10월 잠언묵상 【지혜에 이끌리는 사람】 20231004(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

잠언 3:1~103:1 내 아들아 나의 법을 잊어버리지 말고 네 마음으로 나의 명령을 지키라3:2 그리하면 그것이 너로 장수하여 많은 해를 누리게 하며 평강을 더하게 하리라3:3 인자와 진리로 네게서 떠나지 않게 하고 그것을 네 목에 매며 네 마음판에 새기라3:4 그리하면 네가 하나님과 사람 앞에서 은총과 귀중히 여김을 받으리라3:5 너는 마음을 다하여 여호와를 의뢰하고 네 명철을 의지하지 말라3:6…

10月箴言黙想 【失われた知恵】 20231003(火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師

箴言 2:1~222:1 わが子よ。もしあなたが私のことばを受け入れ、私の命令をあなたのうちに蓄え、2:2 あなたの耳を知恵に傾け、心を英知に向けるなら、2:3 もしあなたが悟りに呼びかけ、英知に向かって声をあげ、2:4 銀のように、これを探し、隠された宝のように探り出すなら、2:5 そのとき、あなたは主を恐れることをわきまえ知り、神を知ることを見出すようになる。2:6 主が知恵を与え、御口から知識と英知が出るからだ。2:7 主は正直な人のために、すぐれた知性を蓄え、誠実に歩む人たちの盾となり、2:8 公正の道筋を保ち、主にある敬虔な人たちの道を守られる。2:9 そのとき、あなたは義とさばきと公正を、またすべての良い道筋をわきまえ知る。2:10 知恵があなたの心に入り、知識がたましいに喜びとなるからだ。2:11 思慮はあなたを守り、英知はあなたを保つ。2:12 それらはあなたを悪の道から、ねじれごとを語る者たちから救い出す。2:13 その者たちはまっすぐな進路を捨てて闇の道に歩み、2:14 悪を行うことを楽しみとし、悪しきねじれごとを喜んでいる。2:15 その進む道は曲がり、彼らは道筋を誤る。2:16 また思慮と英知は、あなたをよその女から、ことばの滑らかな見知らぬ女から救い出す。2:17 この女は若いころの連れ合いを捨てて、自分の神との契約を忘れている。2:18 彼女の家は死へと、その道筋は死者の霊の国へと下る。2:19 この女のもとへ行く者はだれも帰って来ない。いのちの道に至ることはない。2:20 こうして、あなたは善良な人たちの道に歩み、正しい人たちの進む道を守る。2:21 正直な人たちは地に住まいを得、全き人たちは地に生き残る。2:22 しかし、悪しき者たちは地から断たれ、裏切り者たちは地から引き抜かれる。   箴言2章は、5節が分岐点のようです。「そのとき、あなたは主を恐れることをわきまえ知り、神を知ることを見出すようになる。2:5」 5節は神様を恐れること、神様を知ることという結果を言います。そして、それをもたらす原因が1節~4節です。「神様の御言葉を聞き、それを心に刻み、知恵に耳を傾け、それを積極的に追い求め、知識を求めること」です。それを「まるで銀のように、これを探し、隠された宝のように探り出すなら」と言いました。経済に対する関心だけ、神様の御言葉にあるならば、神様を知り、神様を恐れることができるということです。   分岐点となる5節以下は、神様を知り、神様を恐れる人、すなわち神様の御言葉が自分の基準になった人が受けるべき祝福について言います。「危険から守られ、差別から公平を回復し、信仰のゆえの挑戦が安全に守られます。大切な情報を選別でき、その情報を処理することができ、洞察する知恵が与えられ、賢くなります。なお、自分を客観化し、自分を省察することができるから謹慎します。性的誘惑に陥らないように自分を守るり、善良に生きようと務め、義に生きようと努力するようになります。 」   ノーベル文学賞を受賞したバートランド·ラッセルは労働を幸福の不可欠なものと見なしましたが、労働に従属してはならない人間の権利についてはより強調しました。労働を神聖視したのは、奴隷の道徳であり、現代人は奴隷ではないということです。彼によると産業社会以降、技術の進歩はすでに人間が十分な余暇を持てるようになったと言います。それで良心的に労働を再配列すると、人類は一日4時間以上働く必要はないと主張するのです。 ラッセルが70年代に亡くなったので、その後、さらに発展した産業と、最近の人工知能が代替する労働まで勘案すれば、人間が労働しなければならない時間はさらに減らさなければならないでしょう。   それにもかかわらず、現代社会に長い労働時間と分配の失敗、失業などが繰り返されているのは、人々の欲と競争心、既得権の執着のためです。創造的な仕事をするのではなく、席を守らなければならないからです。長い間仕事をしますが、職業現場の労働時間、もしくは学生たちの長い学習時間が必ずしも成果と比例するとは限りません。問題は集中力を通して核心を見出すことができるかという知恵です。神様に集中する訓練をする人は、他のすべてのことにも集中でき、その仕事で成果を出すことができるでしょう。聖徒はその知恵を得るための実践をしなければなりません。   ラッセルは4時間の集中的な労働で生計を確保してからは残りの時間は自分(人間)のために使わなければならないと言います。ここで余暇時間とは、テレビ、スマートフォン、スポーツ、映画などを楽しむことを意味するものではありません。それよりも上位にある人間本来の何らかの幸せがあるということです。私はそれを読んでときめきがありました。私たちはそれを失われたまま生きているからです。お金の心配ばかり、仕事ばかりしていて、仕事が終わったらスマートフォンと一緒に倒れて寝ます。霊的な交わりの経験さえありません。この非人間的な世の中で、人間らしく、そして聖徒らしく生きることは、諦められないです。追い求めるべき使命ではないでしょうか?世は厳しいですが、知恵はないです。世の中で知恵ある聖徒はそれを見つけなければならないと思います。

10월 잠언묵상 【잃어버린 지혜】 20231003(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

잠언 2:1~222:1 내 아들아 네가 만일 나의 말을 받으며 나의 계명을 네게 간직하며2:2 네 귀를 지혜에 기울이며 네 마음을 명철에 두며2:3 지식을 불러 구하며 명철을 얻으려고 소리를 높이며2:4 은을 구하는 것 같이 그것을 구하며 감추인 보배를 찾는 것 같이 그것을 찾으면2:5 여호와 경외하기를 깨달으며 하나님을 알게 되리니2:6 대저 여호와는 지혜를 주시며 지식과 명철을 그 입에서…

10月箴言黙想 【思惟不能性】 20231002(月) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

箴言1:20 知恵は大通りで叫び、広場でその声をあげ、1:21 騒々しい街角で叫び、町の門の入り口で、そのことばを語る。1:22 「浅はかな者よ、おまえたちは、いつまで浅はかなことを愛するのか。嘲る者は、いつまで嘲ることを欲するのか。分別のない者は、いつまで知識を憎むのか。1:23 わたしの叱責に立ち返れ。おまえたちにわたしの霊を注ぎ、わたしのことばを知らせよう。1:24 わたしが呼んだのに、おまえたちは拒んだ。手を差し伸べたのに、耳を傾ける者はなかった。1:25 おまえたちはわたしの忠告をすべてなおざりにし、わたしの叱責を一つも受け入れなかった。1:26 わたしも、おまえたちが災難にあうときに笑い、恐怖がおまえたちを襲うとき、あざ笑う。1:27 恐怖が嵐のようにおまえたちを襲うとき、災難がつむじ風のようにおまえたちに来るとき、苦難と苦悩がおまえたちを襲うとき、1:28 そのとき、わたしを呼んでも、わたしは答えない。わたしを捜し求めても、見出すことはできない。1:29 それは、彼らが知識を憎み、主を恐れることを選ばず、1:30 わたしの忠告を受け入れようとせず、わたしの叱責をことごとく侮ったからだ。1:31 それで、彼らは自分の行いの実を食らい、自分が企んだことで腹を満たす。1:32 浅はかな者の背信は自分を殺し、愚かな者の安心は自分を滅ぼす。1:33 しかし、わたしに聞き従う者は、安全に住み、わざわいを恐れることなく、安らかである。」   本文によれば、知恵のない者は、浅はかな者。嘲る者、嘲る者。分別のない者、知識を憎む者です。彼らの特徴は、何も聞こうとしない人です。だからといって、皆が不良な態度を持っているわけではないでしょう。謙遜に見えるかもしれないし、知的に見えるかもしれませんが、聞こうとせずに学ぼうともしない人がいます。聞けない人は話せない、読めない人は書けない、学ばない人は教えられないです。   知恵がないから他人の知識を消費します。自分の知識を生産することはできません。他人の説教は聞きますが、自分の御言葉はないです。他人の証しは聞きますが、自分に残った神様の証しはありません。それは考えないからです。考えずに神様に会うことはありません。数多くの時間の内に起きる大小の事件と、それが神様とどのような関係するのかを振り返り、推論し、洞察せずには証しを見つけることができません。   『エルサレムのアイヒマン』で著者のハンナ·アーレントは、アイヒマンの道徳的不感を「悪の平凡性」であると結論付けました。アイヒマンはナチス党員として熱心でした。しかし、それは人を一生懸命殺すことでもありました。彼は誠実に生きていました。それが絶えず誰かを破壊することでした。社会がさせることだけをする人、それに対する意味を質問しない人はアイヒマンになれるということです。アイヒマンは誠実な公務員で、500万人を殺しても罪悪感を持っていませんでした。それが「思惟不能性」です。考えない罪です。 それが現代的な悪の特徴です。。   1990年、日本で高校校門圧死事件がありました。高校の教師が遅刻を取り締まって校門を閉めましたが、一人の女子生徒の頭が挟まれて死亡した事件です。時間とマニュアルに従って決められた仕事を一生懸命遂行しましたが、考えなかったため、幼い生徒は亡くなり、教師は殺人を犯すことになりました。人々はルールとマニュアルに定められた通りにすればそれが正しいと思います。 しかし、それが時には悪になり得るというのが「悪の平凡さ」です。 それが考えない無能、つまり「思惟不能性」です。考えながら生きなければならないと思うのです。耳で言葉を聞くことは、その言葉を頭の中に入れて考えるためかもしれません。

10월 잠언묵상 【사유불능성】 20231002(월) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

잠언1:20 지혜가 길거리에서 부르며 광장에서 소리를 높이며1:21 훤화하는 길 머리에서 소리를 지르며 성문 어귀와 성중에서 그 소리를 발하여 가로되1:22 너희 어리석은 자들은 어리석음을 좋아하며 거만한 자들은 거만을 기뻐하며 미련한 자들은 지식을 미워하니 어느 때까지 하겠느냐1:23 나의 책망을 듣고 돌이키라 보라 내가 나의 신을 너희에게 부어주며 나의 말을 너희에게 보이리라1:24 내가 부를지라도 너희가 듣기 싫어 하였고…

【シオンの門、神の都】 20230929 (金) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

詩編 87:2-3 87:2 主はシオンの門を愛される。ヤコブのどの住まいよりも。 87:3 神の都よあなたについて誉れあることが語られている。 セラ  この世の中には神様の栄光を表しているような美しい自然がある場所があります。そして、人々はそういう場所を‘世界の旅行名所’、‘死ぬ前に必ず行って見たい場所’などの名をつけて誉めています。    相当そういう感性が鈍い人である私も有名な所には行って見たいし、時には遠くまで行かなくても見上げている空がきれいな日には写真を撮って保存して置きながら、この世を創造された神様の偉大さに感服する時もあります。    しかし、驚くべきことは、このように美的な感覚が優れた神様が一番美しいものとする存在は、大自然や美術品などではなく、神様のかたちに造られた人間です。人が言っている’きれいな所で写真を撮るときれいな写真が出る’という話のようなことではなくて、神様の目線はいつも私たちに向かっています。    “主はシオンの門を愛される。ヤコブのどの住まいよりも。” 詩編 87:2     今日の聖書箇所を原語的に釈義すると、神様はイスラエルの他のどのような所でもなく、シオンと呼ばれるエルサレムを選び、そこに臨在するという意味になります。     しかし、旧約聖書時代に神殿の契約の箱におられた神様は今、私たち一人一人をご自分の宮とし、そこにおられます。神様はこの世のどのような美しい場所でもなく、私たちの中に臨在することを望んでおられるお方です。従って、私たち一人一人は神様に選ばれた‘シオンの門’であります。     そして、この神様の臨在がある所には‘誉れあることが語られる’と示されています。    昔、学生たちや、聖書勉強グループの人々に年に1回ぐらいは必ず問われることがありました。それは、お金持ちになって、えらい人になって、いわゆる’成功’して神様に栄光をささげることについてでした。実際、私はそれが悪くはないと思っています。だれかはそういうふうに栄光をささげることもできると思います。しかし、それはそこまでの道を完全に御言葉に従って、自分の欲を一つも残らずに捨てて、ただ神様だけのために最後まで歩んで行けたらです。      神様に栄光を捧げることは。日本語では栄光を帰するともよく使われています。この言葉は本当に正しい言葉だと思います。神様に栄光を捧げるとしたら、自分の能力や、名誉から生み出された栄光を神様に捧げるような感じもしますが、これは完全に間違っています。神様に栄光を捧げるというのは、まさに神様に栄光を帰することです。この世の被造物たちは栄光そのものである神様に捧げられる栄光を自ら生み出すことはできません。ただ、すでにこの世に現れている神様の栄光を、また神様に帰するそのものです。    エルサレムという都に誉れあることが語られる理由は、エルサレムが数ある派手な物で飾っているからも、その大きさが他の都と格が違うからでもありません。ただ、そこに神様がおられるからです。そして、その神様が今、私たちの側におられます。     詩編87篇全体の内容を見ると、シオンの門、神の都の役割はその中に限られていません。周りの民族、国々がシオンに向いて行けるようにする門として、神様の栄光を表し、人々を集める都として、伝道者の役割に努めているのです。そして、神様は必ず私たちをもそのように用いてくださいます。 https://youtu.be/7O4BeAEDuaY?si=2-m4yzIPa1BMSiQ_

【시온의 문, 하나님의 성】 20230929 (금) 에다가와 사랑의교회 최종석 전도사

시편 87:2-3 87:2 여호와께서 야곱의 모든 거처보다 시온의 문들을 사랑하시는도다 87:3 하나님의 성이여 너를 가리켜 영광스럽다 말하는도다 (셀라)  세상에는 하나님의 영광을 드러내는 듯 한 아름다운 풍경을 자랑하는 지역들이 있다. 그리고 사람들은 그런 곳을 ‘세계 여행 명소’, ‘죽기 전에 꼭 가봐야 할 곳’ 등의 이름을 붙이며 칭송하기도 한다.    감성이 꽤나 메말라있는 나 역시 그런 지역에…

9月 黙想 【人間論と基督論の間】 202309228(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

マラキ 4:6 彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、この地を聖絶の物として打ち滅ぼすことのないようにするためである。 マタイの福音書 1:1アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図。   旧約の最後の本はマラキで、その次は新約聖書のマタイの福音書である。聖書では1枚の間であるが、時間的には400年の空白がある。400年間預言者は来なかったし、神様の御言葉は伝えられても、記録されてもいなかった。これを新旧約中間時代という。聖書に言及されないこの長い時代にも、人間は一生懸命に生きてきた。日常の慌ただしい生活を送り、国々は奪って奪われることを繰り返した。旧約の最後のマラキの時代的背景は、第3次バビロニア帰還である。バビロニア帰還といっても、時代はペルシャ帝国の時代である。イスラエルを滅ぼしたバビロニア帝国は、ペルシャ帝国によって滅び、覇権を握ったペルシャはイスラエルの民を本土のパレスチナに帰した。ありがたいことだったが、永遠の帝国はない。ペルシャ帝国はギリシャ帝国のアレクサンダーに敗れた。30歳で空前の帝国を成し、世界を支配したアレクサンダー大王は33歳で死んだ。アレクサンダーの遺言は、遺体の腕を棺の外に取り出し、人々に見せることだった。帝国の帝王も結局手ぶらで行くということ。切符一枚も持って行けない。アレクサンダーは裸で生まれ、裸で死んだ。アレクサンダーのいないギリシャ帝国はローマによって滅びた。食うか食われるかの世界史の車輪の下で、イスラエルはその長い400年間ンい植民支配を受けた。新約時代は政治的にローマの支配期だった。A.D.70年にローマは、抵抗するイスラエルを完全に滅ぼし解体させた。イスラエルという国は地球上から消えた。世界史にイスラエルがこれだけの絶望を語っていることは、人間の絶望を語るためであると思う。   日曜の午後の洗礼クラスの学びは3週間に渡って聖書論、神論、人間論を勉強した。人間論の結論は決して明るくなかった。 私たちはむしろで覆われていた罪を暴かず、その中に腐っていることを否定しては人間を理解することができなかった。人間の理解は罪の理解である。旧約の絶望が終わって新約が開かれると、マタイの福音書1章には系図が出てくる。その系図に従って誰かが生まれる。イエス·キリストが受肉して来られる。人間の絶望の果てにキリストが来る。世界史的に教会が始まる頃、イスラエルという国は完全に滅びて消えてしまう。イエス·キリストはいつ、どこに、なぜ来られるのか?イエス·キリストは人間の敬虔な報償として来ることではない。人間の熱心な報いでもない。イエス·キリストは真っ暗の絶望の夜に来る。自ら救えないものを救うために来られる。望みのない人間の叫びの上に来る。救われるためには一つの例外なく、絶望を乗り越えなければならない。70年に滅び、1948年に再建されたイスラエルは、明日から1週間、仮庵の祭りを行う。絶望の中で救われたその救いの記憶を記念する。私たちの教会の洗礼クラスは今週は基督論について学ぶ。人間の絶望で終わらず、救いのキリストが来られるからだ。私たちの小さな勉強会の中でキリストから来る希望を見つかる人がいることを祈リ求める。

9월 묵상 【인간론과 기독론 사이】 20230928(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

말라기4:6 그가 아비의 마음을 자녀에게로 돌이키게 하고 자녀들의 마음을 그들의 아비에게로 돌이키게 하리라 돌이키지 아니하면 두렵건대 내가 와서 저주로 그 땅을 칠까 하노라 하시니라 마태복음1:1 아브라함과 다윗의 자손 예수 그리스도의 세계라   구약의 마지막 책은 말라기이고 그 다음은 신약의 마태복음이다. 성경책으로는 한 장 사이이지만 시간적으로는 400년의 공백이 있다. 400년간 선지자는 오지 않았고 하나님의 말씀은 전해지지도…

9月 黙想 【からし種のような思い】 202309227(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

マタイの福音書13:31 イエスはまた、別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国はからし種に似ています。人はそれを取って畑に蒔きます。13:32 どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなって木となり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るようになります。」   すべての種が小さいが、からしの種は特に小さく、それに比べてからしの木が大きくなるという。現地の人によれば、実は巨木にはならず、ただ繁殖力が良くて周囲の土地をすべて支配してしまうという。神の国は小さなからしの種のように宣教は小さな弟子たちから始まり、世界中に広まった。大きな木でなくても芝生の根のように広がるのを防ぐことはできない。拡散はそのようなものである。誰かが推進したことではない。しかし、誰も止められないものである。したくない宣教を強いることはできなく、したい宣教を止める方法もない。動機がある宣教は土地を支配し,芝生の根のように広がっていく。始まりは一人の中にあるからしの種のようなの「思い」である。その思いが育ち、その人を信仰の人にしていく。その思いの中に信仰の遺伝子が入っている。卵を抱くとひよこが出て、種を植えると芽生えるように、思いを抱くと信仰が芽生える。一粒の思いが一人の中でうごめき、その人を支配する。神の国のためのからしの種のような思いを抱き始める人は、その地と時代を支配していく。