9월 묵상 【밥상】 20230912(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

  요리라고 할 정도는 아니지만 음식 만드는 것을 좋아한다. 음식을 만드는 것을 좋아한다는 말은 내가 만든 음식을 누군가에게 먹이는 것을 좋아한다는 말이기도 하다. 그래서 요리의 첫 번째 동기는 누군가에게 먹이기 위한 것이다. 좋은 음식점이란 음식을 많이 팔아 더 많은 돈을 벌려는 곳이 아니라, 배고픈 손님이 맛있게 먹을 수 있는 음식을 제공하는 곳이다. 그 결과로 돈을…

9月 黙想 【情緒と人格】 20230911 (月) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

  故郷の釜山には行く用がなくなった。釜山に残っている友人や親戚はいるが、わざわざ時間を作ることは難しい。釜山が故郷だと思ってきたわけですが、釜山という故郷は地域ではなく、釜山に住んでいた親が故郷だったわけだ。親がいなくなってからは行く用がない。親に会うという人格的な関係のないただ物理的な空間としての釜山はそれほど懐かしいところでもない。親が孤独と苦痛に死んでいった町に戻るのはかえって悲しいことであり、幼い私を育てていた若い親を思い出さたら、歳月が無常で心は虚しかった。 幼い頃の跡も残っていない韓国の都市で育った世代に故郷なんかはない。故郷の情緒と家族の人格という関係には確かに共通集合があるはずだが、必ずしも一致するようでもない。   教会はどんなところだろうか?故郷で感じる情緒のようなものなのか、それとも父なる神と言葉をもって交わる人格があるところなのか。二つを区分して線を引くのは難しそうだが、それでも気になるところがある。教会に行くと、気が楽という人がいる。韓国の教会が数十年間作り出した教会の文化と情緒に長い間に慣れてきた人は教会の雰囲気が好きになる。しかし、それは相対的なものである。初めて教会に入った時、私は教会の情緒に安定感を感じなかった。悪いとは思わなかったが、慣れてない教会の雰囲気は自分のものではなかったからなじまなかった。   神様との人格的な関係がなくても故郷のような見慣れた情緒があり、それを親しく感じることができれば、それは人格ではなく、情緒であるかも知れない。もし、親と話し合いができるなら、その空間は釜山の家でなくてもいい。もちろん実家ならもっといいけど、話し合いができなければ空間の意味は大切ではない。神様の御言葉と交わるという人格がなく、時代と人が作り上げた情緒ならその有効期間はいつまで続くだろうか?たとえ、教会が故郷の実家のようだとしても、親と向かい合って話し合いができなければ、そこに訪れることはなくなっていくだろう。

9월 묵상 【정서와 인격】 20230911(월) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

  고향인 부산에는 갈 일이 없어졌다. 부산에는 남아있는 친구와 친지들이 있지만, 일부러 시간을 내기는 어려웠다. 부산이 고향인 줄 알고 살았는데 부산이라는 지역이 아니라 부산에 살던 부모가 고향이었나 보다. 부모가 없으니 갈 일이 없다. 부모를 만난다는 인격적 관계가 없는 물리적 공간으로서의 부산은 그다지 그리운 곳도 아니다. 부모가 외롭고 고통스럽게 죽어갔던 동네로 돌아가는 것은 오히려 슬픈 일이었고,…

【今を生きていくこと】 20230908 (金) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

マタイの福音書 25:21 25:21 主人は彼に言った『よくやった。良い忠実なしもべだ。おもえはわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』  日本宣教という召しをもって日本に来た。日本宣教は今まで多くの宣教師の献身にもかかわらず、福音化ができていない国、全世界の宣教師たちの間では“宣教師の墓場”と呼ばれる国であることも知っていたが、ただ神様の召し、その一つを捕まえて献身を決心した。    このように大変なところに召されたからこそ、さらに頑張って備えなければならないと思った。日本人も違和感を感じないほどに日本語をうまく話さなければならないと思って、いつも日本語を口にした。日本語で聖書を読み、日本語でお祈りをしながら日本のための奉仕に備えていった。しかし、突然、頭の中に一つの問いが浮かんで、頭の中から離れなかった。    “今、自分は枝川愛の教会のためになにをしているか。”     そして、すぐ今まで自分が間違っていたと気づいた。このままではいけないと思った。ここまで思いついてからこそ久々に韓国語聖書を開いて、自分に一番馴染んでいる言い方、言葉で神様に祈ることができた。悔い改めることができた。将来の日本教会のためではなく、今の枝川愛の教会のために心を尽くして祈ることができた。    日本宣教ということは、自分にとって非常に大きく、大事なことであり、きっと、それは神様にとっても同じだと思う。しかし、今遣わされているところを忠実に生きていない自分が、将来に遣わされるところで忠実に生きていけるか、今、この場所は自分にとって、そして、神様にとって大事なことではないと言うのか。    将来を考え、備えることは実に大事なことだ。しかし、その将来を迎えるためには今を生きていかなければならない。将来の夢とは違う今の状況を見て、まだまだだと、その日のために待つ時にしか思わないのは、今を生きていかないと来ない将来を眺めるだけの話だ。    ユダヤ人たちにとって、イエス様は彼らが想像してきたメシアとはずいぶん違った。だからこそ彼らは、すでに来ておられるメシアに背けて、今もなお自分たちのメシアを待ちながら生きている。いつか自分にも、日本語を必要とする神様から任せられた魂たちが来るかも知れない。しかし、その日だけを見つめ、今任せられた一人一人の魂に向けて怠りにするのは、イエス様に背け、まだ自分たちのメシアを待っているユダヤ人と違わないだろう。 https://youtu.be/hIYNZMpQF1U?si=N-t3ieliYLsWLCDR

【지금을 살아 간다는 것】 20230908 (금) 에다가와 사랑의교회 최종석 전도사

마태복음 25:21 25:21 그 주인이 이르되 잘하였도다 착하고 충성된 종아 네가 적은 일에 충성하였으매 내가 많은 것을 네게 맡기리니 네 주인의 즐거움에 참여할지어다 하고  일본 선교라는 소명을 가지고 일본에 오게 되었다. 일본 선교는 지금까지 수많은 선교사들의 헌신에도 불구하고 복음화가 이루어지지 않은 지역, 전 세계의 선교사들 사이에서 ‘선교사의 무덤’ 이라고 불리는 곳이라는 것을 알면서도, 그저 부르심…

9월 묵상 【한 발 물러서는 것】 20230907(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

  생노병사(生老病死)는 태어나고 늙고 병들고 죽어야 하는 인생의 사이클에 대해서 말한 것이고, 희노애락(喜怒哀楽)은 인생에서 경험하는 기쁨과 노여움과 슬픔과 즐거움이라는 감정에 대해서 말한 것이다. 근사한 철학적 말 같지만, 삶에서 경험하는 실제적인 것은 고상하지만은 않다. 노여움의 각론에 들어가 보면 그 안에는 짜증과 삐짐, 질투와 미움과 같은 훨씬 실제적이고 치사한 것이 들어 있다. 감정이라는 것은 합리적이지 않다. 혹시…

9月 黙想 【主が語るとき】 20230906 (水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

  6月にオーストラリア、米国、フィリピン、韓国、日本各地から学生たちが日本宣教探訪(ニューソンジャパン)に来た時、使徒の働きのコルネリウスに関する内容で説教した。コルネリウスの出来事は福音伝道の対象から除外されていた外国人に福音が開かれることである。学生たちがチームを組んで昨年、初の宣教探訪でラオスを訪問した時、現地宣教師から同じ本文で説教を聞いたという。 チームはそれを覚えて驚いた。 黙想のポイントが与えられたわけである。   神様が語られるときには集中しなければならない。神様は御言葉に耳を傾ける人に繰り返してメッセージを語り、思い出させたりして、より真剣な黙想に導いていく。それが約束になったり、約束になったら必ず実現される。アンテナを立てて鋭意注視して神様の御言葉を聞かなければならない。オーストラリアから来た学生たちにした私の証言のタイトルもアンテナだった。アンテナを立てて周波数を合わせれば、神様の声が聞こえる。   8月、忠峴教会2番目の宣教チームが働きを終えて帰る日の朝、礼拝でルカの福音書をもって長血の女性の内容で説教した。チームのメンバーの中に持病がある女性執事が一人いた。もしチームの邪魔にならないか心配していて宣教チームへの参加をためらっていたという。そんな中、御言葉を読むうちに長血の女性を慰め、娘よと呼んでくださったイエス様のお話を読み、それをチームと共有した後に日本に来るようになったと言った。その執事は働きを終えた最後の日の朝、娘よと呼んでくださったイエス様の慰めをもう一度聞いた。御言葉から神様を見つけて泣きながら韓国に帰った。耳を傾けると神様の声が聞こえ、神様の働きをすると神様が見える。御言葉に従って生きると、人生に物語が生まれる。それが神様と同行する人生ではないだろうか。

9월 묵상 【하나님이 말씀하실 때】 20230906(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

  지난 6월에 호주, 미국, 필리핀, 한국, 일본 각지에서 학생들이 일본선교탐방(뉴송재팬)을 왔을 때 사도행전의 고넬료에 관한 내용으로 설교했다. 고넬료 사건의 주제는 복음 전도 대상에서 제외되어 있었던 외국인에게 복음이 열리는 사건이다. 학생들이 팀을 이루어 지난해 첫 선교 탐방으로 라오스를 방문했을 때 현지 선교사에게서 같은 본문으로 설교를 들었다고 했다. 팀은 그것을 기억하고 놀라워했다. 묵상의 포인트가 생긴 것이다.…

9月 黙想 【持続可能な恵み】 20230905 (火) 申命記24:18-22 趙鏞吉 牧師

申命記24:18-22 24:18 あなたがエジプトで奴隷であったこと、そしてあなたの神、主が、そこからあなたを贖い出されたことを覚えていなければならない。それゆえ私はあなたに、このことをせよと命じる。24:19 あなたが畑で穀物の刈り入れをして、束の一つを畑に置き忘れたときは、それを取りに戻ってはならない。それは寄留者や孤児、やもめのものとしなければならない。あなたの神、主があなたのすべての手のわざを祝福してくださるためである。24:20 あなたがオリーブの実を打ち落とすときは、後になってまた枝を打ってはならない。それは寄留者や孤児、やもめのものとしなければならない。24:21 ぶどう畑のぶどうを収穫するときは、後になってまたそれを摘み取ってはならない。それは寄留者や孤児、やもめのものとしなければならない。24:22 あなたは、自分がエジプトの地で奴隷であったことを覚えていなければならない。それゆえ私はあなたに、このことをせよと命じる。   街には目玉だけが転がっていた。鼻と口を隠したまま目玉だけを動いていた。コロナの時代には自分で何ができるという自慢の言葉は言えなかった。マスクの中で自分の息をつくことだけで精一杯だった。コロナで死んだ人より自殺で死んだ人がもっと多いと言われた。マスクをつけていないから死んだのではない、息がつけないと言えなかったから窒息して死んでいった。   その間、私たちには教会の建物が与えられた。エジプトと荒野の生活は確かに大変だった。雨風が吹いても子どもたちを入れる部屋さえなくて悲しかったからである。カナンに入って初めて我が家を建てた。ついにコロナが過ぎ去ると、集まってごはんを炊いて一緒に食べた。一緒に食べることほど天国に似たものがあるのかと思った。   我が家で安らぎ、滅びないためには神様に与えられた家であることを覚えなければならなかった。自分のために生きていくと滅びる、しかし、旅人時代を覚え、利他的に生きる。モーセの遺言のような申命記には、受けた恵みを覚え、欲張らずに分けなさいと命令している。かごに入れずに、かごから出しなさいということである。それは制限ではない、持続可能な恵みのための約束であった。

9월 묵상 【지속가능한 은혜】 20230905(화) 신명기24:18-22 조용길 목사

신명기24:18-2224:18 너는 애굽에서 종이 되었던 일과 네 하나님 여호와께서 너를 거기서 속량하신 것을 기억하라 이러므로 내가 네게 이 일을 행하라 명하노라24:19 네가 밭에서 곡식을 벨 때에 그 한 뭇을 밭에 잊어버렸거든 다시가서 취하지 말고 객과 고아와 과부를 위하여 버려두라 그리하면 네 하나님 여호와께서 네 손으로 하는 범사에 복을 내리시리라24:20 네가 네 감람나무를 떤 후에 그…