ヨブ記 QT22 211026火【原因の糾明】ヨブ記 13章 1~19
ヨブ記 13章 1~1913:1 見よ。私の目はこれらすべてのことを見た。私の耳も聞いて、それを理解している。13:2 あなたがたが知っていることは私もよく知っている。私はあなたがたより劣ってはいない。13:3 けれども、この私は全能なる方に語りかけ、神と論じ合うことを願う。13:4 しかし、あなたがたは偽りを塗る者、みな無用の医者だ。13:5 ああ、あなたがたが沈黙を守っていたら、それがあなたがたの知恵となっていただろうに。13:6 さあ、私の論じるところを聞き、私の唇の訴えに耳を傾けよ。13:7 あなたがたは、神のためにと言って不正を語り、神のためにと言って欺くことを語るのか。13:8 あなたがたは、神の顔を立てるつもりか。神のためにと、言い争うつもりか。13:9 神があなたがたを調べても、かまわないのか。人を欺くように神を欺こうとするのか。13:10 神は必ずあなたがたを責める。ひそかに自分の顔を立てようとするなら。13:11 神の威厳があなたがたをおびえさせ、神の恐れがあなたがたに下るのではないか。13:12 あなたがたの申し立ては灰のことば。あなたがたの弁明は粘土の盾だ。13:13 黙れ。私に関わるな。この私が話す。私に何が降りかかってもかまわない。13:14 何のために私は、自分の肉を歯にのせ、自分のたましいを手のひらに置くのか。13:15 見よ。神が私を殺しても、私は神を待ち望み、なおも私の道を神の御前に主張しよう。13:16 神もまた、私の救いとなってくださる。神を敬わない者は、御前に出ることはできない。13:17 あなたがたは、私のことばをよく聞け。私の述べることを、自分の耳で。13:18 今、私は自分の言い分を並べる。自分が義とされることを私は知っている。13:19 だれか私と論争する者がいるのか。もしいるなら、今にも私は黙って息絶えよう。 友人らは原則に基づいてヨブの弱みを見つけようと悩んでいますが、ヨブは神学的問題を抱えて悩んでいます。ヨブは自分に罪がないことを確信し、自分の無罪を証明しようとします。それはヨブが罪を認識していなかったのではないと思います。ヨブは常に自分と家族の問題を見つけ、いけにえをささげた人です。神様の前に罪認識がない人ではないということです。 ただ、今の苦痛をもたらした罪を見つけることができません。無罪の抗弁よりもヨブは原因を究明しようとしているのです。「すべては私が足りないからだ」と言ってしまえば、一見悔い改めたように見えますが、それは大切なものから目を背けてしまうことにもなります。ヨブの友人らの無責任な攻撃とは異なり、誰かがヨブの罪を納得できる方法で立証してくれれば、ヨブはその責任を負って死ぬ覚悟があると言っています。 その根本的な問題を知らなければ、いつか回復したときに、何を変えるべきかが分かりません。もちろん行為による結果というのは依然としてあります。昨日どのように生きたのかが、明日どのように生きるかを決めます。反省して回復しなければならない問題は確かにあります。しかし、すべてがそうなのではありません。痛みの中で最も大きい痛みである死の場合もそうです。その時期についても、理由についても誰も知りません。それは反省するも言ったところで、元に戻るようなものではありません。 神様の恵みを放蕩に使ってはならないように、攻められる苦難においても罪悪感を抱いたり挫折してはいけません。私たちが、今後どのような苦難に遭うか分かりませんが、それも神様の愛の中で許されていることを覚えましょう。ヨブは裁判長である神様の前に立っている被疑者であり、友達は犯してもない罪を作って起訴しようとする検事のようです。訴える者、嘘をつく者、断罪する者の前で、罪責し、挫折するだけなら、負けます。苦難の道を歩む時でも、たとえ、私たちに罪あるときも、ないときも、それが罪によって滅ぼされるのではないことを言ってくださる弁護士がおられるなら、それに頼りたいと思います。