使徒の働き 黙想47 【弁明と証明】 20230825 (金) 枝川愛の教会 使徒の働き 26章24-32

使徒の働き 26章 24-32 26:24 パウロがこのように弁明していると、フェストゥスが大声で言った。「パウロよ、おまえは頭がおかしくなっている。博学がおまえを狂わせている。」 26:25 パウロは言った。「フェストゥス閣下、私は頭がおかしくはありません。私は、真実で理にかなったことばを話しています。 26:26 王様はこれらのことをよくご存じですので、その王様に対して私は率直に申し上げているのです。このことは片隅で起こった出来事ではありませんから、そのうちの一つでも、王様がお気づきにならなかったことはない、と確信しています。 26:27 アグリッパ王よ、王様は預言者たちを信じておられますか。信じておられることと思います。」 26:28 するとアグリッパはパウロに、「おまえは、わずかな時間で私を説き伏せて、キリスト者にしようとしている」と言った。 26:29 しかし、パウロはこう答えた。「わずかな時間であろうと長い時間であろうと、私が神に願っているのは、あなたばかりでなく今日私の話を聞いておられる方々が、この鎖は別として、みな私のようになってくださることです。」 26:30 王と総督とベルニケ、および同席の人々は立ち上がった。 26:31 彼らは退場してから話し合った。「あの人は、死や投獄に値することは何もしていない。」 26:32 また、アグリッパはフェストゥスに、「あの人は、もしカエサルに上訴していなかったら、釈放してもらえたであろうに」と言った。  パウロは当時のユダヤの支配者たちの前で自分のことを‘弁明’しました。しかし、彼の弁明は私たちが知っている弁明とは少し違うようです。彼は自分の目の前に直面している困難を避けるための説明、自分に有利な証言をしたのではなく、むしろ、その状況を悪化させる弁明、自分になさったイエス・キリストのことを表しました。彼はその場で自分を通してイエス・キリストを‘証明’したのです。   ダマスコでイエス様と出会ってから、今まで使徒パウロの生き方は‘イエス・キリストに似ている生き方’でした。彼は自分の生き方を通してイエス・キリストを表していたのです。今、私たちのことを振り返れば、そこには何が表しているでしょうか。    パウロはこの世が問う‘君はクリスチャンなのか。’という質問に、自分の生き方を通して自分がクリスチャンであることを‘証明’しました。そして、この世は今、私たちにも同じ質問を問っています。‘あなたがたはクリスチャンなのか。’という質問に私たちは、もしかしたら、私たちがクリスチャンであることを表すために‘弁明’しなければならないかも知れません。    クリスチャンの目標はイエス・キリストに似た者になることです。その姿を通して、その根源になるイエス・キリストを表し、宣べ伝えることです。イエス・キリストに出会ってからの私の生き方を振り返ると、そこにイエス・キリストだけが表れる生き方、イエス・キリストを証明する生き方になりたいと思います。  https://youtu.be/1zt_jiZA-mk?si=TWxYb6_iS_OTE5lS

사도행전 묵상47 【변명과 증명】 20230825 (금) 사도행전 26장 24-32

사도행전 26장 24-32 26:24 바울이 이같이 변명하매 베스도가 크게 소리 내어 이르되 바울아 네가 미쳤도다 네 많은 학문이 너를 미치게 한다 하니 26:25 바울이 이르되 베스도 각하여 내가 미친 것이 아니요 참되고 온전한 말을 하나이다 26:26 왕께서는 이 일을 아시기로 내가 왕께 담대히 말하노니 이 일에 하나라도 아시지 못함이 없는 줄 믿나이다 이 일은 한쪽…

使徒の働き 黙想46 【パウロを変えたこと】 20230824 (木) 枝川愛の教会 使徒の働き 26章13~23

使徒の働き 26章13~2326:13 その途中のこと、王様、真昼に私は天からの光を見ました。それは太陽よりも明るく輝いて、私と私に同行していた者たちの周りを照らしました。26:14 私たちはみな地に倒れましたが、そのとき私は、ヘブル語で自分に語りかける声を聞きました。『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。とげの付いた棒を蹴るのは、あなたには痛い。』26:15 私が『主よ、あなたはどなたですか』と言うと、主はこう言われました。『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。26:16 起き上がって自分の足で立ちなさい。わたしがあなたに現れたのは、あなたがわたしを見たことや、わたしがあなたに示そうとしていることについて、あなたを奉仕者、また証人に任命するためである。26:17 わたしは、あなたをこの民と異邦人の中から救い出し、彼らのところに遣わす。26:18 それは彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、こうしてわたしを信じる信仰によって、彼らが罪の赦しを得て、聖なるものとされた人々とともに相続にあずかるためである。』26:19 こういうわけで、アグリッパ王よ、私は天からの幻に背かず、26:20 ダマスコにいる人々をはじめエルサレムにいる人々に、またユダヤ地方全体に、さらに異邦人にまで、悔い改めて神に立ち返り、悔い改めにふさわしい行いをするようにと宣べ伝えてきました。26:21 そのために、ユダヤ人たちは私を宮の中で捕らえ、殺そうとしたのです。26:22 このようにして、私は今日に至るまで神の助けを受けながら、堅く立って、小さい者にも大きい者にも証しをしています。そして、話してきたことは、預言者たちやモーセが後に起こるはずだと語ったことにほかなりません。26:23 すなわち、キリストが苦しみを受けること、また、死者の中から最初に復活し、この民にも異邦人にも光を宣べ伝えることになると話したのです。」   パウロはダマスコスで会ったイエス·キリストをアグリッパ王の前で証しします。パウロの証言を聞いてみると、パウロは確かに人生が変わりました。しかし、パウロの変化というのは、人生の目的を以前のままにして教会だけ通うような形だけの変化ではありませんでした。福音によって変わったということは教会に出席したり、以前よりう少しいい人になったという意味ではありません。人生の追い求める価値と方向が転換することです。   福音というのは、学習を通じて知的に理解できるようなものではありません。福音は神様が悲惨な一人の人間に来られ、出会ってくださる人格的な経験です。聖徒の献身というのは、そのような福音に出会った結果です。献身ができないということは、まだ福音を知的にしか知らないからです。パウロの人生は既得権者から迫害を受ける立場に変わりましたが、それも信仰の告白と献身の結果です。単純です。言わざるを得ないから言い続ける、それがもたらす結果も受け入れざる得ません。   自分を変えた証し···何が変わったのでしょう?教会に通うことになりましたか?もっと優しくなりましたか?もっといい人になりましたか?それは形であり、一部分に過ぎず、実際ではありません。 パウロは昔も今も熱心です。イエス・キリストを信じたから熱心に働いたのではなく、もともと熱心に生きていた人です。ただ、何のために熱心だったのかが大切です。福音を信じてそれを伝え続ける人生に変化したのがパウロの証しです。パウロには確かに偉大なもの、素晴らしいものがたくさんありますが、それらのすべてはイエス·キリストの出会いから始まります。    

사도행전 묵상46 【바울을 바꾼 것】 20230824(목) 사도행전 26장13~23

사도행전 26장13~2326:13 왕이여 때가 정오나 되어 길에서 보니 하늘로서 해보다 더 밝은 빛이 나와 내 동행들을 둘러 비추는지라26:14 우리가 다 땅에 엎드러지매 내가 소리를 들으니 히브리 방언으로 이르되 사울아 사울아 네가 어찌하여 나를 핍박하느냐 가시채를 뒷발질하기가 네게 고생이니라26:15 내가 대답하되 주여 뉘시니이까 주께서 가라사대 나는 네가 핍박하는 예수라26:16 일어나 네 발로 서라 내가 네게 나타난…

使徒の働き 黙想45 【アグリッパの前で証し】 20230823 (水) 枝川愛の教会 使徒の働き 26章1~12

使徒の働き 26章1~1226:1 アグリッパはパウロに向かって、「自分のことを話してよろしい」と言った。そこでパウロは、手を差し出して弁明し始めた。26:2 「アグリッパ王よ。私がユダヤ人たちに訴えられているすべてのことについて、今日、王様の前で弁明できることを幸いに思います。26:3 特に、王様はユダヤ人の慣習や問題に精通しておられます。ですから、どうか忍耐をもって、私の申し上げることをお聞きくださるよう、お願いいたします。26:4 さて、初めから同胞の間で、またエルサレムで過ごしてきた、私の若いころからの生き方は、すべてのユダヤ人が知っています。26:5 彼らは以前から私を知っているので、証言しようと思えばできますが、私は、私たちの宗教の中で最も厳格な派にしたがって、パリサイ人として生活してきました。26:6 そして今、神が私たちの父祖たちに与えられた約束に望みを抱いているために、私はここに立って、さばかれているのです。26:7 私たちの十二部族は、夜も昼も熱心に神に仕えながら、その約束のものを得たいと望んでいます。王よ。私はこの望みを抱いているために、ユダヤ人から訴えられているのです。26:8 神が死者をよみがえらせるということを、あなたがたは、なぜ信じがたいこととお考えになるのでしょうか。26:9 実は私自身も、ナザレ人イエスの名に対して、徹底して反対すべきであると考えていました。26:10 そして、それをエルサレムで実行しました。祭司長たちから権限を受けた私は、多くの聖徒たちを牢に閉じ込め、彼らが殺されるときには賛成の票を投じました。26:11 そして、すべての会堂で、何度も彼らに罰を科し、御名を汚すことばを無理やり言わせ、彼らに対する激しい怒りに燃えて、ついには国外の町々にまで彼らを迫害して行きました。26:12 このような次第で、私は祭司長たちから権限と委任を受けてダマスコへ向かいましたが、   アグリッパがパウロを尋問すると、パウロは自分がイエス·キリストに出会った証しを始めます。パウロの話は、復活から始まります。パウロは世に対して神様がなさったキリストの復活を証した後、自分が出会った復活の主・イエスキリストを証します。復活から始まるということは、説明するものではなく、説得するものでもありません。ただ宣言するものです。神様を証しするということは、宣言することでなければなりません。   個人的な経験ほど力強い伝道はありません。「伝道」が共感するには、自分であるという「伝導体」が必要です。私の人生を投影して照らす神様でなければ、結局伝えることはできないでしょう。伝道は学んだ教理を繰り返すものではなく、教会に人を導いてくるものでもありません。いつでも、どこでも、誰にでも私が出会ったイエスを言えることです。   私たちは伝道できるかと自問してみなければなりません。それは、自分の信仰の現状を確認することでもあります。自分にイエス・キリストに出会った話があるかを確認しなければならず、イエス·キリストの復活を自信を持って宣言できるかを確認しなければなりません。   パウロが自分の人生を伝道者として生きることができたのは伝道したからです。証しをし、伝道したから、その中にある信仰が生きているものでした。信仰がないから伝道しないものではありません。伝道しないから信仰が分からないのです。口を開けて私を救った私の神を誇り、イエス·キリストの復活を宣言して生きたいと思います。

사도행전 묵상45 【아그립바 앞에서 간증】 20230823(수) 사도행전 26장1~12

사도행전 26장1~1226:1 아그립바가 바울더러 이르되 너를 위하여 말하기를 네게 허락하노라 하니 이에 바울이 손을 들어 변명하되26:2 아그립바왕이여 유대인이 모든 송사하는 일을 오늘 당신 앞에서 변명하게 된 것을 다행히 여기옵나이다26:3 특히 당신이 유대인의 모든 풍속과 및 문제를 아심이니이다 그러므로 내 말을 너그러이 들으시기를 바라옵나이다26:4 내가 처음부터 내 민족 중에와 예루살렘에서 젊었을 때 생활한 상태를 유대인이 다…

使徒の働き 黙想44 【福音の罪名】 20230822 (火) 枝川愛の教会 使徒の働き 25章13~27

使徒の働き 25章13~2725:13 数日たって、アグリッパ王とベルニケが、フェストゥスに敬意を表するためにカイサリアに来た。25:14 二人がそこに何日も滞在していたので、フェストゥスはパウロの件を王に持ち出して、次のように言った。「フェリクスが囚人として残して行った男が一人います。25:15 私がエルサレムに行ったとき、祭司長たちとユダヤ人の長老たちが、その男のことを私に訴え出て、罪に定めるよう求めました。25:16 そこで、私は彼らにこう答えました。『訴えられている者が、告発する者たちの面前で訴えについて弁明する機会が与えられずに、引き渡されるということは、ローマ人の慣習にはない。』25:17 それで、訴える者たちがともにこちらに来たので、私は時を移さず、その翌日に裁判の席に着いて、その男を出廷させました。25:18 告発者たちは立ち上がりましたが、彼について私が予測していたような犯罪についての告発理由は、何一つ申し立てませんでした。25:19 ただ、彼と言い争っている点は、彼ら自身の宗教に関すること、また死んでしまったイエスという者のことで、そのイエスが生きているとパウロは主張しているのです。25:20 このような問題をどう取り調べたらよいか、私には見当がつかないので、彼に『エルサレムに行き、そこでこの件について裁判を受けたいか』と尋ねました。25:21 するとパウロは、皇帝の判決を受けるまで保護してほしいと訴えたので、彼をカエサルのもとに送る時まで保護しておくように命じました。」25:22 アグリッパがフェストゥスに「私も、その男の話を聞いてみたいものです」と言ったので、フェストゥスは、「では、明日お聞きください」と言った。25:23 翌日、アグリッパとベルニケは大いに威儀を正して到着し、千人隊長たちや町の有力者たちとともに謁見室に入った。そして、フェストゥスが命じると、パウロが連れて来られた。25:24 フェストゥスは言った。「アグリッパ王、ならびにご列席の皆さん、この者をご覧ください。多くのユダヤ人たちがみな、エルサレムでもここでも、もはや生かしておくべきではないと叫び、私に訴えてきたのは、この者です。25:25 私の理解するところでは、彼は死罪に当たることは何一つしていません。ただ、彼自身が皇帝に上訴したので、私は彼を送ることに決めました。25:26 ところが、彼について、わが君に書き送るべき確かな事柄が何もありません。それで皆さんの前に、わけてもアグリッパ王、あなたの前に、彼を引き出しました。こうして取り調べることで、何か私が書き送るべきことを得たいのです。25:27 囚人を送るのに、訴える理由を示さないのは、道理に合わないと思うのです。」   ユダヤ人はパウロを殺せと言い、ローマ市民権を持ったパウロは控訴しました。皇帝に行かなければなりません。新任総督フェストゥスは困りました。そこでフェストゥスは就任祝いのために訪れたアグリッパ王に助けを求めます。ユダヤをよく知っているアグリッパに皇帝に送るパウロの罪目を何にするかについて話し合ったものです。   宣教師の罪名は何に定めなければならないのでしょうか?宣教師は福音を伝えたはずですが、それでは福音の罪名は何でしょうか?体制を脅かし、既得権を脅かすというのが迫害の理由でしょう。ユダヤ人はユダヤの体制を脅かす福音を迫害し、ローマも成長していたキリスト教を迫害しましたが、迫害できなくなった時、キリスト教を体制として受け入れる方法で自分たちの体制を維持しました。   当時の教会はまだ宗教的体制を整えていませんでしたが、周辺はそれが勢力化しつつあることを恐れていました。それが恐いのは私たちも同じです。キリスト教が勢力化され政治化されれば、外部の迫害よりも先に内部の堕落を始めるからです。迫害と危機の中でパウロが伝えた純粋な福音が常に私たちの中にあることを願います。

사도행전 묵상44 【복음의 죄명】 20230822(화) 사도행전 25장13~27

사도행전 25장13~27행25:13 수일 후에 아그립바왕과 버니게가 베스도에게 문안하러 가이샤랴에 와서행25:14 여러 날을 있더니 베스도가 바울의 일로 왕에게 고하여 가로되 벨릭스가 한 사람을 구류하여 두었는데행25:15 내가 예루살렘에 있을 때에 유대인의 대제사장들과 장로들이 그를 고소하여 정죄하기를 청하기에행25:16 내가 대답하되 무릇 피고가 원고들 앞에서 고소 사건에 대하여 변명할 기회가 있기 전에 내어주는 것이 로마 사람의 법이 아니라 하였노라행25:17…

使徒の働き 黙想43 【信じない理由】 20230821 (月) 枝川愛の教会 使徒の働き 24章24~25章12

使徒の働き 24章24~25章1224:24 数日後、フェリクスはユダヤ人である妻ドルシラとともにやって来て、パウロを呼び出し、キリスト・イエスに対する信仰について話を聞いた。24:25 しかし、パウロが正義と節制と来たるべきさばきについて論じたので、フェリクスは恐ろしくなり、「今は帰ってよい。折を見て、また呼ぶことにする」と言った。24:26 また同時に、フェリクスにはパウロから金をもらいたい下心があったので、何度もパウロを呼び出して語り合った。24:27 二年が過ぎ、ポルキウス・フェストゥスがフェリクスの後任になった。しかし、フェリクスはユダヤ人たちの機嫌を取ろうとして、パウロを監禁したままにしておいた。25:1 フェストゥスは、属州に到着すると、三日後にカイサリアからエルサレムに上った。25:2 すると、祭司長たちとユダヤ人のおもだった者たちが、パウロのことを告訴した。25:3 そして、パウロの件で自分たちに好意を示し、彼をエルサレムに呼び寄せていただきたいと、フェストゥスに懇願した。待ち伏せして、途中でパウロを殺そうとしていたのである。25:4 しかしフェストゥスは、パウロはカイサリアに監禁されているし、自分も間もなく出発する予定であると答え、25:5 「その男に何か問題があるなら、おまえたちの中の有力者たちが私と一緒に下って行って、彼を訴えればよい」と言った。25:6 フェストゥスは、彼らのところに八日か十日ほど滞在しただけで、カイサリアに下り、翌日、裁判の席に着いて、パウロの出廷を命じた。25:7 パウロが現れると、エルサレムから下って来たユダヤ人たちは彼を取り囲んで立ち、多くの重い罪状を申し立てた。しかし、それを立証することはできなかった。25:8 パウロは、「私は、ユダヤ人の律法に対しても、宮に対しても、カエサルに対しても、何の罪も犯してはいません」と弁明した。25:9 ところが、ユダヤ人たちの機嫌を取ろうとしたフェストゥスは、パウロに向かって、「おまえはエルサレムに上り、そこでこれらの件について、私の前で裁判を受けることを望むか」と尋ねた。25:10 すると、パウロは言った。「私はカエサルの法廷に立っているのですから、ここで裁判を受けるのが当然です。閣下もよくご存じのとおり、私はユダヤ人たちに何も悪いことをしていません。25:11 もし私が悪いことをし、死に値する何かをしたのなら、私は死を免れようとは思いません。しかし、この人たちが訴えていることに何の根拠もないとすれば、だれも私を彼らに引き渡すことはできません。私はカエサルに上訴します。」25:12 そこで、フェストゥスは陪席の者たちと協議したうえで、こう答えた。「おまえはカエサルに上訴したのだから、カエサルのもとに行くことになる。」   パウロはエルサレムで逮捕され、カイサリアに移送されました。当時ローマから派遣された総督はフェリクスでした。フェリクスは不義の政治家でしたが、パウロが伝える福音に聞いて恐れていました。恐れたということはきちんと聞いたことだと思います。ところが、フェリクスは優柔不断にパウロを拘留状態で2年間を放置することになります。彼は福音を聞いて恐れていましたが、政治的計算を超えて判断することはしませんでした。   人々がイエス・キリストを信じない理由はさまざまです。私たちは信じる、もしくは信じないことを宗教的な理由であると思いますが、よく観察してみると、純粋な意味の宗教的な理由ではないことが分かります。信仰に入るために、まず経済的な理由、政治的な理由、社会的な理由を計算します。時間と財政を計算してみて、損害や負担が大きくなれば、信じることをやめます。福音が福音になるためにはイエス·キリストの犠牲が必要であり、宣教が宣教になるためにはパウロのような宣教師の献身がなければならないです。それが伝わっても電卓を下ろさない人は決して信じません。   ジョン·ストットの『山上の説教』の一部を引用して黙想を終わりいします。「私たちが求めなければならない理由は、求めなければ神様が知らないからではなく、また私たちが神様を説得しなければならないからでもありません。それは神様に関わっているものではなく、私たちに関わっているものです。問題は神様の方がくださる準備ができているかどうかではなく、私たちが受け取る準備ができているかの問題です。」

사도행전 묵상43 【믿지 않는 이유】 20230821(월) 사도행전 24장24~25장12

사도행전 24장24~25장1224:24 수일 후에 벨릭스가 그 아내 유대 여자 드루실라와 함께 와서 바울을 불러 그리스도 예수 믿는 도를 듣거늘24:25 바울이 의와 절제와 장차 오는 심판을 강론하니 벨릭스가 두려워하여 대답하되 시방은 가라 내가 틈이 있으면 너를 부르리라 하고24:26 동시에 또 바울에게서 돈을 받을까 바라는고로 더 자주 불러 같이 이야기하더라24:27 이태를 지내서 보르기오 베스도가 벨릭스의 소임을 대신하니…