マタイによる福音書 QT58 20210319金【この時代が過ぎ去る前に】マタイ 24章 29~35
マタイ 24章 29~3524:29 そうした苦難の日々の後、ただちに太陽は暗くなり、月は光を放たなくなり、星は天から落ち、天のもろもろの力は揺り動かされます。24:30 そのとき、人の子のしるしが天に現れます。そのとき、地のすべての部族は胸をたたいて悲しみ、人の子が天の雲のうちに、偉大な力と栄光とともに来るのを見るのです。24:31 人の子は大きなラッパの響きとともに御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで四方から、人の子が選んだ者たちを集めます。24:32 いちじくの木から教訓を学びなさい。枝が柔らかになって葉が出て来ると、夏が近いことが分かります。24:33 同じように、これらのことをすべて見たら、あなたがたは人の子が戸口まで近づいていることを知りなさい。24:34 まことに、あなたがたに言います。これらのことがすべて起こるまでは、この時代が過ぎ去ることは決してありません。24:35 天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることがありません。 昨日の本文がエルサレムと神殿に臨む危機の予言でしたが、今朝の本文はそれに続いて29節に「そうした苦難の日々の後、ただちに」で始まります。これは文脈上の3節の弟子たちの質問に対するイエス様のお答えです。イエス様が神殿の破壊について言われた時、弟子たちが「その時がいつですか」と質問したものです。 29節の「太陽は暗くなり、月は光を放たなくなり、星は天から落ち、天のもろもろの力は揺り動かされます。」というところを読めば雰囲気上、終末の予言であることは確かですが、しかし以前から気になっていたのは、34節の「この時代が過ぎ去る前にすべて起こる」という点です。世界の終わりが、当時にそれを聴いていた弟子たちの世代に起こるということは、時間的に理解しがたいからです。 29節は、イエス様がイザヤ13章10節を引用したものです。「天の星、天のオリオン座はその光を放たず、太陽は日の出から暗く、月もその光を放たない。13:10」ところが、イザヤ13章の文脈を見ると、バビロン帝国の滅亡に関する内容であることがわかります。世界の終末ではなくバビロンという国の滅亡に黙示の言語が使われたなら、ユダヤの滅亡にこのような言語が引用されるのも異常ではありません。 また、30節で、「人の子のしるしが天に現れ…人の子が天の雲のうちに、偉大な力と栄光とともに来るのを見るのです。」という言葉も、ダニエル7章13〜14節「私がまた、夜の幻を見ていると、見よ、人の子のような方が天の雲とともに来られた。その方は『年を経た方』のもとに進み、その前に導かれた。この方に、主権と栄誉と国が与えられ、諸民族、諸国民、諸言語の者たちはみな、この方に仕えることになった。その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。」に基づいています。ダニエル7章の文脈で「人の子の現れ」とは、人の子が地上の方に来るのではなく、権威と栄光を受けるために神様の方に行くものであり、その結果として、人の子に権威と王権が与えられ、全世界がそれを知るということを意味します。 そのような意味で、昨日も述べたように、この部分は、エルサレムと神殿の破壊についての話である理解の方が正しいと思います。もう一つ付け加えるなら、明日の本文となる36節で、「ただし、その日、その時がいつなのかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。」つまり、人の子が臨む世界の終わりというのは、その時間を知ることができないとはっきりと言われているので、「この世代が経過する前にこのすべてが起こる」と言われた出来事が世界の終わりになることはないということです。 変化を訴え、改革を促しますが、最終まで変化しないことについては滅びがあります。それは人間側の滅びですが、歴史の主である神様の側から見れば創造的な破壊なのです。イエス様は、時代の宗教が持つ偽善を厳重に叱られた後、それでも変化しないもののために、唯一の変化の機会である滅びを言われたのです。まず、解決すべきものは、天上の黙示ではなく、この地の不条理と偽善的であるようです。