시편 QT3 210603목【여호와여 일어나소서】시편 3편 1~8

시편 3편 1~83:1 여호와여 나의 대적이 어찌 그리 많은지요 일어나 나를 치는 자가 많소이다3:2 많은 사람이 있어 나를 가리켜 말하기를 저는 하나님께 도움을 얻지 못한다 하나이다 (셀라)3:3 여호와여 주는 나의 방패시요 나의 영광이시요 나의 머리를 드시는 자니이다3:4 내가 나의 목소리로 여호와께 부르짖으니 그 성산에서 응답하시는도다(셀라)3:5 내가 누워 자고 깨었으니 여호와께서 나를 붙드심이로다3:6 천만인이 나를 둘러치려…

詩篇 QT2 20210602水【子に口づけせよ】詩篇 2篇 1~12

詩篇 2篇 1~122:1 なぜ国々は騒ぎ立ちもろもろの国民は空しいことを企むのか。2:2 なぜ地の王たちは立ち構え君主たちは相ともに集まるのか。主と主に油注がれた者に対して。2:3 「さあ彼らのかせを打ち砕き彼らの綱を解き捨てよう。」2:4 天の御座に着いておられる方は笑い主はその者どもを嘲られる。2:5 そのとき主は怒りをもって彼らに告げ激しく怒って彼らを恐れおののかせる。2:6 「わたしがわたしの王を立てたのだ。わたしの聖なる山シオンに。」2:7 「私は主の定めについて語ろう。主は私に言われた。『あなたはわたしの子。わたしが今日あなたを生んだ。2:8 わたしに求めよ。わたしは国々をあなたへのゆずりとして与える。地の果ての果てまであなたの所有として。2:9 あなたは鉄の杖で彼らを牧し陶器師が器を砕くように粉々にする。』」2:10 それゆえ今王たちよ悟れ。地をさばく者たちよ慎め。2:11 恐れつつ主に仕えよ。おののきつつ震え子に口づけせよ。2:12 主が怒りおまえたちが道で滅びないために。御怒りがすぐにも燃えようとしているからだ。幸いなことよすべて主に身を避ける人は。   人の目には、世界は大きくて派手に見えますが、神様は、権力者たちを見て笑っておられると言います。正確に言えば嘲笑うのです。地球上で毎日起こることをニュースで聞くときに、それを神様の観点から言えば、民族の戦争と紛争、人間の競争と苦労がみな貪欲と愚かさのゆえの騒いです。消えさる草のような人生は権力によって貪欲と愚かさとなります。   神様の中から見る世界と神様の外から見る世界は異なります。世の中から神様を見ると、世界は大きく、神様は小さく見えますが、神様の中から世界を見ると、すべてが神様の支配の中にあります。神様を倒すような力はこの世の中のどこにもありません。人間に世界を飲み込む力と知恵があっても、神を知らないので愚かなのです。   「それゆえ今王たちよ悟れ。地をさばく者たちよ慎め。恐れつつ主に仕えよ。おののきつつ震え子に口づけせよ。10,11」韓国語の訳では「震えつつ喜び」という意味があります。2つの感情が一緒に存在します。神様の前に震える心がなければ、与えられた喜びを味わうことはできません。神様を恐れずには喜びを得ることができません。   生きる道は、日の下、草のような権力と富、世の力に執着するのではなく、力の源である神様の遣わされた神の子を認めることです。「主が怒りおまえたちが道で滅びないために。御怒りがすぐにも燃えようとしているからだ。幸いなことよすべて主に身を避ける人は。12」   「御怒りがすぐにも」は、いきなりという意味です。神様は慈しみ深く、怒るのに遅い方です。なのに、神様の忍耐が無限に継続しないのは、神様の忍耐に限界があったからではなく、人間に与えられた時間に限界があるからです。   しかし、「すべて主に身を避ける人」は幸いです。それだけが、神様の御怒りから逃れる唯一のことです。詩篇2篇は、メシア詩篇です。神様の御怒りから逃れる唯一の避け所は、神様の中にいることであり、神様の中にいることのできる唯一の道は、遣わされた子を信じることです。

시편 QT2 2100602수【아들에게 입 맞추라】시편 2편 1~12

시편 2편 1~122:1 어찌하여 열방이 분노하며 민족들이 허사를 경영하는고2:2 세상의 군왕들이 나서며 관원들이 서로 꾀하여 여호와와 그 기름받은 자를 대적하며2:3 우리가 그 맨 것을 끊고 그 결박을 벗어 버리자 하도다2:4 하늘에 계신 자가 웃으심이여 주께서 저희를 비웃으시리로다2:5 그 때에 분을 발하며 진노하사 저희를 놀래어 이르시기를2:6 내가 나의 왕을 내 거룩한 산 시온에 세웠다 하시리로다2:7 내가…

【격리】

  이 시간이 나쁘지 않다. 원래 혼자 있는 것을 좋아하니까. 고독을 좋아하는 거지. 그렇다고 그것이 외롭지 않은 것은 아니다. 여기 온 날부터 아내와 아이들이 보고 싶었으니까. 희한한 건데 그리움은 대부분 미안함으로 바뀌더군. 미안해서 그리운 거야. 그리워서 외로운 거라고.   그러고 보니 생각이 났다. 내 부모는 어땠을까… 누나가 결혼해서 서울로 가던 해에 동생은 군대에 갔고 나는…

詩篇 QT1 20210601火【立地選択】詩篇 1篇 1~6

詩篇 1篇 1~61:1 幸いなことよ悪しき者のはかりごとに歩まず罪人の道に立たず嘲る者の座に着かない人。1:2 主のおしえを喜びとし昼も夜もそのおしえを口ずさむ人。1:3 その人は流れのほとりに植えられた木。時が来ると実を結びその葉は枯れずそのなすことはすべて栄える。1:4 悪しき者はそうではない。まさしく風が吹き飛ばす籾殻だ。1:5 それゆえ悪しき者はさばきに罪人は正しい者の集いに立ち得ない。1:6 まことに正しい者の道は主が知っておられ悪しき者の道は滅び去る。   義人を「流れのほとりに植えられた木」の擬人化しましたが、木よりも人の方がずっといいです。人は、木と違って根付く場所に探しに行くことができます。意志を持った自由があるからです。詩篇1篇はそれを促します。御言葉があるところに根を下ろし、それの基づいて生きる幸せな生活への招待です。   たまたまほとりの木になったわけではなく、神様の御言葉があるところに行き、根を下ろした人が幸いな人です。選択によって人生は変わります。御言葉を選択する自由と機会はまだ私たちに与えられています。   悪人は真実と偽善、誠実さと偽り、善と悪の区別がなく、標準というものを持っていない人です。目標がなく、状況に応じて揺れます。悪人を風が吹き飛ばす籾殻にたとえました。風が吹き飛ばす籾殻には自由意志がありません。空気の動きによって、とめどなく舞い飛んで行きます。虚しくて無秩序ます。人生を悩むことなく、世の生き方についていく人は風に吹き飛ばされるい籾殻ようなものです。   幸いな人は、いるとこと、いくところを知っています。幸いな人は、悪人、罪人、嘲る者のところに立ちません。木の根は地の中に根を下ろし、水を吸い込みます。人生の根を神様の御言葉に置き、そこから生きる力を供給されます。   人は一日に2リットルの水が必要と言われています。水を飲むたびに、神様の御言葉を思い出し、それに戻るならば、時間が経つと、3節の幸せは私たちのものにます。 「その人は流れのほとりに植えられた木。時が来ると実を結びその葉は枯れずそのなすことはすべて栄える。3」

시편 QT1 2100601화【입지 선택】시편 1편 1~6

시편 1편 1~61:1 복 있는 사람은 악인의 꾀를 좇지 아니하며 죄인의 길에 서지 아니하며 오만한 자의 자리에 앉지 아니하고1:2 오직 여호와의 율법을 즐거워하여 그 율법을 주야로 묵상하는 자로다1:3 저는 시냇가에 심은 나무가 시절을 좇아 과실을 맺으며 그 잎사귀가 마르지 아니함 같으니 그 행사가 다 형통하리로다1:4 악인은 그렇지 않음이여 오직 바람에 나는 겨와 같도다1:5 그러므로 악인이…

【팬데믹 기행】

  고향 가는 날, 깔끔하게 차려입고 공항에 갔다. 수속이 끝나면 커피 한 잔의 여유가 기다리고 있겠지. 그러나 탑승 수속 직원에게서 여권 기간이 만료되었다는 말을 들었다. 당황했지만 의심의 여지 없이 내가 옛날 여권을 가지고 온 것이라고 생각했다. 그것을 모른 채 유효기간이 지난 여권으로 PCR 검사를 받았고 항공권을 예약했다. 닭 쫓던 공항에서 지붕 위로 날아가는 비행기를 쳐다보며…

出エジプト記 QT49 20210531月【約束を刻むところ】出エジプト 24章 12~18

出エジプト記 24章 12~1824:12 主はモーセに言われた。 「山のわたしのところに上り、そこにとどまれ。わたしはあなたに石の板を授ける。 それは、彼らを教えるために、 わたしが書き記したおしえと命令である。 」24:13 そこで、モーセとその従者ヨシュアは立ち上がり、モーセは神の山に登った。24:14 彼は長老たちに言った。「私たちがあなたがたのところに戻って来るまで、私たちのために、ここにとどまりなさい。 見よ、 アロンとフルがあなたがたと一緒にいる。 訴え事のある者はだれでも彼らのところに行きなさい。」24:15 モーセが山に登ると、雲が山をおおった。24:16 主の栄光はシナイ山の上にとどまり、雲は六日間、山をおおっていた。七日目に主は雲の中からモーセを呼ばれた。24:17 主の栄光の現れは、 イスラエルの子らの目には、 山の頂を焼き尽くす火のようであった。24:18 モーセは雲の中に入って行き、山に登った。そして、モーセは四十日四十夜、山にいた。   神様が再びモーセを山に呼び、イスラエルに教える御言葉を書き記した石の板を与えると言われます。モーセはアロンとフルに群れを任せてヨシュアを連れて、より高いところに向かって登り始めます。雲がシナイ山をおおい、神様の栄光が山に留まりました。その栄光の中で神様は何も語らず、ただモーセを6日間待たせました。そして7日目に、神様はモーセを雲の中から呼びます。モーセはそこで四十昼夜何も口にしないで神様の戒めを受けます。神様はモーセを待たせました。待つ時間は無駄な時間ではありません。神様が待たせるのなら、それに理由と目的があるでしょう。待つというのは、神様のもうひとつの啓示です。   モーセだけが神様を待っていたのではなく、イスラエルの民も、モーセを待っていました。しかし、彼らは待つことを無駄だと思っていたようです。彼らは待ちくたびれ子牛に拝んでしました。待てない人たちです。十戒を見つけることは難しいことではありません。聖書カバーの内側には十戒が書かれています。神様はなくならないために、忘れないために、石の板に戒めを刻まれましたが、人の心は石よりも硬く、聖書は持っていますが、神様の戒めを心に刻みません。結果的に、神様から受けた石の板は民に伝わりません。モーセが偶像に拝んでいるイスラエルを見て、それを投げ、割ってしまったからです。   海千山千を経験した後の申命記で、モーセはこう言います。「命じるこれらのことばを心にとどめなさい 6」待たない人は、神様の約束があっても、それを受けられません。神様の御言葉を待ち望み、それを受け取るとき、石の上に刻むのではなく、心に刻まなければなりません。待つということと御言葉を受けることには関連があります。エゼキエルでは、「与えるこの巻物を食べ、それで腹を満たせ」と表現し、ヨハネの黙示録でも、「それを取って食べなさい」と言われました。御言葉を待っている間、御言葉を慕うなら、それは石ではなく、心の板に刻まれます。

출애굽기 QT49 2105031월【약속을 새겨여 하는 곳】출애굽기 24장 12~18

출애굽기 24장 12~18출24:12 여호와께서 모세에게 이르시되 너는 산에 올라 내게로 와서 거기있으라 너로 그들을 가르치려고 내가 율법과 계명을 친히 기록한 돌판을 네게 주리라출24:13 모세가 그 종자 여호수아와 함께 일어나 하나님의 산으로 올라가며출24:14 장로들에게 이르되 너희는 여기서 우리가 너희에게로 돌아오기까지 기다리라 아론과 훌이 너희와 함께하리니 무릇 일이 있는 자는 그들에게로 나아갈지니라 하고출24:15 모세가 산에 오르매 구름이…

出エジプト記 QT48 20210529金【命の尊厳と人間性】出エジプト 23章 14~33

出エジプト記 23章 14~3323:14 年に三度、わたしのために祭りを行わなければならない。23:15 種なしパンの祭りを守らなければならない。 わたしが命じたとおり、 アビブの月の定められた時に、 七日間、 種なしパンを食べなければならない。 それは、 その月にあなたがエジプトを出たからである。 何も持たずにわたしの前に出てはならない。23:16 また、あなたが畑に種を蒔いて得た勤労の初穂を献げる刈り入れの祭りと、年の終わりに、あなたの勤労の実を畑から取り入れるときの収穫祭を行わなければならない。23:17 年に三度、男子はみな、あなたの主、主の前に出なければならない。23:18 わたしへのいけにえの血を、種入りのパンと一緒に献げてはならない。また、わたしの祭りのための脂肪を朝まで残しておいてはならない。23:19 あなたの土地の初穂の最上のものを、あなたの神、主の家に持って来なければならない。あなたは子やぎをその母の乳で煮てはならない。23:20 見よ。わたしは、使いをあなたの前に遣わし、道中あなたを守り、わたしが備えた場所にあなたを導く。23:21 あなたは、その者に心を留め、その声に聞き従いなさい。彼に逆らってはならない。 わたしの名がその者のうちにあるので、 彼はあなたがたの背きを赦さない。23:22 しかし、 もしあなたが確かにその声に聞き従い、 わたしが告げることをみな行うなら、 わたしはあなたの敵には敵となり、 あなたの仇には仇となる。23:23 わたしの使いがあなたの前を行き、あなたをアモリ人、ヒッタイト人、ペリジ人、カナン人、ヒビ人、エブス人のところに導き、わたしが彼らを消し去るとき、23:24 あなたは彼らの神々を拝んではならない。それらに仕えてはならない。また、彼らの風習に倣ってはならない。それらの神々を徹底的に破壊し、その石の柱を粉々に打ち砕かなければならない。23:25 あなたがたの神、主に仕えよ。そうすれば、主はあなたのパンと水を祝福する。わたしはあなたの中から病気を取り除く。23:26 あなたの国には、流産する女も不妊の女もいなくなる。わたしはあなたの日数を満たす。23:27 わたしは、わたしへの恐れをあなたの先に送り、あなたが入って行く先のすべての民をかき乱し、あなたのすべての敵があなたに背を向けるようにする。23:28 わたしはまた、スズメバチをあなたの先に遣わす。これが、ヒビ人、カナン人、ヒッタイト人をあなたの前から追い払う。23:29 しかし、 わたしは彼らを一年のうちに、 あなたの前から追い払いはしない。 土地が荒れ果て、野の生き物が増え、あなたを害することのないようにするためである。23:30 あなたが増え広がって、その地を相続するまで、少しずつ、わたしは彼らをあなたの前から追い払う。23:31 わたしは、あなたの領土を、葦の海からペリシテ人の海に至るまで、また荒野からあの大河に至るまでとする。それは、わたしがその地に住んでいる者たちをあなたがたの手に渡し、あなたが彼らを自分の前から追い払うからである。23:32 あなたは、彼らや、彼らの神々と契約を結んではならない。23:33 彼らはあなたの国に住んではならない。彼らがあなたを、わたしの前に罪ある者としないようにするためである。あなたが彼らの神々に仕え、あなたにとって罠となるからである。」   本文には色々な内容を含んでいますが、読んでいくうちに19節で止まりました。「あなたは子やぎをその母の乳で煮てはならない」この命令は、申命記QTで読んだことがあります。これから出エジプト記34章でもう一度繰り返して出てきます。これは当時の近東世界で子やぎを母の乳で煮て食べる食事文化、あるいは宗教的な儀式があったということを証言するものでもあります。   乳に煮た子ヤギというのは、おそらく富を願うことだったと思います。神様はそれに反対です。乳とは、母体を絞って子に与えようとする命の糧です。授乳を通して母と子はつながり、命を共有します。人でも動物でもその中には崇高な献身と愛があるのです。その乳を絞ってから釜に注ぎ、その中に子やぎを入れて煮るというのは、どう考えても残酷しすぎな行為です。   神様はそのような文化を拒まれ、イスラエルがこれにならうことを警戒し、禁止されました。申命記22章では、親鳥と卵を一緒にとらないようにとし、レビ記22章では、牛も羊も、母と子を同じ日にとりことを禁じています。親の目の前で子ととってなならない、子の目の前で親をとってももいけません。   もちろん牛などは食用のためにとってもよいです。肉食は許可されています。しかし、屠畜は人間がします。屠り方においても、人間性は大事に守られなければなりません。やぎと鳥と牛のためではなく人のためなのです。命の価値を尊重しているとき、人間性は守られます。   申命記25章に「脱穀をしている牛に口籠をはめてはならない」という規定があります。パウロは、コリントの手書きテモテの手手紙から、これを2回引用しました。それとともに、それが、牛のためではなく、人のためれあると言っています。働く人の労働の補償のことですが、一方、働く牛の権利を確保してあげることを通じて人間性が保たれるという話でもあります。巨大な流通市場の中で、残酷で非人道的な屠殺が構造化されています。食用として使用される家畜であっても、それを屠殺する時でさえ、人間は常に命の尊厳と人間性ということを考えなければなりません。