗盤とその台、39:40 庭の掛け幕と、その柱、その台座、庭の門のための垂れ幕と、そのひも、その杭、会見の天幕の幕屋の奉仕に用いるすべての用具、39:41 聖所で務めを行うための式服、すなわち、祭司アロンの聖なる装束と、祭司として仕える彼の子らの装束である。39:42 イスラエルの子らは、すべて主がモーセに命じられたとおりに、そのとおりに、すべての奉仕を行った。39:43 モーセがすべての仕事を見ると、彼らは、見よ、主が命じられたとおりに行っていた。そこでモーセは彼らを祝福した。   モーセは39章で幕屋建設に献身した民を祝福し、40章でそれら機能に合わせて設置と配置をします。それも、命じられたとおり行ったことであって、設計とデザインは、神様のものです。神様はご自身が願うことを民に啓示されます。その啓示は、神様の働きに加えるようにと呼びかけることであります。神様の召しを受けた民は、献身し、自分の生活を調整しなければありません。そのような神様との関係に入った人は、今まで経験したことと違う新しい次元の神様を経験することができます。しかし、信仰と献身がなければ、神様を体験することはできません。それが出エジプト記の最後のページを読んでいる私たちに与える霊的な期待感です。   聖所が(ミクタシュמִקְדָּשׁ)であり、それは「居住する」という意味の動詞(シャカンשָׁכַן)から出てきた言葉です。そして、この動詞から派生した(ミシュカンמִּשְׁכָּן)が幕屋です。だから、神様はこれからこの幕屋に居住しておられます。神様が民と一緒におられるために引っ越ししてこられたわけでありです。イエス・キリストが受肉して来られたとき、インマヌエル(עִמָּנוּאֵל)と呼ばれたことを覚えます。「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。マタイ1:23」私たちと同居するために来られたのです。12部族のイスラエルは、その幕屋を中心に囲み、それぞれ自分の天幕を建てて神様と一緒に住みました。   出エジプト記は、イスラエルの民がエジプトを出てカナンの地に入ることで終わることではなく、礼拝が整えることで終りました。出エジプト記を振り返ってみると、約束に基づいて奴隷を選び、それを引き出したくださり、シナイ山で契約を結ばれ、それを通して礼拝を始められ恵みであって、さらにこれからは幕屋に一緒に住んでおられる恵みです。イスラエルの民は新たな次元で神様を経験するようになります。それが神様を礼拝する生活です。   幕屋は出エジプトした元年の6月中旬から始め、その年の12月末まで、約6ヶ月程度がかかり、落成式は年越して、翌年元日にしました。その日程も神様が定めました。私たちの教会も移転してから、まだ献堂式を行っていませんが、この教会献堂式の日程も、神様が定めてくださると思います。神様に献身した民と一緒に、今ここにおられる神様を礼拝し、私たちは新たな次元の神様の恵みを経験していきます。

출애굽기 QT78 210717토【출애굽을 마치며=예배를 시작하며)】출애굽기 40장 1~16

출애굽기 40장 1~1640:1 여호와께서 모세에게 일러 가라사대40:2 너는 정월 초일일에 성막 곧 회막을 세우고40:3 또 증거궤를 들여 놓고 또 장으로 그 궤를 가리우고40:4 또 상을 들여 놓고 그 위에 물품을 진설하고 등대를 들여 놓고 불을 켜고40:5 또 금 향단을 증거궤 앞에 두고 성막 문에 장을 달고40:6 또 번제단을 회막의 성막 문 앞에 놓고40:7 또 물두멍을…

出エジプト記 QT77 210716金【完成した幕屋】出エジプト記 39章 32~43

出エジプト記 39章 32~4339:32 こうして、会見の天幕である幕屋のすべての奉仕が終わった。イスラエルの子らは、すべて主がモーセに命じられたとおりに行い、そのようにした。39:33 彼らは幕屋をモーセのところに運んで来た。天幕とそのすべての備品、留め金、板、横木、柱、台座、39:34 赤くなめした雄羊の皮の覆い、 じゅごんの皮の覆い、 仕切りの垂れ幕、39:35 あかしの箱と、その棒、「宥めの蓋」、39:36 机と、そのすべての備品、臨在のパン、39:37 きよい燭台と、そのともしび皿、すなわち一列に並べるともしび皿、そのすべての道具、ともしび用の油、39:38 金の祭壇、注ぎの油、香り高い香、そして天幕の入り口の垂れ幕、39:39 青銅の祭壇と、それに付属する青銅の格子、その棒、そのすべての用具、洗盤とその台、39:40 庭の掛け幕と、その柱、その台座、庭の門のための垂れ幕と、そのひも、その杭、会見の天幕の幕屋の奉仕に用いるすべての用具、39:41 聖所で務めを行うための式服、すなわち、祭司アロンの聖なる装束と、祭司として仕える彼の子らの装束である。39:42 イスラエルの子らは、すべて主がモーセに命じられたとおりに、そのとおりに、すべての奉仕を行った。39:43 モーセがすべての仕事を見ると、彼らは、見よ、主が命じられたとおりに行っていた。そこでモーセは彼らを祝福した。   39章を最後にして幕屋は完成しました。読むのも大変なのに、造った人々はいかに苦労したことでしょう。大変だったのは、仕事が多いからではなく、神様の命令どおりに精巧に造らなければならなかったからです。モーセがシナイ山に登り、40日昼夜を神様から御言葉を受けて幕屋の式様を受け、民たちはそれに従い、御言葉通りに入念に施工しました。   民たちの献身があり、同労者たちの忠誠がありました。具体的な式様の意味を知り尽くしていたのわけでもありません。御言葉に従って行うのは時間がかかり、難しいことです。緊張することです。39章だけで「命じられたとおりに」という言葉十回繰り返してました。36章からずっと強調されてきたのが「命じられたとおりに」です。繰り返しというよりも、すべてのことを一貫して、神様の御言葉のとおり実践するということです。   「モーセがすべての仕事を見ると、彼らは、見よ、主が命じられたとおりに行っていた。そこでモーセは彼らを祝福した。43」モーセは幕屋を完成した民たちを祝福しました。それは神様の御心であり、モーセの真心です。けれども、その祝福とは、礼拝の場所が完成されたものよりも大きいものでしょうか。「みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。」そこに働いている人々は、すでに最大の祝福を受けたのではないでしょうか?そのために献身したのです。大切なものをささげ、献身し、完成された聖所で皆が一緒に礼拝できる祝福よりも大きな祝福はあるでしょうか。   神様の御言葉が形になっていくことに献身していく御言葉の共同体、礼拝と宣教の共同体を確めます。他の祝福を願うことはありません。「命じられたとおりに」献身し、忠誠した人に対してイエス様が教えられた安全装置を思い起こします。「しもべが命じられたことをしたからといって、主人はそのしもべに感謝するでしょうか。同じようにあなたがたも、自分に命じられたことをすべて行ったら、『私たちは取るに足りないしもべです。なすべきことをしただけです』と言いなさい。ルカ17:9,10」献身したこと、忠誠を尽くしたことまで否定し、神様の御言葉だけを残すような謙虚さがありますよう、祝福をお祈りします。

출애굽기 QT77 210716금【완성된 성막】출애굽기 39장 32~43

출애굽기 39장 32~4339:32 이스라엘 자손이 이와 같이 성막 곧 회막의 모든 역사를 준공하여 여호와께서 모세에게 명하신대로 다 행하고39:33 그들이 성막을 모세에게로 가져왔으니 곧 막과 그 모든 기구와 그 갈고리들과 그 널판들과 그 띠들과 그 기둥들과 그 받침들과39:34 붉은 물 들인 수양의 가죽 덮개와 해달의 가죽 덮개와 가리우는 장과39:35 증거궤와 그 채들과 속죄소와39:36 상과 그 모든…

出エジプト記 QT76 210715木【主に聖なるもの】出エジプト記 39章 22~31

出エジプト記 39章 22~3139:21 胸当ては、その環からエポデの環に青ひもで結び付け、エポデのあや織りの帯の上にあるようにし、胸当てがエポデから外れないようにした。主がモーセに命じられたとおりである。39:22 また、エポデの下に着る青服を、織物の技法を凝らして青色の撚り糸だけで作った。39:23 青服の首の穴はその真ん中にあり、よろいの襟のようで、ほころびないようにその周りに縁を付けた。39:24 青服の裾の上に、青、紫、緋色の撚り糸で撚ったざくろを作った。39:25 また彼らは純金の鈴を作り、その鈴を青服の裾周りの、ざくろとざくろとの間に付けた。39:26 すなわち、務めを行うための青服の裾周りには、鈴、ざくろ、鈴、ざくろとなるようにした。 主がモーセに命じられたとおりである。39:27 彼らはアロンとその子らのために、織物の技法を凝らして、亜麻布の長服を、39:28 亜麻布のかぶり物、亜麻布の麗しいターバン、そして撚り糸で織った亜麻布のももひきを作った。39:29 また、撚り糸で織った亜麻布と、青、紫、緋色の撚り糸を用い、刺繡を施して飾り帯を作った。主がモーセに命じられたとおりである。39:30 また、聖別の記章の札を純金で作り、その上に印章を彫るように「主の聖なるもの」という文字を記した。39:31 これに青ひもを付け、それを、かぶり物に上の方から結び付けた。主がモーセに命じられたとおりである。   大祭司のみが純金で造った礼服に「主の聖なるもの(コーデシューラヤフェ קֹדֶשׁלַיהוָה)」という印章を彫ります。それは、大祭司を表わしたいのではなく、その職責が聖別されるべきだからです。「主の聖なるもの(コーデシューラヤフェ קֹדֶשׁלַיהוָה)」という文句は、旧約聖書の中でもう一箇所登場します。ゼカリヤ14章です。 「その日、馬の鈴の上には「主への聖なるもの」と刻まれ、主の宮の中の鍋は祭壇の前の鉢のようになる。エルサレムとユダのすべての鍋は、万軍の主への聖なるものとなる。いけにえを献げる者はみなやって来て、その一つを取ってそれで煮るようになる。14:20.21」「主の聖なるもの」は、大祭司のみ与えられていたものですが、今は馬の鈴まで与えられ、そしてエルサレムとユダのすべてが神様の物になります。これは、神様によって区別され、神様に用られるすべては神様によって聖なるものとされるという意味です。   異邦人に宣教が開かれるきっかけであってコルネリウスの回心は、神様が否定であるペテロに「神がきよめた物を、あなたがきよくないと言ってはならない。」とされました。神様が救いの民として区別されたものが聖なるものです。聖なるものいうのはもちろん、倫理的に傷がないことを意味もありますが、聖書が言う聖となるものの意味は、神様によって区別されたものです。それが聖なるものです。金の器、銀の器であっても、神様の関係がなければ、何もなく、土で造ったも土器でも神様が区別し、用いているなら、聖別されたものであり、聖いものです。私たちの生活と行動を考えると、額に神様に聖なるものと書くには到底に勇気と自信感がありません。意志と違って毎日のように聖いものではありません。それでも私たちの人生が神様による呼びかけられ、それに用いられているなら、それによって私たちはすでに聖別された存在です。   ウェストミンスター教理問答の始まりは、人生の根本的な目的を問いています。 「人のおもな目的は、何ですか。」という質問に、「人のおもな目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことです。」と答えています。ハイデルベルク信仰問答の最初の質問も根本から問われます。 「生きる時も、死ぬ時も、あなたのただ一つの慰めは何ですか?」という質問に対して答えは、「わたしのからだも魂も、両方とも、生きる時も、死ぬ時も 、わたしのものではなく、わたしのほんとうの救い主イエス・キリストのものであることです。」と答えています。これに同意されるなら、私たちも聖なるものです。人は皆完全ではありませんが、神様の召しの中で聖なるものとされます。イエス様は「あなたがたは聖なる者でなければならない。わたしが聖だからである」と言われました。これを道徳的な意味に適用すれば、混乱に陥ります。私たちもイエス様のように、神様によって区別されているものです。主がお使いになるという言葉を聞くことができ、それに従うことができる、すなわち自分の否定して従う信仰があれば、その人は「神に聖なるもの」とされた人なのです。

출애굽기 QT76 210715목【여호와께 성결】출애굽기 39장 22~31

출애굽기 39장 22~3139:22 그가 에봇 받침 긴 옷을 전부 청색으로 짜서 만들되39:23 그 옷의 두 어깨 사이에 구멍을 내고 갑옷 깃 같이 그 구멍 주위에 깃을 짜서 찢어지지 않게 하고39:24 청색 자색 홍색실과 가는 베실로 그 옷 가장자리에 석류를 수 놓고39:25 정금으로 방울을 만들어 그 옷 가장자리로 돌아가며 석류 사이 사이에 달되39:26 방울과 석류를 서로…

出エジプト記 QT75 210714水【祭祀の服】出エジプト記 39章 1~21

出エジプト記 39章 1~2139:1 彼らは、青、紫、緋色の撚り糸で、聖所で務めを行うための式服を作った。また、主がモーセに命じられたとおりに、アロンの聖なる装束を作った。39:2 金色、青、紫、緋色の撚り糸、それに撚り糸で織った亜麻布を用いて、エポデを作った。39:3 彼らは金の板を打ち延ばして金箔を作り、これを切って糸とし、青、紫、緋色の撚り糸に撚り込み、それぞれ亜麻布の中に意匠を凝らして織り込んだ。39:4 エポデに付ける肩当てが作られ、それぞれがエポデの両端に結ばれた。39:5 エポデの上に来るあや織りの帯はエポデと同じ作りで、金色、青、紫、緋色の撚り糸、それに撚り糸で織った亜麻布を用い、エポデの一部となるようにした。主がモーセに命じられたとおりである。39:6 彼らは縞めのうを金縁の細工の中にはめ込んだ。それには、イスラエルの息子たちの名が、印章を彫るように刻まれていた。39:7 彼らはそれらをエポデの肩当てに付け、イスラエルの息子たちが覚えられるための石とした。主がモーセに命じられたとおりである。39:8 また、意匠を凝らして、エポデの細工と同じように、金色、青、 紫、 緋色の撚り糸、 それに撚り糸で織った亜麻布を用いて、胸当てを作った。39:9 正方形で二重にしてその胸当てを作った。 長さは一ゼレト、 幅一ゼレトで、 二重であった。39:10 その中に四列の宝石をはめ込んだ。第一列は赤めのう、トパーズ、エメラルド。39:11 第二列はトルコ石、サファイア、ダイヤモンド。39:12 第三列はヒヤシンス石、めのう、紫水晶。39:13 第四列は緑柱石、縞めのう、碧玉。これらが金縁の細工の中にはめ込まれた。39:14 これらの宝石はイスラエルの息子たちの名にちなむもので、彼らの名にしたがい十二個であった。それらは印章のように、それぞれに名が彫られ、十二部族を表した。39:15 また、胸当てのために、撚ったひものような鎖を純金で作った。39:16 彼らは金縁の細工二個と金の環二個を作り、二個の環を胸当ての両端に付けた。39:17 胸当ての両端の二個の環には、二本の金のひもを付けた。39:18 その二本のひものもう一方の端を、先の二つの金縁の細工と結び、エポデの肩当ての前側に付けた。39:19 さらに二個の金の環を作り、それらを胸当ての両端に、エポデに接する胸当ての内側の縁に付けた。39:20 また、さらに二個の金の環を作り、これをエポデの二つの肩当ての下端の前に、エポデのあや織りの帯の上部の継ぎ目に、向かい合うように付けた。39:21 胸当ては、その環からエポデの環に青ひもで結び付け、エポデのあや織りの帯の上にあるようにし、胸当てがエポデから外れないようにした。主がモーセに命じられたとおりである。   今日の本文は、祭司の服とエポデと記念の宝石、胸当てと十二の宝石の定めの繰り返しです。祭司の服は普通の服とは異なります。人ではなく服が異なります。祭司は区別されて呼ばれました。人が異なるのではなく、召しが異なり、職務が異なります。服をもってそれを厳しく区別します。   派手な装飾になるのは、祭司だからではなく、神様に仕える職務だからです。人は誰でも、状況に応じて、異なる服を着ます。兵士は制服を着て、裁判官は法服を着ます。祭司は祭祀の際に礼服を着ます。それを着て定まった職務を執り行います。   神様は私たちが完成される前にまず服を着せてくださいます。そしてそれにふさわしく成長することを待っておられます。パウロは、「次のことばは真実です。「もしだれかが監督の職に就きたいと思うなら、それは立派な働きを求めることである。Ⅰテモテ3:1」自然に作られる人はいないからです。職務を担うとそれにふさわしい人になっていきます。   誰でも身分と地位を慕って、その服を着なければなりません。その服は聖なる服です。聖なる人が自分の聖なる服を着るのではなく、聖なる服を着てから聖なる者になります。パウロはガラテヤ人への手紙で「キリストにつくバプテスマを受けたあなたがたはみな、キリストを着たのです。3:27」といいました。キリストを着ると、キリストに似ていきます。   世は私たちに世の服を着せていました。だから、常に世の機嫌をうかがいます。しかし、たとえこの世の中に生きても、朝起きて十二の宝石の神様の服を着、胸当てを持って家を出るならば、その服は、私たちを守り、神様の子どもとしての生き方を導いてくださいます。「そして、堅く立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはきなさい。これらすべての上に、信仰の盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢をすべて消すことができます。救いのかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち神のことばを取りなさい。エペソ6:14-17」

출애굽기 QT75 210714수【제사장의 옷】출애굽기 39장 1~21

출애굽기 39장 1~2139:1 그들이 여호와께서 모세에게 명하신대로 청색 자색 홍색실로 성소에서 섬기기 위한 정교한 옷을 만들고 또 아론을 위한 거룩한 옷을 만들었더라39:2 그가 또 금실과 청색 자색 홍색실과 가늘게 꼰 베실로 에봇을 만들었으되39:3 금실을 얇게 쳐서 오려서 실을 만들어 청색 자색 홍색실과 가는 베실에 섞어 공교히 짜고39:4 에봇을 위하여 견대를 만들어 그 두 끝에 달아…

出エジプト記 QT74 210713火【共同体の献身によって立てられる礼拝】出エジプト記 38章 21~31

出エジプト記 38章 21~31 38:21 幕屋、すなわち、あかしの幕屋の記録は次のとおりである。これはモーセの命によって記録されたもので、祭司アロンの子イタマルのもとでレビ人が奉仕したことであった。38:22 ユダ部族に属する、フルの子ウリの子ベツァルエルは、主がモーセに命じられたことをことごとく行った。38:23 彼とともに、ダン部族の、アヒサマクの子オホリアブがいた。オホリアブは、彫刻をする者、意匠を凝らす者、また青、紫、緋色の撚り糸と亜麻布で刺繡をする者であった。38:24 聖所の設営のすべてにおいて、その仕事のために用いられた金、すなわち奉献物の金の総計は、 聖所のシェケルで二十九タラント七百三十シェケルであった。38:25 登録された会衆による銀は、聖所のシェケルで百タラント千七百七十五シェケルであった。38:26 二十歳以上で登録された者が全部で六十万三千五百五十人だったので、これは一人当たり一ベカ、聖所のシェケルで半シェケルである。38:27 聖所の台座と垂れ幕の台座を鋳造するのに用いた銀は百タラントで、百個の台座に百タラント用いた。一タラントで一個の台座である。38:28 また、千七百七十五シェケルで柱の鉤を作り、柱の頭にかぶせ、頭つなぎで柱をつないだ。38:29 奉献物の青銅は七十タラント二千四百シェケルであった。38:30 これを用いて、彼は会見の天幕の入り口の台座、青銅の祭壇と、それに付属する青銅の格子、および祭壇のすべての用具、38:31 また、 庭の周りの台座、 庭の門の台座、幕屋のすべての杭、庭の周りのすべての杭を作った。   特別で精巧な才能を受けたベツァルエルとオホリアブは、神様がモーセに命じた通りに、すべてを作りました。それは目に見える仕事でしたが、幕屋が造られるためには、ベツァルエルとオホリアブの献身だけではいけませんでした。昨日のQTでは、会見の天幕で奉仕する女性の手鏡で洗盤を作った話しを読みましたが、見えないところで献身する人々がいました。   20歳以上のすべての大人は、それぞれ自分の分をささげました。それは大きな金額ではなく、半シェケルでした。それが幕屋工事の最も大事な基礎資金となります。幕屋とその内装を作るために集めた金が1トン、銀が4トン、青銅が2.5トンでした。それは20歳以上の人の60万人がそれぞれ半シェケルずつささげ、集まったものです。   これは、イエス様の時代にもつながっていて、イエス様も半シェケルを納めました。ペテロに魚の腹から一シェケルを取り出すようにして、イエス様の分の半シェケルとペテロの分の半シェケルを納めました。イエス様ご自身も一人の義務というものを例外とはしませんでした。初代教皇になるペテロも確かにそれを見て学びました。教皇であれ神父であれ牧師であれ、社会の一員として生きるなら税金を納めるのが当然です。   自分がささげる礼拝は自分を通して形成され、自分を通して運営されなければなりません。それを通して信仰の主体性を確認することができます。そういう意味で、イスラエルは成長しました。受け身的な奴隷生活から礼拝の価値を見つけ、自分を支払う主体的な信仰生活が始めたのです。   幕屋も教会も、それを立てようとしたらお金がかかります。教会建築は昔も今も重要な課題です。教会建築はお金持ちが巨額のお金を出して建てるのではありません。枝川愛の教会の建物を購入するときに、祈ってくださる方々からたくさん聞かれた言葉が「大きなビジネスをするお金持ちの長老さん」でした。そのような人が来て、たくさんのお金を献金すれば建築ができるということです。私はそのようなことは望んでもないし、祈ったこともありません。むしろそのような人が来るのではないかと思って恐れていました。   共同体の一員それぞれが献身することができるなら教会は立ち上がります。教会は金持ちが立てるのではなく、共同体の主体的な一員が集まって立てるのです。大きいもの、小さいもの、それぞれの規模の中で共同体がそれぞれの役割を担うなら教会は動き始め、そして礼拝することができるようになる。それが最も大きい教会、確かな教会です。