士師記 QT22 210904土【サムソンの力】士師記 14章 1~9
士師記 14章 1~914:1 サムソンは、ティムナに下って行ったとき、ペリシテ人の娘で、ティムナにいる一人の女を見た。14:2 彼は上って行って、父と母に告げた。「私はティムナで一人の女を見ました。ペリシテ人の娘です。今、彼女を私の妻に迎えてください。」14:3 父と母は言った。「あなたの身内の娘たちの中に、また、私の民全体の中に、女が一人もいないとでも言うのか。無割礼のペリシテ人から妻を迎えるとは。」サムソンは父に言った。「彼女を私の妻に迎えてください。彼女が気に入ったのです。」14:4 彼の父と母は、それが主によることだとは知らなかった。主は、ペリシテ人と事を起こす機会を求めておられたのである。そのころ、ペリシテ人がイスラエルを支配していた。14:5 サムソンは彼の父と母とともにティムナに下り、ティムナのぶどう畑にやって来た。すると見よ、一頭の若い獅子が吼えたけりながら彼に向かって来た。14:6 このとき、主の霊が激しく彼の上に下ったので、彼はまるで子やぎを引き裂くように、何も手に持たず獅子を引き裂いた。サムソンは自分がしたことを父にも母にも告げなかった。14:7 サムソンは下って行って、その女と話した。サムソンは彼女が気に入った。14:8 しばらくたってから、サムソンは彼女を妻にしようと戻って行った。あの獅子の死骸を見ようと、脇道に入って行くと、なんと、獅子のからだに蜜蜂の群れがいて、蜜があった。14:9 彼はそれを両手にかき集めて、歩きながら食べた。彼は自分の父母のところに行って、それを彼らに与えたので、彼らも食べた。その蜜を獅子のからだからかき集めたことは、彼らには告げなかった。 サムソンが生まれたのは不思議な神様のご計画と御業によるものです。神秘主義に対する警戒をよく言う方ですが、「人間の神秘主義」と「神の神秘」は違います。神様は、いかなる場合にも確かに神秘であられます。人間が自分のために神様の神秘を追い求め、信仰の立場がこの地ではなく、虚空になってしまうからそれを警戒することであって、神様が神秘であることには変わりがありません。 不思議の神様の計画と選択と力によってサムソンは生まれました。サムソンの存在と能力はペリシテに苦しむイスラエルを救うためであります。14章からは成長したサムソンに使命を達成するための力を現われます。しかし、サムソンも、罪の中から生まれたので罪から自由な存在ではないし、堕落した世の空気を吸っている限り、完全にはなりません。常に危機という緊張感を持たなければなりませんでした。 サムソンはナジル人に生まれたので、特別な能力が与えられています。特別な能力があったから献身者として選ばれたのではなく、使命を受けた献身者だから、それに必要な能力が与えられているのです。だから、サムソンはお酒を飲まないこと、髪を切らないこと、不正なものに触れないことを守らなければなりません。それの能力を守るため、神様との約束です。 ということでサムソンは、敵国であるペリシテの女性と結婚することはできません。イスラエルが苦しんでいるのは、イスラエルの男性が異邦の女性を取り、その女性が持ち込んだ偶像を一緒に仕えたからです。サタンはサムソンの力を弱めることはできません。相手の力を逆利用して足をかけ、自分の力で倒れるようにするのがサタンです。サムソンは力のゆえに自信感がなったようです。それが危機を呼びます。神様の賜物を長い間用いる方法は、自信感ではなく、節制と謙虚です。 *昨日は黙想をアップロードできなくてすみませんでした。