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ヨハネの手紙第一 4:7-15

4:7 愛する者たち。私たちは互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛がある者はみな神から生まれ、神を知っています。

4:8 愛のない者は神を知りません。神は愛だからです。

4:9 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。

4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

4:11 愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた、互いに愛し合うべきです。

4:12 いまだかつて神を見た者はいません。私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにとどまり、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。

4:13 神が私たちに御霊を与えてくださったことによって、私たちが神のうちにとどまり、神も私たちのうちにとどまっておられることが分かります。

4:14 私たちは、御父が御子を世の救い主として遣わされたのを見て、その証しをしています。

4:15 だれでも、イエスが神の御子であると告白するなら、神はその人のうちにとどまり、その人も神のうちにとどまっています。

 キリスト者が最も大事に思うことを一つ選んだら、おそらく’愛’でしょう。今日箇所も語っているように、私たちが信じている神様が愛そのものであるお方であるからです。

 

 神様のかたちに造られた人間は罪によって、神の完全な愛を実践することができなくなりました。それなら、その完全な愛に似て行くために、実践するためにはどうしたらいいでしょうか。

 

 一つ目は神様を知ることです。私たちは御言葉を通して、神様がどんなお方であるか、私たちにどんな愛を与えておられるか知ることができます。それで私たちはいつも御言葉を読んで、聞きながら神様を分かって行かなければならないのです。

 

 二つ目は神様の愛の究極的な表現であるイエス・キリストの福音を信じることです。愛の神様を信じながらも、イエスがその神様から遣わされた御子であることを認めないというのは、愛の神様をただ口だけの存在に思うこと同じでしょう。神様と私たちの間の最も大きな問題、’罪’という壁を崩すために遣わされたお方が、私たちの主イエス・キリストであるからです。

 

 三つ目は聖霊を通して実践することです。人間は今もなお弱い存在です。その愛を分かったとしても実践することが不可能なのです。しかし、神様は遠くから指示するだけではなく、聖霊で私たちの中に共にしながら、一つ一つ教えてくださり、共に実践してくれるのです。

 

 神様の救いの計画はいつも三位一体という愛の関係の協力の中で行われます。だからこそ、その三位一体の神様を信じる私たち教会の働きもそうしなければならないのです。単に役割の分担、仕事の協力を越えて、神の愛をお互いに実践しながら協力すること、それから私たちの目では見ることができなかった神様を愛を通して見るようになり、他の人たちにも見せてあげるのが教会の目指すところにならなければならないのです。