詩編 黙想【疑問から確信へ】20250704(金) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

詩編 88:1-18 88:0 歌。コラ人の賛歌。指揮者のために。マハラテ・レアノテの調べにのせて。エズラフ人ヘマンのマスキール。 88:1 主よ私の救いの神よ昼私は叫びます。夜もあなたのみそばで。 88:2 私の祈りをあなたの御前にささげます。どうか私の叫びに耳を傾けてください。 88:3 私のたましいは苦しみに満ち私のいのちはよみに触れていますから。 88:4 私は穴に下る者たちとともに数えられ力の失せた者のようになっています。 88:5 私は死人たちの間に放り出され墓に横たわる刺し殺された者たちのようです。あなたはもはや彼らを覚えてはおられません。彼らはあなたの御手から断ち切られています。 88:6 あなたは私を最も深い穴に置かれました。暗い所に深い淵に。 88:7 あなたの憤りが私の上にとどまりあなたのすべての波であなたは私を苦しめておられます。セラ 88:8 あなたは私の親友を私から遠ざけ私を彼らの忌み嫌う者とされました。私は閉じ込められて出て行くことができません。 88:9 私の目は苦しみによって衰えています。主よ私は日ごとにあなたを呼び求めています。あなたに向かって両手を差し伸ばしています。 88:10 あなたは死人のために奇しいみわざを行われるでしょうか。亡霊が起き上がりあなたをほめたたえるでしょうか。セラ 88:11 あなたの恵みが墓の中で宣べられるでしょうか。あなたの真実が滅びの淵で。 88:12 あなたの奇しいみわざが闇の中で知られるでしょうか。あなたの義が忘却の地で。 88:13 しかし私は主よあなたに叫び求めます。朝明けに私の祈りは御前にあります。 88:14 主よなぜあなたは私のたましいを退け私に御顔を隠されるのですか。 88:15 私は苦しんでいます。若いころから死に瀕してきました。あなたの恐ろしさに耐えかねて私の心はくずおれそうです。 88:16 あなたの燃える怒りが私の上を越えて行きあなたからの恐怖が私を滅ぼし尽くしました。 88:17 それらは日夜大水のように私を囲み瞬く間に私を取り巻いてしまいました。 88:18 あなたは私から愛する者や友を遠ざけられました。私は暗闇を親しい友としています。     詩篇は神様に対する祈りや賛美の書であり、否定的な結論で結び付けられる詩篇は多くありません。しかし、今日のの本文がまさにそのような詩篇のひとつです。    今日の詩人は、何かの困難の中で神様を探し求めています。その姿はまるで穴に下りていくかのようで、力の失せた者のようであり、人々から無視され見捨てられ、死が間近に迫っているかのような姿でした。そんな困難の中、詩人は神様に向かって苦しみに満ちた叫びをあげ、自分の置かれた状況の中でどのように神様を見つめ、表すことができるのか、それは不可能ではないかという疑問を表しています。  困難な状況の中で神様を求めることは、人間の本能に近いものです。しかし、そのように神様を求める時に、神様を神様として、私たちの主として認識しつつ求めることは容易ではありません。目の前の困難がより大きく見え、その困難を解決する一つの方法として神様を求めてしまうのです。そのような「一つの方法」として神様を求め、私たちの思い通りに解決されない時、私たちは神様に失望し、神様を恨み、去ってしまうのです。  今日の本文を記した詩人は、私たちにいくつかの疑問を投げかけます。果たしてこのような状況の中でも神様は働かれるのだろうか。このような状況の中でも神様を賛美することができるのだろうか、と。しかし詩人にとってはこれらが疑問となりうるものでも、私たちにとってはその疑問が確信となります。詩人が経験した困難が、新約聖書で見るイエス様の十字架の姿とあまりにも似ているからです。  イエス様は十字架の上で死を前にされ、強盗たちと共に嘲笑や侮蔑を受け、ご自身の弟子たちはその場を逃げ去り、ある弟子はイエス様を呪うことさえしました。もはや希望が見えないその状況の中で死を迎えられました。詩人は言います。墓の中で、このような滅びの中で神様の憐れみを宣言できるだろうか。このような絶望の中で奇跡を見、無視される中で公義を見ることができるだろうか、と。  しかし神様はこれらすべてのことを成し遂げられました。死者たちにイエス・キリストの福音が伝えられ、この死と滅びの中で主の憐れみと誠実さを示されました。この絶望の中で奇跡を示され、十字架における無視の中で公義を表されました。  今日の本文の詩人は具体的な状況を例に挙げてそれに対する疑問を示しました。しかしその疑問はイエス・キリストを通してすべて解決され、私たちは彼を通して詩人の具体的な疑問から、神様に対する具体的な確信を得るのです。私たちが信じる神様はこのようなお方です。 https://youtu.be/TaIUDJUsvYU?si=qj6DJqetHjckuExe

시편 묵상【의심에서 확신으로】20250704(금) 에다가와 사랑의교회 최종석 전도사

시편 88:1-18 88:1 여호와 내 구원의 하나님이여 내가 주야로 주 앞에서 부르짖었사오니 88:2 나의 기도가 주 앞에 이르게 하시며 나의 부르짖음에 주의 귀를 기울여 주소서 88:3 무릇 나의 영혼에는 재난이 가득하며 나의 생명은 스올에 가까웠사오니 88:4 나는 무덤에 내려가는 자 같이 인정되고 힘없는 용사와 같으며 88:5 죽은 자 중에 던져진 바 되었으며 죽임을 당하여 무덤에…

詩篇 黙想 【シオンの住所】 20250701(火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

詩篇 87:1~7 87:1 主の礎は聖なる山にある。 87:2 主はシオンの門を愛される。ヤコブのどの住まいよりも。 87:3 神の都よあなたについて誉れあることが語られている。セラ 87:4 「わたしはラハブとバビロンをわたしを知る者として記憶しよう。見よペリシテとツロクシュもともに。『この者はこの都で生まれた』と。」 87:5 しかしシオンについてはこう言われている。「この者もあの者もこの都で生まれた。いと高き方ご自身がシオンを堅く建てられる」と。 87:6 主が「この者はこの都で生まれた」と記して国々の民を登録される。セラ 87:7 歌う者も踊る者も「私の泉はみなあなたにあります」と言う。   シオンとは、ある民族の中心地を意味するものではありません。聖書が語るシオンとは、神の救いが始まり、諸国に広がっていく霊的な中心を指しています。ラハブ、バビロン、ペリシテ、ツロ、クシュが登場しますが、ここでのラハブはエジプトを意味しています。つまり、これらはすべて異邦人です。ところが詩人は、彼らが「シオンで生まれた」と言っているのです。これはすなわち、シオンが民族的な概念ではないことを意味します。誰もがシオンの市民になれるという、普遍的な救いの観点です。シオンとは、神の選びと救いの普遍性が調和する共同体精神でなければなりません。 神がイスラエルを選ばれたのは、彼らだけを救うためではありません。イスラエルは祝福の通路であり、救いの出発点として召されたのです。そして神は、彼らを通して諸国の民が祝福を受ける計画を立てられました。神の選びは、人間に与えられた特権ではなく、責任と使命を伴う特別な召しと遣わしなのです。 旧約聖書を福音の視点から読まなければ、聖書全体の流れが断たれ、新約や教会のアイデンティティも混乱してしまいます。民族主義的に、あるいは文字通りにのみ解釈すると、律法主義やユダヤ主義へと逸れていく矛盾を生むことになります。逆に、旧約を無視して新約だけを読むと、福音は歴史や人間理解という根拠を失い、表面的なものに流れてしまいがちです。 イエス・キリストにおいて、シオンはもはや地理的なエルサレムではありません。「シオンで生まれた」という言葉は、キリストにあって新しく生まれたことを意味しています。シオンの歴史性を否定するわけではありません。シオンは確かに福音の土台でしたが、その意味はキリストにあって拡張され、普遍化されたのです。ゴスペルソングなどでよく使われる「エルサレム」という表現が、現代国家イスラエルの首都や民族主義的終末論の象徴として誤解されないよう注意しなければなりません。 教会がイスラエルを廃して代わりになったというのではありません。キリストの福音の中で、ユダヤ人も異邦人も共に一つの体をなす新しい共同体が築かれたのです。教会は霊的なイスラエルであり、教会こそが成就されたシオンの姿なのです。シオンの住所は、今ここ、キリストの中にあり、私たちが属する教会こそが、隣人を救いに導く現場であるべきなのです。

시편 묵상 【시온의 주소】 20250703(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

시편 87:1~7 87:1 그 기지가 성산에 있음이여 87:2 여호와께서 야곱의 모든 거처보다 시온의 문들을 사랑하시는도다 87:3 하나님의 성이여 너를 가리켜 영광스럽다 말하는도다(셀라) 87:4 내가 라합과 바벨론을 나를 아는 자 중에 있다 말하리라 보라 블레셋과 두로와 구스여 이도 거기서 났다 하리로다 87:5 시온에 대하여 말하기를 이 사람, 저 사람이 거기서 났나니 지존자가 친히 시온을 세우리라 하리로다…

詩篇 黙想 【祈るために詩を書くダビデ】 20250702(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

詩篇 86:1~17 86:1 主よ耳を傾けて私に答えてください。私は苦しみ貧しいのです。 86:2 私のたましいをお守りください。私は神を恐れる者です。あなたのしもべをお救いください。あなたは私の神。私はあなたに信頼します。 86:3 主よ私をあわれんでください。絶えず私はあなたを呼んでいます。 86:4 このしもべのたましいを喜ばせてください。主よ私のたましいはあなたを仰ぎ求めています。 86:5 主よまことにあなたはいつくしみ深く赦しに富みあなたを呼び求める者すべてに恵み豊かであられます。 86:6 主よ私の祈りに耳を傾け私の願いの声を心に留めてください。 86:7 苦難の日に私はあなたを呼び求めます。あなたが私に答えてくださるからです。 86:8 主よ神々のうちであなたに並ぶ者はなくあなたのみわざに比べられるものはありません。 86:9 主よあなたが造られたすべての国々はあなたの御前に来て伏し拝みあなたの御名をあがめます。 86:10 まことにあなたは大いなる方奇しいみわざを行われる方。あなただけが神です。 86:11 主よあなたの道を私に教えてください。私はあなたの真理のうちを歩みます。私の心を一つにしてください。御名を恐れるように。 86:12 わが神主よ私は心を尽くしてあなたに感謝しとこしえまでもあなたの御名をあがめます。 86:13 あなたの恵みは私の上に大きくあなたが私のたましいをよみの深みから救い出してくださるからです。 86:14 神よ高ぶる者どもは私に向かい立ち横暴な者の群れが私のいのちを求めます。彼らはあなたを前にしていません。 86:15 しかし主よあなたはあわれみ深く情け深い神。怒るのに遅く恵みとまことに富んでおられます。 86:16 御顔を私に向け私をあわれんでください。あなたのしもべに御力を与えあなたのはしための子をお救いください。 86:17 私にいつくしみのしるしを行ってください。そうすれば私を憎む者どもは見て恥を受けます。主よあなたが私を助け慰めてくださるからです。   今日の詩篇86編の黙想は、日常の言葉にしました。聖書の言葉が宗教的にしか聞こえず、心に届かないと感じるとき、自分の言葉に置き換えてみると、意外とよく伝わるものです。詩篇はダビデだけのものではありません。いつでも自分の心を吐き出せば、それが詩篇になるのです。本当に辛く苦しいときは、祈りの言葉すら出てきません。ダビデのように、祈りを「書く」こともできます。そして書き直し、整えて、神様に捧げるのです。今朝の黙想は、ダビデの詩篇86編を私自身の言葉に変えてみた、「私の詩篇86編」です。 86:1 主よ、最近ちょっと疲れて、心がしんどいです。どうか助けてください。 86:2 私は主だけを信じて、頼って生きています。私の心を守って、どうか抱きしめてください。 86:3 今日は辛すぎて、一日中主の名を呼んで、主だけを見上げています。 86:4 主を待ち望む私の魂に、どうか喜びを注いでください。 86:5 主よ、あなたは優しくて、憐れみに満ちた方。私の叫びを聞き流さないお方です。 86:6 今日も、私の声に耳を傾けてください。 86:7 私が苦しくてどうしようもない状況なのを、主はご存じでしょう?これまでも泣きながら主のもとに来たら、いつも応えてくださいました。 86:8 この世界にあるどんなものも、主のようにはなれません。 86:9 主はすべての栄光の持ち主。いつかすべての人が主の前にひざまずき、あなたの御名をたたえるでしょう。 86:10 あなたのなさることは、みな驚くべきことばかり。主だけが神なのです。 86:11 だから、今、私はどう生きればよいかを教えてください。 86:12 もっと主を知りたい。心のすべてをもって、あなたに従いたいのです。 86:13 あなたが私を救い出してくださったあの時、深い闇の中から引き上げてくださいましたね。 86:14 人々が私を軽く扱い、傷つけようとしても、それは彼らが主を知らないからでしょう。 86:15 でも、主は私のことをあわれんでくださって、助けてくださると信じています。 86:16 それでも、やっぱり辛いです。どうか力を与えて、支えてください。 86:17 そして、主が私と共におられるというしるしを、誰かが見られるように見せてください。そうすれば、私を傷つけようとしていた人たちも、あなたが私の味方でいてくださることを知るでしょう。主よ、あなたこそが私の助け、私の慰めです。

시편 묵상 【기도하기 위해 시를 쓰는 다윗】 20250702(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

시편 86:1~17 86:1 여호와여 나는 곤고하고 궁핍하오니 귀를 기울여 내게 응답하소서 86:2 나는 경건하오니 내 영혼을 보존하소서 내 주 하나님이여 주를 의지하는 종을 구원하소서 86:3 주여 나를 긍휼히 여기소서 내가 종일 주께 부르짖나이다 86:4 주여 내 영혼이 주를 우러러 보오니 주여 내 영혼을 기쁘게 하소서 86:5 주는 선하사 사유하기를 즐기시며 주께 부르짖는 자에게 인자함이 후하심이니이다…

詩篇 黙想 【神を知る喜び】 20250701(火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

詩篇 85:1~13 85:1 主よあなたはご自分の地に恵みを施しヤコブを元どおりにされます。 85:2 あなたは御民の咎を担いすべての罪をおおってくださいます。セラ 85:3 あなたは激しい怒りをすべて収め燃える御怒りから身を引かれます。 85:4 帰って来てください。私たちのところに。私たちの救いの神。私たちへの御怒りをやめてください。 85:5 あなたはとこしえに私たちに対して怒られるのですか。代々に至るまで御怒りを引き延ばされるのですか。 85:6 あなたは帰って来て私たちを生かしてくださらないのですか。あなたの民があなたにあって喜ぶために。 85:7 主よ私たちにお示しください。あなたの恵みを。私たちにお与えください。あなたの救いを。 85:8 聞かせてください。主である神の仰せを。主は御民に主にある敬虔な人たちに平和を告げられます。彼らが再び愚かさに戻らないように。 85:9 確かに御救いは主を恐れる者たちに近い。それは栄光が私たちの地にとどまるためです。 85:10 恵みとまことはともに会い義と平和は口づけします。 85:11 まことは地から生え出で義は天から見下ろします。 85:12 主が良いものを下さるので私たちの大地は産物を産み出します。 85:13 義は主の御前に先立って行き主の足跡を道とします。   信仰の失敗は彼らを苦しめたが、その時を経て、新たな回復が始まった。状況から見て、バビロン捕囚が終わり、エルサレムを再建するために帰還する民の歌のようである。回復に向けた彼らの意志と願いは特別であり、神に対する理解もより広く深くなっていた。 バビロンから戻ったイスラエルの民がエルサレムを再建するというのは、過去への原状回復を意味するのだろうか?そんなはずはない。戻ってはならない。記憶し、反省し、新たにされて前進しなければならない。神は愛する子どもの考えをひとつ変えるために、帝国を立てては崩すこともされる。考えが変わらなければ、人はその渦の中で苦しむしかない。 この出来事を通して、イスラエルは神に対する考えが変わり、神をより深く知るようになった。彼らは神が自分たちの味方だと思っていた。それはある意味当然かもしれない。しかし、堕落し腐敗した状態にあっても、なお神が味方だと固執し、ついには滅びてしまった。神は確かにイスラエルの味方となりうるが、神は決して腐敗、堕落、偶像崇拝と手を組むことはなさらない。 したがって、この問題に対する唯一の解決策は、自らの現実を冷静に直視し、根本的に変えて、神の側に立つことであった。しかし彼らは、繰り返される訴えと警告にも耳を傾けなかった。神に対する認識が歪んだ者は、結局その人生も歪んでしまう。「神よ、私の味方となってください」ではなく、「神よ、私はあなたの側に立ちます」と祈るべきだったのだ。 その苦しみの時を経て、ようやく神に対する考えが変わり始めた。「恵みとまことは互いに出会い、義と平和は口づけをする」(詩篇85:10)。「恵みとまことが出会う」と書かれている。まこと(真理)は変わらず、常に柱のように立っている。そして同時に、神は恵みも持っておられる。「義と平和が口づけをする」とある。正義を語る者は、不義を断ち切る剣を持っている。だから血が流れる。人間のやり方はそうである。 しかし神のやり方は、その義と平和が口づけを交わすというのである。神は義なるお方であるが、同時に平和を与える方でもある。ただ真理の神ではなく、ただ慈しみの神でもない。ただ義の神ではなく、ただ平和の神でもない。 偏りやすい人間の理性や感情では理解しがたいが、霊の人はそれを学び、人生に適用する。イスラエルは言葉ではなく、経験を通して明確な答えを得た。彼らは不義を犯し、苦しんだが、憐れみ深い神は再び彼らに平和を与えた。神は愛しておられるが、打たれることもあり、打たれてもその憐れみを決して手放されなかった。 最も愚かなのは、このサイクルを繰り返すことである。神を知り、神の御言葉の前にへりくだるならば、苦しみの車輪に巻き込まれずに済む。彼らは今、回復の場に立ち、より偉大なる神を礼拝し、神の側に立って生きていくことになるのだ。

시편 묵상 【하나님을 알아가는 기쁨】 20250701(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

시편 85:1~13 85:1 여호와여 주께서 주의 땅에 은혜를 베푸사 야곱의 포로 된 자로 돌아오게 하셨으며 85:2 주의 백성의 죄악을 사하시고 저희 모든 죄를 덮으셨나이다(셀라) 85:3 주의 모든 분노를 거두시며 주의 진노를 돌이키셨나이다 85:4 우리 구원의 하나님이여 우리를 돌이키시고 우리에게 향하신 주의 분노를 그치소서 85:5 주께서 우리에게 영원히 노하시며 대대에 발분하시겠나이까 85:6 우리를 다시 살리사 주의…

詩篇 黙想 【心の中にシオンへの大路のある人】 20250630(月) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

詩篇 84:1~12 84:1 万軍の主よあなたの住まいはなんと慕わしいことでしょう。 84:2 私のたましいは主の大庭を恋い慕って絶え入るばかりです。私の心も身も生ける神に喜びの歌を歌います。 84:3 雀さえも住みかを 燕もひなを入れる巣をあなたの祭壇のところに得ます。万軍の主私の王私の神よ。 84:4 なんと幸いなことでしょう。あなたの家に住む人たちは。彼らはいつもあなたをほめたたえています。セラ 84:5 なんと幸いなことでしょう。その力があなたにあり心の中にシオンへの大路のある人は。 84:6 彼らは涙の谷を過ぎるときもそこを泉の湧く所とします。初めの雨もそこを大いなる祝福でおおいます。 84:7 彼らは力から力へと進みシオンで神の御前に現れます。 84:8 万軍の神主よ私の祈りを聞いてください。ヤコブの神よ耳を傾けてください。セラ 84:9 神よわれらの盾をご覧ください。あなたに油注がれた者の顔に目を留めてください。 84:10 まことにあなたの大庭にいる一日は千日にまさります。私は悪の天幕に住むよりは私の神の家の門口に立ちたいのです。 84:11 まことに神である主は太陽また盾。主は恵みと栄光を与え誠実に歩む者に良いものを拒まれません。 84:12 万軍の主よなんと幸いなことでしょう。あなたに信頼する人は。   コラの子孫は神殿で賛美を担当していた人々である。しかし、現在は礼拝を捧げることができない状況に置かれているようだ。それは意志の問題ではなく、外的な状況によるものである。だから彼らは神殿を見つめ、神と出会っていたあの日々を懐かしんでいる。欠乏によって生まれる渇望を見れば、その慕わしさの深さが分かる。雀が住みかを得て、燕が巣を作るように、神を慕う者の真の住まいは、神の臨在そのものである。 この美しい詩篇にも、「涙の谷」は欠かせない。信仰の旅路には、苦しみと涙が伴う。しかし、神を求める者は、その苦しみの谷間にあっても恵みを見出す。その谷で泉が湧き出し、初めの雨が降るのを見る。涙は祈りとなり、苦しみは命の種へと変えられる。恵みを体験した者は、現実を肉の目だけで見ない。苦難があるからこそ、神の臨在はより深く味わわれるのだ。ゆえに、その「涙の谷」さえも、恵みの谷へと変えることのできる人なのである。 詩人は単純な人である。複雑ではない。なぜなら、すべての判断基準と優先順位が「神」であるからだ。信仰の集中力は、この優先順位の単純さから生まれる。計算に長けた人は、むしろ損をすることがある。「悪者の天幕に住むよりも、私の神の宮の門守でいることを選びます。」これは詩人の人生全体を貫く優先順位の告白ではないだろうか。世の高き場所よりも、神のそばにある低き場所を選ぶ。この優先順位を「献身」と呼んでもよいだろう。単純でありながら、賢明である。彼らにとって神が与える「何か」が祝福なのではなく、神ご自身が祝福なのである。「なんと幸いなことでしょう。その力があなたにあり心の中にシオンへの大路のある人は。詩篇84:5」

시편 묵상 【그 마음에 시온의 대로가 있는 자】 20250630(월) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

시편 84:1~12 84:1 만군의 여호와여 주의 장막이 어찌 그리 사랑스러운지요 84:2 내 영혼이 여호와의 궁정을 사모하여 쇠약함이여 내 마음과 육체가 생존하시는 하나님께 부르짖나이다 84:3 나의 왕, 나의 하나님, 만군의 여호와여 주의 제단에서 참새도 제 집을 얻고 제비도 새끼 둘 보금자리를 얻었나이다 84:4 주의 집에 거하는 자가 복이 있나이다 저희가 항상 주를 찬송하리이다(셀라) 84:5 주께 힘을…