ルカの福音書 QT29 220210木【復活の神秘】ルカ 11章 29~36
ルカ 11章 29~3611:29 さて、群衆の数が増えてくると、イエスは話し始められた。「この時代は悪い時代です。しるしを求めますが、しるしは与えられません。ただし、ヨナのしるしは別です。11:30 ヨナがニネベの人々のために、しるしとなったように、人の子がこの時代のために、しるしとなるからです。11:31 南の女王が、さばきのときに、この時代の人々とともに立って、この時代の人々を罪ありとします。彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果てから来たからです。しかし見なさい。ここにソロモンにまさるものがあります。11:32 ニネベの人々が、さばきのときに、この時代の人々とともに立って、この時代の人々を罪ありとします。ニネベの人々はヨナの説教で悔い改めたからです。しかし見なさい。ここにヨナにまさるものがあります。11:33 だれも、明かりをともして、それを穴蔵の中や升の下に置く者はいません。燭台の上に置きます。入って来た人たちに、その光が見えるようにするためです。11:34 からだの明かりは目です。あなたの目が健やかなら全身も明るくなりますが、目が悪いと、からだも暗くなります。11:35 ですから、自分のうちの光が闇にならないように気をつけなさい。11:36 もし、あなたの全身が明るくて何の暗い部分もないなら、明かりがその輝きであなたを照らすときのように、全身が光に満ちたものとなります。」 人間の魂は、特別な体験を通して神様と連合することができると考えるのが神秘主義です。ということで神秘主義者は特別な体験を追い求め、それを「霊的」といいます。非合理的、非理性的、超自然的なものにさらに集中します。したがって論理的に矛盾が生じると思いますが、それも「霊的」ということで理解されます。 中世14世紀に神秘主義が台頭しましたが、その時代はみことばが伝えられなかった時代です。神様のみことばが解釈されず、伝えられなかった時代、その時代に神様を求めた人々は神秘主義に流れることは当然だったかも知れません。神秘主義はギリシャ文化の影響を受けた初代教会の時代からあり、歴史の中で繰り返され、今もあり、なお生まれています。 イエス様は、しるしを求める人々、不思議なものが見たい人々に対して「悪い時代」であると責められ、見せられる神秘とは「ヨナのしるし」しかないと言われました。ヨナのしるしというのは、イエス様が十字架にかかって死なれ、3日後に復活されるということです。興味を導く不思議なことではなく、死んだ命を生かす救いの神秘です。神秘の中でまことの神秘は復活の神秘です。人々はこれを信じず、不思議な現象と出来事を探して迷っているのです。 イエス様は、ソロモンの時代に、シバ王国の女王がソロモンの知恵を聞くためにエルサレムにきた話をされました。賢者たちはソロモンの知恵を聞くためにエルサレムに集まりましたが、この時代にイエス様のみことばを聞こうとする人はいないということです。イエス様は「ここにソロモンにまさるものがあります」と言われます。みことばがありますが、みことばを聞こうとはせず、目に見える現象に振り回されています。 続くもう一つの話は、灯の明かりをつける話です。先の話と無関係ではないと思います。灯は照明の役割を果たすべきなので、発光しなければなりません。燃料を燃焼して光を出すのです。それが神様のみことばから出てくる光エネルギーです。それを高いところにかけて広いところを照らします。それで灯の役割をする果たすことができます。みことばに無関心で律法の言語遊戯と現象の神秘にのみ振り回されている人々をイエス様は責められました。復活の神秘、救いの神秘は、みことばと向かい合う人に悟られます。神様は、みことばを燃料とし、光エネルギーを明かす人を高く上げられ、世を照らされます。