ヨブ記 QT59 211223木【世に中で神様探し】ヨブ記 38章 39~39章 4
ヨブ記 38章 39~39章 438:39 あなたは雌獅子のために獲物を狩り若い獅子の食欲を満たすことができるか。38:40 それらが洞穴に伏し、茂みの中で待ち伏せしているときに。38:41 烏に餌を備えるのはだれか。烏の子が神に向かって鳴き叫び、食物がなくてさまようときに。39:1 あなたは岩間の野やぎが子を産む時を知っているか。雌鹿が子を産むのを見守ったことがあるか。39:2 あなたはこれらがはらんでいる月を、数えることができるか。それらが子を産む時を知っているか。39:3 それらは身をかがめて子を産み落とし、その胎児を放り出す。39:4 その子たちは強くなり、野で大きくなる。すると出て行って、元のところには帰らない。 雌獅子とカラスは動物の世界でそれぞれ生存のために生きるだけですが、人間はそれらに対し、無慈悲な捕食者、汚れた鳥という意味を与えました。獅子は狩りに無慈悲で、カラスは腐った肉をかきさがします。そんな獅子とカラスが食べることがなくて困った時、神様はそれらのために食べものを備えると言われました。すなわち、神様は悪人の食物をも備えられ、賄われます。 神様は、今も神様に向かって指を指し、悪口を言う人々の食べ物を用意しておられます。これを通して神様が言われるのは、人間の正義というのは、実に自己中心的なものであるということではないでしょうか。神様はすべての生態系と秩序を造られ、それらの生存のために今も必要を与えてくださいます。すべてが神様のうちにあり、神様は憐れみと愛で満たされた方です。 野やぎと雌鹿が子を産みます。出生と死とは、まさしく神様の証明です。命を宿すというのは、神様の創造の神秘を表します。定まった時まで身ごもり、命を出産するためには必ず苦しみます。犠牲にせずに生まれる命はいません。子は大きくなり、親のそばから離れてきます、また、次にを引き継ぎ、自分も去ります。命と生きることは、そのようにしてつながります。世に存在している当然のことが神様の神秘であることに気づければ、そこで神様を発見することができます。