출애굽기 QT54 2106018금【제사장의 옷】출애굽기28장 1~14

출애굽기28장 1~1428:1 너는 이스라엘 자손 중 네 형 아론과 그 아들들 곧 나답과 아비 후와 엘르아살과 이다말을 그와 함께 네게로 나아오게 하여 나를 섬기는 제사장 직분을 행하게 하되28:2 네 형 아론을 위하여 거룩한 옷을 지어서 영화롭고 아름답게 할 지니28:3 너는 무릇 마음에 지혜 있는자 곧 내가 지혜로운 영으로 채운 자들에게 말하여 아론의 옷을 지어 그를…

出エジプト記 QT53 210617木【消えないともしび】出エジプト記 27章 1~21

出エジプト記 27章 1~2127:1 祭壇をアカシヤ材で作る。その祭壇は長さ五キュビト、幅五キュビトの正方形とし、高さは三キュビトとする。27:2 その四隅の上に角を作る。その角は祭壇から出ているようにし、青銅をその祭壇にかぶせる。27:3 灰壺、十能、鉢、肉刺し、火皿を作る。祭壇の用具はみな青銅で作る。27:4 祭壇のために青銅の網細工の格子を作る。その網の上の四隅に青銅の環を四個作る。27:5 その網を下の方、祭壇の張り出した部分の下に取り付け、これが祭壇の高さの半ばに達するようにする。27:6 祭壇のために棒を、アカシヤ材の棒を作り、それらに青銅をかぶせる。27:7 それらの棒は環に通す。祭壇が担がれるとき、棒が祭壇の両側にあるようにする。27:8 祭壇は、板で、中が空洞になるように作る。山であなたに示されたとおりに作らなければならない。27:9 次に幕屋の庭を造る。南側は、撚り糸で織った長さ百キュビトの亜麻布の庭の掛け幕を、その側に張る。27:10 その柱は二十本、 その台座は二十個で青銅、 その柱の鉤と頭つなぎは銀とする。27:11 同じように、北側も長さ百キュビトの掛け幕とする。その柱は二十本、その台座は二十個で青銅、その柱の鉤と頭つなぎは銀とする。27:12 また、庭の西側は幅五十キュビトの掛け幕、その柱は十本、その台座は十個とする。27:13 正面の、庭の東側の幅も五十キュビト。27:14 門の片側には十五キュビトの掛け幕、その柱は三本、その台座は三個とする。27:15 もう片方の側も十五キュビトの掛け幕、その柱は三本、その台座は三個とする。27:16 庭の門には、青、紫、緋色の撚り糸、それに撚り糸で織った亜麻布を用いた、長さ二十キュビトの、刺繡した垂れ幕を張る。その柱は四本、その台座は四個とする。27:17 庭の周囲の柱はみな、銀の頭つなぎでつなぎ合わせ、その鉤は銀、台座は青銅とする。27:18 この庭は長さ百キュビト、幅五十キュビト、そして高さは撚り糸で織った亜麻布の幕の五キュビトとし、その台座は青銅とする。27:19 幕屋の奉仕に用いるすべての備品、すべての杭、庭のすべての杭は青銅とする。27:20 あなたはイスラエルの子らに命じて、ともしび用の質の良い純粋なオリーブ油を持って来させなさい。ともしびを絶えずともしておくためである。27:21 会見の天幕の中で、さとしの板の前にある垂れ幕の外側で、アロンとその子らは、夕方から朝まで主の前にそのともしびを整える。これはイスラエルの子らが代々守るべき永遠の掟である。   聖所で使う七つのともしびは、朝から夕方まで消さずに、常にともしておかなければなりません。ともしびに使う油は、オリーブ油でした。この油を絞りだす際には少しも不純物が混ざっていてはいけません。高純度オリーブオイルは、色が澄んで煙を出さず、照度が高いです。本来、民家では純度の高いオイルの場合、ささげものとと食用に使い、残りのものを燃料として使いましたが、聖所のともしびには最高のオリーブオイルを使用しました。「夕方から朝まで主の前にそのともしびを整える 21」聖所の中の光が消え、夜になってもこのともしびの光が消えずに残っています。これは神様が皆が眠っている夜の時間にも、イスラエルを守っておられるということを意味します。礼拝の場に消えない火があるということは、神様を礼拝したい人においては慰めと頼りになります。   聖所という礼拝の場所を今の教会と考えるなら、その場所にも、常に消えない火が必要になります。韓国に来たら夜も消えない十字架が四方に輝いています。あらゆるところでLEDが普及され、さらに明るく美しくなりました。しかし、消えない光を放つというのは、LEDの十字架だけを言うのではないと思います。イエス様は「あなたがたは世の光です」と言われました。「山の上にある町は隠れることができません。また、明かりをともして升の下に置いたりはしません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいるすべての人を照らします。このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。」人々が教会に来て、光に会うのは、照明器具ではなく、人々の間から出てくる光です。きらびやかな照明がなくても、たとえ暗闇の時代の中でも、消えない光を照らすともしびになりたいとを願います。

출애굽기 QT53 2106017목【꺼지지 않는 등불】출애굽기27장 1~21

출애굽기27장 1~2127:1 너는 조각목으로 장이 오 규빗 광이 오 규빗의 단을 만들되 네모 반듯하게 하며 고는 삼 규빗으로 하고27:2 그 네 모퉁이 위에 뿔을 만들되 그 뿔이 그것에 연하게 하고 그 단을 놋으로 쌀지며27:3 재를 담는 통과 부삽과 대야와 고기 갈고리와 불 옮기는 그릇을 만들되 단의 그릇을 다 놋으로 만들지며27:4 단을 위하여 놋으로 그물을 만들고…

出エジプト記 QT52 210616水【至聖所の幕】出エジプト記 26章 15~37

出エジプト記 26章 15~3726:15 この幕屋のために、アカシヤ材で、まっすぐに立てる板を作る。26:16 一枚の板は、長さ十キュビト、板一枚の幅は一キュビト半。26:17 板一枚ごとに、はめ込みのほぞを二つ作り、幕屋のすべての板にそのようにする。26:18 幕屋のために板を作る。南側に二十枚。26:19 その二十枚の板の下に銀の台座を四十個作る。一枚の板の下に、 その二つのほぞのために二個の台座があり、ほかの板の下にも、 二つのほぞのために二個の台座を作る。26:20 幕屋のもう一つの側、北側に板二十枚。26:21 銀の台座四十個。すなわち、一枚の板の下に二個の台座。次の板の下にも二個の台座。26:22 幕屋のうしろ、西側に板六枚を作る。26:23 幕屋のうしろの両隅のために板二枚を作る。26:24 これらは底部では別々であるが、上部では、一つの環のところで一つに合わさるようにする。二枚とも、そのようにする。これらが両隅となる。26:25 板は八枚、その銀の台座は十六個。すなわち、一枚の板の下に二個の台座、ほかの板の下にも二個ずつの台座となる。26:26 また、アカシヤ材で横木を作る。すなわち、幕屋の一方の側の板のために五本、26:27 幕屋のもう一方の側の板のために横木五本、幕屋のうしろ、西側の板のために横木を五本作る。26:28 板の中間にある中央横木は、端から端まで通るようにする。26:29 その板に金をかぶせ、横木を通す環を金で作る。横木にも金をかぶせる。26:30 こうして、あなたは、山で示された定めのとおりに幕屋を設営しなければならない。26:31 また、青、紫、緋色の撚り糸、それに撚り糸で織った亜麻布を用いて、垂れ幕を作る。これに意匠を凝らしてケルビムを織り出す。26:32 この垂れ幕を、金をかぶせたアカシヤ材の四本の柱に付ける。その鉤は金で、柱は四つの銀の台座の上に据えられる。26:33 その垂れ幕を留め金の下に掛け、垂れ幕の内側に、あかしの箱を運び入れる。その垂れ幕は、あなたがたのために聖所と至聖所との仕切りとなる。26:34 至聖所にあるあかしの箱の上には『宥めの蓋』を置く。26:35 垂れ幕の外側には机を置く。机は幕屋の南側にある燭台と向かい合わせる。その机は北側に置く。26:36 あなたは天幕の入り口のために、青、紫、緋色の撚り糸、それに撚り糸で織った亜麻布を用い、刺繡を施して垂れ幕を作らなければならない。26:37 その幕のためにアカシヤ材の柱を五本作り、これに金をかぶせる。その鉤も金である。それらの柱のために青銅の台座を五つ鋳造する。   聖所と至聖所が幕で区切られたのは、人間が神様の臨在に侵さすると、死を免れることができないからです。そこには入りたくても入ることができないところでした。説教は退屈で、礼拝は守らなければならものだからと思ってしまいますが、本来、礼拝ささげるというのはできないことでした。神様の前に進みたくても、誰もそこに進むことが出来ません。   幕を通って至聖所の中に入るのは、ただ大祭司のみです。一年一度の贖罪の日に入ります。その時も大祭司は、必ず犠牲の血を持たなければなりません。人間は神様と分離されており、極めて限定的な装置を通して、神様に礼拝することができたのです。   これを解体して公開し、通らせたのが、イエス・キリストの十字架です。「しかし、イエスは再び大声で叫んで霊を渡された。すると見よ、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。地が揺れ動き、岩が裂け、マタイ27:50,51」幕は、イエス様が十字架につけられ、亡くなってから上から下まで引き裂かれました。開かれたものです。大祭司が幕の中に入るため、毎年ささげていたいけにえを、イエス様が和解のいけにえになってささげられたことで、完成されたものです。   「こういうわけで、兄弟たち。私たちはイエスの血によって大胆に聖所に入ることができます。イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのために、この新しい生ける道を開いてくださいました。10:19,20」血を流し、体この引き裂かれて死ぬことによって幕が裂けて開かれ、神様とつながりました。しかし、信じなければ、まだつながりません。信仰が救いの条件であるならば、救われない唯一の道も、信仰がないことです。礼拝ささげようとしないのは、礼拝が自由であることをまだ知らないからです。   1989年10月、東ドイツで民主化デモが起きました。世論に押され、東ドイツ政府は壁を越えて、西ドイツに行くことができる旅行自由化法案を発表しました。ところが、それを発表した公職者が法案施行の時期についての質問に「遅滞なく、すぐに」と答えたのです。それは明らかに間違いでした。ところが、国境守備隊員たちは、門を開放し、言論は、まるで統一されるかのように報道しました。障壁は崩れ、防がれたのは開かれ、東ドイツ人と西ドイツはお互いを抱きしめ感激の涙を流しました。   これでドイツは統一されました。統一を成し遂げたのは、政治家ではなく壁を乗り越えていこうという人々でした。会いたい熱望、回復したい希望がなければ幕は残り、分離と敵対は消えないです。イエス・キリストが十字架で死なれても、オンラインで礼拝する体制が整えても、神様に会いたいという熱望がなければ、誰も神様を礼拝することはできません。和解と回復の情熱を持っている人が、イエス・キリストを携えて大胆に神様の前にいくことができます。  

출애굽기 QT52 2106016수【지성소의 휘장】출애굽기26장 15~37

출애굽기26장 15~3726:15 너는 조각목으로 성막을 위하여 널판을 만들어 세우되26:16 각 판의 장은 십 규빗, 광은 일 규빗 반으로 하고26:17 각 판에 두 촉씩 내어 서로 연하게 하되 너는 성막 널판을 다 그와 같이 하라26:18 너는 성막을 위하여 널판을 만들되 남편을 위하여 널판 스물을 만들고26:19 스무 널판 아래 은받침 마흔을 만들지니 이 널판 아래에도 그 두촉을…

出エジプト記 QT51 210615火【互いにつなぎ合わせる】出エジプト記 26章 1~14

出エジプト記 26章 1~1426:1 幕屋を十枚の幕で造らなければならない。幕は、撚り糸で織った亜麻布、青、紫、緋色の撚り糸を用い、意匠を凝らして、それにケルビムを織り出さなければならない。26:2 幕の長さはそれぞれ二十八キュビト、幕の幅はそれぞれ四キュビトで、幕はみな同じ寸法とする。26:3 五枚の幕を互いにつなぎ合わせ、もう五枚の幕も互いにつなぎ合わせる。26:4 そのつなぎ合わせたものの端にある幕の縁に、青いひもの輪を付ける。もう一つのつなぎ合わせたものの端にある幕の縁にも、そのようにする。26:5 その一枚の幕に五十個の輪を付け、もう一つのつなぎ合わせた幕の端にも五十個の輪を付け、その輪を互いに向かい合わせにする。26:6 金の留め金を五十個作り、その留め金で幕を互いにつなぎ合わせ、こうして一つの幕屋にする。26:7 また、あなたは、幕屋の上に掛ける天幕のために、やぎの毛の幕を作らなければならない。その幕を十一枚作る。26:8 幕の長さはそれぞれ三十キュビト、幕の幅はそれぞれ四キュビト、その十一枚の幕は同じ寸法とする。26:9 そのうち五枚の幕を一つに、 もう六枚の幕も一つにつなぎ合わせ、その六枚目の幕を天幕の前で折り重ねる。26:10 つなぎ合わせたものの端にある幕の縁には五十個の輪を付け、もう一つのつなぎ合わせた幕の縁にも五十個の輪を付ける。26:11 青銅の留め金を五十個作って、その留め金を輪にはめ、天幕をつなぎ合わせて一つとする。26:12 天幕の幕の余って垂れる部分、すなわちその余りの半幕は幕屋のうしろに垂らす。26:13 そして、このうち一キュビトともう一方の一キュビトの、天幕の幕の長さで余る部分は、幕屋をおおうように、その天幕の両側、手前と奥側に垂らしておく。26:14 天幕のために、赤くなめした雄羊の皮で覆いを作り、その上に掛ける覆いをじゅごんの皮で作る。   柱と枠組みはアカシヤ材という木材で作りましたが、アカシヤ材は太い木材ではありません。のちにダビデはレバノンスギを輸入して神殿材料を供給しましたが、荒野のイスラエルにそのような木材を得ることはできませんでした。小さなアカシヤ材で枠組みが立てられれば、その上に移動のために解体できる構造であるテントの屋根を覆わなければなりません。今日はそれに関するの規定です。 幕屋の屋根になるカバーは、四重に重ねます。一番最初に覆われるのは亜麻布です。その上にヤギの毛、その上に雄羊の皮、最終的にじゅごんの皮を覆います。まず最初に覆われる亜麻布は、4つの色の糸を使用します。白、青、紫、緋色の撚り糸でケルビムの形状を織り出します。   当時の縫製技術とスケールには限界があったものであり、300坪にもなる聖所の屋根と壁をカバーすることができる大きさの織りを作ることはできませんでした。ですから、神様は製作工程まで提示されます。四種類の糸を撚り合わせて一つのパターンを作り、それをつなぎ合わせて全体を作り上げます。今も床やカーペット、屋根のような建材はこのようなモジュールをつなぎ合わせる方法をとります。   第二に覆わせるのは、ヤギの毛です。まず一つの幕を作り、再びそれを11枚作り、それを留め金でつなぎ、全体を作ります。その上の赤くなめした雄羊の皮、またその上に雄羊の皮を覆います。この場合も、革を切って、それをつなぎ合わせて作ります。25章から幕屋のデザインについてが規定が続きますが、絶対敵に多く用いられる言葉が「つなぎ合わせる」であります。   小さなことを、お互いつなぎ合わせて全体を完成します。ここで使われた「つなぎ合わせる」のヘブライ語のの原型は、ハーバル(ברח)という言葉です。縛る、結ぶ、結合する、連結するという意味で、これをギリシャ語で変えると、聖徒の交わりを言う「コイノニア(κοινωνία)」になります。つなぎ合わされなければ聖所は堅く支えられません。   ということでパウロは教会論の書簡、エペソ人への手紙で聖徒の連合を促しながら、建築的用語を用いました。「このキリストにあって、建物の全体が組み合わされて成長し、主にある聖なる宮となります。あなたがたも、このキリストにあって、ともに築き上げられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。エペソ2:21,22」礼拝の場所は、聖徒が互いに「ハーバル」て「コイノニア」するとき、堅く立てられていきます。

출애굽기 QT51 2106015화【서로 연하여】출애굽기26장 1~14

출애굽기26장 1~1426:1 너는 성막을 만들되 앙장 열 폭을 가늘게 꼰 베실과 청색 자색 홍색실로 그룹을 공교히 수 놓아 만들지니26:2 매 폭의 장은 이십 팔 규빗, 광은 사 규빗으로 각 폭의 장단을 같게하고26:3 그 앙장 다섯 폭을 서로 연하며 다른 다섯 폭도 서로 연하고26:4 그 앙장의 연락할 말폭 가에 청색 고를 만들며 다른 연락할 말폭가에도 그와…

出エジプト記 QT50 210614月【礼拝堂デザイン】出エジプト記 25章 23~40

出エジプト記 25章 23~4025:23 また、アカシヤ材で机を作り、その長さを二キュビト、幅を一キュビト、高さを一キュビト半とする。25:24 これに純金をかぶせ、その周りに金の飾り縁を作り、25:25 その周りに一手幅の枠を作り、その枠の周りに金の飾り縁を作る。25:26 その机のために金の環を四つ作り、四本の脚のところの四隅にその環を取り付ける。25:27 環は枠の脇に付け、そこに机を担ぐ棒を入れる。25:28 アカシヤ材で机を担ぐための棒を作り、これに金をかぶせる。25:29 また、注ぎのささげ物を注ぐための皿、ひしゃく、瓶、水差しを作る。これらを純金で作る。25:30 机の上には臨在のパンを置き、絶えずわたしの前にあるようにする。25:31 また、純金の燭台を作る。その燭台は槌で打って作る。それには、台座と支柱と、がくと節と花弁があるようにする。25:32 六本の枝がその脇の部分から、すなわち燭台の三本の枝が一方の脇から、燭台のもう三本の枝がもう一方の脇から出る。25:33 一方の枝に、アーモンドの花の形をした、節と花弁のある三つのがくを、また、もう一方の枝にも、アーモンドの花の形をした、節と花弁のある三つのがくを付ける。燭台から出る六本の枝はみな、そのようにする。25:34 燭台そのものには、アーモンドの花の形をした、節と花弁のある四つのがくを付ける。25:35 それから出る一対の枝の下に一つの節、それから出る次の一対の枝の下に一つの節、それから出るその次の一対の枝の下に一つの節。このように六つの枝が燭台から出ていることになる。25:36 それらの節と枝とは燭台と一体にし、その全体は一つの純金を打って作る。25:37 また、ともしび皿を七つ作る。ともしび皿は、その前方を照らすように上にあげる。25:38 その芯切りばさみも芯取り皿も純金である。25:39 純金一タラントで、燭台とこれらのすべての器具を作る。25:40 よく注意して、山であなたに示された型どおりに作らなければならない。   詩篇から再び出エジプト記に戻ってきました。シナイ山で契約を結んだ後、神様はモーセに幕屋を作るように言われました。幕屋は神様と民が出会う場所です。イスラエルの民は荒野を移動しなければならないので、建物ではなく幕屋を作りました。幕屋というのはテントです。エジプトで都市を建設して、ピラミッドを築いたイスラエルの民において幕屋というのは、みすぼらしいものでした。   空間は神様の被造物であり、神様は人が作った建物の中に閉じ込められることはありません。したがって、神様が、礼拝の場所を作ると言われたのは、人のためのことです。私たちが礼拝の場所を設けるときに、それは神様にささげられることを意味するより、私と私たちの礼拝の準備と実行のための空間という意味を考えなければなりません。   私たちは献堂礼拝を延期している状態ですが、ある教会は入党の際に献堂礼拝をし、ある教会は債務返済が終わった後に献堂礼拝をするといいます。しかし、私たちはコロナが終わったら、献堂礼拝をする予定です。献堂という言葉を聞くたびに思い出すのは、厳密に「献堂」記念ではなく、「受堂」感謝ではないかということです。   共同体が最善のもので、神様にささげることができたことは大きな喜びですが、私たちが神様にささげる前に、神様の方が私たちに与えられたのではありませんか?空間を必要としない神様が空間を必要とする私たちのための空間を与えてくださったのです。ですから、いかなる場合も、建物の空間、またはその中にあるものや飾りのようなものが人よりも重要になることはありません。神様は人を最も大切に考えておられるからです。   幕屋の構造は、聖所と至聖所に分かれます。今日の本文は、聖所に配置すべき供えのパンを置く机ととともしび皿についての規定です。聖所は机には四隅に環をつけます。荒野でのイスラエルは果てしなく移動しなければならなかったので、四隅に環は、移動の際に運搬するための実用的なデザインだったのです。デザイナーは神様です。   祭司は常に供えのパンを机に置き、ともしび皿はの火は消してはいけません。至聖所には、一年に一度だけ入るので、定期的に管理することはなかったですが、しかし、聖所の供えのパンの机のともしび皿は常に管理しなければなりませんでした。机の上に供えのパンを置き、ともしびを明かすように礼拝の場所は、稼働しており、礼拝者の心によって常に整えなければなりません。

출애굽기 QT50 2106014월【예배당 디자인】출애굽기25장 23~40

출애굽기25장 23~4025:23 너는 조각목으로 상을 만들되 장이 이 규빗, 광이 일 규빗, 고가 일 규빗 반이 되게 하고25:24 정금으로 싸고 주위에 금테를 두르고25:25 그 사면에 손바닥 넓이만한 턱을 만들고 그 턱 주위에 금으로 테를 만들고25:26 그것을 위하여 금고리 넷을 만들어 네 발위 네 모퉁이에 달되25:27 턱 곁에 달라 이는 상 멜 채를 꿸 곳이며25:28 또…

詩篇 QT11 210612土【拠り所が壊されたら】詩篇 11篇 1~7

詩篇 11篇 1~711:1 主に私は身を避ける。どうしてあなたがたは私のたましいに言うのか。「鳥のように自分の山に飛んで行け。11:2 それ見よ悪者どもが弓を張り弦に矢をつがえ暗がりで心の直ぐな人を射抜こうとしている。11:3 拠り所が壊されたら正しい者に何ができるだろうか。」11:4 主はその聖なる宮におられる。主はその王座が天にある。その目は見通しそのまぶたは人の子らを調べる。11:5 主は正しい者と悪者を調べる。そのみこころは暴虐を好む者を憎む。11:6 主は悪者どもの上に網を下す。火と硫黄燃える風が彼らへの杯。11:7 主は正しく正義を愛される。直ぐな人は御顔を仰ぎ見る。   「拠り所が壊されたら正しい者に何ができるだろうか」という言葉の意味を考えるとき、何よりもサウルに追われた時代のことが思い浮かびます。それから自分の子アブサロムの反乱によって逃亡していた時代も思い出します。3節の「拠り所」は基礎や原則という意味です。確かに両方とも人生の基盤が崩れる経験でありました。   ところが、「拠り所が壊されたら正しい者に何ができるだろう」という嘆息を読むと、なぜかサウロとアブシャロムの時よりも、バテ・シェバの時が想起されます。ダビデが自ら基盤を壊し、崩れ落ちしてしまった出来事です。外部からの攻撃によって人生の基盤が脅かされることがありますが、守るべきことを守らなかったことによって失ってしまうこともあります。その方がさらに致命的であって根こそぎ揺らいでしまいます。名分も正当性もないからです。   敵がいなくても、すべての状況が敵になります。言い訳する余地もなく、助けを求めることもできません。人生の基盤が崩れ、居場所がなくなり、存在の価値も喪失してしまいます。箴言では、「何を見張るよりも、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれから湧く4:23」と言われました。「拠り所」を守るということは、心の原則、神様の御言葉の基礎を堅くし、揺れ動くことのない生き方を送ります。   そんなときにも避け所は神様です。ダビデは、自分にあった多くの試練を通して成長していったと思いますが、バテ・シェバのことを通りながらも信仰は成長しました。罪を犯し、懲らしめられていても再び、神様へ戻る道があることを知りました。ダビデの詩の義ということは、自分の道徳的な義ではありません。「義」は神様のもとに帰っていく人間のものです。倒れてしまった人間に対してこの世は非難しますが、その時の拠り所は神様だけです。御言葉によって回復するなら、私たちの「拠り所」もまた回復します。生活や拠り所が崩されても、天は崩れません。