ヨブ記 QT32 211108月【ツォファルの自己嫌悪】ヨブ記 20章 12~29
ヨブ記 20章 12~2920:12 たとえ悪が口に甘く、彼がそれを舌の裏に隠していても、20:13 あるいはそれを惜しんで捨てようとせず、口の奥にとどめていても、20:14 彼が食べた物は腹の中で変わり、彼の内側でコブラの毒となる。20:15 富を吞み込んでも、彼はまたそれを吐き出す。神がそれを彼の腹から出される。20:16 彼はコブラの毒を吸い、まむしの舌が彼を殺す。20:17 彼は豊かな水の流れを見ることがない。蜜と凝乳の流れる川を。20:18 労苦して得たものも、吞み込まずに返し、商いで得た富も楽しめない。20:19 彼が弱い者を踏みにじって見捨て、自分で建てたのではない家を奪い取ったからだ。20:20 彼の腹は満足することを知らないので、欲しがっている物を、何一つ逃さない。20:21 彼が食べるためのものは何も残っていない。それゆえ、彼の繁栄は長くは続かない。20:22 彼は、豊かさが満ちるときに苦境に立たされ、労苦する者の手がことごとく彼に押し寄せる。20:23 彼が腹を満たそうとすると、神は燃える怒りを彼に送り、憤りを彼の上に降らせる。20:24 彼が鉄の武器を逃れても、青銅の弓が彼を射抜く。20:25 矢が貫いて背中から出、きらめく矢じりが貫いて肝から出る。恐怖が彼の上に臨む。20:26 すべての闇が彼の宝として隠され、吹き起こしたのではない火が彼をなめ尽くし、彼の天幕に生き残っている者も痛手を被る。20:27 天は彼の咎をあらわにし、地は彼に逆らって立つ。20:28 彼の家の作物はさらわれ、御怒りの日に消え失せる。20:29 これが悪しき人間が神から受ける分、神によって定められた、彼の受け継ぐものである。 ツォファルは、悪は必然的に滅びると言います。しかしその真意は「悪」ではなく「ヨブ」が滅びるということ。ヨブが滅びを招き、その結果として神様の裁きを受けていると言うのです。ヨブの苦しみは、ヨブが口の奥に毒をとどめていたので、それが腹の中に入ったことであって、その毒とは間違いなくヨブの貪欲と搾取によって集めた財産であると断定します。だから神様はヨブのものをすべて吐き出させた、というのがツォファルの診断でした。ヨブの事件を自業自得という原理で解き、ツォファルのたとえ話や表現も文学的に優れていますが、あくまでも想像にすぎません。前提が間違っているので、派手な表現や説得力があっても、それはむしろより危険なことになります。 人には自分で認めたくない欠点というものがあるはずです。それが深刻になると、自分の欠点が誰かに投影され、鏡のように見えてしまうと、敏感にそれを嫌悪します。ほとんどの場合、親は自分の子どもから自分の欠点が見つかったとき、必要以上に怒ることがあります。自分の欠点が他人から発見されれば、自分と直接的な関係がないにもかかわらず、許さなくなりますが、これを心理学で言う「自己嫌悪」です。自己を嫌悪することは、他人の嫌悪として現れ、攻撃的な性向を示すということです。 ツォファルの説得力のある話しを聞いていると、ツォファルは悪人についてよく知っていると思いました。どうすればお金をうまく稼げるのか、どうすれば自分の口の中に毒を隠しておくことができるのかをよく知っている人だと思います。それで、自分が一方的に想像したヨブの悪であって、それを許さないのです。ツォファルがそのような人だからではないでしょうか?そんな自分を許さないので、そのように見えるヨブを許さないのです。そういえば、ツォファルの言葉には確かに嫌悪があります。ツォファルはヨブに投影された「自分」を嫌悪しているかもしれません。 自己嫌悪の人は、通常高い自己把握能力を持っています。自分の問題についてよく知っています。しかし、自己嫌悪は直接的な自学として現れず、それを否定するための防衛機制として他人を強く批判する攻撃性で現れます。説教しながら人に信仰がないということを叱責する私の姿や、多くの牧師たちのどなりつけの声がを聞こえるたびに、ツォファルの自己嫌悪の防衛機制が思い起こされます。