QT

I 列王記 10:1-13

10:1 ときに、シェバの女王は、主の御名によるソロモンの名声を聞き、難問をもって彼を試そうとしてやって来た。

10:2 彼女は非常に大勢の従者を率い、バルサム油と非常に多くの金および宝石をらくだに載せて、エルサレムにやって来た。彼女はソロモンのところに来ると、心にあることをすべて彼に問いかけた。

10:3 ソロモンは、彼女のすべての問いに答えた。王が分からなくて、彼女に答えられなかったことは何一つなかった。

10:4 シェバの女王は、ソロモンのすべての知恵と、彼が建てた宮殿と、

10:5 その食卓の料理、列席の家来たち、給仕たちの態度とその服装、献酌官たち、そして彼が主の宮で献げた全焼のささげ物を見て、息も止まるばかりであった。

10:6 彼女は王に言った。「私が国であなたの事績とあなたの知恵について聞き及んでいたことは、本当でした。

10:7 私は自分で来て、自分の目で見るまでは、そのことを信じなかったのですが、なんと、私にはその半分も知らされていなかったのです。あなたの知恵と繁栄は、私が聞いていたうわさより、はるかにまさっています。

10:8 なんと幸せなことでしょう。あなたにつく人たちは。なんと幸せなことでしょう。いつもあなたの前に立って、あなたの知恵を聞くことができる、このあなたの家来たちは。

10:9 あなたの神、主がほめたたえられますように。主はあなたを喜び、イスラエルの王座にあなたを就かせられました。主はイスラエルをとこしえに愛しておられるので、あなたを王とし、公正と正義を行わせるのです。」

10:10 彼女は百二十タラントの金と、非常に多くのバルサム油と宝石を王に贈った。シェバの女王がソロモン王に贈ったほど多くのバルサム油は、二度と入って来なかった。

10:11 また、オフィルから金を積んで来たヒラムの船団は、非常に多くの白檀の木材と宝石を、オフィルから運んで来た。

10:12 王はこの白檀の木材で、主の宮と王宮のための柱を作り、歌い手たちのための竪琴と琴を作った。今日まで、このような白檀の木材が入って来たことはなく、見られたこともなかった。

10:13 ソロモン王は、シェバの女王が求めたものは何でもその望みのままに与えた。さらに、ソロモン王の豊かさにふさわしいものも彼女に与えた。彼女は家来たちを連れて、自分の国へ帰って行った。

 

 良いリーダーが導く共同体には発展があり、喜びがあり、その中に堅い仲間関係が形成されます。しかし、そうでない共同体は退歩するだけで、冷たい空気が回り、互いを利用しようとする個人主義が生まれてきます。一人ひとりの共同体の一員の役割も当然大事ですが、その雰囲気を造り直し、引っ張っていけることはリーダーの役割でしょう。
 
 今日の箇所のソロモンの知恵は、単純に彼の人生を豊かにすることにとどまりませんでした。彼はイスラエルの王、リーダーとして国を導き、彼に与えられている知恵を用いました。 その結果、ソロモン王だけでなくイスラエルという国が最大の黄金期を迎えることができました。単にソロモンが祝福を受けたことにとどまらず、ソロモンというリーダーがいるイスラエルが祝福されたのです。
 
 今日箇所のシェバの女王はこれを見て「なんと幸せなことでしょう。あなたにつく人たちは。なんと幸せなことでしょう。いつもあなたの前に立って、あなたの知恵を聞くことができる、このあなたの家来たちは。」とうらやましい心を隠しませんでした。当然ソロモンの驚くべき知恵を常に近くで聞けるというところがうらやましかったのかもしれませんが、その次の節の内容から見れば神様がソロモンを愛することと同じく、もしかしたらそれ以上にイスラエルを愛してソロモンを王にしたという話を通して、恵まれたイスラエルがうらやましかってたと見ることもできるでしょう。
 
 私が成人になったばかりの頃に、コンビニで長い間深夜バイトをしました。深夜バイトの主な仕事は、商品の整理と補足でした。もし飲み物がなくなった場合は、裏側の冷凍倉庫で一つずつ飲み物を詰め込みます。この時に最も重要なのは、最初に入れるカンです。そのカンが一番前で真っすぐ立っていれば、その次に入れるカンも揃えてきれいに入ります。でも、一番前のカンが倒れてしまうと、その次に入れるカンも入るたびに次々と倒れてしまいます。
 
 当時、青年会に登ってきたばかりの末っ子だった私は、リーダーがなぜ重要なのか、どれほど重要なのかをコンビニのバイトを通して経験しました。しかし、色んな問題が多かった当時の青年会は結局、多くの人が傷ついてしまい、教会から離れ去っていくことになりました。私もその中の一人でした。
 
 前に立っているリーダーは、単に真っすぐ立っているだけで、その共同体に大きな力になります。そのため、常に緊張し、負担になる位置であるのが当たり前です。実際、どれだけ素晴らしいリーダーだとしても、人間である以上、いつも真っすぐに立っていることはできません。
 
 しかし、私たちの真のリーダーはその人ではありません。私たちの目の前に立っている人が一番前にいるのではなく、その前に神様がおられます。永遠に揺がず、倒れず、間違うこともない完全な方が、私たちの一番前のリーダーとして真っすぐに立っておられるのです。
 
 そのリーダーとなる神様に進んでいく道は不安定かもしれません。一番前のカンがいくら真っすぐに立っていても、そのカンと触れ合う前までは次のカンも不安に揺れて滑り降りていきます。しかし、一番前のカンに触れた瞬間、すべての揺れや不安は止まり、安定感を得ます。時には、真ん中のカンが倒れていることもあります。しかし、不思議なことに、後ろから別のカンを押し込むと真ん中のカンがまた立ち上がります。
 
 私たちの目に見えるリーダーは、確かに重要です。真っすぐに立っていなければなりません。しかし、リーダーたちもそこまで心配しなくてもいいでしょう。いつも変わらず、真っすぐに立っておられる神様に頼ればいい問題です。時には転ぶこともありますが、後ろから一緒に押して助けてあげれば、また立ち上がって真っすぐに立つことができます。そのため、共同体の役割も重要になります。自分たちのリーダーを再び立て直すために一緒に力を合わせ、一番前に立っておられる神様に進んでいけば、その真ん中にいるリーダーもまた再び立ち上がることができるでしょう。このような美しい関係が私たちの日々の中にも起こることを望みます