Ⅰペテロ QT4 20201217木 【信仰が建てる尊重】 1ペテロ 3章1~12
1ペテロ 3章1~121 同じように、妻たちよ。自分の夫に服従しなさい。たとい、みことばに従わない夫であっても、妻の無言のふるまいによって、神のものとされるようになるためです。2 それは、あなたがたの、神を恐れかしこむ清い生き方を彼らが見るからです。3 あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものでなく、4 むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。5 むかし神に望みを置いた敬虔な婦人たちも、このように自分を飾って、夫に従ったのです。6 たとえばサラも、アブラハムを主と呼んで彼に従いました。あなたがたも、どんなことをも恐れないで善を行なえば、サラの子となるのです。7 同じように、夫たちよ。妻が女性であって、自分よりも弱い器だということをわきまえて妻とともに生活し、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい。それは、あなたがたの祈りが妨げられないためです。8 最後に申します。あなたがたはみな、心を一つにし、同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜でありなさい。9 悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。10 「いのちを愛し、幸いな日々を過ごしたいと思う者は、舌を押さえて悪を言わず、くちびるを閉ざして偽りを語らず、11 悪から遠ざかって善を行ない、平和を求めてこれを追い求めよ。12 主の目は義人の上に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。しかし主の顔は、悪を行なう者に立ち向かう。」 歴史上、キリスト教の信仰は人類の半分の女性の権利伸張において大きな影響を与えましたた。教会が私たちの社会に入ってきて、初めて女性の名前を呼んでくれました。誰々のママと呼ばれていた女性に名前を付けて執事と呼んだとき、それは初めて経験する社会的、また個人的な尊重でした。 聖書が男性優越主義というのは誤解です。二千年から五千年にまでさかのぼる古代のコンテキストを理解すると、聖書が言う女性の地位はまさに革命的な進歩といえます。聖書を唯一の生活の規範とする人々を通して、今も公平と定義に基づいた人間の権利は、さらに進んでいます。 一部の男性優越主義や一部の被害意識に偏ったフェミニズムは、この本文を取り囲んで神経戦を繰り広げますが、今日の本文は、男女の優劣を決める対決の本文ではありません。要約すると、女性と男性が互いに尊重しながら仕え合うことです。支配したり、一方的に教えることではなく、仕え合うことによって家庭と教会に徳を高めます。それが真実なものであるならば、命の実、すなわち宣教の実をも結ぶのです。 それは隣人においても同様です。クリスチャンの実力行使というのは、変わらない神様の愛を変わりつつある世においてどのようなコードに変換して流すかということです。信仰の真正性は、家庭、職場、共同体の関係性の中で結ばれる実として表します。 朝のQTのみ言葉はダニエルに続いてⅠペテロを読んでいて、水曜礼拝にはⅡペテロの1章から聖徒の成長について読んでいます。それから今朝の祈祷会のみ言葉は箴言の「心のきよさを愛し、優しく話をする者は、王がその友となる。22:11」でした。 最近、繰り返し、重なっていただくみ言葉の共通のテーマは「建徳」です。徳を高めること、正否を定めることよりも耐えぬき、抱いていくことです。私たちは、教会の建物の購入を推進しています。教会を立てるということは、地域と時代に神様の徳を高めることです。神様の素晴らしい徳を高く宣伝する一日になることを願います。