ダニエル QT22 20201209水【栄辱の歴史を通って】ダニエル 11章1-19

ダニエル 11章1-191 ―私はメディヤ人ダリヨスの元年に、彼を強くし、彼を力づけるために立ち上がった。―2 今、私は、あなたに真理を示す。見よ。なお三人の王がペルシヤに起こり、第四の者は、ほかのだれよりも、はるかに富む者となる。この者がその富によって強力になったとき、すべてのものを扇動してギリシヤの国に立ち向かわせる。3 ひとりの勇敢な王が起こり、大きな権力をもって治め、思いのままにふるまう。4 しかし、彼が起こったとき、その国は破れ、天の四方に向けて分割される。それは彼の子孫のものにはならず、また、彼が支配したほどの権力もなく、彼の国は根こぎにされて、その子孫以外のものとなる。5 南の王が強くなる。しかし、その将軍のひとりが彼よりも強くなり、彼の権力よりも大きな権力をもって治める。6 何年かの後、彼らは同盟を結び、和睦をするために南の王の娘が北の王にとつぐが、彼女は勢力をとどめておくことができず、彼の力もとどまらない。この女と、彼女を連れて来た者、彼女を生んだ者、そのころ彼女を力づけた者は、死に渡される。7 しかし、この女の根から一つの芽が起こって、彼に代わり、軍隊を率いて北の王のとりでに攻め入ろうとし、これと戦って勝つ。8 なお、彼は彼らの神々や彼らの鋳た像、および金銀の尊い器を分捕り品としてエジプトに運び去る。彼は何年かの間、北の王から遠ざかっている。9 しかし、北の王は南の王の国に侵入し、また、自分の地に帰る。10 しかし、その息子たちは、戦いをしかけて、強力なおびただしい大軍を集め、進みに進んで押し流して越えて行き、そうしてまた敵のとりでに戦いをしかける。11 それで、南の王は大いに怒り、出て来て、彼、すなわち北の王と戦う。北の王はおびただしい大軍を起こすが、その大軍は敵の手に渡される。12 その大軍を連れ去ると、南の王の心は高ぶり、数万人を倒す。しかし、勝利を得ない。13 北の王がまた、初めより大きなおびただしい大軍を起こし、何年かの後、大軍勢と多くの武器をもって必ず攻めて来るからである。14 そのころ、多くの者が南の王に反抗して立ち上がり、あなたの民の暴徒たちもまた、高ぶってその幻を実現させようとするが、失敗する。15 しかし、北の王が来て塁を築き、城壁のある町を攻め取ると、南の軍勢は立ち向かうことができず、精兵たちも対抗する力がない。16 そのようにして、これを攻めて来る者は、思うままにふるまう。彼に立ち向かう者はいない。彼は麗しい国にとどまり、彼の手で絶滅しようとする。17 彼は自分の国の総力をあげて攻め入ろうと決意し、まず相手と和睦をし、娘のひとりを与えて、その国を滅ぼそうとする。しかし、そのことは成功せず、彼のためにもならない。18 それで、彼は島々に顔を向けて、その多くを攻め取る。しかし、ひとりの首領が、彼にそしりをやめさせるばかりか、かえってそのそしりを彼の上に返す。19 それで、彼は自分の国のとりでに引き返して行くが、つまずき、倒れ、いなくなる。   本文でみ使いは、ペルシアとギリシャのアレクサンダー、その以降に分裂したセレウコス朝とプトレマイオス朝で起こることまで予言しています。 2節でペルシアの富む者がギリシャを打つとなっていますが、この王の名前がヘブライ語ではアハスエロス、ギリシャ名でクセルクセス1世です。死ぬべくは死ぬべしのエステル時代の王であり、このペルシアとギリシアの戦争を扱った映画が映画300です。   クセルクセスは破竹の勢いでアテネとスパルタまで進撃しますが、サラミスの海戦で敗北し、ペルシアに後退しました。だからといってペルシアがその場で滅んだわけではありません。征服戦争からは撤退しましたが、当時ペルシア帝国というのは、都市国家ギリシアとは相手にならないほど大きな帝国でした。しかし、100年を経過するうちに世界秩序は再編されます。今やギリシアが出征してペルシアを打ちます。   3節以降にその予言があります。大きな力を握る人がいますが、その権勢が終わると帝国は分かれ、彼の子孫はその国を引き継ぐことができないということです。この悲運の英雄がアレクサンダーです。アレクサンダーは、確かに紀元前331年にペルシアを征服しました。しかし彼の死後、帝国と家族の悲惨な運命は、み使いの予言どおりになりました。   その中でセレウコス朝は、4つの中で最も広い土地を占めました。南方エジプトを支配していたプトレマイオス王朝がセレウコスのパレスチナ地域を侵略し、その土地のことで両王朝は葛藤し緊張関係に置かれます。本文に王の娘の話が出てくるのは、セレウコス王朝とプトレマイオス朝が一時的に和親し政略結婚をさせたからです。   旧約聖書はペルシアが始まる時に幕を閉じ、新約聖書の幕開けはローマ時代と共に始まります。ですから聖書にギリシアの時代はありません。マラキの最後のページとマタイの最初のページの間にギリシアの時代が入っているのです。   前回セレウコス朝のアンティオコス4世について紹介しましたが、これら近東の歴史の流れを予言する目的は、セレウコス朝から出てくるアンティオコス4世統治時代にユダヤが受ける虐待と宗教弾圧を表すためです。すなわちユダは今解放されて家に帰る最中ですが、ユダヤはまた堕落します。そしてまたギリシアによって苦しみます。ギリシャ時代においてユダヤ社会に出現した宗教既得権がまさにサドカイとパリサイです。   強かった帝国の力も草のように萎れ、信仰も恵みと堕落の間を往来します。その時間が経過してからキリストが来られます。人間の力で自らを救うことができない完全な世界史的な絶望の上にメシアが歴史的に来られるのです。国の浮き沈みと信仰の気まぐれは今も続いていますが、アドベントを過ごす私たちの心はキリストを待ち臨んでいます。  

ダニエル QT21 20201208火【へりくだった心に】ダニエル 10章10-21

ダニエル 10章10-2110 ちょうどそのとき、一つの手が私に触れ、私のひざと手をゆさぶった。11 それから彼は私に言った。「神に愛されている人ダニエルよ。私が今から語ることばをよくわきまえよ。そこに立ち上がれ。私は今、あなたに遣わされたのだ。」彼が、このことばを私に語ったとき、私は震えながら立ち上がった。12 彼は私に言った。「恐れるな。ダニエル。あなたが心を定めて悟ろうとし、あなたの神の前でへりくだろうと決めたその初めの日から、あなたのことばは聞かれているからだ。私が来たのは、あなたのことばのためだ。13 ペルシヤの国の君が二十一日間、私に向かって立っていたが、そこに、第一の君のひとり、ミカエルが私を助けに来てくれたので、私は彼をペルシヤの王たちのところに残しておき、14 終わりの日にあなたの民に起こることを悟らせるために来たのだ。なお、その日についての幻があるのだが。」15 彼が私にこのようなことを語っている間、私はうつむいていて、何も言えなかった。16 ちょうどそのとき、人の姿をとった者が、私のくちびるに触れた。それで、私は口を開いて話し出し、私に向かって立っていた者に言った。「わが主よ。この幻によって、私は苦痛に襲われ、力を失いました。17 わが主のしもべが、どうしてわが主と話せましょう。私には、もはや、力もうせてしまい、息も残っていないのです。」18 すると、人間のように見える者が、再び私に触れ、私を力づけて、19 言った。「神に愛されている人よ。恐れるな。安心せよ。強くあれ。強くあれ。」彼が私にこう言ったとき、私は奮い立って言った。「わが主よ。お話しください。あなたは私を力づけてくださいましたから。」20 そこで、彼は言った。「私が、なぜあなたのところに来たかを知っているか。今は、ペルシヤの君と戦うために帰って行く。私が出かけると、見よ、ギリシヤの君がやって来る。21 しかし、真理の書に書かれていることを、あなたに知らせよう。あなたがたの君ミカエルのほかには、私とともに奮い立って、彼らに立ち向かう者はひとりもいない。   ダニエルは、断食による体力の低下と天上の存在と遭遇した驚きに身を支さえられなく倒れますがが、み使いはダニエルをなでながら起こし立てました。それでもダニエルの心と体は依然として震えています。み使いは神様の権威を持ってきたからです。神様の臨在はこのように恐ろしいことです。主を待つアドベントを過ぎていますが、神様の言葉の前に立つの訓練がなければ、いつか立たなければならない神様の前で、恐れのあまりそれを耐える人はいません。   力が抜けてしまった悲惨な一人の人間の前に、神様が遣わされたみ使いが来ました。ところで、このみ使いは自分が遅れたのが、ペルシャ国の君が妨げたからだと言っています。韓国語翻訳では、ペルシャ軍がみ使いを妨げたようなニュアンスをありますが、ここの君は、軍隊の軍のではなく、君主の君です。王を指します。日本語訳では、ペルシヤ国の君としてペルシャ王がみ使いを防いだと翻訳しました。   原文を調べてみるとサル(שַׂר)となっていて君主、王という意味の言葉であることは確かです。辞書的にはそうですが、しかし13節の文脈の中で、み使いを妨げたのがペルシャのサル(君主)であるが、その妨害に対抗して助けに来たみ使いミカエルの名前にもサル(君主)が付けています。将軍という言葉が適切かと思います。ですからミカエルという霊的存在に君主という表現(君)を使ったことを考えるとペルシャ国の君と呼ばれることもペルシャを支配する邪悪な霊の勢力を指していることが分かります。ということで、ある英語翻訳では、Evil Spiritと翻訳しています。悪魔が天使の道を防いだということです。   ですから、ダニエルの断食の祈りの中で王たちが戦っています。み使いはダニエルに行って、神様のみ言葉を伝えようとしています。悪魔はそれを防ぎます。すると天使の長ミカエルが戦闘力を加え、み使いがダニエルに会えるようにサポートします。ダニエルが心を定めて断食祈りを始めた最初の日から、神様はその祈りを聞きました。その理由でみ使いが来ているのです。霊的な世界で3週間に起きた戦争は、ダニエルの断食と祈りが促したことです。   み使いは、ダニエルが断食して祈ったことは神の前でへりくだろうと決めたことだと言います。それが断食祈りの目的です。断食は駄駄を捏ねるためではなく、肉が力を失って心がへりくだり、謙虚に神の前に立つためです。神様の前に謙遜というのは、人間の誇りや美徳としての謙遜ではありません。神様の前に謙遜とは、すなわち人間の側からは悲惨さです。イエス様がパリサイ人の断食を厳しく懲らしめられたのは、それを宗教的な義と思った形式主義を警告されたのです。謙遜は賞賛に値する敬虔の条件ではなく、悲惨な人間の実存そのものです。それを認めることによって人間は少し謙遜になることができます。悲惨と謙遜、その間にあるすべてのものは神様から受けた恵みであります。   断食は、その謙遜のところに下って祈ることです。世の力は声が大きいですが、悲惨な人間の祈りの声は小さく弱いものであります。しかし、悲惨と謙遜のもって祈る時に霊的な世界では戦争が起きます。やがて天使が悪魔を制圧し、神の言葉を持って来られます。み使いは、「神に愛されている人よ。恐れるな。安心せよ。強くあれ。強くあれ。」と励まします。世の誇りによる高ぶりは、謙遜によりる主の慰めに変わらなければなりません。  

다니엘 QT21 20201208화【겸손한 마음 위에】다니엘 10장10~21

다니엘 10:10-21단10:10 한 손이 있어 나를 어루만지기로 내가 떨더니 그가 내 무릎과 손바닥이 땅에 닿게 일으키고단10:11 내게 이르되 은총을 크게 받은 사람 다니엘아 내가 네게 이르는 말을 깨닫고 일어서라 내가 네게 보내심을 받았느니라 그가 내게 이 말을 한 후에 내가 떨며 일어서매단10:12 그가 이르되 다니엘아 두려워하지 말라 네가 깨달으려 하여 네 하나님 앞에 스스로 겸비케…

ダニエル QT19 20201207月【ダニエルの断食】ダニエル 10章1-9

ダニエル 10章1-91 ペルシヤの王クロスの第三年に、ベルテシャツァルと名づけられていたダニエルに、一つのことばが啓示された。そのことばは真実で、大きないくさのことであった。彼はそのことばを理解し、その幻を悟っていた。2 そのころ、私、ダニエルは、三週間の喪に服していた。3 満三週間、私は、ごちそうも食べず、肉もぶどう酒も口にせず、また身に油も塗らなかった。4 第一の月の二十四日に、私はヒデケルという大きな川の岸にいた。5 私が目を上げて、見ると、そこに、ひとりの人がいて、亜麻布の衣を着、腰にはウファズの金の帯を締めていた。6 そのからだは緑柱石のようであり、その顔はいなずまのようであり、その目は燃えるたいまつのようであった。また、その腕と足は、みがきあげた青銅のようで、そのことばの声は群集の声のようであった。7 この幻は、私、ダニエルひとりだけが見て、私といっしょにいた人々は、その幻を見なかったが、彼らは震え上がって逃げ隠れた。8 私は、ひとり残って、この大きな幻を見たが、私は、うちから力が抜け、顔の輝きもうせ、力を失った。9 私はそのことばの声を聞いた。そのことばの声を聞いたとき、私は意識を失って、うつぶせに地に倒れた。   今日の本文の時間的背景はペルシャのクロス王の在位三年となっていますが、これはイスラエルが70年ぶりにの捕虜時代を終え、ユダヤに帰還を始めた時点です。ゼルバベルの1次帰還があった後のことです。   ユダヤ帰還の決定もダニエルの政治的な影響力でしたが、ダニエルは、ユダヤに帰りません。すでに高齢であったし、ペルシャ政府のユダヤ帰還の後方支援に役割が残っていたからです。ダニエルは民族がみな故郷に帰った後、一人ペルシャで死にます。   誰かが権利を放棄し、共同体のためにささげた献身のゆえに、次の時代には自由と繁栄が与えられます。ダニエルは、神様と時代の前に緊張を保ち続け、自分の役割を最後まで果たした献身者です。アブラハムにもモーセ、ダビデにも咎を見つけることができますが、ダニエルの歩みにはそれが見つかりません。   帝国の興亡盛衰の中で波乱万丈の人生を送りましたが、ダニエルは平和主義者です。ダニエルが見た幻は戦争であってそれがもたらすべき時代の苦しみに心を痛めます。ダニエルは3週間敬虔を維持し、祈ります。断食をするのにダニエルは高齢です。断食ではないですが、良いものを避けて絶食の形で祈ります。   ダニエルは政治家というより行政家です。自分がイスラエル人であるから捕虜になっている民を憐れみ、自分がバビロンの総理であるからバビロンの滅びが苦しく、自分がペルシャの総理であったから戦乱の幻を見て恐れたのです。ダニエルは祈り始めます。   第一の月の二十四日というのは、今のカレンダーにすると4月初めに相当します。当時のカレンダーにすると元旦から祈りを始めたのです。祈り始めた3週間経ったときにみ使いに会います。とりなしの心を持ち、断食で祈ることはダニエルの力です。神様の権威を持ってきたみ使いの前で気を失ったのは前回や今回のも同じでした。   毎年元旦に3日間の断食祈りをしています。食べ物を切って神様の前に立つことが多くの意味で有益があります。参加できる方と一緒にしています。最近は元旦ではなく年末にいていますので今年は12月28日から30日までの予定です。静かに言葉の声を聞くことができればと願います。  

다니엘 QT20 20201207월【다니엘의 금식기도】다니엘 10장1~9

다니엘 10:1~910:1 바사 왕 고레스 삼년에 한 일이 벨드사살이라 이름한 다니엘에게 나타났는데 그 일이 참되니 곧 큰 전쟁에 관한 것이라 다니엘이 그 일을 분명히 알았고 그 이상을 깨달으니라10:2 그때에 나 다니엘이 세 이레 동안을 슬퍼하며10:3 세 이레가 차기까지 좋은 떡을 먹지 아니하며 고기와 포도주를 입에 넣지 아니하며 또 기름을 바르지 아니하니라10:4 정월 이십 사일에 내가…

한국어 예배 (2020-12-06)

히브리서 3:1-191 그러므로 함께 하늘의 부르심을 입은 거룩한 형제들아 우리의 믿는 도리의 사도시며 대제사장이신 예수를 깊이 생각하라2 저가 자기를 세우신 이에게 충성하시기를 모세가 하나님의 온 집에서 한 것과 같으니3 저는 모세보다 더욱 영광을 받을 만한 것이 마치 집 지은 자가 그 집보다 더욱 존귀함 같으니라4 집마다 지은 이가 있으니 만물을 지으신 이는 하나님이시라5 또한 모세는…

日本語礼拝 (2020-12-06)

ヘブル人への手紙 3:1-191 ですから、天の召しにあずかっている聖なる兄弟たち。私たちが告白する、使徒であり大祭司であるイエスのことを考えなさい。2 モーセが神の家全体の中で忠実であったのと同様に、イエスはご自分を立てた方に対して忠実でした。3 家よりも、家を建てる人が大いなる栄誉を持つのと同じように、イエスはモーセよりも大いなる栄光を受けるにふさわしいとされました。4 家はそれぞれだれかが建てるのですが、すべてのものを造られたのは神です。5 モーセは、後に語られることを証しするために、神の家全体の中でしもべとして忠実でした。6 しかしキリストは、御子として神の家を治めることに忠実でした。そして、私たちが神の家です。もし確信と、希望による誇りを持ち続けさえすれば、そうなのです。7 ですから、聖霊が言われるとおりです。「今日、もし御声を聞くなら、8 あなたがたの心を頑なにしてはならない。荒野での試みの日に神に逆らったときのように。9 あなたがたの先祖はそこでわたしを試み、わたしを試し、四十年の間、わたしのわざを見た。10 だから、わたしはその世代に憤って言った。 『彼らは常に心が迷っている。彼らはわたしの道を知らない。』11 わたしは怒りをもって誓った。『彼らは決して、わたしの安息に入れない。』」12 兄弟たち。あなたがたのうちに、不信仰な悪い心になって、生ける神から離れる者がないように気をつけなさい。13 「今日」と言われている間、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされて頑なにならないようにしなさい。14 私たちはキリストにあずかる者となっているのです。もし最初の確信を終わりまでしっかり保ちさえすれば、です。15 「今日、もし御声を聞くなら、あなたがたの心を頑なにしてはならない。神に逆らったときのように」と言われているとおりです。16 では、聞いていながら反抗したのは、だれでしたか。モーセに率いられてエジプトを出た、すべての者たちではありませんか。17 神が四十年の間、憤っておられたのは、だれに対してですか。罪を犯して、荒野に屍をさらした者たちに対してではありませんか。18 また、神がご自分の安息に入らせないと誓われたのは、だれに対してですか。ほかでもない、従わなかった者たちに対してではありませんか。19 このように、彼らが安息に入れなかったのは、不信仰のためであったことが分かります。

ダニエル QT19 20201205土【ダニエルの告白】ダニエル 9章1-14

ダニエル 9章1-141 メディア族のクセルクセスの子ダレイオスが、カルデア人の国の王となったその元年、2 すなわち、その治世の第一年に、私ダニエルは、預言者エレミヤにあった【主】のことばによって、エルサレムの荒廃の期間が満ちるまでの年数が七十年であることを、文書によって悟った。3 そこで私は、顔を神である主に向けて断食をし、粗布をまとって灰をかぶり、祈りと哀願をもって主を求めた。4 私は、私の神、【主】に祈り、告白した。「ああ、私の主、大いなる恐るべき神。あなたを愛し、あなたの命令を守る者には、契約を守って恵みを下さる方。5 私たちは罪ある者で不義をなし、悪を行って逆らい、あなたの命令と定めから外れました。6 私たちはまた、あなたのしもべである預言者たちが、御名によって私たちの王たち、首長たち、先祖たち、民衆すべてに語ったことばに、聞き従いませんでした。7 主よ。義はあなたにありますが、顔をおおう恥は私たちにあります。今日あるとおり、それはユダの人々、エルサレムの住民にあり、また、近くであれ遠くであれ、あなたが追い散らされた先のあらゆる国々にいる、すべてのイスラエルにあります。彼らがあなたの信頼を裏切ったためです。8 【主】よ。顔をおおう恥は私たちにあり、私たちの王たち、首長たち、および先祖たちにあります。私たちはあなたに対して罪を犯してきました。9 あわれみと赦しは、私たちの神、主にあります。まことに、私たちは神に逆らいました。10 私たちは、私たちの神、【主】の御声に聞き従わず、しもべである預言者たちによって神が私たちに下さったみおしえにも、従って歩むことをしませんでした。11 イスラエルはみな、あなたの律法を犯して離れ去り、御声に聞き従いませんでした。そのため、神のしもべモーセの律法に書かれているのろいの誓いが、私たちの上に降りかかりました。私たちが神の前に罪ある者であったからです。12 神は、大きなわざわいを私たちにもたらすことで、かつて私たちと、私たちを治めた指導者たちに対して告げられたみことばを成就されたのです。エルサレムの上に下ったほどのわざわいは、今まで天下になかったことです。13 このわざわいはすべて、モーセの律法に書かれているとおりに、私たちの上に下りました。しかし私たちは、不義から立ち返って、あなたの真理によってさとくなれるように、自分たちの神、【主】に願うこともありませんでした。14 【主】はそのわざわいを下そうと待ち構えていて、それを私たちの上にもたらされました。私たちの神、【主】のなさったみわざはすべて正しく、私たちが御声に聞き従わなかったからです。   永遠に続くと思ったバビロンが滅び、ベルシャツァルも死にました。そして世界は激変します。ダニエルは、その恐ろしい歴史の渦の中でエレミヤの本を読み、エルサレムの回復が近づいてきたことに気付きます。ユダが健在したときには誰もエレミヤの滅亡の預言を聞こうとしなかったたように、ユダが滅びて、絶望していたときに誰も回復の言葉を覚えていた人はいませんでした。人々は現実を信じて生きます。自分で生きられると思ったらそれを信じて生きるから神の言葉が聞こえず、滅びてしまうと、その絶望に埋もれる神の回復の言葉は聞こえません。   ダニエルは、エレミヤが回復を預言した70年が近づいていることに気付き、断食をし、粗布をまとって灰をかぶり、祈りと哀願をもって祈り始めました。代表の祈りであり、とりなしの祈りです。 70年間の痛みに耐えた後の祈りとは、神様を知る知識と、自分自身を知る知識が成長しています。70年間、神様はこの短い告白を待っておられたことかもしれません。   ダニエルは、神様に対して大いなる恐るべき方であると告白します。それは決まったフレーズではなく、ダニエル自分の人生を通して経験したことです。ダニエルは人を恐れず、生と死の主権者である神を恐れて生きてきました。現実を神にして生きる人々の世の中で、ダニエルは生きるにも死ぬにも主権をもっておられる恐れるべき神様を告白しました。   ダニエルは祈りの中でユダの罪を取り出し、明確な言語をもって告白します。ユダは犯罪し、ユダは悪を行い、ユダは反逆し、ユダは主の律法と定めを破り、ユダは主の言葉を聞いていなかったことを告白します。ダニエルは隠さず、包装せずに厳しく、ユダの罪を告白しました。   自尊心の強い人は神様の前にすら自分を認めず、告白することをしません。言語にしない、ただ唸るだけです。しかし、自分自身を認め、告白し、反省するためには、必ず言語を必要とします。それをを経ていないことは、悔い改めに至りません。時間が経つことで回復することではなく、認めて悔い改めるまでに時間がかかるのです。   一方、ダニエルの経験した神様は、恐ろしいばかりの神ではないです。神様はご自身を愛し、ご自身の戒めを守る者には慈悲をもって恵まれて、契約を立てて回復してくださる方であることを告白します。ダニエルを読んできた人であれば、まさにそれがダニエルの証しであることを知っています。脅威と恐れの中でも、神様を意識し、神様との約束を優先して生きたからこそ、恐ろしい現実にも勝てる神様の力を経験したのです。   一年の最後の12月に入っています。まもなくものさわがしい2020年は終わります。神様がすべて知っておられると言わず、神様の恐れを知り、私たちの唇で罪と弱さも吐き出さなければなりません。隠すことなくまごころでの懺悔録が書けるなら一つの節目を結ぶことができます。それから神様の慈愛のためのとりなしです。ダニエルのように、新年を迎えこれから回復されるべき時代のためにとりなしの祈りを捧げましょう。  

다니엘 QT19 20201205토【다니엘의 고백】다니엘 9장1~14

다니엘 9:1~149:1 메대 족속 아하수에로의 아들 다리오가 갈대아 나라 왕으로 세움을 입던 원년9:2 곧 그 통치 원년에 나 다니엘이 서책으로 말미암아 여호와의 말씀이 선지자 예레미야에게 임하여 고하신 그 년수를 깨달았나니 곧 예루살렘의 황무함이 칠십 년만에 마치리라 하신 것이니라9:3 내가 금식하며 베옷을 입고 재를 무릅쓰고 주 하나님께 기도하며 간구하기를 결심하고9:4 내 하나님 여호와께 기도하며 자복하여 이르기를…

ダニエル QT18 20201204金【悟れ、人の子よ】ダニエル 8章15-27

ダニエル 8章15-2715 私ダニエルは、この幻を見たとき、その意味を理解したいと願った。すると見よ、勇士のように見える者が私の正面に立った。16 私は、ウライ川の中ほどから「ガブリエルよ、この人にその幻を理解させよ」と呼びかけている人の声を聞いた。17 彼は私が立っているところに来た。彼が来たとき、私はおびえて、ひれ伏した。すると彼は私に言った。「悟れ、人の子よ。その幻は終わりの時のことである。」18 彼が私に語りかけたとき、私は地にひれ伏したまま意識を失った。しかし彼は私に触れ、その場に立ち上がらせて、19 こう言った。「見よ。私は、終わりの憤りの時に起こることをあなたに知らせる。それは、終わりの定めの時に関わることだ。20 あなたが見た二本の角を持つ雄羊は、メディアとペルシアの王である。21 毛深い雄やぎはギリシアの王であり、その額にある大きな角はその第一の王である。22 その角が折れて、代わりに四本の角が生えたが、それは、その国から四つの国が起こるということである。しかし、第一の王のような勢力はない。23 彼らの治世の終わりに、その背く者たちが行き着くところに至ったとき、横柄で策にたけた一人の王が立つ。24 彼の力は強くなるが、自分の力によるのではない。彼は、驚くべき破壊を行って成功し、有力者たちと聖なる民を滅ぼす。25 狡猾さによってその手で欺きを成し遂げ、心は高ぶり、平気で多くの人を滅ぼし、君の君に向かって立ち上がる。しかし、人の手によらずに彼は砕かれる。26 先に告げられた夕と朝の幻、それは真実である。しかし、あなたはこの幻を秘めておけ。これはまだ、多くの日の後のことだから。」27 私ダニエルは、何日かの間病気になったままでいた。その後、起きて王の事務を執った。しかし、私はこの幻のことで驚きすくんでいた。それを理解できなかったのである。   幻を見たダニエルが煩いに陥っていたときに、神様はみ使いのガブリエルを送り、幻について語らせます。驚いたダニエルは、ガブリエルがゲ顕現にさらに恐れ、地面に頭をつけ、ひれ伏しました。ガブリエルが幻を解釈していた時、、ダニエルは恐怖のあまり、持ちこたえることができず倒れます。意識を失ったのです。ガブリエルはそのようなダニエルをなでながら起こして、幻の解釈を続けます。それからそれらすべてを覚え、心に秘めて置くようにと命じます。み使いが去った後も、ダニエルは、数日間患いました。   本文を見ると、ダニエルは驚きと恐怖の中で気を失うほどでありますが、それにも神様はダニエルに「告げること」を続けます。ダニエルを起こして知らせるべきことを最後まで告知します。さらにガブリエルはダニエルに悟りなさいと命じます。これはダニエルに幻の内容を必ず悟らなければならない使命があるからです。ダニエルには幻を悟り、記録し、それを救われるべき神の民に伝える責任があります。   ダニエルに現れ、神様の秘密を告げたガブリエルは、500年後に処女マリアに現れ、神様の救いの計画を告知しました。クリスマスになるといつも聞く話、マリアの受胎告知はマリアの話ではなく、救いのための神様の告知です。ダニエルにおいてその幻と啓示を受けることが確かに耐えにくいことでありましたが、マリアにおいても恐れ、受け入れにくいことでありました。   昨日に400年後に起こるマッカビのユダの独立について言及しましたが、マッカビによる独立の後、ユダは自由を得ましたが、それが100年を続けられず、ユダは紀元前63年にローマに支配されてしまいます。ユダはローマの属国となりましたが、その絶望の時代にキリストが幼子のイエスとして生まれたものです。   B.C(Before Christ)の時代が終わり、主の年、A.D(Anno Domini)が到来しました。ガブリエルが知らせようとしたのは滅亡ではなく、贖いの日であり、救いの日です。しかし、救い日に、神の民の救いを妨げていたものは裁きを受けなければなりません。   今朝祈りの説教は「主の前では、どんな知恵も英知もはかりごとも、役に立たない。馬は戦いの日のために備えられる。しかし救いは主による。箴言21:30,31」でした。世界がどのように流れていくのかを予測する人は多くいますが、誰もその先端を確定的に知ることはできません。歴史の主は神様です。神様が支配する世界は経済のために動くことではなく、政治のために動くことでもありません。神様の愛の目的のためにそれらが用られるこだけです。   人間の知恵と謀略は欲を満たすための高慢と戦争を繰り返しますが、神様の知恵は十字架のイエス・キリストの愛です。神様は選ばれた民の救いを成し遂げる目的のゆえに、今も歴史の中で働かれます。それは封された秘密ではなく、公開された秘密です。公開されましたが、まだ分かっていないことは聞かないで、見ないからです。啓示された救いの秘密が分かるのは、それを聞いて悟る人です。