9월 묵상 【절대적 소망】 20230921(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

고린도전서15:12 그리스도께서 죽은 자 가운데서 다시 살아나셨다 전파되었거늘 너희 중에서 어떤이들은 어찌하여 죽은 자 가운데서 부활이 없다 하느냐15:13 만일 죽은 자의 부활이 없으면 그리스도도 다시 살지 못하셨으리라15:14 그리스도께서 만일 다시 살지 못하셨으면 우리의 전파하는 것도 헛것이요 또 너희 믿음도 헛것이며15:15 또 우리가 하나님의 거짓 증인으로 발견되리니 우리가 하나님이 그리스도를 다시 살리셨다고 증거하였음이라 만일 죽은 자가…

9月 黙想 【次の世代】 20230920 (水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

ローマ人への手紙 12:2この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。   最近、キリスト教で最も耳にする言葉が「「次の世代」である。教会も、少子化と高齢化という社会の流れに逆らうことはできないし、むしろ社会よりも教会の減少の方が急激に進んでいる。日曜学校はなくなり、学生と若者は教会から離れている。ということで教会を心配する人々は次の世代を育てるべきだと言います。   次の世代というのは、今の世代が基準になって言う言葉です。おそらく若い世代は誰かの次にはならない。彼らは彼らの時代を生きるだけだから。今の教会を受け継ぐことはなく、必要があれば自分たちの教会を建てていく。今の世代も前の世代を引き継いだとは思わない。かえって前の世代を乗り越えたと思っているのではないか。今の若い世代も、前のものを受け継ぐことない。ただ以前のことを乗り越えていく。   若者たちが教会を離れるのは、彼らを信仰生活にとどまらせなかったからではなく、福音の恵みが何かを伝えられなかったからだ。伝えられなかったのは、伝える中身がなかったからだろう。今の世代が逃したのは、次の世代ではなく、福音である。逃したのは、社会的信頼や宗教の教育ではなく、自分たちが信じるべき福音だった。   次の世代を心配する前に、まず今ここで自分の福音が回復できれば、それを見た若い世代はそれぞれの時代で福音を探し求めることになる。教えようとせず、植え替えようとせず、自分と教会の時代を省察し、恥と悔い改めをもって福音を求めることができれば、若い世代はその時に初めて福音を聞くこと、見ることになるだろう。教会のために若い世代が必要なのではなく、若い世代のための福音は必要とする。

9월 묵상 【다음 세대】 20230920(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

로마서 12:2너희는 이 세대를 본받지 말고 오직 마음을 새롭게 함으로 변화를 받아 하나님의 선하시고 기뻐하시고 온전하신 뜻이 무엇인지 분별하도록 하라.   최근 기독교에서 가장 많이 들리는 말 중에 하나가 다음 세대인 것 같다. 교회도 소자화와 고령화라는 사회의 흐름을 거스를 수 없겠지만, 오히려 사회보다 교회의 감소가 더 급격하게 진행되고 있다. 주일학교는 사라지고 학생들과 청년들은 이제 교회에…

9月 黙想 【チェダカ】 20230919 (火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

5:6 義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。   聖書には「義」という言葉がよく出ているが、「義」は人間のものではなく神様のものだから、「義に飢え渇く」ということは、人が神様の御心に対する渇きと熱望を持っているということである。「世の中に神様が見えないことに対する渇き」、「そこで神様の御旨を叶えるための熱望」がすなわち、「義に飢え渇く」である。義に飢え、渇いたことがあるのか、それが潤される経験をしたことはあるのか。   八つの幸いの6節にある「義」は、ヘルラ語で「ディカイオスネ(δικαιοσυνη)」であるが、ヘブライ語では「チェダカ(צדקה)」である。ここで興味深いのは、イスラエル世界では「チェダカ」は、「寄付」の意味であるということだ。慈善という意味の英語「チャルリティ(Charity)」は、愛という意味のラテン語「カリタス(Caritas)」から来たから、チェダカとは関係がない。ユダヤ人は「寄付」という意味を言う時に、「正義」という言葉を使っている。慈悲という意味の「ヘセドゥ(חֶ֫סֶד)」があるが、ユダヤ人の寄付は、ヘセドゥではな、くチェダカである。したがって、ユダヤ人にとって「チェダカ」は貧しい人のための慈善ではなく、正しさ、正義、公正である。   アメリカ人口のうちに約2%がユダヤ人であるが、アメリカ全体の寄付額の30%をユダヤ人が出している。貧しい人のために寄付することは、ユダヤ主義では大切なことだ。これをしなければ、偶像崇拝にみなされることもある。その根拠は、神様の形によって造られた人の基本権を守らなければならないという天賦人権的価値、もう一つは、まだも行われなければならない神様が御心がこの地においても成されるためです。「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。」 ユダヤ人の満ち足りる、つまり卓越さは、「義に飢え渇いた者がチェダカを実践した結果ではないだろうか。低い所に流すと、さらに豊かになるチェダカの秋になりたい。  

9월 묵상 【체다카】 20230919(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

  마태복음 5:6 의에 주리고 목마른 자는 복이 있나니 저희가 배부를 것임이요   성경에는 「의(義)」가 많이 나오는데 의(義)는 인간의 것이 아니고 하나님의 것이다. 그러므로 「의에 주리고 목마르다」고 한 것은 한 인간이 하나님의 뜻에 대한 갈증과 열망을 가지고 있다는 말이다. 「세상 속에 하나님이 보이지 않는 것에 대한 갈증」, 「그곳에서 하나님의 뜻을 이루어 내기 위한 열망」이 곧…

【愛する理由】 20230915 (金) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

イザヤ書 43:4 43:4 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だから、わたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにする。  ‘愛するのに理由とか要る?’ どこかのマンガやドラマなどで、よく出てくるようなセリフ。しかし、よく考えて見れば、確かに私たちは愛するのに理由が要るようだ。     人間関係にとっても話が通じ、合性がいい人といたいのは当然なことで、異性との関係にとっても、だれでも頭の中に好きなタイプぐらいは持っている。しかし、その全てを満足させる人々だけと生きていくことはできないということが、私たちが生きているこの社会の現実だ。    だとしても、全てを我慢しながら生きているわけではない。その人との関係で、合わないところがあっても、それを見過ごしにすることができるほどのいいところがあれば、自分と合わなくても、異性としてのタイプではなくても、その関係を喜んで続けていくための支えとなる。しかし、結局それは理由のない愛ではなく、愛するための理由を探した努力の結果に過ぎない。    だからこそ、今日の御言葉は私たちとはあまりにも遠い話のように見えるかも知れない。今日の聖句からほんの何章先に行くと、イスラエルの民が神様に背き、罪を犯し、偶像崇拝する姿が赤裸々に記されている。私たちの目には、神様がイスラエルの民を愛する理由はどころか、愛せない理由しか見えない。    しかし、そのような彼らに向けて神様は、“わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。”と語っておられる。この神様の愛に理由は要らなかったのだ。ただ彼らの‘存在’そのものを愛する、そういう完全な愛そのものであるお方であるからだ。    この愛を見て、習っていこうとしても、間違いなく私たちにはできない。多分、神様もその事実を存じておられるだろう。しかし、だからこそ神様は今日、愛するための理由が必要な私たちのために、自分を愛し、他の人を愛せる理由を共に与えてくださった。それは、この世のものは比べにもならないほどに高価で、尊いお方が、自分のことを愛しているということであり、他の人々を愛しているということだ。      この世界の全てを創造したお方が自分のことを高価で、尊い者とし、愛してくださっているのに、自分自身を愛するために他にどんな理由が必要だろうか。そのお方が自分の隣の人々を高価で、尊い者とし、彼らを愛しておられるのに、彼らを愛するために他にどんな理由が必要だろうか。 https://youtu.be/uYlFwijOz3g?si=IbbwDxgdf6nVyJrd

【사랑할 이유】 20230915 (금) 에다가와 사랑의교회 최종석 전도사

이사야 43:4 43:4 네가 내 눈에 보배롭고 존귀하며 내가 너를 사랑하였은즉 내가 네 대신 사람들을 내어 주며 백성들이 네 생명을 대신하리니  ‘사랑하는데 이유가 필요해?’ 어딘가의 만화나 드라마에서 흔히 등장하는 가슴 설레는 대사, 그러나 곰곰이 잘 생각해보면, 우리는 사랑하는데 이유가 필요한 것 같다.    인간관계에 있어서도 말이 잘 통하고, 궁합이 잘 맞는 사람과 지내고 싶은 것이…

9月 黙想 【廉恥不顧】 20230914 (木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

  聖書に関心を持ったある留学生と会った。よく集中して聞いてくれて楽しくて有益な対話を交わした。その一方で、青年は少し慎重になっているようだった。聖書の勉強に参加することにしたが、その後肯定的な反応ができなければ、人々に失望を与えたり、失礼を犯すのではないかと心配をしていた。   私は知っている通り、そして信じている通りに答えた。「人が信じたいと言って信じられるわけではなく、信じたくないからといって信じないわけでもないです。ただ主イエス·キリストの福音を伝えられる機会に感謝するだけです。」 それは本気だった。信じる、信じないは私の手にはない。私にはきちんと伝えるかどうかの問題があるだけだった。   そういえば、青年は、礼儀正しく、廉恥のある人のようだった。好意に対して失望させたくない慎重さを持っていたし、昼休みに訪ねてきただけで申し訳ないと思っていた。ところが、ある意味では、クリスチャンとは実に廉恥知らずの人々ではないか。罪は自分が犯したが、神様の子が十字架にかけられ、それによって救われたと信じるが、十字架の前で涙一滴落とさない人ではないか。   もちろん、人は廉恥を重んじなければならない。恵みで受ける救いとすべてのことに責任が伴う社会的な道理を混同してはならない。明らかなことは、救いは罪人が廉恥知らずに受ける恵みであるということだ。「廉恥不顧」は、恥を顧みないという言葉である。資格はないが、大胆に受けることである。「お言葉はありがたいですが、私は大丈夫です!」救いは廉恥で遠慮することではない。こう言わなければならない。「御言葉であれば私が救われます。」 あの兄弟にも救いの恵みが望まれるように。

9월 묵상 【염치불고하고】 20230914(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

  성경에 관심을 가진 한 유학생과 만났다. 내가 유학생이었던 시절에 전도자들에게 거칠었던 것에 비하면 그 청년은 교양 있고 훌륭했다. 잘 집중해서 들어주었고 즐겁고 유익한 대화를 나누었다. 그러면서도 청년은 약간 조심스러워하는 것 같았다. 성경공부에 참가하기로 했지만 그 이후에 긍정적인 반응을 하지 못한다면 사람들에게 실망을 주거나 실례를 범하게 되는 것이 아닌지 걱정이 된다는 것이다.   나는 아는…

9月 黙想 【熟成と成熟】 20230913 (水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

  まだ日差しが熱いが、夏のものとは違う。少し穏やかになった。この日差しの下で何かが熟しつつあることが感じられる。夏が情熱の季節なら、秋は成熟の季節だ。成熟と裏返して使う熟成という言葉がある。熟成はあせらずじっと寝かせることである。その間に中身が熟され、深い味が入る。   化学的には自然状態で食べ物の分子が分解され、変形することが熟成である。熟成の経験をしてきたのは、熟成前のものとは味が違う。努力してみて願ってみても、自分の思い通りにはいかないと、その時に心が熟成される。心の分子構造が分解されるのだ。腐心という言葉もある。心が腐るということだ。熟成するためには、心を腐らなければならない。心を腐らせる腐心を通り、心の構造が分解され、解体される熟成を過ぎると、それが成熟である。   私たちは皆その過程を通っていく。意地を張らず、知らんぶりをしないならば、皆が熟成の時を通り、ある日、秋に似て成熟を成す。朝は涼しくなり,夕方には草虫の音が聞こえ始める。秋には一歩でも私の魂が成熟することを祈る。