マタイによる福音書 QT15 20210128木【現象と本質】マタイ 7章 13~29
マタイ 7章 13~297:13 狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入って行く者が多いのです。7:14 いのちに至る門はなんと狭く、その道もなんと細いことでしょう。そして、それを見出す者はわずかです。7:15 偽預言者たちに用心しなさい。彼らは羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、内側は貪欲な狼です。7:16 あなたがたは彼らを実によって見分けることになります。茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるでしょうか。7:17 良い木はみな良い実を結び、悪い木は悪い実を結びます。7:18 良い木が悪い実を結ぶことはできず、また、悪い木が良い実を結ぶこともできません。7:19 良い実を結ばない木はみな切り倒されて、火に投げ込まれます。7:20 こういうわけで、あなたがたは彼らを実によって見分けることになるのです。7:21 わたしに向かって『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。7:22 その日には多くの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言し、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの奇跡を行ったではありませんか。』7:23 しかし、わたしはそのとき、彼らにはっきりと言います。『わたしはおまえたちを全く知らない。不法を行う者たち、わたしから離れて行け。』7:24 ですから、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人にたとえることができます。7:25 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家を襲っても、家は倒れませんでした。岩の上に土台が据えられていたからです。7:26 また、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行わない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人にたとえることができます。7:27 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもその倒れ方はひどいものでした。」7:28 イエスがこれらのことばを語り終えられると、群衆はその教えに驚いた。7:29 イエスが、彼らの律法学者たちのようにではなく、権威ある者として教えられたからである。 「いのちに至る門はなんと狭く、その道もなんと細いことでしょう。そして、それを見出す者はわずかです。14」狭く見えますが、実は欲望と虚像の大きい門を捨てることであるため、でむしろ安全な道です。狭い門に入れば、より詳しく見えます。ですから、神様の御言葉に基づいて選択を行うというのは現実的であり、具体的なことです。恐ろしいことですが、人の根本は実で知ることができます。間違いなく選択は結果を生みだすからです。衣を着ていても裸のようにさらされます。本質は現象を通して自分を現します。物事の道理を言うということは、現象の中から本質を読み取ることです。良い木が良い実を結び、悪い木が悪い実を結ぶということは、理にかなっていることです。悪い実を結んだ木に対して悪い木だと言っても、その木に言い訳はできません。良い実を出すのが良い木だからです。 本質を追い求める人は、価値に焦点を当てます。しかし、現象を追う人は実を飾ります。たとえ「主の名によって預言し、悪霊を追い出し、多くの奇跡を行っでも、主は彼を知らない」ということは恐ろしいです。中身のない実です。その偽善から自分を守るのは、24節以下です。「ですから、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人にたとえることができます。24」「わたしのこれらのことばを聞いて、それを行う者」は、大きい門と偽預言者の惑わしに打ち勝ち、悪い実を結びません。神様の御言葉を聞き、それに従い、行うからです。「雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家を襲っても、家は倒れませんでした。岩の上に土台が据えられていたからです。25」、神様の御言葉が客体ではなく、主体となった人には、たとえ門が狭くても悪な者たちの貪欲と偽善の泥沼に落ちません。