エズラ QT5 220406水」【信仰と情熱の間】エズラ 5章 1~17
エズラ 5章 1~175:1 さて、預言者ハガイとイドの子ゼカリヤという二人の預言者は、ユダとエルサレムにいるユダヤ人に対して、自分たちの上におられるイスラエルの神の御名によって預言した。5:2 そこでシェアルティエルの子ゼルバベルと、エホツァダクの子ヨシュアは立ち上がり、エルサレムにある神の宮を建て始めた。神の預言者たちが一緒にいて、彼らを助けた。5:3 そのような時期に、ユーフラテス川西方の総督タテナイと、シェタル・ボゼナイと、その同僚たちが彼らのところにやって来て、こう言った。「この宮を建て、この城壁を修復せよとの命令をだれがあなたがたに下したのか。」5:4 そしてまた、「この建物を建てている者たちの名は何というのか」と尋ねた。5:5 しかし、ユダヤ人の長老たちの上には彼らの神の目が注がれていたので、このことがダレイオスに報告されて、さらにこのことについての返事の手紙が来るまで、彼らの工事を中止させることができなかった。5:6 ユーフラテス川西方の総督タテナイと、シェタル・ボゼナイと、その同僚のユーフラテス川西方にいる知事たちが、ダレイオス王に送った書状の写しは次のとおりである。5:7 彼らが王に送った報告には次のように書かれていた。「ダレイオス王に全き平安がありますように。5:8 王にお知らせいたします。私たちはユダ州に行き、あの大いなる神の宮に行ってみましたが、それは大きな石で建てられていて、壁には木材が組まれていました。その工事は彼らの手で着々と進められ、順調に行われています。5:9 そこで、私たちはその長老たちに尋ねて、彼らに次のように言いました。『この宮を建て、この城壁を修復せよとの命令をだれがあなたがたに下したのか。』5:10 私たちはまた、あなたにお知らせするために彼らにその名を尋ねました。それは、彼らの先頭に立っている者の名を書き記すためでした。5:11 すると、彼らは次のように私たちに返事をしました。『私たちこそは天と地の神のしもべであり、ずっと昔から建っていた宮を建て直しているのです。それはイスラエルの大王が建てて、完成させたものです。5:12 しかし、私たちの先祖が天の神を怒らせたので、神は彼らを、カルデア人であるバビロンの王ネブカドネツァルの手に渡されました。彼はこの宮を破壊し、民を捕らえてバビロンに移したのです。5:13 しかし、バビロンの王キュロスの第一年に、キュロス王はこの神の宮を建て直すよう命令を下しました。5:14 キュロス王はまた、ネブカドネツァルがエルサレムの神殿から持ち出して、バビロンの神殿に運んで行った神の宮の金や銀の器を、バビロンの神殿から取り出し、自分が総督に任命したシェシュバツァルという名の者にそれを渡しました。5:15 そして、シェシュバツァルに、これらの器を携えて行ってエルサレムの神殿に納め、神の宮を元の場所に建て直せと言いました。5:16 そこで、このシェシュバツァルは来て、エルサレムの神の宮の礎を据えました。その時から今に至るまで建築が続いていますが、まだ完成していません。』5:17 ですから、王様、もしもよろしければ、エルサレムにあるこの神の宮を建てるために、キュロス王からの命令が下ったのが事実かどうか、あのバビロンにある王室書庫をお調べください。そして、このことについての王のご判断を私たちにお伝えください。」 中止された聖殿の建築が再開されようとしています。聖書では1ページ違いますが、これまで16年が経ちました。この時、神様はハガイとゼカリヤを立たせます。彼らがペルシャに政治的な嘆願をし、イスラエルに動機を与え、中断された聖殿工事が再開されます。詰まったことを突き抜けることが、神様の人がする役割です。政治的に止めれば政治的な仕事をし、経済的に止めれば経済的仕事をします。それはすべて霊的な仕事になります。『ハガイ』と『ゼカリヤ』はそれぞれ独立した預言書として旧約の中にあるので読むと理解が深まります。 サマリア人の妨害とそれによるペルシャ王の聖殿工事の中断命令以後、イスラエルには16年の空白がありました。当時人々は今は聖殿を再建する時ではないという自己合理化に陥っていました。状況がそうではないということでした。70年の捕虜から戻ってから16年ぶりに、その救いの恵みは日常の忙しさに変わってしまいました。情熱は冷えてしまったのです。イエス様がみことばを思い出します。「茨の中に落ちたものとは、こういう人たちのことです。彼らはみことばを聞いたのですが、時がたつにつれ、生活における思い煩いや、富や、快楽でふさがれて、実が熟すまでになりません。ルカ8:14」聖殿より生活の心配が大きいです。しかし、その中でも神様の人々はいます。もはや待つことができませんでした。それは、状況と条件の問題ではなく、時間の問題でもありません。使命を忘れて座り込んでしまったイスラエルの人々の問題でした。 『エズラ』には記録されていませんが,この状況で『ハガイ』がイスラエルに言った預言を紹介します。 1:1 ダレイオス王の第二年、第六の月の一日に、預言者ハガイを通して、シェアルティエルの子、ユダの総督ゼルバベルと、エホツァダクの子、大祭司ヨシュアに、主のことばがあった。1:2 万軍の主はこう言われる。「この民は『時はまだ来ていない。主の宮を建てる時は』と言っている。」1:3 すると預言者ハガイを通して、次のような主のことばがあった。1:4 「この宮が廃墟となっているのに、あなたがただけが板張りの家に住む時だろうか。」1:5 今、万軍の主はこう言われる。「あなたがたの歩みをよく考えよ。1:6 多くの種を蒔いても収穫はわずか。食べても満ち足りることがなく、飲んでも酔うことがなく、衣を着ても温まることがない。金を稼ぐ者が稼いでも、穴の開いた袋に入れるだけ。」1:7 万軍の主はこう言われる。「あなたがたの歩みをよく考えよ。 ハガイは使命を忘れ、生活にジタバタしていたイスラエルに懲らしめます。「時はまだ来ていない。主の宮を建てる時は2」これを読むとイスラエルにやる気がなかったことが分かります。ハガイは「この宮が廃墟となっているのに、あなたがただけが板張りの家に住む時だろうか4」と責めます。板張りの家とは、自分の家のインテリアはきれいにして礼拝のための聖殿は廃墟のまま放置してもいいのかということです。自分のために苦労するが、それが自分の幸せにつながらないと言います。情熱は強くありません。みことばと勇気がなければ情熱を成し遂げることはできません。ハガイやゼカリヤのようなみことばを持ち、勇気を出す人々がいるから、神様の働きは進められます。