ルカの福音書 QT6 220114金【荒野の試み】ルカ 4章 1~15
ルカ 4章 1~154:1 さて、イエスは聖霊に満ちてヨルダンから帰られた。そして御霊によって荒野に導かれ、4:2 四十日間、悪魔の試みを受けられた。その間イエスは何も食べず、その期間が終わると空腹を覚えられた。4:3 そこで、悪魔はイエスに言った。「あなたが神の子なら、この石に、パンになるように命じなさい。」4:4 イエスは悪魔に答えられた。「『人はパンだけで生きるのではない』と書いてある。」4:5 すると悪魔はイエスを高いところに連れて行き、一瞬のうちに世界のすべての国々を見せて、4:6 こう言った。「このような、国々の権力と栄光をすべてあなたにあげよう。それは私に任されていて、だれでも私が望む人にあげるのだから。4:7 だから、もしあなたが私の前にひれ伏すなら、すべてがあなたのものとなる。」4:8 イエスは悪魔に答えられた。「『あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい』と書いてある。」4:9 また、悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、こう言った。「あなたが神の子なら、ここから下に身を投げなさい。4:10 『神は、あなたのために御使いたちに命じて、あなたを守られる。4:11 彼らは、その両手にあなたをのせ、あなたの足が石に打ち当たらないようにする』と書いてあるから。」4:12 するとイエスは答えられた。「『あなたの神である主を試みてはならない』と言われている。」4:13 悪魔はあらゆる試みを終えると、しばらくの間イエスから離れた。4:14 イエスは御霊の力を帯びてガリラヤに帰られた。すると、その評判が周辺一帯に広まった。4:15 イエスは彼らの会堂で教え、すべての人に称賛された。 イエス様はバプテスマを受けた後、聖霊に導かれ、40日間荒野で断食され、その後、悪魔に試みを受けました。イエス様が悪魔に試みを受けるなんて不思議に思いますが、イエス様は完全な人間だからです。断食すると空腹を覚えるし、荒野では不安で安全を求める存在です。 最初の試みは、石をパンにすることです。40日断食したイエス様は大変空腹を覚えています。悪しきものはその弱いところを突いて入ってきます。誰においても経済的な価値は大切です。それを超えて絶対的なものになっています。高い精神と良心を持っている人も、現実的なパンの誘惑に勝てずに倒れることがあります。イエス様は「人はパンだけで生きるのではない」と言われましたが、それは申命記 8章 3節の引用です。パンは常に必要ですが、パンだけで生きることではありません。お金そのものではなく、そのお金を使っても追い求めなければならない価値というのがあります。 ある時代の教会では、神様を信じれば、石がパンになり、金持ちになると言っていましたが、神様を信じる人の中では、金持ちになる人がいれば、そうではない人もいます。それが信仰の目的でも基準でもありません。聖徒の答えも、イエス様が引用した申命記 8章 3節です。「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の御口から出るすべてのことばで生きるということを、あなたに分からせるためであった。」 第二の試みは、世界のすべての国々の権力と栄光を与えるという誘惑です。そのために悪魔にひれ伏さなければなりません。権力と名誉は経済力に劣らずに人間を誘惑します。権威と栄光というもの確かにあってそれが反聖書的なものでもありません。それを与える方は神様です。これに対してイエス様は答えられます。「あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい。8」これは申命記 6章 13節です。 「あなたの神、主を恐れ、主に仕えなさい。また御名によって誓いなさい。」 最後の試みは、高い所から飛び降りることです。悪魔はそれでも傷つかないからと言っています。現象的な神秘のみで神様を体験したいと願う人は、理性や常識も働きません。神様を試してはなりません。イエス様はこのような非知性的な神秘主義の誘惑について「あなたの神である主を試みてはならない」と言われました。これも 申命記 6章 16節の引用です。悪魔の試みに対するイエス様の答えはみなみことばでした。イエス様はみことばで状況を解釈し、そのみことばで悪魔に対抗し、勝ちます。悪魔が人間を惑わすことから勝てる力は、神様のみことばを時宜にかなって、適確に解釈することです。