マタイ黙想3【ゲツセマネの祈り】-自分の十字架の確認-枝川愛の教会 20230405

マタイの福音書 26:36~5026:36 それから、イエスは弟子たちと一緒にゲツセマネという場所に来て、彼らに「わたしがあそこに行って祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。 26:37 そして、ペテロとゼベダイの子二人を一緒に連れて行かれたが、イエスは悲しみもだえ始められた。 26:38 そのとき、イエスは彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここにいて、わたしと一緒に目を覚ましていなさい。」 26:39 それからイエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈られた。「わが父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしが望むようにではなく、あなたが望まれるままに、なさってください。」 26:40 それから、イエスは弟子たちのところに戻って来て、彼らが眠っているのを見、ペテロに言われた。「あなたがたはこのように、一時間でも、わたしとともに目を覚ましていられなかったのですか。26:41 誘惑に陥らないように、目を覚まして祈っていなさい。霊は燃えていても肉は弱いのです。」 26:42 イエスは再び二度目に離れて行って、「わが父よ。わたしが飲まなければこの杯が過ぎ去らないのであれば、あなたのみこころがなりますように」と祈られた。 26:43 イエスが再び戻ってご覧になると、弟子たちは眠っていた。まぶたが重くなっていたのである。 26:44 イエスは、彼らを残して再び離れて行き、もう一度同じことばで三度目の祈りをされた。 26:45 それから、イエスは弟子たちのところに来て言われた。「まだ眠って休んでいるのですか。見なさい。時が来ました。人の子は罪人たちの手に渡されます。 26:46 立ちなさい。さあ、行こう。見なさい。わたしを裏切る者が近くに来ています。」 26:47 イエスがまだ話しておられるうちに、見よ、十二人の一人のユダがやって来た。祭司長たちや民の長老たちから差し向けられ、剣や棒を手にした大勢の群衆も一緒であった。 26:48 イエスを裏切ろうとしていた者は彼らと合図を決め、「私が口づけをするのが、その人だ。その人を捕まえるのだ」と言っておいた。26:49 それで彼はすぐにイエスに近づき、「先生、こんばんは」と言って口づけした。 26:50 イエスは彼に「友よ、あなたがしようとしていることをしなさい」と言われた。そのとき人々は近寄り、イエスに手をかけて捕らえた。 十字架の苦難が近づいてきています。イエス様はゲッセマネで必死に祈りました。イエス様が肉体の不安と恐怖を持っていた時、弟子たちはその苦痛を共にすることができませんでした。なぜならイエス様が死ぬほど祈っていた時、弟子たちは死ぬほど眠かったからです。しかし、イエス様が祈ったことも、弟子たちが眠ったことも肉体の弱さのゆえです。イエス様が苦痛を恐れたのは完全なる人間として受肉し、肉体を持ったからであり、弟子たちが眠りの陥ったことも眠らずには耐えられない肉体を持ったからです。   実際、弟子たちは何を祈らなければならないのかまだ分かっていません。イエス様が具体的な祈り課題を与えたこともないです。これまでイエス様が弟子たちを助けただけで、弟子たちがイエス様を助けたことはなかったのです。すでに十字架が近づいていますが、弟子たちはイエス様が十字架にかけられることを知らなかったし、ユダがイエス様を売るということも知りませんでした。弟子たちは十字架の仲間ではありませんでした。十字架はただイエス様に近づいてきています。   その当時、イエス様は確かに弟子たちに人間的に頼られたと思います。苦痛は恐いですが、一人で負う苦痛はさらに恐ろしいです。イエス様の血が汗のように流れたということは、十字架の恐怖がどれほどのものだったかを物語っています。十字架は神の御子のみが負うことを、神の御子であるイエス様は知っていました。祈りはそれを確認することでした。   恐くない使命はありません。恐いけど与った使命があるため勇気を出すのです。弟子たちもいつかは各自、自分の十字架を負うことになりますが、今は違います。使命は各自です。それぞれ自分の時代に自分の十字架を負うことになります。恐くて寂しいですが、自分に与えられた自分だけの十字架を自分の人生の中で、自分の責任の中で負っていかなければなりません。教会の歴史は群衆によるのではなく、自分の十字架を負う人々によって続いていきます。自分の十字架を自分が負けず、口づけで誰かに十字架を負わせた人がユダです。

마태복음 묵상3【겟세마네의 기도】-자기 십자가의 확인- 에다가와 사랑의 교회 20230405

마태복음 26:36~50 26:36이에 예수께서 제자들과 함께 겟세마네라 하는 곳에 이르러 제자들에게 이르시되 내가 저기 가서 기도할 동안에 너희는 여기 앉아 있으라 하시고 26:37 베드로와 세베대의 두 아들을 데리고 가실쌔 고민하고 슬퍼하사 26:38 이에 말씀하시되 내 마음이 심히 고민하여 죽게 되었으니 너희는 여기 머물러 나와 함께 깨어 있으라 하시고 26:39 조금 나아가사 얼굴을 땅에 대시고 엎드려…

マタイの福音書 黙想2【罪の赦しのために流される契約の血】230404(火) 枝川愛の教会

マタイの福音書 26:26~3526:26 また、一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、神をほめたたえてこれを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」26:27 また、杯を取り、感謝の祈りをささげた後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。26:28 これは多くの人のために、罪の赦しのために流される、わたしの契約の血です。26:29 わたしはあなたがたに言います。今から後、わたしの父の御国であなたがたと新しく飲むその日まで、わたしがぶどうの実からできた物を飲むことは決してありません。」26:30 そして、彼らは賛美の歌を歌ってからオリーブ山へ出かけた。26:31 そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたはみな、今夜わたしにつまずきます。『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散らされる』と書いてあるからです。26:32 しかしわたしは、よみがえった後、あなたがたより先にガリラヤへ行きます。」26:33 すると、ペテロがイエスに答えた。「たとえ皆があなたにつまずいても、私は決してつまずきません。」26:34 イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに言います。あなたは今夜、鶏が鳴く前に三度わたしを知らないと言います。」26:35 ペテロは言った。「たとえ、あなたと一緒に死ななければならないとしても、あなたを知らないなどとは決して申しません。」弟子たちはみな同じように言った。   本文は十字架の直前に起こった出来事です。出来事の流れと意味が理解できず、混乱しています。マタイはマタイ福音書を編集する時、その混乱した状況を編集にそのまま適用したようです。だから26章で内容の意味を見分けるのが難しく、まるで意味が分からない禅問答をするようです。イエス様が聖餐式を定めた話から、葡萄集を飲まないと言われ、それからオーリン山に行かれ、ゲッセマネの祈りを始める前にペトロが裏切ることについて予言します。 ペトロはそんなことはないとそれを否定します。   聖餐の制定とペトロの裏切りの予言が本文にくっ付いていることに注目します。イエス様はペトロが裏切ることを知っており、後にその失敗から回復することも知っておられました。恵みはペトロの忠誠か裏切りかというペトロの行動の結果ではなく、まもなくあるべき十字架にあります。イエス様が聖餐を制定してくださったのは、いかなる状況でも依然として有効です。信仰生活には、混乱と失敗と挫折は続いていますが、それを再び原点に戻し、救援の信仰に回復する約束が聖餐なのです。教会があり、聖徒の集まりがあり、礼拝がある限り、聖餐は止まりません。   混乱していた青年時代に信頼する牧師に罪の告白をしたことがあります。その牧師は私が持っている問題を聖餐に持って行きなさいと言われました。そして、私は聖餐に参加して、信仰と献身をリセットしました。それは罪の赦しのために流された契約の血であり、イエス様の約束に基づいていたものでした。

마태복음 묵상2【죄 사함을 얻게하는 언약의 몸과 피】230404(화) 에다가와 사랑의 교회

마태복음 26:26~35 26:26 저희가 먹을 때에 예수께서 떡을 가지사 축복하시고 떼어 제자들을 주시며 가라사대 받아 먹으라 이것이 내 몸이니라 하시고 26:27 또 잔을 가지사 사례하시고 저희에게 주시며 가라사대 너희가 다 이것을 마시라 26:28 이것은 죄 사함을 얻게 하려고 많은 사람을 위하여 흘리는바 나의 피 곧 언약의 피니라 26:29 그러나 너희에게 이르노니 내가 포도나무에서 난 것을…

マタイの福音書 黙想1【香油の壺】230403(月) 枝川愛の教会

Ⅰサムエル 26:6~1626:6 さて、イエスがベタニアで、ツァラアトに冒された人シモンの家におられると、26:7 ある女の人が、非常に高価な香油の入った小さな壺を持って、みもとにやって来た。そして、食卓に着いておられたイエスの頭に香油を注いだ。26:8 弟子たちはこれを見て、憤慨して言った。「何のために、こんな無駄なことをするのか。26:9 この香油なら高く売れて、貧しい人たちに施しができたのに。」26:10 イエスはこれを知って彼らに言われた。「なぜこの人を困らせるのですか。わたしに良いことをしてくれました。26:11 貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいます。しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではありません。26:12 この人はこの香油をわたしのからだに注いで、わたしを埋葬する備えをしてくれたのです。26:13 まことに、あなたがたに言います。世界中どこでも、この福音が宣べ伝えられるところでは、この人がしたことも、この人の記念として語られます。」26:14 そのとき、十二人の一人で、イスカリオテのユダという者が、祭司長たちのところへ行って、26:15 こう言った。「私に何をくれますか。この私が、彼をあなたがたに引き渡しましょう。」すると、彼らは銀貨三十枚を彼に支払った。26:16 そのときから、ユダはイエスを引き渡す機会を狙っていた。   ある女性が香油の壺を割ってイエス様に注ぎました。ヨハネの福音書を参考すると香油を注いだ女性はベタニアに住むマルダとナサロの兄妹であるマリアであり、イエス様に注いだ香油の経済的な価値は300デナリで、労働者の1年分の収入に当たる巨額だそうです。マリアは自分の大切な資産を包装してイエス様にプレゼントしたことではなく、現金に交換してささげたわけでもありません。香油が入った壺を割って再び拾い込めない方法でイエス様に注いで消費しました。そのように消費すると、経済的な価値は残らず消えます。再活用もできません。マリアがこのような非合理的な香油の使い方をしたのは、短い時間でイエス様に抱いていた価値を至急に表すためです。イエス様に仕える機会がそれほど多くないからです。それは私たちも同じです。マリアは霊的な人なので合理性を基準にした消費ではなく、自分の心に従って価値消費をしました。マリアの香油の壺は、旧約の全焼のいけにえを思い出させます。全焼のいけにえというのは、牛や羊をとり、肉を祭壇に乗せて完全燃焼して灰だけを残して焼き尽くす礼拝です。肉が残りません。それをささげものの中で最も献身的なささげもの、全焼のいけにえといいます。心を完全に無にしてささげる礼拝が全焼のいけにえだからです。   香油の壺と全焼のいけにえに対して聖なる浪費と言うことをしばしば聞きますが、聖なるという形容詞をつけても浪費という表現は相応しくないです。なぜならささげた人の心の中には聖なることもなく、浪費もないからです。罪のゆえに悲しみがあるだけで、神様に慕う心があるだけです。聖なる浪費ではなく、切ない愛を最大の表現です。浪費だと思ったのはユダです。イスカリオテ・ユダはこれを無駄だと、浪費だと規定します。財政を効率的に使わなかったと不平を言ったのですが、マリアが自分の香油をどのような用途に使っても、そのためにユダに怒られることではないでしょう。ユダはイエス様の共同体の財政を管理していました。人々がイエス様に献金や寄付をすると、ひとまず自分の手元に入ってきます。ユダの不満はそのお金で多くの貧しい人を助けることができたと言いますが、それは貧しい人を助けるからまず、僕のポケットに入れろということでしょう。愛のために使うお金に効率と合理を問う人の真偽は疑われなければなりません。マリアは本当によくしました。イエス様も彼女を誉めました。すべてが経済的効率に縛られている資本主義のキリスト教に向けて、イエス様は礼拝のことを指摘していると思います。礼拝する時間がない、もったいなくて礼拝に集まらない人、礼拝に使われるお金がない、もったいなくて計算ばかりしている人、いわゆる合理的な消費をすると、自分の魂には効率的でしょうか?「私に何をくれますか。この私が、彼をあなたがたに引き渡しましょう。すると、彼らは銀貨三十枚を彼に支払った。15」計算が早くて合理的だったユダはイエスを銀貨三十枚で売ってしまいました。

마태복음 묵상1【향유 옥합】230403(월) 에다가와 사랑의 교회

마태복음 26:6~1626:6 예수께서 베다니 문둥이 시몬의 집에 계실 때에26:7 한 여자가 매우 귀한 향유 한 옥합을 가지고 나아와서 식사하시는 예수의 머리에 부으니26:8 제자들이 보고 분하여 가로되 무슨 의사로 이것을 허비하느뇨26:9 이것을 많은 값에 팔아 가난한 자들에게 줄 수 있었겠도다 하거늘26:10 예수께서 아시고 저희에게 이르시되 너희가 어찌하여 이 여자를 괴롭게 하느냐 저가 내게 좋은 일을 하였느니라26:11…

Ⅰサムエル 黙想42【サウルの死】230331(金) 枝川愛の教会

Ⅰサムエル 31:1~1331:1 さて、ペリシテ人はイスラエルと戦った。イスラエルの人々はペリシテ人の前から逃げ、ギルボア山で刺されて倒れた。31:2 ペリシテ人はサウルとその息子たちに追い迫って、サウルの息子ヨナタン、アビナダブ、マルキ・シュアを打ち殺した。31:3 攻撃はサウルに集中し、射手たちが彼を狙い撃ちにしたので、彼は射手たちのゆえにひどい傷を負った。31:4 サウルは道具持ちに言った。「おまえの剣を抜いて、私を刺し殺してくれ。さもないと、あの無割礼の者たちがやって来て、私を刺し殺し、私をなぶりものにするだろう。」しかし、道具持ちは非常に恐れて、とうていその気になれなかった。それでサウルは剣を取り、その上に倒れ込んだ。31:5 道具持ちは、サウルが死んだのを見ると、自分も剣の上に身を伏せて、サウルとともに死んだ。31:6 こうしてその日、サウルと三人の息子、道具持ち、それに彼の部下たちはみな、ともに死んだ。31:7 谷の向こう側とヨルダン川の向こう側にいたイスラエルの人々は、イスラエルの兵士たちが逃げ、サウルとその息子たちが死んだのを見て、町々を捨てて逃げた。それで、ペリシテ人がやって来て、そこに住んだ。31:8 翌日、ペリシテ人が、刺し殺された者たちからはぎ取ろうとしてやって来たとき、サウルと三人の息子たちがギルボア山で倒れているのを見つけた。31:9 彼らはサウルの首を切り、彼の武具をはぎ取った。そして、ペリシテ人の地の隅々にまで人を送り、彼らの偶像の宮と民とに告げ知らせた。31:10 彼らはサウルの武具をアシュタロテの神殿に奉納し、彼の死体はベテ・シャンの城壁にさらした。31:11 ヤベシュ・ギルアデの住民は、ペリシテ人がサウルに行った仕打ちを聞いた。31:12 そこで勇士たちはみな立ち上がり、夜通し歩いて行き、サウルの死体と息子たちの死体をベテ・シャンの城壁から取り下ろし、ヤベシュに帰って来て、そこでそれらを焼いた。31:13 彼らはその骨を取って、ヤベシュにあるタマリスクの木の下に葬り、七日間、断食した。   サウルが死にます。一人の人間の最後が悲惨です。人が生きている時は自分を飾りますが、死の前の悲惨さは隠すことはできません。自信満々に死ぬ人間はいません。最後のチャンスである死の前で、人は謙虚にならなければなりません。サウルは死ぬまで自分の悲惨さに気づかず、一人の人間ではなく、王の顔にして死にました。サウルが生きている間に自分の悲惨さに気づいたらよかったと思います。   割礼を受けていないペリシテの手には死なないと言ったサウルの最後の頼みは、自殺ではない自殺で終わりましたが、それが純潔だとか壮絶には見えません。イスラエルの史上初めて王になって人気と権力に溺れ、狂人のような人生を送ったかわいそうな王サウルは死ぬまで体面を整えて死にました。その瞬間、サウルは神様の前に立たなければなりませんでした。   サウルという鏡に自分を映って見なければなりません。自分を縛っている耳目と地位のために神様の前には立てられない愚かな人間ではないかを考えなければなりません。人の前では飾りますが、神様の前では裸で立ちます。サウルは、一瞬も神様の前に立つ瞬間はなかったと思います。自分の存在が神様の前で悲惨でなければ、まだ神様の前に立ったことではないです。

사무엘상 묵상42【사울의 죽음】2303231(금) 에다가와 사랑의 교회

사무엘상 31:1~1331:1 블레셋 사람이 이스라엘을 치매 이스라엘 사람들이 블레셋 사람 앞에서 도망하여 길보아 산에서 엎드러져 죽으니라31:2 블레셋 사람들이 사울과 그 아들들을 쫓아 미쳐서 사울의 아들 요나단과 아비나답과 말기수아를 죽이니라31:3 사울이 패전하매 활 쏘는 자가 따라 미치니 사울이 그 활 쏘는 자를 인하여 중상한지라31:4 그가 병기 든 자에게 이르되 네 칼을 빼어 나를 찌르라 할례없는 자들이…

Ⅰサムエル 黙想41【共同体の権利共有】230330(木) 枝川愛の教会

Ⅰサムエル 30:16~3130:16 彼はダビデを案内して行った。すると、なんと、アマレク人たちはその地いっぱいに散って食べたり飲んだりし、お祭り騒ぎをしていた。彼らがペリシテ人の地やユダの地から奪った分捕り物が、とても多かったからである。30:17 ダビデは、その夕暮れから次の夕方まで彼らを討った。らくだに乗って逃げた四百人の若者たちのほかは、一人も逃れることができなかった。30:18 ダビデは、アマレクが奪い取ったものをすべて取り戻した。ダビデは、二人の妻も救い出した。30:19 子どもも大人も、息子たちも娘たちも、分捕られた物も、彼らが奪われたものは、何一つ失われなかった。ダビデは、これらすべてを取り返した。30:20 ダビデはまた、すべての羊と牛を奪った。兵たちは家畜の先に立って導き、「これはダビデの戦勝品だ」と言った。30:21 ダビデは、疲れてダビデについて来ることができずにベソル川のほとりにとどまっていた二百人の者のところに来た。彼らは、ダビデと彼に従った者たちを迎えに出て来た。ダビデは、この人たちに近づいて彼らの安否を尋ねた。30:22 ダビデと一緒に行った者たちのうち、意地の悪い、よこしまな者たちがみな、口々に言った。「彼らは一緒に行かなかったのだから、われわれが取り戻した分捕り物は、分けてやるわけにはいかない。ただ、それぞれ自分の妻と子どもを連れて行くがよい。」30:23 ダビデは言った。「兄弟たちよ。主が私たちに下さった物を、そのようにしてはならない。主が私たちを守り、私たちを襲った略奪隊を私たちの手に渡されたのだ。30:24 だれが、このことについて、あなたがたの言うことを聞くだろうか。戦いに下って行った者への分け前も、荷物のそばにとどまっていた者への分け前も同じだ。ともに同じく分け合わなければならない。」30:25 その日以来、ダビデはこれをイスラエルの掟とし、定めとした。今日もそうである。30:26 ダビデはツィクラグに帰って来て、友人であるユダの長老たちに戦勝品の一部を送って言った。「これはあなたがたへの贈り物で、主の敵からの戦勝品の一部です。」30:27 その送り先は、ベテルの人々、ラモテ・ネゲブの人々、ヤティルの人々、30:28 アロエルの人々、シフモテの人々、エシュテモアの人々、30:29 ラカルの人々、エラフメエル人の町々の人々、ケニ人の町々の人々、30:30 ホルマの人々、ボル・アシャンの人々、アタクの人々、30:31 ヘブロンの人々、すなわち、ダビデとその部下がさまよい歩いたすべての場所の人々であった。   ダビデがアマレクの根拠地に辿り着くと、アマレクは略奪してものをもって食べて飲んで宴を開いていました。そこでダビデがアマレクを打って殺し、イスラエルの家族と財産を戻してきます。帰り道、ベソル川のほとりで残った200人に会いますが、ダビデと共にした400人の中には、200人が憎い人々がいます。当然のこと、自分の妻子がつかまって行ったのに疲れて行けないと落伍したわけですから、口があっても言うことはありません。   皆が疲れていましたが、400人はダビデと共に敵陣に入り、共同体の命と財産を回復してきました。400人の中には、落伍した200人には妻子を返すものの、戦利品を配るのではなく、共同体から追い出そうと言う人がいました。彼らの弱さに怒っていたのです。功労もないのに権利を持たせるのが憎らしかったでしょう。   しかし、ダビデは彼らを説得します。神様の恵みで勝ったから、この戦利品は誰のものでもなく、残っていた200人もベースを作り、残った財産を守っていたので、それぞれの役割を認め、公平に分配しようということです。この時からユダヤは共同体の中では基本的権利を共有することになります。そしてダビデは、ユダヤの各地域に戦利品を配ります。   物を見ると欲が出ます。それを飲んでしまうと、それだけで終わります。皆に施し、分け与えないと、周りのは、それより大切な人が残りません。リーダーの大きさは力と権限の大きさではなく、器の大きさです。憎いものも入れ、弱いものも入れなければなりません。自分のために人々を利用するのではなく、人々に仕え、立てる人がリーダーです。   ダビデは仕えるリーダー、サーヴァントリーダーシップ(servant leadership)だったのでやがて王となり、私たちが知っているダビデになりました。資本と権力がカルテルを作っていく時、弱者の権利を代弁するリーダーが必要ではないでしょうか。両極化した社会を統合していく器の大きいリーダーがいなければならないのではないでしょうか。権力のために国民を利用する政治家、労働者を利用し、ついに捨ててしまう資本家、貪欲のための聖徒を利用する宗教家に騙されてはいけません。彼らが持っているもの、そしてさらに欲しがっているものは、神様が世の中に分け与えるために与えられただものです。

사무엘상 묵상41【공동체의 권리 공유】2303230(목) 에다가와 사랑의 교회

사무엘상 30:16~3130:16 그가 인도하여 내려가니 그들이 온 땅에 편만하여 블레셋 사람의 땅과 유다 땅에서 크게 탈취하였음을 인하여 먹고 마시며 춤추는지라30:17 다윗이 새벽부터 이튿날 저물때까지 그들을 치매 약대 타고 도망한 소년 사백명 외에는 피한 사람이 없었더라30:18 다윗이 아말렉 사람의 취하였던 모든 것을 도로 찾고 그 두 아내를 구원하였고30:19 그들의 탈취하였던 것 곧 무리의 자녀들이나 빼앗겼던 것의…