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出エジプト記 40章 1~16
39:32 こうして、会見の天幕である幕屋のすべての奉仕が終わった。イスラエルの子らは、すべて主がモーセに命じられたとおりに行い、そのようにした。
39:33 彼らは幕屋をモーセのところに運んで来た。天幕とそのすべての備品、留め金、板、横木、柱、台座、
39:34 赤くなめした雄羊の皮の覆い、 じゅごんの皮の覆い、 仕切りの垂れ幕、
39:35 あかしの箱と、その棒、「宥めの蓋」、
39:36 机と、そのすべての備品、臨在のパン、
39:37 きよい燭台と、そのともしび皿、すなわち一列に並べるともしび皿、そのすべての道具、ともしび用の油、
39:38 金の祭壇、注ぎの油、香り高い香、そして天幕の入り口の垂れ幕、
39:39 青銅の祭壇と、それに付属する青銅の格子、その棒、そのすべての用具、洗盤とその台、
39:40 庭の掛け幕と、その柱、その台座、庭の門のための垂れ幕と、そのひも、その杭、会見の天幕の幕屋の奉仕に用いるすべての用具、
39:41 聖所で務めを行うための式服、すなわち、祭司アロンの聖なる装束と、祭司として仕える彼の子らの装束である。
39:42 イスラエルの子らは、すべて主がモーセに命じられたとおりに、そのとおりに、すべての奉仕を行った。
39:43 モーセがすべての仕事を見ると、彼らは、見よ、主が命じられたとおりに行っていた。そこでモーセは彼らを祝福した。

 

モーセは39章で幕屋建設に献身した民を祝福し、40章でそれら機能に合わせて設置と配置をします。それも、命じられたとおり行ったことであって、設計とデザインは、神様のものです。神様はご自身が願うことを民に啓示されます。その啓示は、神様の働きに加えるようにと呼びかけることであります。神様の召しを受けた民は、献身し、自分の生活を調整しなければありません。そのような神様との関係に入った人は、今まで経験したことと違う新しい次元の神様を経験することができます。しかし、信仰と献身がなければ、神様を体験することはできません。それが出エジプト記の最後のページを読んでいる私たちに与える霊的な期待感です。

 

聖所が(ミクタシュמִקְדָּשׁ)であり、それは「居住する」という意味の動詞(シャカンשָׁכַן)から出てきた言葉です。そして、この動詞から派生した(ミシュカンמִּשְׁכָּן)が幕屋です。だから、神様はこれからこの幕屋に居住しておられます。神様が民と一緒におられるために引っ越ししてこられたわけでありです。イエス・キリストが受肉して来られたとき、インマヌエル(עִמָּנוּאֵל)と呼ばれたことを覚えます。「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。マタイ1:23」私たちと同居するために来られたのです。12部族のイスラエルは、その幕屋を中心に囲み、それぞれ自分の天幕を建てて神様と一緒に住みました。

 

出エジプト記は、イスラエルの民がエジプトを出てカナンの地に入ることで終わることではなく、礼拝が整えることで終りました。出エジプト記を振り返ってみると、約束に基づいて奴隷を選び、それを引き出したくださり、シナイ山で契約を結ばれ、それを通して礼拝を始められ恵みであって、さらにこれからは幕屋に一緒に住んでおられる恵みです。イスラエルの民は新たな次元で神様を経験するようになります。それが神様を礼拝する生活です。

 

幕屋は出エジプトした元年の6月中旬から始め、その年の12月末まで、約6ヶ月程度がかかり、落成式は年越して、翌年元日にしました。その日程も神様が定めました。私たちの教会も移転してから、まだ献堂式を行っていませんが、この教会献堂式の日程も、神様が定めてくださると思います。神様に献身した民と一緒に、今ここにおられる神様を礼拝し、私たちは新たな次元の神様の恵みを経験していきます。