ヨブ記 QT14 211016土【ビルダデの自己確信】ヨブ記 8章 8~22
ヨブ記 QT14 211016土【ビルダデの自己確信】ヨブ記 8章 8~22 ヨブ記 8章 8~228:8 さあ、先人に尋ねよ。先祖たちの探究したことを確かめよ。8:9 私たちは昨日からの者で、何も知らない。私たちの地上の日々は影にすぎないのだ。8:10 彼らはあなたに教え、あなたに語りかけ、その心からことばを発しないだろうか。8:11 パピルスは沼地がなくても育つだろうか。葦は水がなくても伸びるだろうか。8:12 まだ若芽のときに、引き抜かれもしないのに、ほかの草に先立って枯れる。8:13 すべて神を忘れる者の道はこのようだ。神を敬わない者の望みは消え失せる。8:14 その人の確信は、か細いクモの糸、その信頼はクモの巣だ。8:15 自分の家に寄りかかると、家はそれに耐えきれない。これにすがりついても、それは持ちこたえない。8:16 神を敬わない者は日に当たって青々と茂り、その若枝は庭に生え出る。8:17 その根は石塚に絡まり、石造りの家に生え広がる。8:18 しかし、彼がその場所から取り除かれるなら、その場所は、彼を見たことがない、とうそぶく。8:19 見よ、これこそが彼の道の喜びである。その土からは、ほかのものが生え出る。8:20 見よ。神は誠実な人を退けることはなく、悪を行う者の手を取ることはない。8:21 神は、ついには笑いをあなたの口に、喜びの叫びをあなたの唇に満たされる。8:22 あなたを憎む者は恥を身にまとい、悪しき者の天幕はなくなる。 ビルダデの言葉はエリファズより鋭く心に突き刺さるものです。ビルダデは歴史と伝統を一般化させ、そのうえヨブを特殊な離脱者に規定することによって、ヨブをさらに苦しめています。ビルダデは、自分が言っていることが正しいことであると確信し、陶酔しています。詩的な言語を用いていますが、彼の言いたいことは「火の無い所に煙は立たぬ」ということです。隠された罪があり、ヨブはその報いを受けているというのがビルダトの分析でした。 私たちはヨブの友人を憎らしく思うかも知れませんが、その一方で馴染み深いようにも思います。彼らはまるで演劇の舞台でヨブを囲み、それぞれ自分のセリフを読んでいるようですが、私たちは目には見えない舞台の裏に立ち、自分の思いに確信し、また分析しながら批判します。つまり隣人の分析に夢中なのです。その根拠は、それぞれ異なりますが、自分の論理の中で自己確信に陥っているのではないでしょうか。そう言った意味でもヨブの友人の毒舌は私たちにとって馴染み深いのです。 20節以下は、ヨブを励ましているような言葉ですが、それも、結局は悪しき者の天幕はなくなるということで、最終通達のような言葉です。確信に満ちた人々が恐ろしいものです。他人について確認できることはさほど多くないのではないでしょうか。他人の裏話しが好きな人の特徴は、事実関係の確認をしないことです。勝手な思いは自分の世界の中で増幅され、事実と異なるフィクションになっていきます。心を共感することができなければ、口のアドバイスは、痛んでいる人をさらに痛めます。私のための私の論理が、私を支配しないように、心の窓を開き、空気を入れ替えたいと思います。