マタイによる福音書 QT35 20210220金【救われる資格】マタイ 15章 21~28

マタイ 15章 21~2815:21 イエスはそこを去ってツロとシドンの地方に退かれた。15:22 すると見よ。その地方のカナン人の女が出て来て、「主よ、ダビデの子よ。私をあわれんでください。娘が悪霊につかれて、ひどく苦しんでいます」と言って叫び続けた。15:23 しかし、イエスは彼女に一言もお答えにならなかった。弟子たちはみもとに来て、イエスに願った。「あの女を去らせてください。後について来て叫んでいます。」15:24 イエスは答えられた。「わたしは、イスラエルの家の失われた羊たち以外のところには、遣わされていません。」15:25 しかし彼女は来て、イエスの前にひれ伏して言った。「主よ、私をお助けください。」15:26 すると、イエスは答えられた。「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのは良くないことです。」15:27 しかし、彼女は言った。「主よ、そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパン屑はいただきます。」15:28 そのとき、イエスは彼女に答えられた。「女の方、あなたの信仰は立派です。あなたが願うとおりになるように。」彼女の娘は、すぐに癒やされた。   イエス様がツロとシドン地方に行かれたときにシリア・フェニキア出身の異邦の女性が、悪霊につかれた娘を連れてきてイエス様に助けを求めました。しかし、イエス様は、いつもと違って沈黙してから「イスラエルの家の失われた羊たち以外のところには、遣わされていません。…子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのは良くないことです。」と言われます。ユダヤ人ではない理由で拒絶されたのです。   侮辱的かつ差別的な言葉を聞き、さらに拒絶された彼女は「主よ、そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパン屑はいただきます。」と答えます。イエス様はこの信仰を大きく賞賛し、娘をいやしてくださいました。この事について女性の謙虚さが救いの条件になったと思いますが、女性は、おそらく以前から十分に謙虚だったと思います。病んでいる子供に何もしてあげられない親にとって、自尊心のようなものはありません。娘に悪霊が入った瞬間から侮辱的、差別的な人生になりました。そういう意味で彼女は謙虚にならざるえない人だったのです。   イエス様が認め、賞賛された信仰は、神様に対するの知識なねかもしれません。自分は、神様の恵みを受けるに値する対象ではないということ、それにもかかわらず、「助けてください」と恵みを求めば、神様は恵みを与えてくださる方であることを信じたのです。   何の資格もない者が憐れみ深い救いを経験します。救われるのが当然だと思ったユダヤ人は、かえって救われませんでした。救いは、予期せぬ喜びです。何の資格も、功労もなく受けるものです。救われるべき何かをしたことがありません。   結果的に女性と娘は食卓からパンくずを食べたのではなく、子とされたのです。信仰は、ユダヤ人とギリシヤ人に差別はありません。救われる資格は、心の門を開け、求めるすべての人にあります。「ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。ローマ10:12」

마태복음 QT35 20210220토【구원의 자격】마태 15장 21~28

마태 15장 21~2815:21 예수께서 거기서 나가사 두로와 시돈 지방으로 들어가시니15:22 가나안 여자 하나가 그 지경에서 나와서 소리질러 가로되 주 다윗의 자손이여 나를 불쌍히 여기소서 내 딸이 흉악히 귀신들렸나이다 하되15:23 예수는 한 말씀도 대답지 아니하시니 제자들이 와서 청하여 말하되 그 여자가 우리 뒤에서 소리를 지르오니 보내소서15:24 예수께서 대답하여 가라사대 나는 이스라엘 집의 잃어버린 양 외에는 다른데로…