출애굽기 QT52 2106016수【지성소의 휘장】출애굽기26장 15~37

출애굽기26장 15~3726:15 너는 조각목으로 성막을 위하여 널판을 만들어 세우되26:16 각 판의 장은 십 규빗, 광은 일 규빗 반으로 하고26:17 각 판에 두 촉씩 내어 서로 연하게 하되 너는 성막 널판을 다 그와 같이 하라26:18 너는 성막을 위하여 널판을 만들되 남편을 위하여 널판 스물을 만들고26:19 스무 널판 아래 은받침 마흔을 만들지니 이 널판 아래에도 그 두촉을…

出エジプト記 QT51 210615火【互いにつなぎ合わせる】出エジプト記 26章 1~14

出エジプト記 26章 1~1426:1 幕屋を十枚の幕で造らなければならない。幕は、撚り糸で織った亜麻布、青、紫、緋色の撚り糸を用い、意匠を凝らして、それにケルビムを織り出さなければならない。26:2 幕の長さはそれぞれ二十八キュビト、幕の幅はそれぞれ四キュビトで、幕はみな同じ寸法とする。26:3 五枚の幕を互いにつなぎ合わせ、もう五枚の幕も互いにつなぎ合わせる。26:4 そのつなぎ合わせたものの端にある幕の縁に、青いひもの輪を付ける。もう一つのつなぎ合わせたものの端にある幕の縁にも、そのようにする。26:5 その一枚の幕に五十個の輪を付け、もう一つのつなぎ合わせた幕の端にも五十個の輪を付け、その輪を互いに向かい合わせにする。26:6 金の留め金を五十個作り、その留め金で幕を互いにつなぎ合わせ、こうして一つの幕屋にする。26:7 また、あなたは、幕屋の上に掛ける天幕のために、やぎの毛の幕を作らなければならない。その幕を十一枚作る。26:8 幕の長さはそれぞれ三十キュビト、幕の幅はそれぞれ四キュビト、その十一枚の幕は同じ寸法とする。26:9 そのうち五枚の幕を一つに、 もう六枚の幕も一つにつなぎ合わせ、その六枚目の幕を天幕の前で折り重ねる。26:10 つなぎ合わせたものの端にある幕の縁には五十個の輪を付け、もう一つのつなぎ合わせた幕の縁にも五十個の輪を付ける。26:11 青銅の留め金を五十個作って、その留め金を輪にはめ、天幕をつなぎ合わせて一つとする。26:12 天幕の幕の余って垂れる部分、すなわちその余りの半幕は幕屋のうしろに垂らす。26:13 そして、このうち一キュビトともう一方の一キュビトの、天幕の幕の長さで余る部分は、幕屋をおおうように、その天幕の両側、手前と奥側に垂らしておく。26:14 天幕のために、赤くなめした雄羊の皮で覆いを作り、その上に掛ける覆いをじゅごんの皮で作る。   柱と枠組みはアカシヤ材という木材で作りましたが、アカシヤ材は太い木材ではありません。のちにダビデはレバノンスギを輸入して神殿材料を供給しましたが、荒野のイスラエルにそのような木材を得ることはできませんでした。小さなアカシヤ材で枠組みが立てられれば、その上に移動のために解体できる構造であるテントの屋根を覆わなければなりません。今日はそれに関するの規定です。 幕屋の屋根になるカバーは、四重に重ねます。一番最初に覆われるのは亜麻布です。その上にヤギの毛、その上に雄羊の皮、最終的にじゅごんの皮を覆います。まず最初に覆われる亜麻布は、4つの色の糸を使用します。白、青、紫、緋色の撚り糸でケルビムの形状を織り出します。   当時の縫製技術とスケールには限界があったものであり、300坪にもなる聖所の屋根と壁をカバーすることができる大きさの織りを作ることはできませんでした。ですから、神様は製作工程まで提示されます。四種類の糸を撚り合わせて一つのパターンを作り、それをつなぎ合わせて全体を作り上げます。今も床やカーペット、屋根のような建材はこのようなモジュールをつなぎ合わせる方法をとります。   第二に覆わせるのは、ヤギの毛です。まず一つの幕を作り、再びそれを11枚作り、それを留め金でつなぎ、全体を作ります。その上の赤くなめした雄羊の皮、またその上に雄羊の皮を覆います。この場合も、革を切って、それをつなぎ合わせて作ります。25章から幕屋のデザインについてが規定が続きますが、絶対敵に多く用いられる言葉が「つなぎ合わせる」であります。   小さなことを、お互いつなぎ合わせて全体を完成します。ここで使われた「つなぎ合わせる」のヘブライ語のの原型は、ハーバル(ברח)という言葉です。縛る、結ぶ、結合する、連結するという意味で、これをギリシャ語で変えると、聖徒の交わりを言う「コイノニア(κοινωνία)」になります。つなぎ合わされなければ聖所は堅く支えられません。   ということでパウロは教会論の書簡、エペソ人への手紙で聖徒の連合を促しながら、建築的用語を用いました。「このキリストにあって、建物の全体が組み合わされて成長し、主にある聖なる宮となります。あなたがたも、このキリストにあって、ともに築き上げられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。エペソ2:21,22」礼拝の場所は、聖徒が互いに「ハーバル」て「コイノニア」するとき、堅く立てられていきます。

출애굽기 QT51 2106015화【서로 연하여】출애굽기26장 1~14

출애굽기26장 1~1426:1 너는 성막을 만들되 앙장 열 폭을 가늘게 꼰 베실과 청색 자색 홍색실로 그룹을 공교히 수 놓아 만들지니26:2 매 폭의 장은 이십 팔 규빗, 광은 사 규빗으로 각 폭의 장단을 같게하고26:3 그 앙장 다섯 폭을 서로 연하며 다른 다섯 폭도 서로 연하고26:4 그 앙장의 연락할 말폭 가에 청색 고를 만들며 다른 연락할 말폭가에도 그와…

出エジプト記 QT50 210614月【礼拝堂デザイン】出エジプト記 25章 23~40

出エジプト記 25章 23~4025:23 また、アカシヤ材で机を作り、その長さを二キュビト、幅を一キュビト、高さを一キュビト半とする。25:24 これに純金をかぶせ、その周りに金の飾り縁を作り、25:25 その周りに一手幅の枠を作り、その枠の周りに金の飾り縁を作る。25:26 その机のために金の環を四つ作り、四本の脚のところの四隅にその環を取り付ける。25:27 環は枠の脇に付け、そこに机を担ぐ棒を入れる。25:28 アカシヤ材で机を担ぐための棒を作り、これに金をかぶせる。25:29 また、注ぎのささげ物を注ぐための皿、ひしゃく、瓶、水差しを作る。これらを純金で作る。25:30 机の上には臨在のパンを置き、絶えずわたしの前にあるようにする。25:31 また、純金の燭台を作る。その燭台は槌で打って作る。それには、台座と支柱と、がくと節と花弁があるようにする。25:32 六本の枝がその脇の部分から、すなわち燭台の三本の枝が一方の脇から、燭台のもう三本の枝がもう一方の脇から出る。25:33 一方の枝に、アーモンドの花の形をした、節と花弁のある三つのがくを、また、もう一方の枝にも、アーモンドの花の形をした、節と花弁のある三つのがくを付ける。燭台から出る六本の枝はみな、そのようにする。25:34 燭台そのものには、アーモンドの花の形をした、節と花弁のある四つのがくを付ける。25:35 それから出る一対の枝の下に一つの節、それから出る次の一対の枝の下に一つの節、それから出るその次の一対の枝の下に一つの節。このように六つの枝が燭台から出ていることになる。25:36 それらの節と枝とは燭台と一体にし、その全体は一つの純金を打って作る。25:37 また、ともしび皿を七つ作る。ともしび皿は、その前方を照らすように上にあげる。25:38 その芯切りばさみも芯取り皿も純金である。25:39 純金一タラントで、燭台とこれらのすべての器具を作る。25:40 よく注意して、山であなたに示された型どおりに作らなければならない。   詩篇から再び出エジプト記に戻ってきました。シナイ山で契約を結んだ後、神様はモーセに幕屋を作るように言われました。幕屋は神様と民が出会う場所です。イスラエルの民は荒野を移動しなければならないので、建物ではなく幕屋を作りました。幕屋というのはテントです。エジプトで都市を建設して、ピラミッドを築いたイスラエルの民において幕屋というのは、みすぼらしいものでした。   空間は神様の被造物であり、神様は人が作った建物の中に閉じ込められることはありません。したがって、神様が、礼拝の場所を作ると言われたのは、人のためのことです。私たちが礼拝の場所を設けるときに、それは神様にささげられることを意味するより、私と私たちの礼拝の準備と実行のための空間という意味を考えなければなりません。   私たちは献堂礼拝を延期している状態ですが、ある教会は入党の際に献堂礼拝をし、ある教会は債務返済が終わった後に献堂礼拝をするといいます。しかし、私たちはコロナが終わったら、献堂礼拝をする予定です。献堂という言葉を聞くたびに思い出すのは、厳密に「献堂」記念ではなく、「受堂」感謝ではないかということです。   共同体が最善のもので、神様にささげることができたことは大きな喜びですが、私たちが神様にささげる前に、神様の方が私たちに与えられたのではありませんか?空間を必要としない神様が空間を必要とする私たちのための空間を与えてくださったのです。ですから、いかなる場合も、建物の空間、またはその中にあるものや飾りのようなものが人よりも重要になることはありません。神様は人を最も大切に考えておられるからです。   幕屋の構造は、聖所と至聖所に分かれます。今日の本文は、聖所に配置すべき供えのパンを置く机ととともしび皿についての規定です。聖所は机には四隅に環をつけます。荒野でのイスラエルは果てしなく移動しなければならなかったので、四隅に環は、移動の際に運搬するための実用的なデザインだったのです。デザイナーは神様です。   祭司は常に供えのパンを机に置き、ともしび皿はの火は消してはいけません。至聖所には、一年に一度だけ入るので、定期的に管理することはなかったですが、しかし、聖所の供えのパンの机のともしび皿は常に管理しなければなりませんでした。机の上に供えのパンを置き、ともしびを明かすように礼拝の場所は、稼働しており、礼拝者の心によって常に整えなければなりません。

출애굽기 QT50 2106014월【예배당 디자인】출애굽기25장 23~40

출애굽기25장 23~4025:23 너는 조각목으로 상을 만들되 장이 이 규빗, 광이 일 규빗, 고가 일 규빗 반이 되게 하고25:24 정금으로 싸고 주위에 금테를 두르고25:25 그 사면에 손바닥 넓이만한 턱을 만들고 그 턱 주위에 금으로 테를 만들고25:26 그것을 위하여 금고리 넷을 만들어 네 발위 네 모퉁이에 달되25:27 턱 곁에 달라 이는 상 멜 채를 꿸 곳이며25:28 또…

詩篇 QT11 210612土【拠り所が壊されたら】詩篇 11篇 1~7

詩篇 11篇 1~711:1 主に私は身を避ける。どうしてあなたがたは私のたましいに言うのか。「鳥のように自分の山に飛んで行け。11:2 それ見よ悪者どもが弓を張り弦に矢をつがえ暗がりで心の直ぐな人を射抜こうとしている。11:3 拠り所が壊されたら正しい者に何ができるだろうか。」11:4 主はその聖なる宮におられる。主はその王座が天にある。その目は見通しそのまぶたは人の子らを調べる。11:5 主は正しい者と悪者を調べる。そのみこころは暴虐を好む者を憎む。11:6 主は悪者どもの上に網を下す。火と硫黄燃える風が彼らへの杯。11:7 主は正しく正義を愛される。直ぐな人は御顔を仰ぎ見る。   「拠り所が壊されたら正しい者に何ができるだろうか」という言葉の意味を考えるとき、何よりもサウルに追われた時代のことが思い浮かびます。それから自分の子アブサロムの反乱によって逃亡していた時代も思い出します。3節の「拠り所」は基礎や原則という意味です。確かに両方とも人生の基盤が崩れる経験でありました。   ところが、「拠り所が壊されたら正しい者に何ができるだろう」という嘆息を読むと、なぜかサウロとアブシャロムの時よりも、バテ・シェバの時が想起されます。ダビデが自ら基盤を壊し、崩れ落ちしてしまった出来事です。外部からの攻撃によって人生の基盤が脅かされることがありますが、守るべきことを守らなかったことによって失ってしまうこともあります。その方がさらに致命的であって根こそぎ揺らいでしまいます。名分も正当性もないからです。   敵がいなくても、すべての状況が敵になります。言い訳する余地もなく、助けを求めることもできません。人生の基盤が崩れ、居場所がなくなり、存在の価値も喪失してしまいます。箴言では、「何を見張るよりも、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれから湧く4:23」と言われました。「拠り所」を守るということは、心の原則、神様の御言葉の基礎を堅くし、揺れ動くことのない生き方を送ります。   そんなときにも避け所は神様です。ダビデは、自分にあった多くの試練を通して成長していったと思いますが、バテ・シェバのことを通りながらも信仰は成長しました。罪を犯し、懲らしめられていても再び、神様へ戻る道があることを知りました。ダビデの詩の義ということは、自分の道徳的な義ではありません。「義」は神様のもとに帰っていく人間のものです。倒れてしまった人間に対してこの世は非難しますが、その時の拠り所は神様だけです。御言葉によって回復するなら、私たちの「拠り所」もまた回復します。生活や拠り所が崩されても、天は崩れません。

시편 QT11 2106012토【터가 무너지면】시편 11편 1~7

시편 11편 1~711:1 내가 여호와께 피하였거늘 너희가 내 영혼더러 새 같이 네 산으로 도망하라 함은 어찜인고11:2 악인이 활을 당기고 살을 시위에 먹임이여 마음이 바른 자를 어두운 데서 쏘려 하는도다11:3 터가 무너지면 의인이 무엇을 할꼬11:4 여호와께서 그 성전에 계시니 여호와의 보좌는 하늘에 있음이여 그 눈이 인생을 통촉하시고 그 안목이 저희를 감찰하시도다11:5 여호와는 의인을 감찰하시고 악인과 강포함을…

詩篇 QT10 210611金【神様の不在について】詩篇 10篇 1~18

詩篇 10篇 1~1810:1 主よなぜあなたは遠く離れて立ち苦しみのときに身を隠されるのですか。10:2 悪しき者は高ぶって苦しむ人に追い迫ります。彼らが自分の企みに捕らえられますように。10:3 悪しき者は自分自身の欲望を誇り貪欲な者は主を呪い侮ります。10:4 悪しき者は高慢を顔に表し神を求めません。「神はいない。」これが彼の思いのすべてです。10:5 彼の道はいつも栄えあなたのさばきは高すぎて彼の目に入りません。敵という敵を彼は吹き飛ばしてしまいます。10:6 彼は心の中で言っています。「私は揺るがされることがなく代々にわたってわざわいにあわない。」10:7 彼の口は呪いと欺きと虐げに満ち舌の裏にあるのは害悪と不法です。10:8 彼は村外れの待ち伏せ場に座り隠れた所で咎なき者を殺します。彼の目は不幸な人をひそかに狙っています。10:9 茂みの中の獅子のように隠れ場で待ち伏せます。苦しむ人を捕らえようと待ち伏せ苦しむ人を網にかけて捕らえてしまいます。10:10 彼の強さに不幸な人は砕かれ崩れ倒れます。10:11 彼は心の中で言っています。「神は忘れているのだ。顔を隠して永久に見ることはないのだ。」10:12 主よ立ち上がってください。神よ御手を上げてください。どうか貧しい者を忘れないでください。10:13 何のために悪しき者は神を侮るのでしょうか。彼は心の中であなたが追及することはないと言っています。10:14 あなたは見ておられました。労苦と苦痛をじっと見つめておられました。それを御手の中に収めるために。不幸な人はあなたに身をゆだねます。みなしごはあなたがお助けになります。10:15 悪しき者と邪悪な者の腕を折りその悪を探し出して一つも残らないようにしてください。10:16 主は世々にわたって永遠の王。国々は主の地から滅び失せました。10:17 主よあなたは貧しい者たちの願いを聞いてくださいます。あなたは彼らの心を強くし耳を傾けてくださいます。10:18 みなしごと虐げられた者をかばってくださいます。地から生まれた人間がもはや彼らをおびえさせることがないように。   詩人は、悪がはびこる世界で神様の介入を望んでもいますが、まるで神様が遠くにいるようで、隠れておられるように感じます。だから悪人はさらに高ぶり、信仰を蔑み、嘲笑します。悪人は自分の生き方を通して神様がいないことを示そうとします。良心の呵責もなく悪を行い、神様の存在を否定します。信仰者はそのような世と一緒に生き、それを目撃するのです。信仰よりも、いま置かれている状況が先に私たちを支配するために、悪人が勢力を伸ばしている現実をみると、まるで神様がいないように思われます。そのような現実に立っている詩人は神様の不在に対して、神様の顕現を嘆願します。   しかし、詩人の嘆願には、世の富と力が優れたものという前提があります。自分に良いものはなく、悪人が良いものを持っているということです。しかし、神様のいないいかなるものも祝福にはなりません。悪人が栄えるように見えますが、彼らは幸せになりません。嘆息する詩人においても栄えている悪人においても神様の不在は苦しみです。憐れみが必要ではない人間はいません。神様を証明することは、現実に見える結果ではなく、状況に揺れず、神様を求めていく信仰です。信仰がなければ、神様を証明する唯一な方法はなくなります。   神はいないと思って欲と悪を行う人々の中にはもちろん神様はおられません。しかし、それらに屈服し、信仰を疑い、不安を抱いている信仰も神が不在するのは同じです。問題は、悪人ではなく、信仰です。詩人は悪人の成功と脅威に屈せず、最終的なさばき主である神様への信仰を確信しています。神様は力ないもの、みなしごと虐げられた者の側に立ちます。神様は人間がもっている能力のよって区分せず、弱い者に対する憐れみをもって現われます。   人間の目には変わらず不条理があり、納得できない矛盾が存在します。悪は成功し、信仰は苦しみます。そこで私たちは、なぜという質問をせざるえないのですが、なぜという質問の中には、人間が立てた前提があります。悪は死に信仰が勝たなければならないという私たちの前提です。しかし、信仰と義も力を持つと悪を行います。人間は神様の前に正解を決めつけることはできません。信仰は御言葉に従って、それを追い求めていくことです。神様に対し、世の中に対し、結論を出しません。変わらず未知の世の中、神様がいないと思われる世の中で揺れることなく、信仰を追い求めていく信仰の顕現を希望します。

시편 QT10 2106011금【하나님의 부재에 대하여】시편 10편 1~18

시편 10편 1~1810:1 여호와여 어찌하여 멀리 서시며 어찌하여 환난 때에 숨으시나이까10:2 악한 자가 교만하여 가련한 자를 심히 압박하오니 그들이 자기가 베푼 꾀에 빠지게 하소서10:3 악인은 그의 마음의 욕심을 자랑하며 탐욕을 부리는 자는 여호와를 배반하여 멸시하나이다10:4 악인은 그의 교만한 얼굴로 말하기를 여호와께서 이를 감찰하지 아니하신다 하며 그의 모든 사상에 하나님이 없다 하나이다10:5 그의 길은 언제든지 견고하고…

詩篇 QT9 210610木【貧しい人について】詩篇 9篇 11~20

詩篇 9篇 11~209:11 主にほめ歌を歌えシオンに住まうその方に。主のみわざを告げ知らせよ国々の民に。9:12 血に報いる方は彼らを心に留め貧しい者の叫びをお忘れにならない。9:13 主よ私をあわれんでください。私を憎む者から来る私の苦しみをご覧ください。死の門から私を引き上げてくださる方よ。9:14 私はあなたのすべての誉れを語り告げるため娘シオンの城門であなたの救いに歓声をあげます。9:15 国々は自分で作った穴に陥り自分で隠した網に足を取られる。9:16 主はご自身を知らしめさばきを行われた。悪しき者は自分の手で作った罠にかかった。ヒガヨンセラ9:17 悪しき者はよみに帰って行く。神を忘れるあらゆる国々も。9:18 貧しい者は決して忘れられることがなく苦しむ者の望みは永遠に失せることがない。9:19 主よ立ち上がり人間が勝ち誇らないようにしてください。国々が御前でさばかれるようにしてください。9:20 主よ彼らに恐れを起こさせ国々に思い知らせてください。自らが人間にすぎないことを。セラ   誠実かつ一生懸命に勉強し、働いた人に対して、それ相応の報いと補償が与えられるのは当然なことです。公平や平等という名目で、個人の努力と成果が蔑視され非難されてはなりません。しかし、自分の成果の達成を単に自分の努力であると考えるのも誤解です。富んだものは懸命に働いたと思いますが、一方では時代という恵みの上で与えられたものでもあります。誰も自分で時代を作った人はいません。かつては、夜明けに起き、夜明けまで仕事しても家族を養うことができないほど、絶対的な貧困の時代がありました。彼らは今よりもはるかにたくさん働きましたが、今よりはるかに貧しかったのです。それは今も同じです。地球上には12億の人口が毎日の食べ物がなく餓死寸前にあります。幼い子どもまでもが労働しますが、食べものは与えられません。いわゆる先進国、豊かな国もそれは変わりありません。食べものはありますが、問題なのは、それが常にどこかに片寄るということです。貧困は消えず場所を移動しても存在しています。   富が個人の努力であることを認めつつ、社会的な支えや時代の恩恵であることも認めざるを得ないのであれば、貧困の責任も個人の無能と怠惰にその完全な原因を置くことはできません。憐れみ深い神様は、すべての時代に、すべての人に必要な食べものを与えてくださいます。ただし、神様は、それを社会に与えられます。それを善用して多くの人に神様が愛が届かれることを望んでおられます。ですから神様は私たちに愛を求めておられます。愛がなければ分配はできません。愛がなければ、神様の恵みがこの地において不均衡を生み出すことになります。二極化してしまうと、階層移動の通路は狭くなり、社会的な機会は奪われます。経済的な貧困層は、そこから逃れられなく、経済的な既得層は貪欲の構造をより堅くします。これは神様への背任横領ではないでしょうか。貧しい者にパンを与えることも、仕事の機会を与えることも、高度の知的社会の中で勉強する機会を与えることも神様の恵みの届けです。勉強というのは、いつも順位を決めます。成績が食べることの権利を定めてはなりません。各自の才能と賜物が発揮されることができる機会が与えられることも届けるべき神様の恵みです。神様は、社会にそれを委任しており、私たちにはその責任があります。