ヨブ記 QT49 211210金【観点の喚起】ヨブ記 32章 1~10
ヨブ記 32章 1~1032:1 この三人はヨブに答えるのをやめた。ヨブが自分を正しいと思っていたからである。32:2 すると、ラム族のブズ人、バラクエルの子エリフが怒りを燃やした。彼は、ヨブが神よりも自分自身のほうを義としたので、ヨブに向かって怒りを燃やしたのである。32:3 彼はまた、その三人の友に向かっても怒りを燃やした。彼らがヨブを不義に定めながら、言い返せなかったからである。32:4 エリフは、彼らが自分よりも年長だったので、ヨブに語りかける時を待っていた。32:5 エリフは三人の者の口に答えがないのを見て、怒りを燃やした。32:6 ブズ人、バラクエルの子エリフは答えて言った。私は年が若く、あなたがたは年をとっている。だから私はわきに控え、遠慮してあなたがたに私の意見を述べなかった。32:7 私は思った。「日を重ねた者が語り、年の多い者が知恵を教えるのだ」と。32:8 確かに、人の中には霊があり、全能者の息が人に悟りを与える。32:9 だが、年長者が知恵深いわけではない。老人が道理をわきまえているわけでもない。32:10 だから私は言う。「私の言うことを聞いてくれ。私も自分の意見を述べよう。」 ヨブの友人は不寛容で独断的な教条主義者であり,自分の固まった視点以外には考えられない人でした。これを教えることはできません。聞く耳、学ぶ器を持っていないからです。耳で聞いても頭に入りません。ヨブ記の黙想でヨブの3人の友人が、考えずに、耳で聞いたことを口で言うといいましたが、自分が考え、自分の言語で編集するならば、考え方と言葉は変わってくるはずです。自分の言葉にしてそれを使うことでなければ、耳に聞こえたことを口に移すだけです。その中には命がありません。ヨブも負けないし、友人たちはそのようなヨブに両手上げ、議論は止まりました。 そのような状況で、エリフが登場します。エリフがどこでどのようにこの会話を聞いていたのかは分かりませんが,エリフは年上であるヨブと友人たちの議論を見て失望し,ヨブと友人たちの会話に説得力がなかったことを批判しながら立ち上がります。彼は、ヨブとヨブの友人とは異なり、視点を動かしながら出来事を観察しています。エリフがどんな会話を続けるのかは、今後読んでいきたいと思いますが、固まった視点から別の視点に移動できることはいいところであります。長時間を傾聴したことについてもエリフを高く評価し、議論の小康のタイミングを起き上がり、自分の意見を開陳することにもいいところだと思います。考えない人は、批判意識を持つことができず、質問も勇気を出すこともできないからです。