Ⅰコリント 黙想25【適切に、秩序正しく】220602(木) 枝川愛の教会

Ⅰコリント 14:26~4014:26 それでは、兄弟たち、どうすればよいのでしょう。あなたがたが集まるときには、それぞれが賛美したり、教えたり、啓示を告げたり、異言を話したり、解き明かしたりすることができます。そのすべてのことを、成長に役立てるためにしなさい。14:27 だれかが異言で語るのであれば、二人か、多くても三人で順番に行い、一人が解き明かしをしなさい。14:28 解き明かす者がいなければ、教会では黙っていて、自分に対し、また神に対して語りなさい。14:29 預言する者たちも、二人か三人が語り、ほかの者たちはそれを吟味しなさい。14:30 席に着いている別の人に啓示が与えられたら、先に語っていた人は黙りなさい。14:31 だれでも学び、だれでも励ましが受けられるように、だれでも一人ずつ預言することができるのです。14:32 預言する者たちの霊は預言する者たちに従います。14:33 神は混乱の神ではなく、平和の神なのです。聖徒たちのすべての教会で行われているように、14:34 女の人は教会では黙っていなさい。彼女たちは語ることを許されていません。律法も言っているように、従いなさい。14:35 もし何かを知りたければ、家で自分の夫に尋ねなさい。教会で語ることは、女の人にとって恥ずかしいことなのです。14:36 神のことばは、あなたがたのところから出たのでしょうか。あるいは、あなたがたにだけ伝わったのでしょうか。14:37 だれかが自分を預言者、あるいは御霊の人と思っているなら、その人は、私があなたがたに書くことが主の命令であることを認めなさい。14:38 それを無視する人がいるなら、その人は無視されます。14:39 ですから、私の兄弟たち、預言することを熱心に求めなさい。また、異言で語ることを禁じてはいけません。14:40 ただ、すべてのことを適切に、秩序正しく行いなさい。   本文を読むと当時のコリント教会の状況を推測してみることができます。異言も預言も良いものであり、金持ちも賜物もすべて良いものですが、コリント教会はそれに秩序がなかったので、争いになって混乱していました。神様と聖徒のための奉仕の働きさえも、自分の欲と自尊心のことで戦い、祈ること、礼拝することにも戦いがありました。   それで、パウロは異言も認め、預言も認めますが、それに制限をかけ、また女性は教えることを禁じます。なぜでしょうか?異言と預言と女性に問題があるからではなく、受け入れる人々に問題があるです。異言と預言の問題で争いが起こり、女性が教えることをすることに反対があったからです。パウロの本年は何事においてもさらに積極的に勧めることでしたが、まだ、成熟していない教会にはやむを得ずに制限しなければなりませんでした。   それで、パウロはあれこれを禁じますが、再び、あれこれを勧め、慕い求めさせます。腐心しているのです。ということで最後の節では、適切に、秩序正しくするようにと言います。「ですから、私の兄弟たち、預言することを熱心に求めなさい。また、異言で語ることを禁じてはいけません。ただ、すべてのことを適切に、秩序正しく行いなさい。39、40」私たちはここで教会論と聖霊論と賜物論という神学を学びますが、実際にパウロは神学を教えているのではなく、人間を理解し、耐え忍んでいるのです。これでも戦い、あれでも戦う聖徒たちの中で、禁じたり、勧めたりしながら忍耐しています。  

고린도전서 묵상25【적당하게 질서대로】220603(금) 에다가와 사랑의 교회

고린도전서 14:26~4014:26 그런즉 형제들아 어찌할꼬 너희가 모일 때에 각각 찬송시도 있으며 가르치는 말씀도 있으며 계시도 있으며 방언도 있으며 통역함도 있나니 모든 것을 덕을 세우기 위하여 하라14:27 만일 누가 방언으로 말하거든 두 사람이나 다불과 세 사람이 차서를 따라 하고 한 사람이 통역할 것이요14:28 만일 통역하는 자가 없거든 교회에서는 잠잠하고 자기와 및 하나님께 말할 것이요14:29 예언하는 자는…

Ⅰコリント 黙想24【通じ合う霊性】220602(木) 枝川愛の教会

Ⅰコリント 14:13~2514:13 そういうわけで、異言で語る人は、それを解き明かすことができるように祈りなさい。14:14 もし私が異言で祈るなら、私の霊は祈りますが、私の知性は実を結びません。14:15 それでは、どうすればよいのでしょう。私は霊で祈り、知性でも祈りましょう。霊で賛美し、知性でも賛美しましょう。14:16 そうでないと、あなたが霊において賛美しても、初心者の席に着いている人は、あなたの感謝について、どうしてアーメンと言えるでしょう。あなたが言っていることが分からないのですから。14:17 あなたが感謝するのはけっこうですが、そのことでほかの人が育てられるわけではありません。14:18 私は、あなたがたのだれよりも多くの異言で語っていることを、神に感謝しています。14:19 しかし教会では、異言で一万のことばを語るよりむしろ、ほかの人たちにも教えるために、私の知性で五つのことばを語りたいと思います。14:20 兄弟たち、考え方において子どもになってはいけません。悪事においては幼子でありなさい。けれども、考え方においては大人になりなさい。14:21 律法にこう書かれています。「『わたしは、異国の舌で、異なる唇でこの民に語る。それでも彼らは、わたしの言うことを聞こうとはしない』と主は言われる。」14:22 それで異言は、信じている者たちのためではなく、信じていない者たちのためのしるしであり、預言は、信じていない者たちのためではなく、信じている者たちのためのしるしです。14:23 ですから、教会全体が一緒に集まって、皆が異言で語るなら、初心の人か信じていない人が入って来たとき、あなたがたは気が変になっていると言われることにならないでしょうか。14:24 しかし、皆が預言をするなら、信じていない人や初心の人が入って来たとき、その人は皆に誤りを指摘され、皆に問いただされ、14:25 心の秘密があらわにされます。こうして、「神が確かにあなたがたの中におられる」と言い、ひれ伏して神を拝むでしょう。   パウロは異言で祈る人でした。ですから、誰よりも異言の祈りの恵みをよく知り、感謝していました。ところが、異言は個人的な霊性のためであり,共同体の有益ではないといい、それも節制するようにと勧めます。むしろ教会には預言、すなわちみことばを悟り、教会の徳を高めるためにそれを共有することを勧めています。「しかし教会では、異言で一万のことばを語るよりむしろ、ほかの人たちにも教えるために、私の知性で五つのことばを語りたいと思います。19」   共同体の調和という観点から、賜物は開発されたり、節制されたりします。異言は良いものですが、パウロは良いことにおいても節制できるような成熟した知恵を求めるようにと求めます。「兄弟たち、考え方において子どもになってはいけません。悪事においては幼子でありなさい。けれども、考え方においては大人になりなさい。20」賢くなるということは、理解できないことばで言うのではなく、はっきりとした言葉を使い、それを伝え、共有することです。パウロにおいては理解できない言葉、解説されない言葉、通訳しない言葉もすべて失礼なことばになります。教会の中に互換できない、抽象の言語も返還しなければなりません。基準は、皆が理解できる言葉です。神様のみことばを皆が分かるように解きあかし、それぞれの時代のみことばに置き換えることです。教会の言語は世の言語と通じなければなりません。   もし、未信者が初めて異言を聞くとしたら、違和感を感じることになります。しかし預言、すなわちみみことばを解いて教えることには違和感がありません。みことばを解ければ、神様を伝えることができ、そのみことばは人の内面を表わします。「しかし、皆が預言をするなら、信じていない人や初心の人が入って来たとき、その人は皆に誤りを指摘され、皆に問いただされ、心の秘密があらわにされます。こうして、神が確かにあなたがたの中におられると言い、ひれ伏して神を拝むでしょう。24,25」みことば、人のことを現します。「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、心の思いやはかりごとを見分けることができます。へブル4:12」神様のみことばを受け、そのみことばを伝えると、それは誰かの救いになります。  

고린도전서 묵상24【소통되는 영성】220602(목) 에다가와 사랑의 교회

고린도전서 14:13~2514:13 그러므로 방언을 말하는 자는 통역하기를 기도할지니14:14 내가 만일 방언으로 기도하면 나의 영이 기도하거니와 나의 마음은 열매를 맺히지 못하리라14:15 그러면 어떻게 할꼬 내가 영으로 기도하고 또 마음으로 기도하며 내가 영으로 찬미하고 또 마음으로 찬미하리라14:16 그렇지 아니하면 네가 영으로 축복할 때에 무식한 처지에 있는 자가 네가 무슨 말을 하는지 알지 못하고 네 감사에 어찌 아멘…

Ⅰコリント 黙想23【異言と預言】220601(水) 枝川愛の教会

Ⅰコリント 14:1~1214:1 愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。14:2 異言で語る人は、人に向かって語るのではなく、神に向かって語ります。だれも理解できませんが、御霊によって奥義を語るのです。14:3 しかし預言する人は、人を育てることばや勧めや慰めを、人に向かって話します。14:4 異言で語る人は自らを成長させますが、預言する人は教会を成長させます。14:5 私は、あなたがたがみな異言で語ることを願いますが、それ以上に願うのは、あなたがたが預言することです。異言で語る人がその解き明かしをして教会の成長に役立つのでないかぎり、預言する人のほうがまさっています。14:6 ですから、兄弟たち。私があなたがたのところに行って異言で語るとしても、啓示か知識か預言か教えによって語るのでなければ、あなたがたに何の益になるでしょう。14:7 笛や竪琴など、いのちのない楽器でも、変化のある音を出さなければ、何を吹いているのか、何を弾いているのか、どうして分かるでしょうか。14:8 また、ラッパがはっきりしない音を出したら、だれが戦いの準備をするでしょう。14:9 同じようにあなたがたも、舌で明瞭なことばを語らなければ、話していることをどうして分かってもらえるでしょうか。空気に向かって話していることになります。14:10 世界には、おそらく非常に多くの種類のことばがあるでしょうが、意味のないことばは一つもありません。14:11 それで、もし私がそのことばの意味を知らなければ、私はそれを話す人にとって外国人であり、それを話す人も私には外国人となるでしょう。14:12 同じようにあなたがたも、御霊の賜物を熱心に求めているのですから、教会を成長させるために、それが豊かに与えられるように求めなさい。   パウロは異言で祈ることと預言することについて教訓が続けます。これも、教会が配慮せず、混乱していたからです。異言と預言は、今の私たちにとっても依然としてその定義と理解が不明な場合がありますが、少なくともⅠコリントの手紙の14章で語っている異言というものは、通なしには日常的に疎通できる言語ではないということは明らかです。しかし、パウロは異言を無視したり、廃止したりはしませんでした。むしろ異言は求めていました。   パウロは,異言と預言を結びつけて話していますが,異言より預言がより大切であるという風に語っています。預言には、2つがあります。予めの「予」を使って未来のことを知り、事前に語る「予言」があれば、預かるの「預」を使ってみことばを預かったという意味の「預言」があります。Ⅰコリントの手紙が言うものは「預言」です。日本語は預言者と翻訳し、韓国語はこの両方を含む「先知者」と翻訳しています。先に知って人という意味です。それは未来を知ることができる先見があれば、みことばを預かって理解し、洞察する人の意味もあると思います。   異言と預言、どちらも聖霊の恵みですし、パウロはもちろん異言で祈ることを認めていますが、みことばを読んで解釈することがより大切であるということです。異言に偏ると、何を信じるのか、どのように信じればいいのかという秩序が崩れ、抽象的に、神秘に陥る危険性があります。認識できないうちに行うことだからです。ですから、信仰には明らかに認識できる神様のみことばの解釈と学習が常に並行しなければならないということです。   パウロは異言を禁止しません。しかし、他人の祈りを邪魔しないようにお互いを配慮することを勧めています。また、みことばを通して神様に出会う原則を忘れず、無秩序に陥らないように勧めています。神様のみことばを引き受けてそれを解いていく日常を営む人、密かな祈りを通して神様に出会う人は、すべて12節が語る教会を成長させる人であり、そのような人は必ず知識の神様、神秘の神様に出会います。

고린도전서 묵상23【방언과 예언】220601(수) 에다가와 사랑의 교회

고린도전서 14:1~1214:1 사랑을 따라 구하라 신령한 것을 사모하되 특별히 예언을 하려고 하라14:2 방언을 말하는 자는 사람에게 하지 아니하고 하나님께 하나니 이는 알아 듣는 자가 없고 그 영으로 비밀을 말함이니라14:3 그러나 예언하는 자는 사람에게 말하여 덕을 세우며 권면하며 안위하는 것이요14:4 방언을 말하는 자는 자기의 덕을 세우고 예언하는 자는 교회의 덕을 세우나니14:5 나는 너희가 다 방언 말하기를…

Ⅰコリント 黙想22【信仰・希望・愛】220530(月) 枝川愛の教会

Ⅰコリント 13:8~1313:8 愛は決して絶えることがありません。預言ならすたれます。異言ならやみます。知識ならすたれます。13:9 私たちが知るのは一部分、預言するのも一部分であり、13:10 完全なものが現れたら、部分的なものはすたれるのです。13:11 私は、幼子であったときには、幼子として話し、幼子として思い、幼子として考えましたが、大人になったとき、幼子のことはやめました。13:12 今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、そのときには顔と顔を合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、そのときには、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。13:13 こういうわけで、いつまでも残るのは信仰と希望と愛、これら三つです。その中で一番すぐれているのは愛です。   地上のものは不完全で部分的なものです。しかし、イエス様が再び来られるとき、すべてが完成されます。人生の信仰も地上教会も部分的であり、完全ではありませんが、そのような私たちに信仰と希望と愛が与えられています。希望を持って信仰の道を行かせるのは愛です。愛を知るので信じることができ、信じることができるので希望があります。信仰と希望が道を失うとき、愛に戻れば回復します。不完全で青銅の鏡のようにぼんやりしますが、愛をもって生きることで、私たちに与えられた信仰は確実で明確なものになります。信仰の情熱と天国の希望が、神様の愛の中で聖徒への愛に現れることを願います。

고린도전서 묵상22【믿음 소망 사랑】220531(화) 에다가와 사랑의 교회

고린도전서 13:8~1313:8 사랑은 언제까지든지 떨어지지 아니하나 예언도 폐하고 방언도 그치고 지식도 폐하리라13:9 우리가 부분적으로 알고 부분적으로 예언하니13:10 온전한 것이 올 때에는 부분적으로 하던 것이 폐하리라13:11 내가 어렸을 때에는 말하는 것이 어린 아이와 같고 깨닫는 것이 어린 아이와 같고 생각하는 것이 어린 아이와 같다가 장성한 사람이 되어서는 어린 아이의 일을 버렸노라13:12 우리가 이제는 거울로 보는 것…

Ⅰコリント 黙想21【愛は】220530(月) 枝川愛の教会

Ⅰコリント 13:1~713:1 たとえ私が人の異言や御使いの異言で話しても、愛がなければ、騒がしいどらや、うるさいシンバルと同じです。13:2 たとえ私が預言の賜物を持ち、あらゆる奥義とあらゆる知識に通じていても、たとえ山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、私は無に等しいのです。13:3 たとえ私が持っている物のすべてを分け与えても、たとえ私のからだを引き渡して誇ることになっても、愛がなければ、何の役にも立ちません。13:4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。13:5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、苛立たず、人がした悪を心に留めず、13:6 不正を喜ばずに、真理を喜びます。13:7 すべてを耐え、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを忍びます。   主日礼拝の説教はヘブル人への手紙11章の「信仰章」であり、朝の黙想は第一コリント人への手紙の「賜物章」です。12章で賜物を扱い,第13章では愛を扱っていますが、つながっているものです。賜物のうえ、愛を語っています。愛がより大きな賜物であると言われたのは、すべての賜物の動機に愛がなければならないということです。もっと遡ってみると、そもそも賜物を言及したのも多くの問題を抱えていたコリント教会に配慮を教えるためでした。使徒の働きの賜物は、教会を始める力であり、エペソの賜物は、教会を構成する構造であれば、コリント教会で賜物を教える目的は統合です。統合のためにすべての役割に愛の動機を持つようにと訴えているのです。   昨日の主日学校の説教は、復活されたイエス様が失敗したペテロに来られて質問したところです、「あなたは私を愛するのか」イエス様はペテロに牧羊の使命を委ねるときに、3回を繰り返してイエス様への愛を確認しました。イエス様を愛しているので、イエス様が言われた「私の羊」を飼うことができます。だから、愛はイエス様に対するものであり、その中でイエス様の「私の羊」を愛することができます。本文の13章の「愛」を「イエス様を愛する愛」と変えて読んでみると、意味はもっと明らかです。一度そのように読んでみてください。   13:1 たとえ私が人の異言や御使いの異言で話しても、「イエス様を愛する愛」がなければ、騒がしいどらや、うるさいシンバルと同じです。13:2 たとえ私が預言の賜物を持ち、あらゆる奥義とあらゆる知識に通じていても、たとえ山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、「イエス様を愛する愛」がないなら、私は無に等しいのです。13:3 たとえ私が持っている物のすべてを分け与えても、たとえ私のからだを引き渡して誇ることになっても、「イエス様を愛する愛」がなければ、何の役にも立ちません。13:4 「イエス様を愛する愛」は寛容であり、「イエス様を愛する愛」は親切です。また人をねたみません。「イエス様を愛する愛」は自慢せず、高慢になりません。13:5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、苛立たず、人がした悪を心に留めず、13:6 不正を喜ばずに、真理を喜びます。13:7 すべてを耐え、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを忍びます。   私はこの春に寛容ではなく、親切でもなく 礼儀に反し、苛立っていたので、この本文について話すことは恥ずかしいです。しかし、依然として「イエス様を愛する愛」ではなく、「人を愛する愛」ではそれを守り切れることはできないと思います。イエス様の愛をさらに知り、イエス様を愛するとさらに告白できる分だけ、愛はより大きくなります。 愛は信仰による賜物だからです。

고린도전서 묵상21【사랑은】220530(월) 에다가와 사랑의 교회

고린도전서 13:1~713:1 내가 사람의 방언과 천사의 말을 할지라도 사랑이 없으면 소리나는 구리와 울리는 꽹과리가 되고13:2 내가 예언하는 능이 있어 모든 비밀과 모든 지식을 알고 또 산을 옮길 만한 모든 믿음이 있을지라도 사랑이 없으면 내가 아무 것도 아니요13:3 내가 내게 있는 모든 것으로 구제하고 또 내 몸을 불사르게 내어줄지라도 사랑이 없으면 내게 아무 유익이 없느니라13:4 사랑은…